第51話 国王との茶会<前編>
王立競技場で行われたチーム対抗公開模擬戦で優勝してから、半月ほど過ぎた午後の事であった。
学院の講師室にいたノアの元に事務員さんが訪ねてきた。
「ただいま王宮の宮内省より、アルヴェーン講師宛に書簡が届きました」
対応したエジェリーは書簡を受け取ると、すぐさまノアに手渡す。
「なんの手紙かしら?」
エジェリーは不思議に思ったようだが、ノアには当然心当たりがあった。
――来たか……。
ノアは書簡の外見を確かめた。
「エジェリー、この封蝋は王家のもので間違いないかい?」
「そうね、王家の使うもので間違いないと思うわ」
ノアは引き出しからペーパーナイフを取りだすと書簡を丁寧に開封する。
そして内容に目を通すノアの表情は険しくなった。
「ねえノア、なんて書いてあるの?」
「国王陛下から、茶会の誘いだ……」
「凄いじゃない! 国王陛下からお茶会のお誘いを頂くなんて、大変名誉な事よ!」
エジェリーは単純に喜んでいるが、しかしノアは複雑な推測をせねばならなかった。
――初めは軍務省あたりから打診があると思っていたが、いきなり国王の名を頂いてアプローチをかけて来るとは恐れ入った……。しかも公式な謁見ではなく茶会だ。これは少し薬が効き過ぎたかな。
「そうだエジェリー、君も供として一緒に行ってくれるかい……」
満面の微笑みを浮べて喜ぶエジェリー。
「まあうれしい! 連れて行ってくれるの! わたし何を着て行こうかしら!」
浮かれるエジェリーとは対照的に、ノアは両手を後ろ頭に回して思案した。
――これは絶対に避けて通る事が出来ないプロセスだ。この国に対して自分のポジションを明確にしなければならない……。
* *
そして指定された十日後の昼過ぎ、王家が遣わした黒塗りの馬車は、学院の玄関前に横付けされた。
その馬車には王家の紋章は入っていなかった。
礼装の若い近衛騎士がノアとエジェリーを出迎え、馬車への乗車を促した。
ノアとエジェリーを乗せた馬車は、王宮前広場正面の正門には入らなかった。
広場ロータリーを左に折れ、水路と王宮を右に見ながら、しばらく外周道路を進んで行く。
二つ目の水路を跨ぐ跳ね橋を渡り『かえでの門』をくぐった先の宮殿玄関に、ようやく馬車は横付けされた。
馬車を降りると案内役の近衛騎士に先導され宮殿深く、恐らく国王一家の居住区であろう一画まで通された。
宮殿内の廊下は、まだ壁画や彫刻などに装飾されたバロック建築様式の影響を受けておらず、どちらかと言えば、質実剛健な装いであった。
二人の衛士によって開かれた扉を抜けると、今度は楽園を思わせる美しい内庭に面した豪奢な部屋に入った。
バルコニーに面した庭園側の一角には、大きな円卓を囲み、国王と王妃、そして二人の紳士が着席し、和やかにお茶を楽しんでいる。
さらに国王と王妃の背後には、明らかに高位の近衛騎士とわかる者が六名、実戦組の騎士が二名控えていた。
これは予想以上の大歓迎だ。
おまけに見えない所には二十名ほどの衛兵が配置されているようだ。
名目上はお茶会だが、これから始まるであろう一方的な尋問をノアは覚悟せねばならなかった。
しかし、これは決して避けて通る事の出来ない関門である。
ノア自身の筋書きの通過点でもあるのだから。
さり気なく周囲を確認し、万が一の退路をシミュレートしておく。
どの様な結果を招くは、さすがに予想の範疇を超えているからだ。
「お連れしました」
案内役の近衛騎士が畏まって告げる。
テーブル越しではあるが、国王の正面に進み出て片膝を付き挨拶するノア。
エジェリーも後ろについて腰を落とした。
「本日はお招き頂きありがとうございます。お初にお目に掛かります。ノア・アルヴェーンと申します。以後お見知りおきを」
取り敢えず、ノアは真心を込めて挨拶をした。
「面をあげよ」
国王の隣に座る五十歳を過ぎた頃の、威厳のある紳士が言葉を発した。
「こちらにおわすお方こそシューリウス・ブルクハルト・レ―ヴァン国王陛下であられる。お隣は、アンネマリー・オーリテッド・レ―ヴァン王妃殿下にあられる」
国王は四十歳前後か、やや肉付きの良い体形をしている。顎鬚を多少伸ばしているが、なかなか似合っている。茶会とあってか、服装は華美では無かった。
いっぽう王妃は三十代前半くらいだろうか、プラチナブロンドの髪をアップにまとめ、薄緑色の肩出ドレスを見事に着こなしていた。
「私はこの国の宰相、バルトロメイ・ブルクハルト・ブラーハと申す。以後よしなに」
「私は軍務尚書のイグナーツ・アルムグレーンである」
少し武人の雰囲気を漂わせる紳士が自らを名乗った。
席順は向かって左から宰相、王妃、国王、軍務尚書であった。
一通り紹介が済むと、大きな円卓の対面に着席を勧められた。
「それでは、御前失礼いたします」
席に着くノア、エジェリーは後ろにまわった。
「供の者は、バイエフェルトの令嬢ではないか、よい、そなたも席に着くがよい」
宰相がエジェリーの顔に気づくと、紳士的に着席を許した。
エジェリーは少々驚いた様だが、慌てる事無く微笑みを浮べて挨拶を披露する。
「国王陛下また王妃殿下、宰相閣下、軍務尚書閣下。ご機嫌麗しゅう。お久しぶりにございます。それではお言葉に甘えまして失礼いたします」
さすがはバリバリの貴族令嬢、美しい跪礼は完璧である。
ノアは思わず納得してしまった。
メイドの手によって、ノアとエジェリーのカップにお茶がつがれた。
「今日呼んだのは他でもない。茶でも楽しみながら、少し話がしてみたいと思ってな」
片手で紅茶を進めながら、宰相が話を切り出した。
ノアとエジェリーは紅茶の香りを確かめ、そっと口にした。
「良い香りの紅茶です。東方のメルスーン国の茶葉でしょう。発酵のさせ方が上手です。さらに柑橘の香油が添えられていますね」
ノアは前世でも紅茶は好んで飲んでいた。アールグレイとの共通点に気付いたのだ。
「ほう、その若さでそこまで言い当てるとは」
宰相は素直に感嘆したようだ。
茶会は和やかに進んで行く様に思われたが……。
ノアはわざと衛士が隠されているあたりに視線を当てた。
「入っていたのが、香油で安心しました」
ノアの一言で、その場が瞬時に緊張してしまった。
両目を見開き、驚いた顔でノアの横顔を見つめるエジェリー。
「うむ、貴殿はすべてお見通しのようだ」
宰相は特に慌てた様子もなく、小さく頷いた。
「先日の学院の模擬戦の際、貴殿は我々には理解の範疇を超えた魔術を披露したという。正直なところ、我々はその力に困惑しているのだ。して、そのような大きな力、どこで得た」
「賢者リフェンサー様のご指導のたまものにございます」
「たてまえはよい」
宰相はゆっくりと首を振った。
「それでは……自覚はあまりないのですが……生まれつき授かったモノでしょうか……。そして大樹海で暮らすうちに勝手に身に付いた……といった感じです」
ノアは少し考えながら、ゆっくりと答えた。
転生者だからです……。などと言えるはずもない。
「リフェンサー殿はこう申された。『彼の導きし少年に比べれば、我など知慧も魔術も幼子に等しい』と。貴殿はその強大な力、どのように使うつもりなのかね」
「私は小心者ですので、いさかいやケンカは大嫌いです。しいて言えば、自分の身を守る為、自分の大切なものを守るためには使いたいと思っています」
「それは広義の意味も持つのかね? たとえば、この国が侵略を受けたとしよう、その時はどうする」
宰相の質問にノアは少しばかり小首を傾げた。
「仮定が飛躍しすぎなのは気になりますが……。その時は微力ながら陛下の元へ、はせ参じましょう」
その一言に国王と宰相、そして軍務尚書はほっと、顔を見合わせ満足げに頷いた。
満足のいく回答だったに違いない。
つづいて軍務尚書が口を開いた。
「それは、我が国の軍部に席を置き、管理下に入ると受け取ってよろしいのかな。我々はそれがお互いにとって、最良の策であると考えている。もちろん相応の地位と報酬は約束するが」
「…………」
しばし目を閉じ沈黙するノア。
――具体的な良案ではあるのだが……。
「その件につきましては、この場ではっきりとお断り申し上げます」
予想に反した返答は、その場に控える騎士達をざわつかせるには十分だった。
「何故かね?」
軍務尚書も眉間にしわを寄せ、表情は厳しくなった。
「私は、一国の臣民として、そして組織の一員として縛られる事は、都合が悪いと考えています」
ノアの言葉に場の緊張感は増すばかりだ。
「聡明な貴殿ならば、察しはつくだろう。はっきり言って、我が国は貴殿の力を恐れている。余りにも異端なのだよ。その力を管理できない我々が貴殿を否定した場合、さらに排除しようとした場合はどうするのかね」
宰相が回りくどい事は言わずに、いよいよ核心を突いて来た。
レ―ヴァン王国にとっては、ノアは不安要素でしかないのであろう。
「まずは、逃げましょう」
「逃げられると思うかね」
「問題ありません」
「命を奪いに来たらどうする?」
「その答えは簡単です。当然、私は無意味に死にたくありませんので……その際は容赦なく反撃します」
騎士たちが剣に手をかけた金属音が、静かな室内にはっきりと響いた。
やはり成り行きによっては、切り捨てるシナリオが準備されていたのだろうか。
「一国の軍勢を敵に廻しても勝てると思うかね」
「造作もない事かと……」
ノアは少し上目遣いで、騎士達に鋭い視線を送った。
「貴様―! 思い上がりも見苦しいぞ」
近衛騎士たちが語気も荒く、ついに剣を抜いた。
ノアは初めからこの様な状況に流れるであろう事は予想していた。
やはり、ろくな結果にならないだろうと半分諦めかけてしまっている。
しかしこの場での衝突は好ましくない……と思案している時、右腕を『グッ』とつかまれ、エジェリーの存在を感じとった。
となりのエジェリーを見ると、すでに顔面蒼白で小刻みに震え、大粒の涙をポロポロ落としている。
――いけない、こんなにエジェリーを怯えさせてしまった。
ノアはそんなエジェリーを愛おしく感じた。
彼女の手の甲を優しくなでて答えた。
そして冷静さを取り戻す事が出来るような気がした。
「よい」
国王が手を上げ、後ろの騎士たちを抑える。
騎士達は憮然としながらも一度剣を鞘に納めた。
「すまぬ、ちと挑発が過ぎたようだな、ノア・アルヴェーンよ」
国王の声を初めて聴いた。
「はっ、肝を冷やしました、陛下」
ノアは深く頭を下げて畏まった。
「して、ノア・アルヴェーンよ。貴殿は我々から見て、危険極まりないチカラを持った自分をどう擁護していくのだ? 『自分は無害です』と叫んだところで、誰も信用せぬと想像するが」
宰相の発言はノアには十分理解できた。
その通りである。
ここからが正念場だ。
そしてノアは語り始める。
「私は南部シャレーク国出身なのですが、すでに二度、大切な人を失っています。一度目は両親ですが、兵隊崩れの傭兵団に館が襲撃され、命もろとも略奪を受けました。二度目は孤児である私をひろい育ててくれた貿易商の夫婦もまた、道中襲撃を受け殺されてしまいました」
ノアはその時の情景を思い浮かべながら、ゆっくりと語り続けた。
「なぜこの様な悲劇は起こるのでしょうか。人間自体が野蛮極まりない生物であるという悲観論はひとまず置いておくとして、このような蛮行を返り討ちに出来るだけの力を備えていれば、命を取られる様な悲劇には至らなかったかもしれません。さらに事前に蛮行者がその反撃力を認識していれば、襲われる事すらなかったかもしれません」
過去の苦い教訓は未来に活かさなければならない。
「力なき者がいかに正論を唱えても、単純に力を持つ者に蹂躙されてしまうのが現実です。残念ながら力とは、弱肉強食の世界においては、生き残る為に必須の条件と言えるでしょう」
この世界は綺麗事を並べてやり過ごせるほど甘くはない。
「この世は弱肉強食の畜生の世界かね」
「私はそれを肯定するだけの経験をしてまいりました」
ノアは目を閉じ、静かに言い放った。
「確かに私は、貴国が警戒するだけの魔術力を有しています。しかし私は自分を擁護するために貴国に懇願する必要は無いと考えています」
そしてノアの声量は上がる。
「むしろ私の魔術力は、貴国の戦力に勝る『抑止力』であるから、絶対に『私には手を出すな』と、この場で強く、貴国に対して警告します」
末尾までお読み頂き、ありがとうございます。
四章 ついに王都躍動編始まりました!
緊迫の茶会は後編へ続きます。




