第12話 別れの曲<前編>
傭兵崩れの盗賊団をノアが殲滅してから、一年四ヶ月あまりが経過した。
ジルザーク率いる『黄昏の梟』のメンバーは、約定通りシャレーク王家より、Sランクの称号を賜っていた。
その情報は驚きと尊敬をもって、大陸中の冒険者に知れ渡った。
そんなある日、『黄昏の梟』はギルド長室に呼ばれた。
ドアを開けると、ギルド長がいつもの机で仕事をし、傍らでメアリーが控えていた。
「ノア……。見つかったぞ……」
フォルマ―ギルド長の一言に、ノアは大きく息を吐いたのち、天井を見上げた。
視線を再びギルド長に戻すと、彼は真っ直ぐにノアを見つめていた。
傍らのメアリーは、とても寂しそうな目をしていた。
「おい、デイオン。説明してやれ」
窓際の壁にもたれていたデイオンが、ゆっくりとこちらに向かってくる。
デイオンは珍しいソロの冒険者だった。
情報の売買で稼ぐ事が多い。Bランクが示す通り、その実力は折り紙付きである。
「ノアちゃん、西隣のナルフムーン王国だったよ……」
デイオンは重々しく語り始めた。
「ナルフムーン王国西側国境近く、南クリスタリア山脈のふもとにサークルレーン領がある。子爵家が治めているんだが、そこの紋章だった」
デイオンはノアを見つめながら、先を続けた。
「いろいろ聞き込みをしたんだが、そこの次女が七年ほど前に、貿易商の男と駆け落ちしたらしい。名前はフレデリカと言う。どうだノアちゃん、符合するか?」
ノアは話を聞き終え、ゆっくりと頷いた。
ノアは一年ほど前からギルドに捜索の依頼を出していた。
養母の形見のロケットペンダントに描かれた紋章を頼りに、セシルの母の生家を探していたのだ。
「間違いありません。デイオンさん、さすがです」
明るく礼を述べたノアだったが、寂し気な表情にも見えた。
「これで依頼は達成とします。メアリーさん、報酬をお支払いして下さい」
「いいのかノアちゃん。金貨十枚は、かなり高額だぞ……」
「いいんです。ぼくはデイオンさんの報告にとても満足しましたから」
「それでノア、やっぱりセシルを送り届けるのか」
ジルザークが問うた。
「はい、それが養母さんの意思で、最後の約束でしたから……」
「セシルを届け終えた後、おまえはどうするんだ、ノア」
「旅に出ようと思っています……。そうしなければいけない気がするのです」
ノアを良く知る者達は、その別れを告げる一言に納得せざるを得なかった。
「よし! それじゃ、オレ達は久しぶりに、スーファに旨い酒でも飲みにいくか!」
「賛成……」
とは言ったものの、みんな寂しさは隠せない。
「ノア、上等な馬車を出してやるよ。みんなで最後の旅行をしよう!」
カイルがノアを見降ろしながら、少し寂しそうに言った。
「いつ頃出発するの、ノアちゃん……」
「寒くなり前に。旅の準備が出来次第、出発します」
「そう……」
それだけ言うと、メアリーはうつむいて口を閉ざした。
翌日、ノアはセシルを連れて、街に買い物に出た。
主にセシルの旅装を整えるためだ。
行きつけの仕立屋で、セシルの服やマントを注文した。
そして可愛いドレスも一着注文した。
靴屋では皮のブーツと、ドレスに合いそうな靴も注文した。
セシルはたいそうご満悦だった。
帰りがけ手を繋ぎながら歩くセシルの視線は、すれ違う親子連れを追いかけていた。
「ねえ、兄さま、なんでセシルにはお父さんとお母さんがいないの?」
「前にも話したけど、セシルが赤ちゃんだった頃、二人とも死んでしまったんだ」
「ふ~ん」
「セシルはお父さんとお母さんに逢いたいかい」
「う~ん、よくわからないからいいや!」
「セシルはさみしくない?」
「セシルには兄さまがいるからさびしくない!」
今のノアには心に突き刺さる一言だった。
「ねえ、兄さま。セシルお腹すいた!」
セシルはノアを見上げて甘えてみせる。
「よし、それじゃあ、早くギルドに帰ろう。きっとジルさん達も来ると思うよ!」
* * * * *
別れだけが待つ旅立ちの早朝……。
ノアは慣れ親しんだ、元物置部屋だった自室の扉を静かにしめた。
少々軋み音がする階段を、セシルの手を引いてゆっくりと降りた。
いつもは賑わいを見せる受付にまだ人影はなく、静寂が支配している。
なにも知らないセシルは、可愛らしい旅装に満足し、初めての旅にはしゃいでいた。
ギルド玄関前に、カイルが用意した馬車が横付けされると、すぐに乗り込んだ。
いつもの荷馬車ではなく、特別に用意された客馬車である。
見送りはギルド長のフォルマ―、そしてメアリー、酒場のマスターの三人だけだった。
ほかのギルドの面々には、旅立ちを知らせていなかった。
「それではみなさん、お世話になりました。この御恩は一生忘れません」
ノアは月並みの挨拶しか出来なかった。
「ノア、今日おまえがこのギルドを去る事は正しいと思う。おまえには定められた運命が有るはずだ。そのうちきっと活躍のうわさが流れてくるだろう。楽しみにしているぞ」
「フォルマ―さん、どうしてそれを⁈」
少しだけニヤッと口許を緩ませたフォルマ―は、アイパッチで隠された左目を人差し指で示した。
「俺の左目は、なんとなくそんな事が見えるんだよ」
なるほど……と、ノアは合点がいった。
「ノア、たまには帰って来いよ」
「マスター、時が来れば……必ず帰って来ます」
「ノアちゃん、無理しちゃだめよ……」
「メアリーさん、お世話になりました。このギルドをお願いします」
三人に別れの挨拶を終えたノアは振り返る事なく、馬車に乗り込んだ。
すると、代わりにセシルが小さな顔を出した。
「みんな――、行ってきまーす!」
セシルは元気よく、満面の笑顔で手を振った。
「セシル、元気でな……」
フォルマ―がやっとそれだけの言葉を絞り出した。
メアリーは涙をこらえ、無理に笑顔を取り繕って、小さく手を振るのが精一杯だった。
マスターはただ、セシルの姿を目に焼き付けていた。
馬車が出ると朝霧の中、見送りの三人の姿は、あっと言う間に見えなくなってしまった。
それは、ノアにとっては救いだったのかもしれない……。
こうしてノアとセシルの四年に渡る、冒険者ギルドでの生活は終止符が打たれた。
この時すでに、ノアが10歳、セシルは五歳になっていた。
セシルの母の実家があるサークルレーン領はナルフムーン王国の西側、南クリスタリア山脈のふもとにあった。
フォレストゲートから国境を越え、途中王都のスーファを経由するので道のりは約三百キロ、ゆっくり馬車を進めれば四日の行程だった。
一泊目は野営となった。
いつもの様に、焚火を囲んで、みんなで楽しく過ごした。
セシルはいつもの様に、精霊のオーヴを捕まえようと遊んでいた。
二泊目は街道に出たので、隊商宿に泊まる事ができた。
ベッドが一つあるだけの小さな部屋だったが、なにもかもが目新しいセシルを喜ばせるには十分だった。
一方ノアは明らかな体調不良を感じ始めていた。
どうやら風邪をひいたらしい。
間もなくセシルと別れると言う事実は、ノアに想像以上の負荷を与えていた。
三日目の夕方には、王都スーファに入った。
初めての賑やかな街並みにセシルのテンションは上がりまくっている。
「兄さま! 大きな建物が並んでいる!」
「兄さま! 人がいっぱい歩いている!」
セシルは視界に入った驚きの光景を、逐一ノアに報告した。
やがて馬車は立派な建物の前へ横付けされた。
この辺りで一番値の張る宿屋だった。
「よし、セシル! 今夜はここにお泊りだ!」
ジルザークはセシルを抱き上げて、大袈裟にウインクした。
「やった――、ジル大好き!」
セシルはジルザークに抱き着いた。
「よし、部屋で少し落ち着いたら、奥の酒場で飯を食おう」
ジルザークの一声で、各自部屋に入って行った。
ノアとセシルで一部屋。
ジルザークとマリアで一部屋。
カイルとサーラで一部屋といった布陣である。
昨日の隊商宿とは比べ物にならない豪華な部屋に、セシルは胸に手を当て感動している。
ノアはそのままベッドに倒れ込んだ。
――ああ、こんな時に明らかに風邪をひいてしまった。節々が痛い。でももう少し頑張らないと……。
ノアは天井を見ながらボーッとしていた。
――そうだ、セシルにあのドレスを着せてみよう!
その思い付きをきっかけに、ノアは身体をおこした。
「ねえ、セシル。このまえ作ったドレスを着てみる?」
当然セシルは狂喜乱舞で、部屋中を駆け回った。
ノアはセシルのために用意した大きな皮のバッグの中から、木箱に入った小さなドレスを取り出した。
淡い水色でフリルがたくさんあしらわれている。
ノアが手伝いながら着替えをするセシルは、初めてのドレスに緊張しているようだ。
ノアが背中を留めてあげると、着替えは完了した。
成長を考え、少し大きめに作ってもらったが、とても似合って可愛らしかった。
ドレス用に合わせた靴も履かせてみた。
セシルは何度も回転して、スカートの広がりを楽しんでいる。
「兄さま、セシルお姫様みたい?」
「うん、セシルは世界で一番可愛いお姫様だよ……」
スマホさえあれば簡単に画像を保存できるのだが、もちろんこの世界にはそのようなスグレモノは存在しない。
ノアは脳裏に焼き付ける様、努力するしかなかった。
「そうだセシル、晩御飯の時にみんなに見せてあげようか。ドレスを汚さないでお行儀よく食べられるかい⁈」
「ウン、大丈夫! セシル、ドレス汚さないで食べられる!」
「じゃあ、そろそろ下に降りようか。きっとみんな待っているよ」
ノアがセシルをエスコートして、一階の酒場を訪れると、やはり四人がテーブルを囲んでいた。当然すでに飲み始めている。
「キャ――ッ! セシルちゃん、かわいい!」
サーラの甲高い一言を皮切りに、セシルへの賛辞が続いた。
「セシルちゃん、お姫様みたいよ!」
「セシル、可愛すぎるぞ、おまえ!」
「ノアに作ってもらったのか、よかったな!」
「よし、我らが姫君のために、乾杯だ!」
こうして、『黄昏の梟』そろっての、最後の晩餐が始まった。
思い出話を肴に大人達はひたすら飲んだ。
ジルザークとカイルは完全に酔っぱらっている。
セシルも好物をお腹一杯食べて、今はノアに抱かれて寝てしまっている。
「サーラさん、お願いがあるのですが……」
セシルの髪を優しく撫でながら、ノアが真剣な表情でサーラに語りかけた。
「なあに? ノアちゃん」
「明日、サークルレーン家の屋敷が近づいたら、セシルを魔術で眠らせてくれませんか」
サーラは目を閉じ、少し考え込んだ。
「そうね……それがいいかもしれない……」
「そろそろお開きにしましょうか」
マリアがひとつ柏手を打ってから立ちあがり、ジルザークに肩を貸した。
「ノアちゃん、おやすみなさい……」
マリアがジルザークの尻を叩きながら去って行った。
サーラも立ち上がって、カイルの手を引いた。
「ノアちゃん、ゆっくり休みなさい。……また明日」
誰もいなくなったテーブルをしばらく眺めた後、ノアもセシルを抱いたまま自室に戻った。
セシルをベッドに横たえると、ドレスを脱がせ、そのまま寝かせた。
とても幸せそうな寝顔をしている。
ノアも上着と服を脱ぎ捨てると、そのまま寝具にもぐりこんだ。
そして寝ているセシルをいつもの様に抱きしめた。
――あれ? いつもはセシルが温かく感じるのに、今日は少しひんやりと感じる……。そうか、ぼくが熱を出して、セシルより体温が高いんだ。
セシルに風邪がうつらなければいいが……。ノアはそんな心配をした。
――こうやってセシルを抱いて寝る事が出来るのも、今夜が最後か……。
ノアは言いようのない寂しさに襲われていた。
――セシル、ぼくは君が生まれてからずっと見て来た。この五年間大変な日々だったけど、ここまで頑張ってこられたのは君のおかげかもしれない。ほんとはこのままずっと、傍にいて欲しいんだ。
――でも君は、生んでくれたお母さんのものだ。
――明日、君のお母さんとの約束を果たすよ。
――ごめんね。セシル。
ノア流れ落ちる涙に気づく事なく、眠りに落ちた。