第28話 中級攻撃魔術講座~魔弾の射手~
学院に入って二日目の朝、五時半に起床。
今日からトレーニングを再開しようと決めていた。
着替えが終わって出かけようと思った頃、ちょうどとなりの侍女部屋から可愛いメイド服姿のリーフェが出て来る。
「アルヴェーン様、おはようございます。お早いですね」
まだ少し眠そうなリーフェだが、愛らしい挨拶をしてくれた。
「おはようリーフェ。朝早くから済まないね。ちょっと外でトレーニングをしてくるよ。ぼくの日課なんだ。朝食までには戻るね!」
「いってらっしゃいませ、アルヴェーン様」
学院の北側は広大な森林が広がっていた。
ひと際大きな樫の木の枝を飛び移りながら、出来るだけ高く登ってみる。
景色が開け、そこには息を飲む様な美しい眺望が広がっていた。
南側は離宮の面影を残す学院とレプリ湖の湖面が、朝日を受けて輝いている。
その先にはサンクリッドの広大な市街が一望できた。
うっすらと靄がかかりとても幻想的な世界を魅せた。
北側に視界を移せば大森林がどこまでも広がり、背景には壁のような北クリスタリア山脈が視界の限り左右に連なっている。
大森林の緑、山脈の青、上部にたたえた氷河の白、そして早朝の青空と、グラデーションがとても美しかった。
ノアは風の精霊の声に意識を同調させ、周辺の様子をうかがう。
「魔物はいない。あたりまえか。人間もいない。大きな動物も鹿ぐらい。小動物は多数と……」
――この辺りなら少々騒がしくしても問題ないだろう。
ノアはフィールドを駆け巡り、存分にトレーニングに集中する事ができた。
リーフェが用意してくれていた朝食を食べ終える頃、今日もエジェリーが迎えに来た。
本日の午前中はちょうど『中級攻撃魔術講座』が開催される日なので、そちらを受講する事にしていた。
やはり魔術士の端くれである以上、魔術の講義は気になるモノである。
前半は校舎二階の講義室で座学、後半は訓練棟での実習になるらしい。
ノアはエジェリーに案内され講義室に入ると、一番奥の席を選んで座った。
前には三十人ほどの受講者がいるようだ。
突然、赤い髪をした少女が、エジェリーとは反対側のノアの隣の席に勢いよく腰かけた。
『アルヴェーン様! おはようございます!』
レベッカだった……。それにしても朝から元気がいい。
お約束のようにエジェリーが不機嫌になった……。
そんな時に受講室の前の扉が開き、講師が入って来た。
赤毛の若くて綺麗な女性である。
「おはようございます。本日の『中級攻撃魔術講座』は、私、アリス・スピルカが講義します。よろしく」
そう言って赤毛の講師は軽く頭を下げた。
「あれ? スピルカ先生って事は……」
「そう、わたしのお姉ちゃん」
ノアは教壇に立つアリスと隣のレベッカを見比べた。
なるほどよく似ている。
「ワタシの家は代々王国で魔術を教えているの。父はこの国の魔術師団長よ!」
レベッカが少し得意げに自慢した。
講義が始まると、初めは魔術発動の分類についておさらいしていた。
――なるほど、やっぱり魔法陣や魔導書を使った方法もあるのか……見てみたいものだ。
それから今日のお題が『中級攻撃魔術講座』である以上、講義は魔術詠唱に絞られていった。
各攻撃魔術に定型文が存在した。個人の多少のアレンジはあるらしい。
――まあ、大勢に魔術を教えるには都合がいいかもしれないが……。
さらに魔術詠唱の文法や規則性などが解説された。
ノアのモヤモヤは膨らむばかりだった。
結局、詠唱に合わせて体内のオドを練り、術を発動するらしい。
この反復練習こそが、魔術上達の近道だと言う。
「集中力、イメージ力、そして正確な詠唱です」
スピルカ先生はそう締めくくった。
小休憩を挟み、講義は魔術訓練棟へと場所は移された。
魔術訓練棟は大きなレンガ造りの建物で、本校舎から少し離れた北西側の森の中にあった。
ノアは他の生徒が練習する姿を壁際の後ろから、しみじみ眺めていた。
――みんな本当に定型文の詠唱するんだな。タクトやロッドを振り回して踊ったら悶絶モノだよ。しかし何だろう、この違和感は。
――炎系の魔術はレベッカさんが一番迫力あるか。よくあんなに派手に飛ばせるものだ。
そんな事を考えていると、スピルカ先生が声をかけてきた。
「ノア・アルヴェーン君。せっかく来てくれたのだから、なにかやってみせてくれるかな?」
どうしたものか? と、隣に座っているエジェリーを覗くと満面のわくわく顔だ。
「いいですけど、ぼくのはほとんど我流なので参考にならないと思いますよ」
「いいよ、いいよー、思い切っていってみよー」
ノリの良さが、姉妹でよく似ている……。
「はい、皆さん~。アルヴェーン君が披露してくれるわよ~。注目!」
スピルカ先生が容赦なくハードルを上げてくる。
あっと言う間に人だかりが出来てしまった。
気が乗らないのを自覚しつつも、ノアは斉射位置まで進み出た。
「あれ、アルヴェーン君。立派な杖を忘れているよ!」
スピルカ先生に声をかけられたが、面倒なので無視した。
目標は三十メートル先正面に立てられている藁人形。
「氷結系でいいですか」
すぐさまノアは左の利き腕を上げ、手のひらを目標に向けた。
手のひらの先に霧の様なガス体が高速回転しながら収束し始め、氷結した弾丸が出現する。
ノアが心の中で命じると、氷結弾丸は空気を切り裂く音だけを残し突然消えた。
同時に藁人形のはるか先のレンガ造りの壁から、氷の砕ける破裂音が鳴り響いた。
「い、いまのなに……」
「なにって、ただの氷結弾丸ですけど」
「詠唱は?」
「ぼくはしないです」
「杖は使わないの?」
「こんな小さな一撃に大きな杖を使うのは、かえって邪魔だと思いますけど」
「外れちゃった?」
「いえ、当たっていると思いますよ」
「先生、藁人形の足に穴が空いています」
生徒のひとりが報告した。
「少し外れちゃったかしら⁈」
そのスピルカ先生の一言に、ノアは理解に苦しんだ。
「あの、どこに当てれば、正解なのでしょうか? 胸? 頭? 首? そこだと一撃で死んでしまうのですけど……」
今度はノアの返答に、スピルカ先生は理解に苦しむような不思議そうな表情をした。
「今の全力?」
「いえ、百分の一くらいです」
「……」
「もしかして、炎系も行けたりしますか?」
「出来なくはないですけど、イマイチ炎系は理解出来なくて……」
「やって見せてくれますか?」
いつの間にかスピルカ先生は、敬語になっている。
「わかりました」
再びノアは左腕を上げ、手のひらで目標を定める。
魔力でエレメンタルを極限まで圧縮回転させ弾丸のイメージで固定する。
崩れると則膨張・爆発、失敗してしまう。
その工程を解りやすい様にゆっくりと再現した。
『ヒュン』乾いた風切り音だけ残して可視の難しい現象が藁人形に命中した。
同時に『ブオッ!』と発火音を伴い、一瞬で藁人形は炎に包まれた。
『なんとなく手本になっただろうか』と思いながら後ろを振り返ると、みんなポカーンとだらしない顔をしていた……。
「今の、なんですか?」
「なにって、ただの魔力圧縮弾ですけど」
「全力?」
「百分の一くらいです」
「…………」
「炎が飛んで行くのが、見えませんでしたけど」
「そうです、先生。そこがイマイチ理解出来ないところなのです。なぜ炎を手元で発生させ、ゆらゆら飛ばす必要があるのでしょう。着弾まで時間が掛かりすぎるし、維持するのが大変です。そもそも炎とは物質の化学的な燃焼であって、物質の急激な酸化反応でみられる現象です。」
ノアは左手のひらを上に向け火球を作ってみせた。
いとも簡単に作り出された大きな火球に、生徒たちは驚愕の声を上げた。
「炎を出現させるには、燃やされる物質が必ず必要です。空間上に炎だけが出現するなど、物理的にあり得ない。恐らく皆さんは今ぼくがやったように、体内からその物質を絞り出しているはずです。それでは余りにも効率が悪いし……疲れる」
「それよりも!」
そう言ってノアは手のひら上の火球を消し、今度は周囲の空間からエレメンタルを抽出し圧縮した。その工程は、光学的に誰もが目の当たりに出来る現象だった。
「こうやって、魔力でエレメンタルを圧縮して質量と熱だけを作り出して、目標に当てれば……」
ノアは『パチン!』と指を鳴らして、圧縮高温化された魔術弾を先ほどの隣の藁人形へと命中させた。
瞬間藁人形はまたしても燃え上がった。
「そこには燃える物質があって酸素が有る訳ですから、後は熱だけ与えてやれば簡単に燃やす事が出来ます。行程は違うけど結果は一緒ですよね!」
ノアは先生や生徒達の反応を確かめたが、芳しくなかった。
只々驚愕しているだけで、到底理解できているとは思えなかった。
「あなたの言っている事は、全く理解できないわ……」
スピルカ先生の一言にノアも沈黙してしまった。
このレベルでは何を説明しても理解する事は出来ないだろう……と判断したからだ。
――どうやらぼくの魔術とこの学院で教えている魔術では、根本的に違うようだ。
講義の内容といい、ノアのモヤモヤは膨らむばかりだった。
『そもそも魔術とは!』そこから始めなくてはいけないようだ……。
「先生、かなり深刻な問題に気付きました……少し時間を下さい」
「それは構いませんが」
スピルカ先生はかなり困惑したような返事をした。
そこでちょうど、お昼を知らせる聖堂の鐘が聞こえて来た。
ノアは難しい顔をしながらエジェリーの元へと戻った。
エジェリーはノアの凄まじい一撃を見て、ちょっと意外そうに、少しうれしそうな表情を浮かべていた。
「アルヴェーン様、昼食になさいますか?」
「そうしましょう」
ノアとエジェリーは訓練棟を出て、校舎に向かって歩き始めた。
「あの、アルヴェーン様」
「すみません、それはちょっと堅苦しいので、ノアと呼んで頂けませんか」
考え事をしていたノアは、その呼び方が鬱陶しく感じて言っただけだったが、言われた女性側のとらえ方は全然違う。
以外なタイミングでの申し出にエジェリーは少し驚いたようだが、まんざらではない様子だ。
「……それでは……ノア様」
「なんでしょう」
「あなた、実はちょっとすごい人?」
そのいたずらっぽい不意打ちの笑顔に、ドキッとしてしまうノアだった。
「ぼくがすごい人にみえますか」
「ウーン、見えない」
――だったら言わないでほしい……。
ノアは再び不機嫌になった。
「師匠――」
こんどは誰か後ろで叫んでいる。
「アルヴェーン師匠~~!」
――エッ、ぼくの事? と後ろを振り向くと、赤い髪を揺らしながらレベッカが追いかけて来た。
ゼイゼイ息をしながらレベッカは、ノアのお腹あたりにドカッとすがりついた。
勢いの乗ったタックルにノアはうめき声をあげる。
「か、感動しました! ワタシを弟子にして下さい!」
「ちょっとレベッカ! 離れなさい。馴れ馴れしいわよ!」
エジェリーはムッとしながら、レベッカを力任せに引き離す。
その時ノアはその頭脳で急速に演算を開始し、先ほどの魔術についての問題の解決策を構築していた。
ノアはわざとらしく腕を組んで目を閉じた。
――レベッカさんはなかなか筋がいい。彼女に教えながら問題点を探って行けば、効率がいいに違いない……。スピルカ先生との接点にもなるだろう。
なんとなくモヤモヤ解決の糸口が見えたような気がした。
ノアはカッと目を見開き、レベッカを凝視する。
「レベッカ君」
「はい、ノア・アルヴェーン様」
「我の教えは厳しいぞ」
「もちろん覚悟は出来ております」
「……よろしい、我の一番弟子の栄誉はそなたに授けよう」
レベッカは即座に膝まづいた。
「ははーっ、ありがたき幸せ」
「ハイハイ、そんなおバカなことやってないで、さっさとお昼にするわよ」
エジェリーがあきれながら割ってはいった。
ノアとレベッカが頭をかきながら『すみません……』と謝った。
大食堂につくと、エジェリーが杖を預け昨日と同じテラス側の席に座った。
「それではノア様、昼食を見繕ってまいりますが、お望みのお料理はありますか?」
「いえ、お任せします。ありがとうございます」
そんな会話にレベッカが過敏に反応した。
「ちょっとエジェリー、あんた今、ノア様って呼んだでしょう!」
「それがどうしたの。わたしはノア様にノアって呼んでくれ……って言われたからノア様って呼んでいるだけなのよ!」
エジェリーはやたらノアと連呼し勝ち誇っている。
「ワタシもノア様って呼びたい~」とレベッカが駄々をこねた。
「あんたは弟子なのでしょ。師匠と呼びなさい、師匠と!」
「イヤだ――!」
「ほら、レベッカ! あんたも行くのよ」
レベッカはエジェリーに引きずられていった。
――午後からは修練棟でも、見に行ってみようかな……。




