第18話 聖女の継承者2~賢者からの贈り物~
「お師匠様、先ほど森の中で珍しい人達に出会いまして、訳あってお連れしました」
ノアは居間の中で大きな椅子に身を任せ、書物に目を通していたリフェンサーに、先ほどの森の中での騒動を簡単に伝えた。
意外な場所に案内された修道士とテレージアは、この屋敷の主に驚きを隠せない。
修道士はリフェンサーの前に進み出た。
「レ―ヴァン王国の賢者リフェンサー様でいらっしゃいますか。まさかこのような所でお会いできるとは! 光栄にございます。これも聖母のお導きでしょう……」
そう言って修道士は首から下げていた聖母のロザリオに口を付けた。
「私は神聖シャ―ル国、教皇猊下より助祭枢機卿に任じられております、エドモンド・クリシュトフと申します」
緊張した面持ちでクリシュトフは丁寧な挨拶をした。
「なるほど、教皇庁の枢機卿であられるか。難儀な事であったな。教皇庁といえば、聖女ローゼマリーは息災でおられるかな」
「ローゼマリー様をご存じでいらっしゃいますか!」
クリシュトフの表情は緩み、緊張が少し解けたようだ。
「うむ、二十年以上前の話か……。彼女がまだ聖女見習いの頃に出会ったのだ」
「左様でございましたか! ローゼマリー様は相変わらず、お美しくご健勝であられます」
「そちらのお嬢さんが次の聖女であるか」
リフェンサーはテレージアに視線を移した。
「その通りにございます。お告げにより、わたくしがお迎えに遣わされました」
「彼女が現れると、都合が悪い者がいるという事だな……」
クリシュトフは不安気な表情で頷いた。
「賢者さま、お初にお目にかかります。テレージアと申します。先ほどはノア様にあぶないところを助けて頂きました」
テレージアはノアの予想を上回る、しっかりとした挨拶をするではないか。
「お師匠様。実は彼女も転生者なのです。しかもぼくと同郷です!」
ノアは少し興奮しながら、その喜びを伝えた。
リフェンサーは驚いたようで、ノアに向かって大きく頷いた。
「そのような巡り合わせもあるのかのう……」
「失礼ですが、賢者様。このところ目の前が暗くなる様な事はございませんか? それから背中もかなり痛まれている様です」
テレージアは眉間にしわを寄せ透き通った青い瞳で、リフェンサーの身体を覗き込む様に見ていた。
「おお、さすが聖女となる娘よ。いかにも最近そのような傾向があって困っておるよ」
リフェンサーは少し驚いたようにテレージアを見た。
「わたしはなんとなく人の具合が悪いところが見えるのです。血の巡りが見えると言いますか……。あとで治療をいたしましょう。少し楽にして差し上げる事が、出来ると思います」
「それはありがたい事だ。是非お願いしよう」
リフェンサーはテレージアに頷いて見せた後、クリシュトフに視線を移した。
「さてクリシュトフ卿、この先どうするつもりかね」
「私だけではテレージア様を無事セントレイシアまでお連れする事は出来ないでしょう。どうか聖騎士様には、テレージア様の護衛をお願いしたく存じます」
リフェンサーは頷いた後、少し口許を緩めながらノアに視線を移した。
「それでノアよ、きっと君の事だ、もう策はあるのだろうが」
「はい、巡礼者のふりをして、セントレイシアに入ろうと思います」
ノアの即答にリフェンサーは満足した。
話が一段落したところで、先ほどからソワソワしていたザルベルトがテレージアに向かって口を開いた。
「吾輩はザルベルト・シュトラウスと申します。以後お見知りおきを。次の聖女様には、是非モデルになって頂けないでしょうか!」
ザルベルトは大きく右腕を振ってから胸に手を添え、大袈裟に紳士の挨拶を決めた。
このおじ様はこんなキザな振る舞いに抜かりが無く上手である。
テレージアがキョトンとした顔をして、助けを求めるようにノアをチラリと覗き込んだ。
「ザルベルトさんは絵画や彫刻の芸術家さんなんだ」
ノアが情報を補足する。
『でもやめた方がいい、ヌードモデルにされるよ』とは言えなかった。
「ええ、かまいませんけど……」
少し戸惑った表情を見せながらも、テレージアは承諾した。
ザルベルトはたいそう喜んだ。
ジニアの入れてくれたお茶で一息ついた後、テレージアはリフェンサーに寝室に移動するよう促した。
ノアも興味津々(きょうみしんしん)でついて行く。
「それでは賢者さま、まずは頭から施術いたしましょう」
テレージアは寝室の椅子にリフェンサーを座らせ、背後から頭に両手の平をかざした。
そしてゆっくりと両手の指で、頭皮に軽い圧力を加えはじめる。
ノアはその様子を興味深く眺めていた。
――とっても気持ち良さそうだな。指先から慈愛に満ちた魔力を流し込んでいるのが何となく解かる。彼女は水の精霊を使って、血液を上手に操るね……。
リフェンサーは目を閉じ、とても穏やかな表情をしている。
――そもそもアニメじゃあるまいし、聖女が光を発すれば、傷や病気が立ちどころ治るなんて、物理的に不可能だよね。それでは医術が発達しない世界になってしまう。
――やはり魔術とは、『魔力を物質に作用させて、物理的な現象を引き起こす』と解釈していいのだろう。
――きっと彼女は今、血流を改善して悪い細胞の新陳代謝を促しているのだろう。治癒魔術とは医学の知識を持った魔術士が施術する事こそが理想だね。
それからテレージアはリフェンサーをベッドに移し、うつ伏せに寝かせた。
そして背中を優しくさすり始めた。
「ねえ、隼人さん。水差しに白湯を入れてきて頂戴!」
「了解しました、鈴華先生!」
そう言ってノアは炊事場に向かった。
ノアが炊事場から水差しとグラスをお盆の上に乗せ戻ると、リフェンサーへの施術は終わっていた。
「ノアよ、この世のものとは思えんほど、心地良かったぞ……」
リフェンサーはとても穏やかな表情をしていた。
心なしか顔色も良くなったようである。
「それはようございましたね、お師匠様」
そう言いながら、ノアもテレージアに感謝した。
テレージアといえば、テーブルに置かれた水差しに両手を添え、なにやら魔力を流し込んでいる。
しばらくすると動作をやめ、水差しからグラスに白湯を注ぎ込んだ。
「さあ、賢者様、こちらをお飲みください」
グラスを受け取ったリフェンサーは、一口ゴクリと喉を鳴らして飲み込んだ。
「うまい!」
テレージアは少し得意そうな表情を見せた。
「かすかな甘みを感じるような気がする。なにより清涼感が素晴らしい!」
リフェンサーが率直な感想を述べ、絶賛した。
「まだ試行錯誤なのですけれど身体の細胞を活性化させ、潤すイメージで魔力を注いでいます」
「未完成とは言え、紛れもなく聖女が作った聖水ですね」
ノアもその理にかなった一連の施術に感動を覚えた。
「テレージアよ、ありがとう。本当に気持ちが良かったよ。少し眠くなった。このまま眠るのが良いような気がするが……」
「はい、賢者様。それがようございます。このままお休みになって下さい」
優しくテレージアがそう告げると、ノアと二人で静かに寝室を出た。
「鈴華さん、ご苦労様。実に興味深かったよ。いい勉強になった」
居間に戻ったノアは、ソファーに座り率直な感想を述べた。
「賢者様は恐らく脳梗塞の一歩手前だったわ。そして腎臓もかなり弱っていたみたい」
「どう、良くなりそうかい?」
「急激に治るはずもないから、数日続ければだいぶ良くなると思うわ」
「鈴華さんは、医療に詳しいんだね!」
「詳しいって程でもないけど、前世で少しだけ勉強したのよ……」
鈴華は少しだけ寂しそうにした。
そんな反応を見たノアは話題を変えた。
「それでは君にはご褒美をあげよう! この屋敷にはいいモノがあるんだよ」
「エッ! なになに⁈」
「ヒントは、賢者様は前世で北欧に住む建築家であられた」
「もしかして……」
「そう、この屋敷にはサウナと、お風呂がある!」
鈴華はソファーから飛び上がって喜んだ。
なにやら瞳を上に向けて思案している。
そしてノアに向かって身を乗り出し、口に右手を添え小声で言った。
「あとで一緒に入ろうね!」
* *
リフェンサーに対する魔術による治療や、ザルベルトのモデルを務めるなど、テレージアは忙しく毎日を過ごしていた。
七日を要して、二つの仕事は達成された。
そして八日目の朝、ノアとテレージア、そしてクリシュトフは旅装を整え、居間でリフェンサーらに旅立ちの挨拶をしていた。
テレージアは修道衣ではなく、スティーナからもらった冒険者のような恰好をしている。
少し大きいようだが、それはそれで良いものだ。
可愛い娘は何を着たってよく似合う。
「テレージア、あなたには大変世話になった。わしの命の恩人かもしれん。寿命が延びたのは間違いないだろう」
リフェンサーはたいそう嬉しそうに頭を下げた。
「賢者様にそう言って頂けると、わたしもうれしいです」
この頃、リフェンサーとテレージアはかなりの信頼関係が成立していたようだ。
「感謝を込めて、旅立つあなたにいくつか品を送ろう」
後ろで控えていたスティーナが、贈り物が載せてある盆をテーブルの上に置いた。
「この指輪は主に呪い除けの効果が付与されている。そう言った術式を壊す仕掛けが施されているのだ」
リフェンサーはまず指輪をテレージアに手渡した。
「はめてみなさい」
テレージアは指にはめると手をかざして、眩しそうに眺めた。
「このネックレスは悪意あるものが近づくと、魔結石が赤く光って教えてくれる」
リフェンサーは細いチェーンを摘まんで小さな魔結石を見せた後、テレージアに手渡した。
「このリボンは回りの毒素を無効化させる仕事をしてくれる」
不思議な光沢を放つ銀色のリボンだった。
「テレージア様、お付けしましょう」
そう言ってスティーナはテレージアの後ろにまわり、彼女の大きく編んだ三つ編みされた髪の毛をほどいた。
「髪を上げて下さいますか」
テレージアが両手でブロンドの髪を持ち上げると、スティーナはネックレスを首元に回し後ろで留めた。
そして下ろされた髪に銀色のリボンを結んでまとめ上げた。
――彼女のイメージカラーはシルバーだね。聖女の彼女にピッタリだ。
ノアはテレージアを眺めながら、そう思った。
「そしてこの杖を送ろう」
白銀に輝く、細やかな彫刻が施された、テレージアの背丈ほどの細身だが立派な杖だった。
青く透き通った魔結石もはめ込まれている。
「いけません! このような大それたものは……」
「なに、よいのだよ。いずれ、わしの集めた魔道具はすべてノアに譲る事になる。この杖はどちらかと言えば女性用じゃ。あなたが持つのが相応しいだろう」
「この杖はわしのコレクションのなかでも自慢の一杖じゃ。教会の秘蔵品にもひけは取らぬじゃろうて。良い杖は所有者の能力に同調する。聖女であるあなたの魔力よって、この杖は素晴らしい杖に仕上がるだろう」
テレージアはどうしていいか分からない様で、助けを求める様にノアへ視線を送った。
「鈴華さん、遠慮なく頂くといいよ。その杖は君に威厳を与えてくれる」
ノアの助言を聞いたテレージアは、意を決したようである。
「それではリフェンサー様、ありがたく頂戴いたします。生涯大事にします。約束します」
そう言ってテレージアは杖を両手で受け取り抱き寄せた。
彼女は予想以上にしっくりとくる感覚に驚いている様だ。
「さて、出発しましょうか!」
ノアが太ももを叩いて、ソファーから立ち上がった。
屋敷の玄関先で最後のお別れをする。
「ノア、テレージアを頼んだぞ」
「かしこまりました、お師匠様」
「テレージア様、お気をつけて」
「スティーナさん、いろいろありがとうございました」
テレージアとスティーナは両手を握りあった。
「若様、セントレイシアには見るべき芸術品が多い。しっかりと勉強してきなさい」
そういってザルベルトはニヤリと笑った。
「それではリフェンサー様、そして皆様、大変お世話になりました。この御恩は一生忘れません」
そういってテレージアは長く深々とお辞儀をした。
「テレージア、行っておいで。良き聖女になるのじゃぞ」
その言葉についにテレージアは涙をこぼした。
「リフェンサー様、お身体をお大事に……」
テレージアは見送りが見えなくなるまで何度も振り返り、その度にお辞儀をしていた。
ノアとテレージアとクリシュトフのセントレイシアを目指す旅が始まった。
西に向かって少しの迂回を考慮すれば、約二百五十キロ。約十日の行程であった。
軽快な足取りのテレージアは、リフェンサーからの贈り物で至極ご機嫌だった。
手をかざして指輪を眺めてみたり、ネックレスを手に取って眺めてみたり……。
魔道具としての性能もさることながら、貴金属や魔結石の価値の高さ、そして装飾品としての美しさも一流だった。
さすがに白銀の杖だけは目立ち過ぎるので、皮袋で包んでクリシュトフに持たせているが。
道中ノアは、テレージアから日本語を介してラデリア語を学ぶという、時空を超えた語学学習に、不思議な感覚を覚えた。
そんな神の言葉(日本語だけど)を操りながら会話をしている少年少女に、クリシュトフは、益々畏怖の念を抱くのであった。
「わたし、日本で生きていた頃は神社の宮司の娘だったの。元気だった頃は朱色の袴はいて巫女さんやっていたのよ! 転生したら教会の娘として生まれて、今度は聖女だって……。ほんとに『あの方達』って、洒落がキツイわ!」
「日本では、いつ頃死んでしまったの?」
「私、高校二年生の時、脳腫瘍が見つかって、それから入院して、しばらくして意識がなくなって……。だから自分がいつ死んでしまったか正確には解らないの……」
「多分平康二十四年の秋頃だと思う」
「あれ、平康って? 平成じゃないの?」
「なに? 平成って?」
「やっぱりぼくと君がいた日本は、少しだけ違うらしい……」
「それってどういう事?」
「簡単に言えば、この世界や君やぼくがいた元の世界が余剰次元の中で、同時に無数に存在していると言う事だよ」
「SF小説やアニメに出てくる平行世界やパラレルワールドって事?」
「イメージとしてはそれでいいと思うよ」
「鈴華さんは『あの方々』になにか言われたかい」
「うん、『人々を癒しなさい』って言われた」
「隼人さんは?」
「ぼくは『世界を導け』と言われたよ」
「なんか、大変そうね」
「そうだね」
テレージアはふと空を見上げた。
「でもなんか、気持ちいいね」
「そうだね……」
ノアも空を見上げてみた。
異世界で出会った二人の魂の結びつきは、本人達が思っている以上に強いのかもしれない……。
聖女の定義って……どうなんでしょうかね!




