第17話 聖女の継承者1~時空を超えた出会い~
スパソニア帝国、帝都アムリードを逃げる様に出立したノアらを乗せた馬車は、次の目的地である北隣のフォルノア王国を目指していた。
旅は順調だった。
時折、小規模の盗賊団に絡まれる事もあったが、ザルベルトがレイピアでチョチョイと突くと、あっという間に尻尾を巻いて逃げて行ってしまう。
そして、この旅を始めてから四つ目の国境を越え、いよいよフォルノア王国に入った。
首都ルアーブの街で宿屋に落ち着き、ノアは散策へ出かけようとすると、スティーナからアドバイスを受ける。
「若様、この街を散策されるなら着古したローブをお召しになり、常にフードを被っているのですよ」
「どうしてですか?」
「この街は自分のおまるの中身を平気で三階・四階の窓から投げこぼす悪癖があるのです! わたしはこの街は臭くて嫌いです」
「どうりでかなり臭うはずですね」
ノアは苦笑いをしながら助言をありがたく頂いた。
街の中は、腐った臭いと、排せつ物の臭いが充満していた。
長年住んでいれば気にならないのかもしれないが、外から来た旅人にとっては耐え難い悪臭だった。
たとえば肉屋は、解体した豚の不要部分を平気で店先の道路に捨てているではないか!
あちこちでネズミの群れが走り回っているのは見るに堪えない……。
呆れる程の衛生観念の欠如に、二十一世紀の日本から転生してきたノアは愕然としてしまうのである。
――なるほど……。これでは伝染病で大勢の人が死んでしまう訳だよ。
さらにノアが気になったのは、ここルアーブはかなりの人口を有する大都市であるにかかわらず、どうも人々に活気が無い。
市中の人々の暮らしが貧しいのは明白であった。
――これはやはり絶対王政による、富の集中が原因なのだろうか……。
創造主によって『世界を導け』と送り出されたノアであったが、その難しさを痛感させられた市中散策となった。
このころ賢者リフェンサーの体調は芳しくなかった。
もっとも彼は七十三歳という高齢である。
長旅による疲労の蓄積は当然といえよう。
次の目的地、ラデリア帝国の王都バルシュタット近郊には、リフェンサーが拠点としていた別邸があるという。
そこまで急ごうと意見の一致をみた一同は、早々にルアーブを後にした。
五つ目の国境を越え、再びラデリア帝国の内陸部に入った。
国境から更に東に向かい、ラデリア帝国帝都バルシュタットへ向かう。
一面の麦畑の中を街道が突き抜けている。
この辺りは比較的土壌が良いのか、ライ麦ではなく小麦や大麦が栽培されている。
四月の今は、昨秋に蒔いた麦が成長しているはずだが、生育はあまり芳しくない様に見える。
目的地である賢者リフェンサーの別邸は、バルシュタット近郊の静かな森の中に佇んでいた。
庭先に入り、立派な邸宅の玄関前に馬車が寄せられると、屋敷の中から中年の夫婦が飛び出してきた。
「旦那様、お帰りなさいませ!」
「まあ旦那様、お久しぶりでございます!」
この別邸を住み込みで管理している夫婦だった。
リフェンサーの訪問を、たいそう喜んでいる。
「やあ、カルザス、ジニア。元気そうでなによりだ。しばらく世話になるよ」
馬車を降りたリフェンサーは二人の手を握った。
「旦那様、お加減がよろしくないようですが」
ジニアは精気の落ちたリフェンサーを気遣った。
「なに、長旅に疲れただけよ。ここでジニアの手料理を食べれば、直ぐに良くなるだろう」
そして二人はノアに気がついたようだ。
「もしかしてその少年は……」
カルザスがノアを見ながら、リフェンサーに尋ねた。
「その通りだ。ようやく巡り合えた。ノア、挨拶をしなさい」
ノアは前に出て、丁寧にお辞儀をした。
「ノア・アルヴェーンです。シャレーク王国から、賢者様に導かれてここまで来ました」
「おお、あなた様が長年、旦那様が探し求めていたお方ですか!」
カルザスとジニアは感極まったようである。
「それで、私たちはなんとお呼びすればよいのでしょう」
「吾輩とスティーナは若様とお呼びしているよ」
ザルベルトが助け船を出した。
「ザルベルト様、スティーナ様、ようお戻りになられました。それでは私共も若様とお呼びする事にいたしましょう」
「さ、さ、どうぞ中へお入りください。すぐお茶をご用意しますね」
こうして一行は、リフェンサーの体調が回復するまで、この別邸で休息をとる事になった。
* *
ノアにとっては穏やかな日常が続いた。
ここでもザルベルトから剣術と芸術を学び、スティーナから格闘術を学ぶ毎日が過ぎていった。
そんなある日。
「いいですかな、若様。人の一生など短く儚いものです。しかし生み出された芸術は永遠!」
「わ、わかります」
力説するザルベルトに、ノアはたじろいだ。
「若様、この世で一番美しきものは、なんだと思いますか⁈」
ノアはしばらく思案したが、出題者の趣向に合わせた回答を導き出した。
「やはり女性でしょうか……」
「さすがは若様、その通り!」
ザルベルトは両手を叩きながらノアを称えた。
よほど回答に満足したのだろう。
「聖母シャ―ルは美しい。創造主は神々の姿をされたままの聖母を遣わされたのか、はたまた聖母は女性を模して描かれた人間側の理想像なのか…。このザルベルトには未だ結論が得られません。若様はどちらだと思いますかな」
「そうですね~、ぼくにも解かりません。今度創造主に会う事があったら聞いてみましょう」
「なるほど、若様ならではの回答ですな」
実のある回答ではなかったが、ザルベルトは至極満足したようだ。
――ザルベルトさんの思考は独特だ! 聖母の美しさを追求する事で、ぼくの『人間とは創造主を模して造られたものだろうか』といった疑問と本質は同じモノを追求している。
そんな話をした後、なぜかザルベルトの部屋兼アトリエに案内された。
「と、言う事で、今日はラフのデッサンをして頂きましょう」
なんのラフデッサンをするのだろう、と考えながら部屋の中に入ってみると……。
なんとスティーナがベッドに全裸で腰かけているではないか!
ノアは頭に血が上り、鼻血をふきだしそうになった。
「若様、今日はスティーナをモデルにして裸婦のデッサンをしていただきます」
――ラフじゃなくて裸婦だったのね!
「若様、裸婦を描くにあたって重要なポイントはなんと心得ますかな?」
ザルベルトがあごを手でつまみながら質問した。
「おっぱいじゃなかった、肉感といいますか、曲線美でしょうか」
ザルベルトは及第点、と言わんばかりに頷いた。
「いいでしょう、それでは吾輩は街に所要が有ります故、帰ったら見せて頂きます。それまで何枚か仕上げておくように」
そう言い残して、ザルベルトはアトリエを出て行ってしまった。
アトリエの中はしばし沈黙した……。
「若様、どんなポーズを致しましょうか?」
スティーナが至って普通に話しかけた。
「ぼくには前方は刺激が強すぎるので、おしり、じゃなかった後方からをご馳走して頂けますか⁈」
ノアの言語がおかしくなった。スティーナはクスクスと笑った。
「それではこんなポーズに致しましょう」
そう言ってスティーナは、ベッドに横たわり、頭を左腕で支えるポーズをとった。
「あの、これはいったいどう言った事態なのでしょうか……」
ノアは相変わらず、気が動転している。スティーナが反対を向いているのが、せめてもの救いだった。
「わたしはザルベルト様の専属のモデルなのですよ」
ノアは思いがけない言葉に驚いた。
「わたしはスパソニアの孤児院の出身なのです。今から十年程まえ、わたしが十四歳の時、悪い男に引き取られました。わたしはもてあそばれた後、すぐに娼館に売られてしまいました」
スティーナが淡々と語り始めた。
「そして初めての客が、ザルベルト様だったのです」
――ザルベルトさん、見かけ通りです……。
「そしてザルベルト様が言われたのです。『私目の専属モデルになってくれるのなら、君を買い取りましょう』と。わたしはその時、『この人に頼ってみよう……』と思いました。もっともそうするしかなかったのですけど……」
「そうしてわたしはリフェンサー様の養女という事にして頂き、一緒に旅をするようになったのです」
「スティーナさんは、魔術や体術は誰に習ったのですか?」
ノアの一言にスティーナは思い出し笑いをしたようだ。少し背中が振るえた。
「わたしには、それは怖い姉弟子様が二人もいるのですよ! 若様もいづれお会いする時が来るでしょう」
スティーナは今度ははっきりとクスクス笑った。
「そんなに怖い方々なのですか……⁈」
「ええ、とっても。わたしも初めの頃は毎日泣きながら修行をしていたモノです」
ノアは出来ればそんな怖い方々とは、お会いしたくないモノだ……と思った。
「わたしは幸せものです……」
そう言ったスティーナは、それからは静かにモデルに集中した。
ノアは木炭をつまんで、イーゼルにむかった。
* *
バルシュタット郊外の別邸に滞在して、すでに二ヶ月が経過していた。
リフェンサーの容態は芳しくない。
この日、ノアは朝からトレーニングを兼ねて近くの森の中に入っていた。
ブナやオークの木が生い茂った、豊かな森であった。
リスやキツネといった小動物が多いようである。
人里が近いせいか、魔物の気配は無い。
そんな時、風の精霊のざわつきによって、ノアは異変を感じ取った。
急ぎ、そちらへ向かってみると……。
そこは馬車がようやく通れるような山道であった。
場に似つかわしくない黒塗の綺麗な馬車が乗り捨てられている。
紋章から教会の所有物であるようだ。
御者はおらず、二頭の馬は落ち着きがない。
馬車の扉は開いたままだ。
近くの大木を背に、一人の修道士が少女を守っているように見える。
対する四人の剣士は、黒いローブを纏い、フードまで被っている。
その出で立ちから、単なる野党には見えなかった。
――さて、どの様な状況なのだろうか? 単純には、一人の修道士が少女を守ろうとしている様に見えるのだが……。たしかスパソニアでもこんなシチュエーションがあったよね。
ノアが木々の中から姿を現すと、黒いローブの四人の剣士の動きが止まった。
一瞬警戒した様だが、子供と見て、ホッとしているようだ。
「ヘイス、ミーア!」
ノアの存在に気がついた、修道女の衣装を身に着けている少女がこちらに向かって叫んでいる。
ラデリア語で、助けを求めている様だ。
「ヘルプ!」
――エッ! なんで? 英語?
「わたしを助けて!!!」
最後に彼女は日本語で叫んだ。
ノアは、その日本語に、即座に反応してしまった。
ノアは左腕をあげながら両者に近づいていく。
近くの中木に左手の向きを合わせると、魔力圧縮弾を即座に放つ。
命中した幹は破裂音と共に破片が四散し、上半分は地上に倒れた。
黒づくめの四人があっけにとられた後、ノアの方に視線が戻った事を確認すると、ノアは四人の足元に向けて小さな魔力圧縮弾を連射する。
四人は後ろの飛びよけ、無様に尻もちをついてしまう。
そして一人の合図と共に慌てて逃げていった。
そんな光景を、驚きをもって眺めていた少女がノアの方に駆け寄って来る。
「ウソ!ウソ! あなたもしかして、日本人?」
やはり少女は日本語で語りかけて来た。
「ええ、そうです。懐かしい言葉を聞いた……」
ノアも驚きを隠せない。
「わたしも日本人なの! 名前はテレージア、そして宮内鈴華よ」
「ぼくは、ノア・アルヴェーン。そして霧島隼人」
ノアがこの世界で出会った二人目の転生者であった。
「なにか、あなたの容姿で流暢に日本語をしゃべられると、とても違和感がありますね」
「あら、それは私も同意見だわ!」
テレージアと名乗った美少女は、アッシュブロンドの髪を後ろで束ね、透き通るような神秘的な青色の瞳をしていた。
年の頃は十三歳位だろうか、どう見ても百パーセント西洋人の外見である。
「まずはお礼を言わせて。それにしてもあなた強いのね! 魔術士なの?」
鈴華は隼人の手を取り、上下に揺すりながら満面の笑顔で礼を述べた。
「この世界では魔術が使えるんだ。それにしても、これはいったい何の騒ぎなんだい?」
「わたしも治癒系の魔術が使えるの。それで聖女の継承者なのだって……。だからこれから神聖シャ―ル国の教皇庁へ向かうところだったのよ」
「さっきの連中は何者だい。君を襲おうとしていたようだけど」
「わたしには解らないわ。この人に聞いてみる」
この人とは先ほどテレージアを守っていた修道士である。
今は、ノアとテレージアが神の言葉で(日本語だけど!)話している様子を、驚きと畏怖の表情で、この世界のロザリオを握りしめながら二人を唖然と眺めている。
以後はテレージアによる、ラデリア語対日本語の通訳で会話が成立した。
「あなた様は、聖女を守護される精霊の聖騎士様でいらっしゃいますか?」
修道士はそのままノアに向かって両膝をついた。
ノアは、返答を思案したが、『そういう事にしておけば都合がいいかもしてない』と考えた。
「まあ、そんなところです。やはり敵対する勢力からの刺客ですか……」
「そこまでお見通しでございますか……。おそらく教皇庁のどこかの派閥の手の者と思われます」
ノアはあてずっぽうで推測しただけであっだが、的を得ていた事に苦笑いしてしまう。
「護衛は付けていなかったのですか?」
「もちろん四人の傭兵を雇っていましたが、襲撃を受けると一目散に逃げてしまいました」
ノアは両手を広げて、呆れた表情をみせた。
「まずは、場所を変えましょうか。ここに長居は良くない。いい場所があります」
「馬車はどうするの?」
テレージアは馬車が気になっている様だ。
「馬だけ連れて、馬車は置いて行きましょう。この馬車は目立ちすぎる」
ノアは馬を落ち着かせながら、慣れた手つきで二頭を馬車から外した。
そして手綱を取って歩きはじめる。
「さあ、行きましょうか!」
ノアはテレージアと修道士を、賢者の別邸に案内した。




