第10話 トロイメライ ~記憶の彼方~
ノアがフォレストゲートの冒険者ギルドに住み込む様になってから、早二年半の歳月が流れていた。
すでにノアは、全ての冒険者が一目置く存在に成長していた。
わずか八歳のAランク冒険者など他に比較する対象が有るはずも無く、唯一無二の存在感を示していたのだ。
そんな五月の夕暮れ時、ジルザークとノアはフォルマ―に呼ばれ、ギルド長室を訪ねていた。
「早速だが、ジル、ノア。おまえたちにしか出来ない依頼が来た」
フォルマ―が重々しく要件を切り出した。
「依頼主は誰だい」
「この国の王家からだ」
ジルとノアは顔を見合わせた。
「依頼内容は?」
「王家に連なる貴族のボンボンが、身代金目当てで誘拐された。それを救出してほしい。との依頼だ」
「さらったのはどいつだ?」
「あいつらだよ。傭兵崩れの大盗賊団、『闇の狩人』だ」
ゾルが頭を左右に振った。
「やはり、あいつらか……。これはちょっと難しい相談だな。それよりこれは傭兵ギルドに依頼する仕事じゃないのかい」
「まあ、そう考えるよな、普通。実際王家はこの国とエレン王国の傭兵ギルドに打診したらしい。しかし両方断られた」
ジルザークが小さく何度も頷く。
「なるほどな。傭兵ギルドの連中は、言ってみりゃ『同じ穴のムジナ』だからな。しかも連中の影響力も強い……。この国の騎士団の連中はどうした」
「二十騎ほど出たらしいが、返り討ちにあって、ほぼ全滅らしい」
「まあ、慣れない森の中に、騎士が出張ってもそうなるわな」
「それで、報酬は」
「シャレーク金貨百枚」
「……破格の報酬ではあるが、命を懸けるには、ちと安いな……」
「さらに、国の正式認定でSランクをくれるそうだ」
現在、現役のSランク冒険者は存在していない。
Aランクがギルドが認定する最高位である。
しかし今回の様に、稀に国が依頼する重要案件があった。
その依頼が達成された時、名誉としてSランクの褒賞が与えられるのである。
まさにスペシャルランクなのだ。
「Sランクは魅力的だが……ノア、おまえはどう思う」
「……」
「どうした、ノア!」
その声にノアはハッと我に返った。
「ぼくは、やるべきだと思います。いえ、やります」
ノアがいつになく、強い口調で言った。
「ぼくは、あいつらだけは許すことができません……」
「おまえたちの仇か……」
ノアはギルザークに向かって、ゆっくりと大きく頷いた。
「やれると思うか……」
「人質救出は可能だと思います。まだ生きていれば……の話ですけど」
「ノア、あいつらのアジトは目星がついているのか」
「はい、ここフォレストゲートから西に三十キロほど、ナルフムーン王国との国境近くの山間の集落を占拠して拠点にしています」
ジルザークはしばらく腕を組んで目をつむり考えた。
「よし、やってみるか……」
「ありがとうございます、ジルさん」
ジルザークとノアの出した結論にフォルマ―は頷いた。
「おいメアリー。応接室にいる王国の使者殿を呼んで来てくれ」
「かしこまりました」
程なくしてメアリーが、いかにも貴族といった出で立ちの使者を案内してきた。
少し気難しそうな顔立ちをしている。
衛士を二人従えての入室だった。
「私はシャレーク王国、内務局のアーデルベルトと申す。今回の難儀な依頼を引き受けてくれた事、誠に感謝致す。さて賊に立ち向かう勇者を紹介してもらおうか」
「ジルザーク、アーデルベルト伯爵に挨拶を頼む」
立ち上がって出迎えているフォルマ―が促した。
ジルザークとノアは、伯爵の前に跪いた。
「お初にお目にかかります、アーデルベルト伯爵。Aランク『黄昏の梟』のリーダーを務めております、ジルザーク・ブロークと申します。こちらに控えますは、我らパーティーの先導者、ノア・アルヴェーンと申します」
ジルザークとノアは深々と頭を下げた。
「面をあげよ。『黄昏の梟』のジルザーク・ブローク。噂に聞こえたシャレーク最高の冒険者ではないか! これは心強いかぎり。しかしとなりの少年がメンバーと言う事は、いささか説明を要すと思うのだが」
「その問いはごもっともでございます。しかしご心配には及びません。彼はこのギルド一番、いや恐らくシャレーク王国最強の魔術士でありますがゆえ」
「それでは……そなたと戦った場合、どちらが強い」
アーデルベルト伯爵は、意地悪な問いを投げかけた。
「相手になりません……」
ジルザークが即答した。
「どういう事かな」
少し怪訝な表情をするアーデルベルト伯爵。
「手前と彼では、戦闘の間合いが違います。例えば森の中で、戦闘に入ったと仮定しましょう。彼は一瞬で木々の中に気配を消し、遠くから手前を簡単に射抜くことが可能なのです」
「なるほど……。私も多少なりとも魔術の心得がある。まさに今回の依頼には、うって付けの人材ではないか!」
「ご明察、恐れ入ります」
「うむ、気に入った! フォルマ―殿、是が非にも彼らに救出をお願いしたい」
「かしこまりました。当案件はフォレストゲート冒険者ギルドとしてもお受け致します」
フォルマ―が立ち上がって頭を下げた。
「すでに事件発生から六日が日が過ぎた。レグザス候アルフェ殿の安否も心配である。『黄昏の梟』には速やかな救出をお願いしたい」
「微力ながら、全力を尽くす所存です」
ジルザークは胸に手を添え、一礼した。
「それでは私は事態が収拾するまで、領主の屋敷に滞在する手筈になっている。なにか動きがあれば、連絡するように」
そう言い残して、アーデルベルト伯爵は供を従え退室していった。
伯爵が出て行った後のギルド長室はしばし沈黙に包まれた。
「明日、まずぼくが偵察してきます。帰ったらみんなでで作戦会議を開きましょう」
「よし、わかった。みんなを集めておくよ」
「ノアちゃん、無理しないでね……。」
メアリーは終始不安気な表情をしていた。
* *
その夜、ノアはいつもの夢をみた。
悪夢の類だ。
しかしいつもと何かが違う。
寝ているのか、起きているのか分からない。
そんな狭間で見る夢だ。
ぼくは泣きながら歩いている。
どこへ向かっているのか、わからない。
屋敷が襲われて、家が燃えて、お父さんとお母さんが殺されて……。
でも、もうお父さんとお母さんの顔は、もはや思い出せない。
ただ泣いて歩く事しか出来なかったぼくは、やがて助けられた。
馬車に乗った若い夫婦だった。
そのままぼくを、養子として育ててくれた。
二年ほど経つと、妹が生まれた。
セシルと名付けられた。
小さくて、とても可愛らしかった。
血は繋がっていないが、ぼくには妹ができた。
養父は貿易商だった。
だからぼくは、養父や養母、そして隊商の仲間たちと、いつも一緒に旅をしていた。
隊商の馬車の中に、いつもぼくはいた。
優しい養母がセシルにおっぱいを飲ませている。
ぼくは幸せそうな、この光景を見ているのが大好きだった。
馬を休ませる休憩中、ぼくは近くの小川でセシルに水浴びをさせていた。
なにやら急に辺りが騒がしくなってきた。
隊商が休んでいる方角だ。
ぼくは急いでセシルに服を着せ、おぶってから馬車に戻った。
大勢の盗賊に、隊商は襲われていた。
たくさんの矢が、馬車に刺さっていた。
ぼくは頭の中が真っ白になった。
魔力の暴走で、馬車のまわりでたくさんの爆発がおきた。
略奪に夢中だった盗賊達が慌てふためいた。
近くで馬に乗った男が撤退を命じた。
左の頬に大きな傷跡がある、嫌な感じのする男だ。
ぼくは馬車の中を見たくなかった。
それでも仕方なく確かめた。
養父は矢が刺さり、多くの血をながして絶命していた。
養母も同様だったが、まだ意識があった。
「セシルを私の生家に送り届けて……ノア、お願い……」
それが最後の言葉だったと思う。
――夢の中、場面は突然変化する。
その日、ぼくは買付けの仕事を終え、日本に帰るところだった。
ベルギーのブリュッセル国際空港で飛行機の搭乗を待っていたはずだ。
そこで、運悪くテロリストの銃乱射に巻きこまれ……近くに小さな女の子がいて……助けようとして、銃弾が当たって一瞬で意識がなくなった。
きっと、あっけなくその場で死んでしまったのだろう。
そこでノアは目を覚ました。
びっしょりと寝汗をかいていた。
セシルは腕の中で、すやすやと寝ている。
窓の外は、まだ暗い。
――またいつもの悪夢だ。でも今回はいつもと違って続きがあった。あれはぼくの日本人であった頃の前世の記憶だ……。そして今、その続きをはっきりと思い出した。
――そうだ、ぼくは死んでしまった後、『あの方々』に出逢ったんだ。
恐らく死んでしまった後、どこまでも暗い世界に引きずり込まれていった。
どのくらいの時間をさまよっていたのか分からない。
突然光の点は現れ、徐々に大きくなって行き、ぼくはその中に引き込まれたんだ。
気が付くと、そこは一面草花が咲き乱れる高原だった。
空は青く近く、雲が早く流れていた。
とても穏やかなところだった。
そして周りに誰かいるようだった。
姿は見えないのだけれど。
そして、その存在から話しかけられた。
「我々が作った一つの世界が危ういのだ。君という個性を加えて、その世界の変化を観察したい……」
確かぼくは尋ねたんだ。『ぼくは何をどうすればよいのか?』……と。
「新たに生まれ落ちた世界で、人々を導きなさい」
突然の一方的な話に、ぼくは困惑した。
「我々がその世界に直接干渉する事は出来ない。だから君という異物を送り込む。君は自分の思うがまま、ただ生きればよい」
そして女性のような声も聞こえた。
「苦難の道を歩むあなたに対して、少しばかりの贈り物を致しましょう」
――そうしてぼくは二度目の人生を歩む事になった。今の身体が、そして脳が成長したから思い出したのだろう。
――そうだ! ぼくは、転生者だ!
* *
翌朝、ミアンカにセシルを預けると、ノアはひとり偵察に出かけた。
ノアひとりならば、大樹海の中を最短距離で駆け抜ける事が可能だが、作戦当日は人数も多く、馬車での移動となるだろう。
それを考慮して、馬を借りて道中を確認しながら目的地を目指した。
盗賊団のアジトが近づくと、ノアは辺りが見渡せる高木に登り、身を隠した。
やがて本隊四十人ほどは、武装して馬に乗って罪深い仕事へ出ていった。
頭目である左頬に大きな傷の有る男の姿もあった。
ノアは今直ぐ襲い掛かりたい衝動に駆られた。
殺気が漏れ出さぬ様、必死で自らを抑えた。
しばらくノアはアジトでの留守番役の動きに注視した。
* *
夕方、ノアがギルドに帰還すると早速、作戦会議が始めらた。
いつもの円卓を『黄昏の梟』のメンバーが囲んでいた。
さらにすぐ脇には『グローリー・ツヴァイ』三人が立って控えていた。
「おまえら三人を呼んだのは、今回の依頼達成のためにオレ達『黄昏の梟』のサポートをして欲しいからだ。これはノアの希望でもある」
ジルザークが『グローリー・ツヴァイ』の立ち位置を説明した。
「やった! 俺達ノアの兄貴のお役に立てるんですね!」
クリスは心底喜んでいるようだ。
「まず、みんなに依頼内容の説明をしておこう」
そう言ってジルザークは昨日からの経緯を話した。
「厄介な依頼ね……」
サーラの一言にマリアも頷いている。
「今回の相手は大盗賊団、『闇の狩人』だ。あいつらはノアとセシルの仇でもある。オレとしては、その事実を重く受けとめたい」
同席者は皆、同じように大きく頷いた。
「だから今回の作戦はノアに指揮を執ってもらおうと思っているんだが、おまえ達それでいいか?」
ジルザークは一同を見渡した。
「いいんじゃないか。その方がノアもやりやすいだろう」
カイルもジルの考えに同調した。
サーラとマリアも頷いた。
「よし、決まりだ。ノア、あとは任せる!」
「皆さん、ぼくに任せてくれてありがとうございます。早速ですが、今日ぼくは偵察をしてきましたので、その状況を踏まえて作戦を立てたいと思います」
ノアは一度立ち上がって、みんなに向かって丁寧に頭を下げた。
「盗賊団の総数は五十人ちょっとでした。午前九時過ぎ、頭目以下四十人ほどで、武装して仕事に出て行きました。残り十人がアジトの守備に就いています。そこで計算外だったのが、奴隷として働かせている八人の女性が確認できた事です」
「いろんな意味で女性をさらって来ているのは当然だな……」
「ぼくとしては、彼女たちも一緒に開放したいと考えています」
「なるほど、それで『グローリー・ツヴァイ』を呼んだんだな」
「その通りです、カイルさん。脱出するのに馬車が二台必要です。ボルツは馬車の御者ができるかい?」
「大丈夫です、ノアの兄貴。任せて下さい!」
ボルツはノアに仕事を頼まれ、とてもうれしそうだった。
「奴らが出かけた後、一人の女性が洞窟の中に簡単な食事を持っていったので、目標の侯爵の子息も無事だと思われます。偵察の報告はこんなところです」
ノアの報告に一同は頷いた。
「それでは救出作戦を説明します」
「決行は明日。奴らが仕事に出かけた留守に仕掛けます。もし出かけなければその日は中止します。昼間は油断していて警戒が薄いです。そこを狙います」
「先ほども話題に出ましたが、馬車二台で出かけます。御車はカイルさんとボルツにお願いします。サーラさんは馬車に待機、救出してきた人たちのケアに備えて下さい」
カイルとボルツとサーラが了解した。
「突入はぼくとマリアさんでやります。恐らく子供と女性の容姿に油断するでしょう。十人の制圧ならば、合計で十秒もかからないと思います」
マリアが『任せなさい!』とばかりに得意げな表情をみせた。
「オレは何をすればいいんだい」
ジルザークは少し不満げだ。
「ジルさんとクリスは、ぼくとマリアさんが圧縮空気弾で吹っ飛ばした盗賊を捕縛して、洞窟に放り込んでください」
「なんだよ、オレ達は後始末かい……」
ジルザークは残念そうにお道化てみせた。
そしてクリスの反応をみてみる。
「俺はノアの兄貴にもらった役目を一生懸命やるだけっす!」
「オッ! おまえ少し解かってきたな」
ジルザークに褒められて、クリスは嬉しそうに少し笑った。
「ミアンカはギルドで留守番です。セシルを見ていて欲しい。これも重要な任務だからね!」
「もちろんです、ノア兄さん。安心して出かけて下さい!」
「それでは皆さん、明日朝八時に出発します。それまでに各自準備をお願いします」
そこで作戦会議は終了した。
テーブルにはノアとセシル、そしてジルザークとマリアが残っていた。
「なあ、ノア。おまえ、これだけじゃ物足りないんじゃないか……」
「いえ、今回の依頼は、あくまで人質の救出ですから」
そうしてノアは黙り込んでしまった。
ジルザークは複雑な表情で、そんなノアを見つめた。
「トロイメライ」とはシューマンの名曲として有名ですが、
ドイツ語で『夢』という意味だそうです。