第33話 スピルカ姉妹の試練<前編>
冬休み四日目の当番はレベッカだった。
張り切って朝食の支度をしてくれるのはいいのだが……。
残念ながらレベッカの持つ家事力の経験値は、一桁しかなかった。
真っ赤な顔をして涙ぐむレベッカは、それはそれで可愛らしかったが。
まあ、朝食を抜いたところで特に支障はないからね。
レベッカには事前に、姉のアリスにも魔術研究会に参加するよう頼んでおいた。
校舎の玄関口でアリスと合流する手筈である。
外は寒いので、アリスは豪華なスピルカ伯爵家の馬車の中で待っていた。
ご足労願ったお礼を言ってから、行先が図書館だと告げると、アリスは露骨にイヤそうな表情を見せた。
図書館の受付に寄ると、今日の司書当番はブレーデン婦人だった。
アリスはとっさに顔を隠すような仕草をした。
どうやら彼女は司書長が苦手なようだ。
司書長はひざ掛けを取り、ゆっくりと立ち上がり、ノアに深々と頭をさげた。
それから同伴してきたスピルカ姉妹を始めは怪訝そうに見つめ、それから意味ありげに微笑んだ。
「あら、スピルカ姉妹が揃って図書館に来るなんて、今日は大雪嵐にでもなるのかしら」
司書長から先制の軽いジャブが入った。
司書長はノアがスピルカ姉妹を伴ってきた事で、今日の趣旨を理解したらしい。
「あなた達は幸運ですよ。しっかりノア・アルヴェーン様から教えを頂きなさい」
「あの~、ブレーデン司書長。わたしの方が、一応講師なのですけど……」
「そうなのですか! 私から見れば、あなたは生徒だった頃とちっとも変っていませんが」
アリスがガクッと肩を落とした。重いボディーブローが入ったようだ。
ブレーデンは勝ち誇った表情を見せたあと、ノアには優しく語りかけた。
「ノア様、本日は魔術の分野でよろしいでしょうか」
「そうですね、まずは入門書をお願い出来ますか」
「フフフッ、かしこまりました。解りやすい入門書を見繕って参りましょう」と、ブレーデンは入門書を強調して、笑いながらスピルカ姉妹を眺めた。
妙にツボに入ったようである。
「ノア様、お席を準備してありますので、そちらでお待ちください」
ノアは司書長に一礼すると、昨日の談話室に向かった。
途中アリスは「なんなのよ、まったく……」などとブツブツ言っている。
レベッカは『触らぬ神に祟りなし』を決め込んでいて、おとなしいのがとても不自然だった。
談話室は既に暖炉の炎が落ち着いており、柔らかな暖かさを放っている。
ブレーデンの気遣いが感じられた。
そして二人の先客が出迎えてくれた。ジュビリーとウエーバーだ。
二人はノアを認めると立ち上がって挨拶した。そして後ろの意外な人物にも挨拶する。
「おはようございます、スピルカ先生、スピルカ様」
それからノアの為に司書長が用意した、座り心地の良さそうな椅子への着席をうながした。
その椅子は暖炉のそばで読書をするには、最上級のたたずまいを魅せていた。
ノアが座り心地を確認していると、司書長が自分用の椅子を抱えて戻って来た。
その座席部分には二冊の本が載っていた。
テーブルを囲んで座る一同より少し離れた位置に椅子を置いてから、ノアに二冊の本を手渡した。
「こちらの二冊がよろしいかと思います。」
ノアは受け取ると、二冊の本の著者を確認した。
すると何かに気付いたようで、司書長をみ上げた。
司書長は意味ありげに軽く頷いた。
「ノア様、本日の講義を是非傍聴したいのですが、よろしいでしょうか」
司書長は全てお見通しである。ノアは椅子のお礼と申し出を快く許可した。
「あの~、私たちはお邪魔でしょうか……」ジュビリーが恐る恐るノアに尋ねた。
「そんな事はありませんよ。いずれあなた達も関係する話になって来るでしょうから」
ジュビリーとウエーバーはどんな話になるのか皆目見当もついていないようだが、ノアの講義が聞ける事を素直に喜んでいる様だった。
「それではこれから、魔術研究会を開催いたします。」
ノアが明るく宣言した。
スピルカ姉妹は面食らい、ジュビリーとウエーバーは満面わくわく顔だった。
司書長は微笑みながら大きく頷いて拍手した。
「初めになぜぼくが、スピルカ先生をこの研究会にお誘いしたかをお話ししましょう。レベッカ君はぼくの一番弟子なので、当然義務が生じていますからね」
「もちろんです、お師匠様!」とレベッカはちゃっかり調子を合わせる。
「実はぼくは十歳で賢者様と出会うまで、シャレークで冒険者をやっていました。まわりの冒険者たちは、もちろん一流でしたが結構上手に魔術を操っていました。しかしこの学院で教えられている魔術は、ぼくが知っている魔術とあまりにも違ったのです」
「スピルカ先生にお尋ねしたいのですけれど、この学院では魔術を何のために教えているのでしょうか。」
ノアはまず、最も根本的な疑問をアリスに問いかけた。
アリスは即答が出来なかった。
「それは……魔術に興味がある者、才能ある者に正しく、効率よく学ばせるためです」
「ぼくは目的を聞いています。ちょっと横道にそれますが、司書長、あなたも魔術士ですよね、どちらかと言えば支援系か治癒系の」
一同が驚きをもって司書長を見た。当の司書長も驚きを隠せない。
「さすがは賢者リフェンサーの後継者様、どこで分かりましたか?」
「まず先ほど魔術の入門書をお願いしたところ、自信を持って二冊を勧めて下さいました。魔術に詳しい証拠です。次にこの研究会を予測され、異常に興味を示されたこと。あとは雰囲気とか匂いとか、そしてカンですね」
「驚きです、感服いたしました。いかにも私は支援系を得意とする魔術士です。姉弟子は学院長です。若い頃は賢者様のお供をして冒険者として旅をした事もあるのですよ!」
アリスはガクッと頭をたれた。前のテーブルに少しオデコが当たった。
「ほらね!」と言って司書長は右の人差し指を立て、指先に光を集めた。
指でくるりと円を描くと光から小さな星が無数に零れ落ちた。
「きれい!」とジュビリーが感嘆の声を上げた。
「ちなみにこう見えてもAランク冒険者ですのよ!」
司書長はちょっと得意気に言った。
ノアはうれしそうに頷いた。
「みなさん、冒険者はなんのために魔術を使うと思いますか? それは自分の身を守る為、そして魔物を仕留めるためです」
「洗練された魔術は魔物の命を一撃で奪うほどの強力な武器になります。それは人間の命も簡単に奪う事も出来るのです」
「学院では人殺しの為に魔術を教えているわけではありません」
アリスはムッとして、ノアに反論した。
「残念ながら、それは詭弁であって偽善でしょう」
ノアもアリスの返答に眉をひそめた。
「ノア様。ちょっとそこまでにして頂けますか。少し休憩を挟みましょう」
司書長が両手を振って割って入った。
「私はこの講義を後世に残す義務があるわ。今ペンと紙を用意してくるので待っていて下さいな」
司書長は慌てる様に受付事務所へ向かった。
テーブルを囲む四人は全く予想しなかった話題のプレッシャーに押しつぶされそうだった。
席を立てる者は誰もいない。
司書長がペンと紙と自分用の机を用意すると講義は再開された。
「それでは続けましょう。これはあまり話をしたくない過去の出来事なのですか、ぼくは傭兵崩れの殺人盗賊団を殲滅するために、魔術で五十人ほど殺した事があります」
一同はいきなり凍りつかされた。
アリスが特にショックを受けたようだ。
「司書長も経験がお有りなのではないでしょうか」
「もちろんです。若い女性が冒険者をやると言う事は、時にそのような覚悟が入ります。そのときの感覚は今も残っていますよ」……そして付け加えた。
「そうですか……あなた様が『大樹海の支配者』なのですね」
ノアは学院長と視線を合わせ、ゆっくり頷いた。
「学院では、冒険者のために魔術を教えているわけではありません」
アリスはまるで子供のような反論をした。
「スピルカ先生、冒険者は常に自分の死を覚悟しながら魔術を使っています。この学院の生徒やこの国の魔術士にそんな覚悟があるでしょうか。この学院の優秀な生徒の多くは王立魔術師団に憧れ、そして目指していると聞いていますが」
ノアはアリスの瞳を覗き込んだ。
「そして王立魔術師団の団長はスピルカ姉妹の父親だと聞いています。」
「この国は平和です。そんな危険な事はありません……」
アリスは目を伏せながらも、きっぱりと言い放った。
ノアはもう少しやんわりと話しを進めていくつもりだったが、アリスの決めつけた返答に気分が乱され苛立ちを覚えた。
「スピルカ先生、もしあなたが本当にそんな考えをお持ちでしたら、今すぐに魔術の講師をお辞めなさい。いえ、ぼくが力づくでも辞めさせます」
アリスは涙を浮かべながらノアを睨んだ。
「スピルカ先生、残念ながらこの国は近いうちに必ず戦争に巻き込まれます」
アリスは目に涙を浮かべながらも、瞳は大きく見開かれた。
後編につづく!