第97話 聖女の帰還3~狂信者~
二人の盗賊が馬を捨て、聖女が乗る馬車の左側面に張り付いた。
一人の盗賊が御者席によじ登っていく。
御者を務めるアーロイスから見ると、胸から上が視界に入る構図であった。
「なあおまえ、俺がAランク『月下の一角獣』のアーロイスと知っての襲撃だろうな⁈」
アーロイスは手綱を右腕一本に持ち替えると、バランスを保ちながら立ち上がり、賊の喉元を思い切り蹴り飛ばした!
「グゲッ」
汚いうめき声と共に白目を剝くと、そのまま背中から地面へと落下していく。
そんな様子をあっけに取られながら眺めていたもう一人の盗賊だが、首を左右に振っただけで、すぐに視線は馬車の中へと戻った。
そして左側面のガラスを剣の柄で叩き割ってしまう。
「おお、すげー美人ぞろいだな! たまんないね~~」
荒い息をしながら盗賊は馬車の中を、不潔極まる目で見渡した。
「こいつは飛び上がるほど高く売れるぜ!」
そして盗賊の狂った視線はローゼマリーに固定される。
「まずは聖女様のお命だけは、先に頂戴しますよ! 上からキツ~く言われてるんでね。後から死体で遊んであげるからね~」
「聖女さま~。痛くないように刺してあげるからね~」
狂剣の切っ先はローゼマリーの胸元を目指す。
そこにエジェリーが身を挺して、覆いかぶさった。
エジェリーの背中に剣は突き刺さる。
「キャ――!」
同乗していたシャルロットが悲鳴がキャビンを満たす。
「痛いじゃないの――!」
盗賊の刺突剣はエジェリーの背中を貫く事が出来なかった。
まるで岩に剣を突いた様な手応えに、盗賊は唖然とした表情を浮かべる。
「ノアが作ってくれたマントが、お前の貧相な剣を通す訳ないでしょう!」
そして振り向き様に、エジェリーのレイピアの一突きは、野盗の頸動脈を正確に切り裂いた。
エジェリーに返り血が浴びせながら、盗賊は馬車から落ちていく。
一瞬、状況を理解出来ずに見開かれた盗賊の眼と、エジェリーの視線は同調してしまった。
残るはあと一騎。
最後に残った盗賊は馬上から、並走する馬車の中を凝視している。
その男の盗賊らしからぬ服装は、他の盗賊とは明らかに異なっていた。
そんな時、最後尾での戦いにケリをつけたタイラーが、馬を飛ばし上がって来る。
「きさまが頭目か、後はお前だけだ、観念しろ!」
まだ剣が届かない間合いでタイラーが言い放つ。
最後の襲撃者は聞こえているはずだが答えない。
そして剣が届く間合いに入った瞬間、鋭い剣撃を繰り出してきた。
タイラーは右腕一本のレーヴァノヴァで受けきる。
――コイツはやっぱりただの盗賊ではないな。かなりの剣の使い手だぞ。
しばらく並走しながら幾度も剣が激突する。
しかし、剣も剣技も馬も、そのすべてにおいてタイラーが勝っていた。
ついにタイラーの太刀筋は、襲撃者の脇腹をとらえた。
男は崩れる様に落馬する。
激闘に終止符が打たれた。
「アーロイス、馬車隊を止めてくれ」
彼はは手を挙げ了解を示すと、自らの馬車を減速させながら、停止の合図である笛を長く吹いた。
そして七台の馬車列は、ゆっくりと停止する。
どの馬もかなり苦しそうに荒い息をしていた。
後方を守り切ったルッツが馬を寄せてくる。
「やったな、タイラーの旦那。見事な采配だったぜ」
「ああ、ルッツ。あんたがいてくれて助かったよ。礼を言う」
二人は馬上で平手を上下に叩き合った。
馬車に乗り込んでいたメンバーも、緊張と安堵を混ぜ合わせた様子で降りてくる。
各ポジションでの奮戦を終えた皆も集まって来た。
そしてそれぞれの無事を確かめあった。
「エジェリーちゃん、返り血が……」
ステラがエジェリーの頬をハンカチで拭った。
我に返ったエジェリーは、改めて自分の右手を眺める。
「この感触は……一生忘れない……」
そしてエジェリーの虚ろな視線はレベッカを求めた。
フレイヤと共に歩いてくるレベッカの視線もエジェリーを求めていた。
二人は引かれ合う様に強く抱きしめ合った。
そしてお互いの震えを抑え合う。
「エジェリー、泣いちゃダメよ……」
「うん、解ってる。あなたもね、レベッカ」
「……うん」
そんな二人を、少し離れた場所からテレージアは複雑な表情で眺めていた。
そして一同は、最後にタイラーが倒した盗賊を取り囲んだ。
脇腹から大量に血を流しているが、致命傷には至っていない様である。
「クソ……、教会のエセ騎士ではないのか……。お、お前たちは、何者なんだ……」
「おまえに名乗る義理はない。相手が悪かったな……」
「誰の差し金だ」
「クククッ……、言う訳ないだろう……、どうせ私はもうすぐ……死ぬ」
「おまえは死なせない。治癒をかけて洗いざらい吐いてもらうぞ」
横たわる襲撃者は、そんなタイラーの言葉を嘲笑う様に無視し、ローゼマリーに視線を固定していた。
「フフフ……悪魔と通じて信徒をたぶらかす……異端の聖女め! いずれ我が同胞が必ずや……地獄に落とすだろう」
そう言い残すと、首から下げていたロザリオを口にくわえた。
すぐに口から泡を吹くと痙攣し、やがて動かなくなった。
「しまった! 毒が塗ってありやがったか」
「これは神樹会の信徒が持つロザリオですね……」
テレージアが不安げな表情でローゼマリーと視線を合わせた。
「ウッ……」
タイラーが突然左ひざを着いた。
「タイラー、あなた腕から血が出てるわよ」
「ああ、さっき剣がかすったヤツだ。大した事は……」
そのまま彼は倒れ込んでしまった。
「タイラー、タイラー、しっかりして!」
レベッカは動揺しながら叫んだ。
「毒が回ったようですね」
ローゼマリーは冷静さを失っていない。
「大丈夫ですよ、レベッカさん。わたくし達が聖女であることをお忘れですか」
「テレージア、聖水を」
「はい、ローゼ様!」
テレージアはポーチから聖水の小瓶を取り出すと、タイラーの傷口を洗い流した。
ローゼマリーがタイラーに寄り添い、傷口に手のひらを添え、小声で術名を唱える。
「デトキシフィケーション……」
そしてタイラーの前髪を優しく直した。
「もう大丈夫です。後はわたくしが看病致しましょう、彼を馬車の中へ」
その言葉に答えたアーロイスがタイラーを抱きかかえ、聖女の馬車に向かっていった。
二人の聖女に続き、エジェリーとシャルロットも馬車に戻っていく。
その場に残った護衛のメンバーを、レベッカは見渡した。
「タイラーが回復するまで、指揮は副長のわたしが引き継ぐ」
レベッカの毅然とした一言に、その場の全員が頷く。
「さあ、旅を続けましょう!」
レベッカは、颯爽とタイラーの愛馬に跨り、遥か前方へと視線を移した。