第63話 聖獣の呪い1~絶体絶命~
「なんだか霧が出て来ましたね……」
ノアとラッセルに遅れまいと、一生懸命に速足でついて来るシャルロットが、森を見渡し荒い息遣いをしながら呟いた。
ノアは感じていた。この霧は、森の精霊達が悲しんでいると……。
――たぶんあの聖獣になにかあったな。……でも今はそれどころではない。
「まだ大丈夫かい、ラッセル」
「はい。賢者さまにかけて頂いた魔術のおかげで、とても軽いです」
ラッセルは、白い牡鹿の聖獣から呪いを受けた、フレイヤを背負っていた。
周囲をうかがいながら横を歩くノアは、フレイヤの容態にも注視した。
「フレイヤ、具合はどう?」
「……さむいです……」
「ラッセル、少し休憩を入れよう」
ノアは近くの大木の根元にフレイヤを下ろさせた。
辛そうに幹にもたれかかるフレイヤ。
小刻みに震えているようだ。
「これを羽織りなさい」
ノアは深緑色のローブを脱ぐと、フレイヤの肩に掛けた。
「……あたたかい」
フレイヤがホッとしたような微笑みを見せた。
「急いだほうがよさそうだ。もう少し頑張れるかい、フレイヤ」
「……申し訳ありません、賢者さま……。まだ大丈夫です」
ノアはフレイヤの首筋に手を当てた。
「だいぶ熱があるね……」
「よし、今度はぼくが背負うよ!」
「……いけません、そんな事……」
フレイヤは弱々しく顔を上げ、首を振った。
「大丈夫だよ! ぼくは、女の子を背負う事にかけては、世界一の自負があるんだ!」
そう言ってノアは、フレイヤの前に腰を落とし、背中を差し出した。
「よく解りませんが……面白い事をおっしゃるのですネ……」
力なく笑ったフレイヤは、ノアの首に手をまわし身体を預けた。
「よし、行こうか! ちょっとスピードを上げるから、シャルロットは頑張ってついて来てね!」
そう言ってノアはフレイヤを背負ったまま、軽々と走り出した。
「……ほんとに賢者さまって……凄いのですね。……それにこのローブに包まれて、賢者さまに背負われていると……とっても楽です」
フレイヤがノアの耳元でささやいた。
「賢者さま~! 置いて行かないでください~!」
後ろからシャルロットの悲鳴が聞こえた。
小一時間ほど森の中を小走りに抜けると、眼下にアレッサ村の集落が見えて来た。
森を抜けると、不思議と霧は晴れていた。
ノアは昨日馬を預けた、一番大きな宿屋に駆け込んだ。
「ごめんください!」
ノアは薄暗いロビーの奥にある、無人の受付カウンターに声をかける。
「ハ――イ!」
奥から返事があると、若い娘が出て来た。
「店主を呼んでくれ」
女性を背負ったノアの只ならぬ様子に、受付の娘は驚いている様子だ。
「し、少々お待ちください!」
奥から『お父さん――。なんか大変なの、直ぐ来て!』と声が聞こえた。
「どう致しましたでしょうか? ああ、昨日馬を預けられたお客様ですね」
「急病人がいるのだ。部屋で休ませたい」
店主は背負われた女性を訝し気に眺めた。そして後ろで荒い息をしているラッセルとシャルロットに目をやる。
「あんたたちは、エルフィーン様のところの……」
「お客様には悪いが、この方達はかなりツケが溜っておりまして……。これ以上はお代を頂いてからでないと無理な相談です」
「いくら溜っているのだ!」
ノアはつまらない障害に苛立った。
「十五万マーベルほど溜っております」
ノアはフレイヤを背負ったまま、カバンの中から巾着袋を取り出し、金貨を2枚カウンターの上に置いた。
「ぼくが払いましょう。釣りはいらない。だから早急に部屋を用意してくれ!」
「ありがとうございます。さっそくお部屋をご用意致しましょう」
店主はノアの気前の良さをたいそう喜んだ。
「それから『月下の一角獣』の馬車を出してもらおうか。それで王都に急ぎ戻るつもりだ」
店主の笑顔は一瞬で曇った。
「無理をおっしゃらないで下さい、ウォルター様がお怒りになります!」
「問題ない。『月下の一角獣』は、ぼくの配下だ」
「そんな事言われましても……」
店主は狼狽している。
「これを見せれば納得してもらえるか⁈」
ノアは冒険者カードをカウンターの上に置いた。
「珍しいカードですね……シャレーク王国発行の。名前はノア・アルヴェーン様、ランクは……」
「Sランク――!」
「Sランク冒険者って事は、たそがれの……。何でしたっけ?」
「『黄昏の梟』の『大樹海の支配者』それがぼくです! もういいですか!」
「申し訳ありませんでした――! すぐに仰せの通りにいたします。おい、シンシア! すぐに一番のお部屋にご案内しなさい。私は馬車の準備をしてまいります」
店主は納得したのか、直ぐに動き始めた。
「すまない店主。これは今日の迷惑料だ」
そう言ってノアは、さらに1枚の金貨をカウンターの上に置いた。
ノア達はシンシアと呼ばれた娘に案内され、二階の客間に入った。
さっそくフレイヤをベッドに寝かせる。
「具合はどうだい、フレイヤ」
「……賢者さま。ご迷惑ばかりお掛けして申し訳ありません。このローブに包まれていると、不思議にすごく楽なんです」
その時ノアはフレイヤの容態を見ながら、今後の二者択一に迷っていた。
――こんな時頼りになるのは、やはりブレーデン司書長だ。彼女をぼくが迎えにいくべきか? いや、往復すると時間がかかり過ぎる。それにここでは不都合が生じるのは、目に見えている……。
「ごめんフレイヤ。ぼく一人では君を治す事が出来ない。馬車で王都まで戻ろうと思うのだけど、耐えられそうかい?」
「……賢者さまにすべてお任せ致します……」
フレイヤは出来る限りの笑顔をノアに向けた。
「よし、王都の学院まで戻ろう! ラッセル、君は馬車を扱えるか?」
「任せて下さい賢者様! 俺の生まれはトゥラーラ<注1>なんです。馬と一緒に育ったようなものです!」
「それは頼もしいな。出来るだけ早く出発したい。馬車の準備を手伝ってきてくれ!」
「かしこまりました!」
「シャルロット、君は水と桶と手ぬぐいを出来るだけ分けてもらってきてくれ! そして準備が整ったら、ここに呼びに来て」
「ハイ、わかりました!」
二人が部屋を飛び出して行った後、ノアはベッドに腰かけ、そっとフレイヤの髪を撫でた。
――たとえ学院まで戻ったとして、この強い呪いを解く事が出来るのだろうか……。
さすがのノア・アルヴェーンも、今まで経験したことのないアクシデントに不安を抱いていた。
「賢者様! 馬車の準備が整いました。すぐ出発出来ます!」
シャルロットが息を切らして部屋に飛び込んできた。
「ありがとう。フレイヤ、行こうか」
ノアはローブにしっかりとフレイヤの身を包み、彼女を抱き上げた。
フレイヤは弱々しくノアに手を回し、縋るような眼差しでノアを見つめた。
階段を降り、玄関から外に出ると、馬車は横付けされていた。
「お客様、上等な藁を出来るだけ積んでおきました。お使い下さいませ」
ノアは店主の計らいに感謝した。
「明日朝一番で、冒険者ギルドに頼んで、この馬車を送り返します。ぼくの乗って来た馬で帰らせて下さい。それからもし『月下の一角獣』の方が早かったら、事情を説明して待たせて下さい。よろしくお願いします」
「委細承知いたしました。お気をつけてお戻りください」
ノアはフレイヤを抱いたまま馬車に乗り込み、藁が敷き詰めてある馬車の右側面にフレイヤをそっと座らせた。
そして自分もフレイヤの横に座ると、フレイヤを抱きかかえ、身体を固定した。
「ラッセル、出してくれ」
ノアは御車を務めるラッセルに声をかけた。
馬車は少しの揺れを伴って発進した。
店主と娘が、頭を下げて見送ってくれた。
――王都まで馬車だと、概ね三時間といったところか。それまでフレイヤがもってくれるだろうか……。
王都に続く道は、決して褒められたモノではなく、荷馬車の揺れや突き上げは大きかった。
「シャルロット、フレイヤの汗を拭いてやってくれないか」
反対側に座っていたシャルロットは頷いて、フレイヤの傍に近づいた。
「け、賢者様! フレイヤの髪が!」
シャルロットが悲鳴のような声を上げた。
ノアはフレイヤのフードを、後ろにおろした。
「これは……」
今まで深くフードを被っていたのでノアからは見えなかったが、赤味の強いフレイヤの髪の毛は、真っ白に色が抜け落ちていた。
シャルロットは驚きの余り、ボロボロと涙をこぼした。
「がんばれ……フレイヤ」
ノアはそんなフレイヤの白髪を、優しく撫で続けた。
まだ夕陽が沈み切る前に、王都サンクリッドの学院に辿り着く事が出来たのは幸いだった。
馬車が校舎玄関前に横付けされると、只ならぬ様子を見て、一人の守衛が駆け寄って来た。
「賢者様、お帰りなさいませ。何事でございますか」
「今日は何人詰めていますか!」
「三名でございます」
「ご覧の通り急病人が出まして、これからぼくの部屋に連れて行きます。それでお願いがあるのですが、この馬車の始末と、大至急スピルカ家の屋敷に行って、アリス先生を呼んで来て下さい!」
「かしこまりました。至急手配いたします」
事の緊急性を察した守衛は、すぐに詰め所に戻っていった。
「さあ、ぼくの部屋に行きます。ラッセルは必要なモノだけ持ってきてくれ!」
ノアは校舎外周の小径を通り抜け、校舎の反対側にでる。
一度湖畔に下り、再び坂を登れば、ノアの住まう特別棟に帰りついた。
ちょうど湖の先の山の稜線に、夕陽が沈むところだった。
ノアは自室の扉を片手で開けると、懐かしさすら感じる自室に入った。
「まあ、ノア様! どうされたのですか!」
今日帰る予定だったノアのために、夕食の準備をしていたリーフェが驚きの声を上げた。
「リーフェ、いてくれたか。大助かりだ! まずはこの娘をぼくのベッドに寝かせたい」
「かしこまりました!」
リーフェはノアを先導し寝室の扉をあけ、ノアのベッドの上掛けをめくった。
ノアは抱きかかえているフレイヤをそっとベッドの上に寝かせた。
「リーフェ、詳しい説明は後だ。大至急ブレーデン司書長を呼んで来てくれ! 工房の呼び鈴は解かるかい?」
「はい、知っています、ノア様。それではさっそく行って来ます!」
リーフェはすぐさま部屋を飛び出していった。
「ラッセル、君は大至急冒険者ギルドへ行ってくれ。ぼくはここを離れられない。ぼくの指示だと伝えて事情を説明して、幹部の誰かがここに来るように手配してくれ」
「承知いたしました!」
ラッセルもすぐに部屋を出て行った。
「さて、シャルロット。フレイヤのローブと服を脱がせてくれ。身体の様子をみたい」
シャルロットは一瞬驚いてノアを見たが、すぐにノアの指示通り、フレイヤの黒い魔女服を脱がせ始めた。
白い下着姿にされたフレイヤ。
ほぼ成人女性の彼女の身体には、トレードマークの白いかぼちゃパンツが、妙にミスマッチで、色気を与えていた。
ノアがフレイヤの身体の様子を確認していると、リーフェとブレーデン司書長が駆けつけてきた。
「これはたいへん……!」
状況をすぐに理解したブレーデンが、声を絞り出した。
「呪い……でございますね」
ノアは頷いて、白い牡鹿の聖獣から呪いを受けた概要を説明した。
「なんと愚かな事を……」
「ブレーデンさんの付与魔術で呪いを取り除けそうですか?」
ブレーデンはゆっくりと首を左右に振った。
「魔導士が創った呪いであらば、術式を破壊する事は可能ですが、このような太古から自然界に組み込まれた根源的な呪いは、解除が非常に困難です」
「まして聖獣様の呪いは、上級魔族が使う呪いを凌駕するでしょう」
「なにか方法は無いモノでしょうか……」
「このように呪いは受けると厄介なので、呪い除けの魔道具は多数存在するのですけれど、呪いを受けた後の解除の魔道具は非常に数が少ないのです。ノア様、宝物庫に何点かございますが、お持ちしますか?」
「やはりブレーデンさんを頼って戻って来た事は正解でした! さっそくお願いします」
「それでは急ぎ用意して参りましょう」
ブレーデンはすぐに工房の宝物庫に戻って行った。
「シャルロット、君は支援系の魔術士だよね。回復と痛み止めの魔術は使えるかい?」
小刻みに震えて涙を流しているシャルロットは、ノアに腫れた目を向け頷いた。
「少しでも楽にしてあげなさい」
「フレイヤちゃん……頑張って……」
シャルロットは泣きながらフレイヤの腕を掴んで魔力を流し始めた。
最もほとんど効果が無い事は、ノアもシャルロットも解かっていたが。
思いの外早く、ブレーデンはノアの部屋に戻って来た。
宝物庫のアイテムを熟知しているブレーデンならでは、だろう。
「ノア様、三点ございました」
ブレーデンはさっそく小さな赤い魔結石がついた指輪をフレイヤの指に差し込んだ。
魔結石は急激に赤い光を放ち始めると、すぐに光量を落とし黒ずんでいった。
「焼石に水ですね……」
ブレーデンは白い手袋をしてからフレイヤの指輪を抜き取った。
次にかなり大きな青い魔結石が美しいブレスレットをフレイヤの腕にはめた。
やはり急速に輝きを放ち、少し持ちこたえたが、突然亀裂が入り割れてしまった。
三つ目の髪飾りも同様の結果だった。
「やはり呪いの強さが尋常ではありません……いかに聖獣様とは言え、怪我をさせたくらいでこれほどの呪いを受けるものでしょうか……」
ブレーデンは沈痛な面持ちで、ノアに語りかけた。
そんな時、アリス先生が飛び込んできた。
「ノア様、いかがなさいました!」
<注1>トゥラーラ諸国連邦はレ―ヴァン王国の東隣、プリケマ山脈を挟んで隣接する少数騎馬民族の集合国家である。詳しくは『設定資料 諸国紹介』を参照の事。




