第62話 堕ちる勇者<後編>
「なんなのですか、突然飛び込んできた少年は! おかげでこの剣を渡しそびれてしまいましたよ!」
大木の陰に身を潜めたのは長身の男性と、小さな少女だった。
男性は、夏だというのに黒いローブのフードを被り、鼻より上は銀色の仮面で覆われている。
「とんだ邪魔が入ったわね! でもあの子凄くない? 怒り狂った聖獣を止めちゃったわよ!」
明るいブロンドだが、ツヤの無い長い髪をツインテールにまとめ、異常なまでに白く見える肌をした少女が、大袈裟に驚きの表情をしてみせた。
「いったい誰なのでしょうか? 彼は相当な魔術士ですよ。慌てて魔力を隠しましたが、我々にも気づいたみたいですし……」
「まさか――⁈ それは気のせいじゃないの。かなり離れていたわよ!」
「そうでしょうか……」
長身で痩せた黒い魔導士はしばらく首を傾げた。
「まあ、いいでしょう。仕切り直しです。おあつらえ向きにあの勇者君は一人になりましたし」
「そうだね!」
ツインテールの小さな少女は大きく頷いた。
「ジュリエッタちゃん、またあの聖獣を捕まえてくれますか?」
黒い魔術士はかなり腰を曲げて、彼女と目線を近づけた。
「お安いご用よ。あたしのテイムは簡単には解けないからね!」
ジュリエッタは腰に手を添え、得意げなポーズを取った。
「おお、さすがジュリエッタちゃんです。頼りにしていますよ」
「じゃあ、さっそく捕まえに行きましょう。こっちよ!」
ジュリエッタが先導し、二人は深い森の中を進んで行った。
「ほら、あそこにいたわ!」
ジュリエッタが遠くの茂みを指し示した。
「連れてこられますか?」
「まかせて~!」
調子の良い返事をすると、ジュリエッタは舌で奇妙な音を鳴らしながら、白い聖獣に近づいていく。
ジュリエッタが近づいても、白い牡鹿の聖獣は逃げなかった。
聖獣が頭を下げると、彼女は優しく頬を撫でた。
しばらく意思の疎通の様な振る舞いを見せた後、彼女は黒い魔術士の方へ引き返した。
聖獣もおとなしく、後に付き従った。
「もったいないな~。こんなに凄い子、滅多にテイム出来ないよ! あたし、この子ペットにしたい!」
「そんな事言わずに……。使わせてくれたら、あなたの欲しいモノなんでも買ってあげますから!」
「ほんとに~?」
「約束しますよ!」
ジュリエッタは左右に首を傾げながら、しばらく考えた。
「ま、いっか!」
黒い魔術士はジュリエッタの頭を優しく撫でた。
「それでは、あの勇者君と鉢合わせ出来る所まで、移動しましょう!」
黒い魔術士とジュリエッタは、森の木々が少し開けたところでエルフィーンを待ち伏せした。
しばらく待つと計画通り、エルフィーンが姿を現す。
「なんだ、おまえ達は……」
エルフィーンは身構え、剣の柄に手をかけた。
「私達はあなた様が真の勇者へと覚醒されるための、お手伝いをする者です」
黒い魔術士は胸に手を添え、深々と頭をさげ、恭順の意を示した。
「胡散臭いな……ならば、まずその獣を渡してもらおうか」
「もちろんでございます。この獣は私達があなた様の覚醒のために準備した生贄でございます。先ほどは、あなた方では仕留め切れなかった様子でしたので、お手伝いさせて頂きますよ」
「見ていたのか……」
黒い魔術士は無言で大きく頷いた。
「そいつは聖獣だと……あの小僧は言っていたぞ……」
「ほう、あの少年はこの獣が聖獣だと知っていましたか……。なるほど、だから止めに入ったのですね……。きっとあなた様が聖獣の霊力を手に入れる事を嫉んだのでしょう!」
「やはりそうか、危うく騙されるところだった……」
エルフィーンは「チィッ!」と舌打ちした。
「さあ、あなた様に相応しい、この聖剣を差し上げましょう。そしてこの聖獣の首を落とすのです。さすれば貴方は聖獣の霊力、この剣の魔力と、二つの強大なチカラを同時に手に入れる事が出来ます。さらに真の勇者への覚醒を促すでしょう!」
黒い魔術士は妖しい剣を見せながら、エルフィーンに近づいた。
「まずはあなた様がこの剣を抜ければ……の話ですが……」
黒い魔導士は、「クククッ!」と少し挑発してから、エルフィーンの前に片膝をつき、両手に乗せた剣を差し出した。
「この剣の銘は?」
「いにしえに名をはせた聖剣『グラーム』と申します」
エルフィーンは左手で鞘を掴んで受け取った。
そして右手で柄を握り、剣身を、ゆっくりと抜き出した。
反りは無く、身幅はさほど広くない剣身がすべて姿を現すと、同時に黒い霧の様な波動が剣身より沸き上がり、エルフィーンの腕から全身へと包み込んでいった。
「不思議な……高揚感に満たされる……」
剣と一体化した黒い波動に包まれたエルフィーン本人は、さほどの体調の変化は感じていないらしい。
「素晴らしい! さすがは真の勇者へと昇華されるお方! さあ、聖獣を生贄に、覚醒なさりませ!」
エルフィーンは言われるがまま、聖獣の首元に立った。
聖獣はテイムによっておとなしくしている。
エルフィーンは両手で聖剣を握りしめ、大きく振りかぶった。
渾身のチカラを込め、聖剣は振り下ろされた。
『ドサッ!』と聖獣の首から先の頭が、垂直に落下した。
しばらくして聖獣の巨大は胴体が、そのまま横向きに倒れた。
すこし地面が揺れるほどの衝撃を生じた。
四本の脚が少し痙攣し、やがて動かなくなった。
「さあ、見物ですよ、ジュリエッタちゃん! ここから先はどうなるか、私にも見当が付きません!」
「楽しみだね~! 自分で勇者だなんて名乗って、目立っちゃうからいけないんだよ!」
「それを言っては彼が可愛そうですよ。彼は自分が信じるモノを信じさせれば良いだけの、簡単な操り人形なのですから」
頭と胴体の切断面からは、なぜかそれほど血は流れ出さず、代わりに大量の黒い瘴気を噴出した。
そして黒い瘴気は渦を巻いて聖剣に吸収され始める。
「なんだこれは! 剣が手から離れない!」
エルフィーンは悲鳴を上げ苦しみだした。
うずくまって、さらに悶え苦しむ。
聖剣の刀身は鋼の色を変える事はないが、周りは赤黒い鈍い光を放ち始める。
エルフィーンの苦しみは瘴気を吸収し終えるまで続いた。
そして彼は動かなくなった。
「あれ? 死んじゃったかな⁈」
ジュリエッタがそっと覗き込む。
「なんだ、残念。失敗かな……」
黒い魔術士が首を傾げた時、エルフィーンの身体がピクリと動いた。
ゆっくりと上体を起こすエルフィーン。
「ここはどこだ……?」
エルフィーンは空を見上げた。
「ここは人の大地か……?」
そして剣を支えに立ち上がった。
明らかにエルフィーンの雰囲気が、妖気を放ちつつも気品溢れる別人の様に変化した。
そんな変わりようを見て取った黒い魔術士は、歓喜の表情を浮かべている。
「ご気分は如何でしょうか」
様子を伺う様に、黒い魔術士はエルフィーンに声をかけた。
エルフィーンは近くの倒木にゆっくりと腰を下ろした。
両足の間に剣を立て、上半身を支える。
そんなエルフィーンの前に、黒い魔術士はすかさず跪いた。
ジュリエッタも即座にマネをして跪く。
「あなた様は魔族の中でも、それは貴きお方とお見受け致しますが、よろしければ恩名を頂けないでしょうか」
エルフィーンはひれ伏す二人を、穏やかな澄んだ瞳で見降ろした。
「……余の名はレオンハルト=スカルティーナ。小さき国を治める王であった……」
「す、素晴らしい! やはり魔王陛下でおられましたか! 私目が陛下のご復活を、謹んで執り行いさせて頂きました!」
黒い魔術士の歓喜の声は震えていた。
魔王レオンハルト=スカルティーナは聖獣の亡骸に視線を送った。
「汝はつくづく粋な計らいをするものよ……。余を封じし勇者の因子を持った憑代を用意し、尚且つ聖獣の瘴気をもって余を蘇えらせるとは……」
『ゲッ、彼は本物の勇者の卵だったのですか!』
黒い魔術士とジュリエッタは、お互い目を丸くして視線を合わせた。
「大儀であった……。余の傍に仕える栄誉を与えよう……。存分に励むと良い……」
「ハ、ハ――ッ! 身に余る幸せ!」
黒い魔術士は可能な限り深くひれ伏した。
「しばらくはこの器の主に、余の魔力を使わせてやるがよい。さすれば魔力と身体の馴染みも進むであろう。余は今暫く、静かに霊力を蓄えるとするよ」
「余の完全なる復活を、楽しみに待つがよい……」
そう言って魔王レオンハルト=スカルティーナは静かに目を閉じた。
入れ替わる様にエルフィーンがゆっくりと目を開けた。
「……俺はいったい……」
エルフィーンはゆっくりと頭を左右に振った。
「お目覚めになられましたか、勇者様!」
黒い魔術士は、今度はエルフィーン相手に話を合わせる。
「おめでとうございます。あなた様の勇者への覚醒が始まりましたぞ! ご気分は如何でしょうか⁈」
「悪くは無い……。少し夢を見ていたようだ……」
「どのような夢をご覧になりましたか?」
「私、なのだろうか……真の勇者が強大な魔王を倒し、この剣に封じた……そんな夢だ」
黒い魔術士は興味深かげに頷いた。
「おまえ達の名を聞こうか……」
黒い魔術士はフードを払い、銀の仮面を外した。
そこには端正な顔立ちを持つ青年の、屈託のない笑顔があった。
「私目は黒魔導士のランスロッド・オルティスと申します。どうぞお見知りおきを」
オルティスは片膝をついたまま、胸に手を添え深く頭を下げた。
「あたしは使役士のジュリエッタよ! その聖獣はあたしがテイムしたの! 凄いでしょ!」
ジュリエッタはエルフィーンが褒めてくれる事を期待しているようだ。
「これから俺はどうすればいい? 頭の中が混乱して、考えがまとまらない……」
「すべて私目にお任せくださいませ。山脈を越え、ヘッグルント公国へご案内致します。公爵様がお待ちになっております」
「……そうか、オルティス。おまえを頼ろう……」
「それではしばしお待ち下さいませ。これからその聖獣を復活させましょう。必ずや新たな勇者様の足に、そしてチカラとなりましょうぞ!」
オルティスはローブの内側の小さなバッグから、親指ほどの紫魔結石を二つ取り出した。
そして頭と胴体、それぞれの断面の肉の中に埋め込んだ。
さらに重い頭を引きずり、出来るだけ切断面を合わせた。
そんな動作をジュリエッタは興味津々で眺めている。
「ねえねえ、あたしにもそんな魔結石が入っているの?」
オルティスは振り返って微笑んだ。
「もちろん入っているとも!」
「ふ~ん。そうなんだ……」
オルティスは小さな皮の巾着袋から、接合箇所に金色の粉を振りかけた。
そして手帳の様な古い本を開き、暗号のごとき長い術式を唱え始める。
すると互いの切断面が微妙に動き、ピタリと結合した。
「上手く行ったようだよ!」
オルティスはジュリエッタにウインクを送った。
「死霊使いの付与魔術って、ほんとえげつないわ――!」
ジュリエッタは自分の首を触りながら、気持ち悪そうに感想を述べた。
しばらく二人で様子を伺っていると、突然『ブハ――ッ』と聖獣は息を吐いた。
呼吸を開始したようだ。
開かれたままであった瞼も動き始める。
四本の足を動かし始めると、試行錯誤を繰り返した後、聖獣は立ち上がった。
接合面からは、動き始めたせいで、まだ少しの瘴気が漏れる。
「ジュリエッタちゃん、手伝ってもらえますか!」
オルティスは太い包帯のような布を取り出すと、ジュリエッタの手を借り、黒い瘴気が漏れ出す首に、その布を巻きつけた。
包帯の様な布には、隙間なく呪符が書き込まれていた。
「これでいいでしょう!」
オルティスは満足気に両手を叩いた。
「さて勇者さま。準備が整いました。いざ参りましょう」
オルティスは畏まって右腕で出発を促した。
「世話になる……」
そう言って、勇者エルフィーンは歩き始めた。
「勇者さま、仲良くしようね!」
ジュリエッタが横に並んで、エルフィーンを見上げながら微笑んだ。
エルフィーンはジュリエッタの頭を優しく撫でた。
森の中はいつの間にか、霧に包まれていた。
三人と一柱の聖獣は、そんな森の中に静かに溶け込んでいった。




