第21話 聖女の継承者5~教皇庁の闇~
ノアは重い瞼をなんとか開けると、ぼんやり天井が見えた。
どうやらベッドで寝ているようだ。
頭が割れる様に痛い。そして今にも吐きそうな程、気持ちが悪い。
傍らには椅子に座ったまま、ベッドに突っ伏した姿勢で寝ているテレージアの姿があった。
ノアがようやく上半身を起こすと、テレージアも気づいた様で目を覚ました。
テレージアの瞳にみるみる涙が溢れて行く。
「隼人さん~、死んじゃうかもしれないと思った~。心配したのよ~」
そう言ってテレージアは泣きながら抱き着いてきた。
「ぼくは……どれくらい寝ていたんだ」
「今日で二日目よ。丸一日以上、目を覚まさなかったわ」
――確か、スープに毒が盛られていたんだ……。
そしてノアは、喉が渇いている事を自覚した。
「そうだ、君が作った聖水を飲ませてくれないか」
「うん、飲ませようと思って、たくさん作ってある」
そう言って水差しからグラスに注いで、飲ませてくれた。
効果は覿面だった。すぐに頭痛や吐き気が収まって行く。聖女の慈愛が邪気を払っていくようだ。
――あれ、この心地良さは初めてではないような気がする。
「ねえ、鈴華さん。この聖水、初めて飲んだ気がしないんだけど……」
「そうよ、あなたが苦しんでいた時、少しずつ飲ませていたから……」
「どうやって飲ませていたの?」
「それは内緒!」
テレージアは恥ずかしそうに少し唇を尖らせている。
バレバレだった……。
「テレージア、済まないけど、ミコラージュ卿とクリシュトフ卿を呼んで来てくれないか」
「わかったわ! 今呼んでくる」
ノアが昏睡から覚めた! という報を受けて、ミコラージュ卿とクリシュトフ卿は急ぎ駆けつけて来た。
「聖騎士様! よかった、お目覚めになられましたか!」
二人の聖職者はベッドの傍らに両膝をついた。
「わたくし共の不手際によって、聖騎士様のお命を危険な目に遭わせてしまいました。大罪にございます」
二人はさらに深く頭を下げた。
「お二人共、顔を上げて下さい。しかし不幸中の幸いでした。もしテレージアが先に口を付けていたなら……と考えるとゾッとしますね。聖女のテレージアはぼくを救えても、ぼくは彼女を救う事はできなかったでしょうから……」
ミコラージュとクリシュトフは、大きく頷いた。
「それで、犯人の目星はついていますか?」
ミコラージュは首を横に振った。
「厨房に問題はございませんでした。恐らくこちらに運ばれるどこかで、毒の混入が行われたと思われます」
「ぼくの体調が戻るまで、少し時間を稼ぎたいです。テレージアが毒を盛られ、重体であるとの情報を流して頂けますか。さすがに教皇庁内でも問題になるでしょう。これからの抑止力にもなるはずです。様子を伺えば、犯人が解るかもしれない」
「仰せの通りに……」
ミコラージュは畏まって、深々と頭を下げた。
聖女候補に毒が盛られ、予断を許さぬ重体であるとの知らせは、瞬く間に教皇庁のみならずセントレイシア中に衝撃を走らせた。
市中の反応は聖女候補を心配する声がほとんどだった。
そして、『誰がやったのか?』という疑問に対し様々な憶測が話題になった。
教皇庁内の警備も厳しくなり、迂闊に手を出せなくなった事は真実だろう。
十日程で、ノアの体調は万全に戻った。
そのタイミングで、テレージアも他の二人の聖女候補と合流し、ローゼマリー指導の元、聖女になるべく修行に入った。
聖女ローゼマリーの庇護下に突然元気な姿で現れたテレージアには、驚きの目が向けられた。
もっともそのほとんどが、悪意とは反対のものであったことは救いだったが。
ノアも当然、遠くからテレージアの安全を見守っていた。
「お疲れ様、鈴華さん。修行はどうだった?」
ノアは初日の日程をこなし帰って来たテレージアの労をねぎらった。
「今日はシャ―ル聖書の勉強をしたり、わたしが初めてだって事で、セント・アレク大聖堂やウェルシーナ礼拝堂を案内して頂いたの。わたしが美人だからか、どこへ行っても大注目されたわ」
ノアはそのポジティブな思考に感服した。
「それで、他の二人はどうだった?」
「わたしには少し及ばないけど、二人とも可愛いらしい娘だったわ。クラレットがわたしより一つ年上で、カーマインが一つ年下だった」
「仲良くできそうかい?」
テレージアは難しい顔をして、首を横に振った。
「二人供、わたしを凄く警戒しているのよ。ほとんど喋ってくれなかったわ。そして二人供、凄く怯えているの……」
ノアはその娘達の気持ちが想像できた。
「でもわたし、仲良くできる様に頑張ってみるね!」
そう言ったテレージアはノアに優しく微笑んだ。
その日の夜、就寝のためにランプの灯を消した後……。
「ねえ、隼人さん。あの娘たち、今頃どんな気持ちで寝ているのかしら……」
白いネグリジェを着たテレージアは、最近は遠慮もなくノアのベッドに潜り込んでくる。
ノアもいちいち文句を言うのは、あきらめてしまった。
「わたしには部屋に帰れば、隼人さんが待っていてくれるじゃない。あの娘たちにはそんな大切な人がいないのよね……」
「きっとあの娘たちも、すき好んで聖女候補になっているんじゃないと思う。なにか理由があるのよ……」
「隼人さん、あの娘たちも助けてあげてね……」
「鈴華さんは優しいね」
それからノアは天井をぼんやりと眺めながら考えていた。
――解決しなければいけない問題は二つか。
――一つ目はテレージアを聖女の後継者として認めさせなくてはいけない。このまま行けば、枢機卿団の投票で決まってしまうだろう。そうすればまるで勝ち目が無い。
――似非聖職者にとっては、聖女が本物であろうがなかろうが、関係ないんだ。自分達の言いなりなる娘を聖女に仕立て上げればいいだけの話だから。
――これからミコラージュ卿をたてて、多数派工作をするべきか……。いや、それは効率が悪いし不可能だろう。いずれにしても、なにか策を考えなくてはいけないな……。
――二つ目の問題は、無事テレージアが次期聖女に決まったとして、残る二人の聖女候補の処遇の問題だ。『この娘は魔女で騙された』とでも言って責任を押し付けられ、切り捨てられるのが目に見えている。火炙りの刑は免れないだろう。テレージアも心配していたが、放っておくわけにはいかないな……。
ふと横を見るとテレージアはいつの間にか、寝息をたてている。きっと初日の今日は疲れたのだろう。
その愛くるしい寝顔は、普通の少女にしか見えなかった。
* * * * *
テレージアが修行に入る時間だけが、ローゼマリーの庇護もあり、ノアはつかぬ間の息抜きとして聖都セントレイシアを見学する事が出来た。
ノアが前世でバチカン市国を訪れた時は、過去に創造された芸術を鑑賞する行為であったが、今現在ノアがセントレイシアで体験できるのは、今まさに創造されていく芸術そのものであった。
経年劣化による時の重みも味わい深いが、作者が表現したかった色彩をダイレクトに鑑賞できるのは、なにものにも代えがたい。
これは転生者の特権として、十分楽しむしかないでしょう! とノアは歓喜していた。
圧巻はやはりウェルシーナ礼拝堂でもっとも有名な、『聖母の降臨』が描かれた祭壇壁画や、『聖母の奇跡』を描いた天井フレスコ画の数々である。
この一連の聖母シャ―ルシリーズや聖母シャ―ル像は、若き日のザルベルトが生み出した作品であると言うではないか。
ザルベルトはまぎれもなく天才であるとノアは思った。
バルシュタットに帰ったら、ノアはザルベルトの事を、大先生! と呼ぼうと心に決めていた。
そんな穏やかな日々を過ごしていたある日、テレージアは帰って来るなり泣きながら、ノアに勢いよくしがみついた。
「隼人~! わたし死にたい! もうお嫁に行けないわ――!」
「どうしたの鈴華さん」
ノアはテレージアの尋常でない様子を不安に思いながら、肩を抱いてベッドに腰をかけさせた。
「わたし……隼人さん以外のたくさんの男の人に裸見られた!」
ノアもその一言に戦慄した。
「詳しく話してごらん、鈴華さん」
「わたし、いつものように礼拝堂で祈りを捧げていたら、知らない司教に呼び出されたの。これから聖女の資格があるかどうか検査するって……。そして大聖堂のひとつの部屋に連れていかれたの」
「そこには教皇様をはじめ、大勢の偉そうな人達がたくさんいたわ。そして部屋の中央の台の上に登らされたの」
「そしたら一人の偉そうなオヤジが近くに来て言ったの。『聖痕を見せなさい』って。聖女には、昔聖母が翼を切り落とされた時の傷跡が、背中に痣になって現れるんだって」
「ふたりのシスターがわたしの修道衣を脱がせたのよ。上の下着も。わたしは胸を隠すのが精一杯だったの。みんなわたしをいやらしい目つきでジロジロ見てたわ」
「たしかにわたしには、背中の肩の辺りに二本の痣があるの。それが聖痕だなんて知らなかったわ」
「次に清らかな乙女であるか確かめさせてもらう! と言われたの。とってもいやらしい目をしていたわ。今度はシスターにパンツまで脱がされてスッポンポンよ! そしてシスターに処女であるか確かめられたの」
テレージアはまた大きな声で泣き出してしまった。
「ねえ隼人さん。わたしが処女じゃなかったら、どうなっていたの……?」
テレージアは真っ赤にはらした目で、ノアを見つめた。
「まあ、火炙りの刑だね……」
「この時代はなんて野蛮なの! 世界で一番大きな教会の中よ! 日本だったら全員死刑よ! わたしは恥ずかしすぎて、気を失いそうになったわ」
怒りをあらわにしたテレージアはしばらく泣きじゃくった。
「つらかったね、鈴華さん」
ノアは優しくテレージアの髪を撫でた。
「隼人さん……。わたしもうバルシュタットに帰りたい……」
翌日ノアは、テレージアの件をミコラージュに問いただした。
「もともと、聖女の資格は調べられるものでございます。しかしあのように衆人の中で行われるものではございません」と言った答えが帰って来た。
「誰の嫌がらせでしょうか?」と質問すると「リヒャルド司祭枢機卿の申し出と聞いています。メルケル司教枢機卿の腹心です」と腹立たしそうに答えた。
この一件は第一勢力メルケル派によるものだと裏が取れた。
* * * * *
秋が深まるにつれて、聖女ローゼマリーとその妹弟子たちは、収穫祭をはじめとした各種行事の消化に、多忙な日々を送っていた。
ローゼマリーをはじめとした四人が姿を現すと、そのあまりの華やかさからどこへ行っても大歓声で向かえられた。
そんなある日の夜、ノアとテレージアは夕食時にミコラージュの来訪を受けた。
「聖騎士様、次期聖女を定める日取りが決まりました……」
ノアとテレージアはその知らせに顔を見合わせた。
「新年に入って落ち着いた後、毎年全ての枢機卿の参加が義務付けられている全体会議がございます。やはりその時に議題に上がる事が決まりました」
ノアは予想通りの知らせに頷いた。
「そろそろ、敵も切羽詰まって動き出すでしょう」
相手がこのところおとなしく、決めてに欠いていたノアは、カウンターパンチを狙っていた。
そして新年を間近に控えた小雪舞う寒い夜に、ノアは異変を察知した。
「来た!」
「鈴華さん、起きて……」
ノアは隣で眠るテレージアを小声で囁きながら、やさしく揺り動かした。
「どうやら招かねざる客が来たようだ」
「ほんとうだ、わたしのネックレスも少し光り始めた」
テレージアも一気に眠気が吹き飛んだようだ。
「さあ、寒いからガウンを着て! とりあえず厨房から様子を見よう」
しばらくすると、ドアから『カチャ!』っと鍵を開ける音が下した。
合鍵を準備してきたらしい。相手が各部屋の合鍵など自由に出来る事を意味している。
そして静かに扉が開き、何者かが侵入してきた。
侵入者は迷わずベッドの方へ向かって行った。
ノアは素早く魔術でランプに火をつけると、侵入者を照らした。
三人の刺客の姿が見えた。
「おまえたち、エレン傭兵ギルドの暗殺者だな」
三人の出で立ちを確認すると、ノアは落ち着いた声で話した。
「ほう、ガキのくせにやけに詳しいじゃないか」
神聖教会がエレン王国の傭兵ギルドと深い関係にあるのは、周知の事実だった。
教会施設の警備や武力紛争など、そのほとんどを依存している。
暗殺者達はノアを子供と見て、完全に余裕を見せている。
「おまえたちの依頼主は誰だ? 教えれば命だけは助けてやる」
「おまえ、バカだろう。これから死ぬのに聞いても仕方ないだろうに」
暗殺者たちは『クククッ』と静かに笑っている。
ノアは左手を上げ、地の精霊を使って得意のグラヴィトンの魔術を放った。
暗殺者たちは訳も分からぬまま、体重を支えられなくなって四つん這いになってしまった。
「もう一度聞こう。依頼主は誰だ。さもないとほんとに殺すよ」
「な、なんなんだおまえ……。魔人か」
ようやく顔を持ち上げている暗殺者達の表情が恐怖に歪んだ。
「エレンの一端の傭兵なら、ぼくの事を知っているはずだが……」
そう言いながらノアはさらにグラヴィトンの重力を強めた。
三人の暗殺者は遂に腕でも上半身を支えられなくなり、床に胸や頭を押し付けられている。
「おまえ……まさか……」
「そう、ぼくはフォレストゲートのSランク冒険者だよ」
「だ、大樹海の支配者か!」
「正~解!」
「わ、わかった! 勘弁してくれ! この仕事は降りる。あんたがいるなんて聞いてねえ。だから命だけは助けてくれ……」
「いいだろう」
そう言ってノアはグラヴィトンの魔術を解いた。
魔術を解かれた暗殺者たちは、尻もちをついて荒い息をしている。
ノアはテレージアの肩を抱いてソファーに向かい、深々と座って足を組んだ。
そして左手の人差し指を上に向け、一瞬だけおおきな火球を作って威嚇する。
恐怖にひきつった暗殺者たちの顔がオレンジ色に染まって見えた。
「変な動きをしたら、あいつらみたいに一撃で頭貫くよ! 解ったらそこに正座しなさい」
暗殺者三人は全てをあきらめた様に、おとなしくノアの前に正座した。
「さて、依頼者を教えてもらいましょうか」
三人は顔を見合ったが、リーダーらしき男が、あっけなく口を開いた。
「エデュルト司祭枢機卿だよ」
ノアはその名前を知らなかった。
「さらに上がいるはずだけど、心当たりはないかい」
「多分、ヴェンデル司教枢機卿だろう」
――なるほど、第二勢力の仕業だったか。
その返答にノアは満足した。
「もう帰っていいよ。それであんたらはこの後どうする」
「もうこの国にはいれないな。故郷に帰って別の仕事を受けるだけだ。全くあんたはウワサ通り、恐ろしい魔人だったよ」
ノアは静かに部屋を出て行く暗殺者たちの背中を見送った。
「やっぱり隼人さんは、もの凄く強いのね!」
そう言ってテレージアはノアの左腕をからめとった。
「ねえ、『大樹海の支配者』ってなに?」
「ぼくが冒険者をしていた頃のあだ名さ。その頃、傭兵崩れの盗賊をたくさん殺した事があるんだ……」
驚いた顔をして、テレージアはノアを見つめた。
「ぼくが怖い?」
テレージアはブロンドの髪を揺らしながら首を振った。
「驚いただけ。きっと隼人さんには、そうしなければいけない理由があったのでしょう」
ノアは優しく微笑んでからテレージアの髪を撫でた。
「それじゃあ、相手も分かった事だし、今までのお礼をしに行かなくてはイケナイね……」
テレージアは無言で頷いた。
「今夜は冷えるね。さあ、もう一度寝ようか……」
ノアとテレージアは急いでベッドに潜り込んだ。




