第26話 学院寮の特別棟
「お帰りなさいませ!」
本物のメイド服を着た、二人の可愛らしい少女に出迎えられたノアは、呆気に取られてしばらく固まってしまった。
エジェリーはそんな様子を横目で見ながら奥に進み、湖が良く見える窓辺に置かれたソファーへ、ノアを招いた。
茫然としているノアがソファーに座るのを確かめると、エジェリーは今一度姿勢を正した。
「改めてご挨拶をさせて頂きます。ノア・アルヴェーンさま。本日よりご案内役を務めさせて頂く、エジェリー・バイエフェルトと申します」
スカートの裾を少し持ち上げ、右足を軽く引いて会釈する動作は、正に淑女の挨拶だった。
「身の回りは、このもの達がお世話致しますので、紹介いたします。」
エジェリーが先ほどのメイド服の少女を指し示した。
「アイリ、リーフェ、アルヴェーン様にご挨拶なさい。」
「アイリと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
アイリは亜麻色の髪を後ろで綺麗にまとめている。
すでに胸にボリュームが存在しているのは素晴らしい。
「リーフェと申します。何なりとお申し付けください」
リーフェはアッシュブロンドのボブが可愛らしい。
これから成長が始まるであろう美少女だ。
しかし二人共、とても緊張しているようだ。
「お茶の支度を……。」
エジェリーが二人に向かってそう告げると、ノアは察して彼女に着席を促した。
「それでは失礼します。」
一瞬だけ嬉しそうな顔をしたのを、ノアは見逃さなかった。
しばらくすると、アイリが香りの良い紅茶をいれてくれた。
ノアは一口紅茶を口にすると、正面に座るエジェリーに話しかけた。
「あの~、先ほど廊下ですれ違った時の皆さんの対応は、やはり身分の差でしょうか……」
エジェリーは少しきつい目をしてノアを見据えた。
「まずアルヴェーン様、私共に敬語を使われては困ります。」
「ハイ……」
「簡単に申し上げて、この王国内の縮図がこの学院にあります。当然家柄によって、対応が異なります。ノア・アルヴェーン様は賢者様の後継者様と言う事で、王族に次ぐ待遇が約束されています。侯爵家以上の名家のご子息と同等です。」
エジェリーは相変わらずクールな表情にブレが無い。
「それからここはとても立派な部屋なんですが……。ぼくはここに居ていいのでしょうか」
ノアは部屋の中をキョロキョロと見渡しながら呟いた。
「アルヴェーン様はこの学院にとって特別な方でいらっしゃいますのよ。もう少し堂々となさって下さいませ」
エジェリーに少し呆れたような表情をされてしまった。
「ほかに質問はございませんでしょうか?」
「いえ、今は特には……」
エジェリーは手に取っていたティーカップを静かに置いた。
「それでは明日朝、お迎えに上がります。アイリ、リーフェ、あとはよろしくお願いします」
そう言って立ち上がったエジェリーはお辞儀をしたあと、ノアとは視線を合わさず、丁寧に扉を閉め、静かに部屋から去って行った。
部屋の中には、ノアと緊張しすぎている二人の可愛いメイドが残っていた……。
――ああ、空気が重たい……。
「あの~」
「「ハ、ハイ!」」
ふたり同時に裏返った声で返事をする。
「まあ、座ったら。話を聞かせてもらえるかい。」
「めっそうもございません、エジェリー様に叱られます!」
「エジェリー……さんって、どんな人なの?」
「エジェリー様のお父様は宮廷料理の全てを取り仕切っておられます。代々王家を支えられている伯爵家のお嬢様です」
なるほど~、とノアは納得した。
「賢者様の後継者様がいらっしゃると言う事で、世話役を決める審査会があったのです。それはそれは学院内の女子の間では大騒ぎになりました! その栄誉を勝ち取ったのが、エジェリー様です!」
「そしてエジェリー様が配下として指名されたのが、私たち二人です。」
そう言ったアイリは少し自慢げに、しかしほとんど照れて、頬を赤らめていた。
「みんな年はいくつなの?」
初対面の人の年齢は気になるモノだ。特に女性は。
「エジェリー様は……確かもうすぐ十四歳になられます。私は十二歳です。こちらのリーフェが十歳です」
「ふーん、そうなんだ。アイリはぼくと同い年だね。リーフェは二つ年下だ」
アイリは急に思い出した様に、両手を胸の前で合わせた。
「申し訳ありません、話込んでしまいました。まずはお風呂に入って頂き、お召し替えをさせて頂きます。」
――そう言えば馬車の旅で、しばらく風呂に入っていないな。
ノアは自分の身体の脇のあたりの匂いをクンクンと嗅いだ。
この特別棟には、バスルームが備えつけられていた。
前世で日本人だったノアには、うれしい装備だ。
浴室内は西洋式っぽいデザインで少し落ち着かないが、お湯が満たされたバスタブに身体を投げ出せるのがうれしい。
途中、『お背中をお流しいたしましょうか?』とアイリが声をかけてきたが、丁重にお断りした……。
浴室を出ると、新品の下着と部屋着が容易されていた。
すると今度はリーフェの声がした。
「アルヴェーン様、お身体をお拭き致しましょうか!」
こちらも残念だが遠慮した。
すっかりリフレッシュしたノアが居間に戻ると、すでにアイリとリーフェは夕食の準備に取りかかっていた。
夕食は専用の容器に入れられ、下の寮の厨房から届けられた。
それをこの部屋の小さな厨房で温め直したり、お皿に盛りつけてからノアの前に並べられた。
メニューは白いパンと野菜のスープ、そして肉料理だった。
過度に贅沢な食事ではないが、白いパンは高価である。
ひとりでダイニングテーブルに向かって食事するのは、かなり寂しい。
この世界ではテレビを見る事もできない。
しかも横にはアイリとリーフェが姿勢良く控えている。
――これからこんな食事が毎日続くのだろうか……。
贅沢極まりない環境にしても、不安を抱くノアだった。
食事が終わるとリーフェが香りの良いハーブティーを入れてくれた。
「それではわたしは、今夜はこれで失礼いします」
そう言ってリーフェは可愛らしくお辞儀をした。
「こんなに暗くなってからどこに帰るの? 危なくない?」
「家のものが馬車で迎えに来ているので大丈夫です」
まだこの子たちの情報が少なすぎるので、状況が良く解らない……。
リーフェはアイリと一言二言会話をすると、扉の前でノアに一礼してから帰っていった。
夕食の片付けが終わったのを見計らって、ノアはアイリに質問した。
「ねえ、アイリ。リーフェってどんな子なの?」
「リーフェちゃんはこの国有数の大商人、『ライマー貿易』のお嬢様なのですよ。とっても頭が良くって、お付き合いのあるバイエフェルト家に期待されて奉公に入ったのです」
――なるほど、家の商売上の繋がりって訳だね。
「アイリはどうなの?」
「わたしの父は役人で、領地を持たない名ばかりの男爵家なんです。やはりバイエフェルト家と縁が有って、幸運にも奉公に上がらさせて頂きました」
「この国の女の子たちは、みんなそうなの?」
「はい、下級貴族や上流の平民の娘は、みんなわたし達くらいの年齢になると、行儀見習いとして高い身分の家に奉公に上がります。他にも目的があるのですけれど……」
そう言ったアイリは少しモジモジしている。
「結婚……いい人に見染められるためだね」
ノアはちょっと意地悪にハッキリと言った。
「はい……」
アイリは恥ずかしそうに下を向いてしまった。
「そ、それではアルヴェーン様、お休みの準備を整えて参りますね!」
アイリは寝室に逃げて行ってしまった。
――この世界のこの時代の女性って、やっぱり自由が無いのだな。日本の自由奔放なギャル達とは大違いだ……。
そんな事をボケーっと考えていると、アイリが「お休みの準備が整いました」と告げに来て、寝室に案内された。
「今夜は私が当番で、隣の部屋に詰めております。なにかご用がありましたら、遠慮なくお呼び下さいませ」
「アイリはひとりで寂しくない?」
「大丈夫です! せっかく頂いたお仕事ですから頑張ります!」
「わかった。今日はありがとう、アイリ」
「それではお休みなさいませ」
そう言ってノアにお辞儀をしてから、寝室の扉を静かに閉めた。
寝室はこじんまりとしているが、大きなベッドがひとつ据えられていた。
早速ノアはベッドに寝転んでみる。
――アイリは隣の侍女部屋で、今晩は過ごすのか……。宿直の様なモノなのだろうか。ご用があって呼んじゃいそうですよ! アイリさん。
――いやいや、これはハニートラップなのかもしれない……。いずれにしても強烈に自重すべきであろう!
ノアは堅く自分を戒めた。
――でもアイリは優しくて、話しやすくて助かった。同い年という事もあるのかな。エジェリーさんは少し『ツン』で、ちょっと苦手だ。
「さて、今日は妙に疲れた……。もう寝よう」
ノアは普段とは違った気疲れで、ヘトヘトだった。
ノアは窓際に置かれたランプを消すために今一度起き上った。
ランプを消してからカーテンを少しめくって、外を眺めてみる。
明るい月に照らされた湖面がキラキラと反射して、とても幻想的で美しかった。




