第89話 聖女の休日1~今生の別れ~
<一月二十三日>
四日前にレ―ヴァン王国に到着した二人の聖女は、この日の午後、ようやく自由時間を勝ち取る事が出来た。
前日はノア同様、セント・アレク教会でレ―ヴァン王国諸侯の謁見に、ほぼすべての時間を費やさなければならなかった。
これは教会への献金を稼ぐための、聖女としての公務であるのだから致し方ない。
さらに本日は朝早くから、孤児院等の教会施設まわりといった、多忙なスケジュールをこなしていた。
そして、二人の聖女は話し合った。
最初に出かけるのはどこがよいだろうか……と。
二人は容易に意見の一致をみた。
真っ先に行かなければならないのは、賢者リフェンサーの屋敷しかないだろうと。
すぐさまノアがクリシュトフ卿によって呼び出されたのは言うまでもない。
ノアがクリシュトフ卿の馬車でセント・アレク教会に到着すると、すでに二人の聖女と二人の侍女は馬車の中で待機していた。
直ちに馬車を乗り換えるノア。
「隼人さん、遅い~!」
「ごめん、ごめん、これでも急いで支度してきたんだよ」
「もう、わたし達、さっきまで大変だったのよ。やっと自由時間が出来たんだから!」
聖女テレージアは公務の慌ただしさにご立腹であった。
すぐさま教会の馬車はリフェンサーの屋敷に向かう。
賢者リフェンサーの屋敷は王都北側の高台にある。
サンクリッド市街は王宮より東・南・西側に広がりを見せていて、王宮の北側はほとんどが王家の直轄領であり、豊かな自然が残されていて、王家の狩場でもあるのだ。
それ故、特別に許された者しか、その地域で居を構える事は出来ないのだそうだ。
厳冬期の今、一面が銀世界の森林の中を、馬車は緩やかな坂道を上がっていく。
やがて森が大きく開けた場所に立つ立派な山荘風の屋敷が見えてきた。
その屋敷は南側が開けた緩やかな高台にあるので、遠くにサンクリッドの市街が一望できる。
雪で白く塗りつぶされたその広大な景色は、正に絶景である。
馬車の到着を知ったスティーナがすぐに屋敷から出てきた。
最初に馬車を降りたノアが軽く手を振る。
「こんにちは、スティーナさん。今日は珍しいお客様をお連れしましたよ」
「まあ、テレージア様! それに……」
スティーナは馬車を最後に降りた神々しい女性に驚く。
「現聖女のローゼマリーさんです」
「これはたいへんなお客様だわ!」
スティーナは機敏に聖女の前に跪き挨拶を済ませると、慌てた様に屋敷に戻っていった。
屋敷に入ると、学院長の挨拶を受け、二人の聖女は居間へと通された。
リフェンサーは暖炉の前の大きな椅子に身を任せ、うたた寝をしているようだ。
「リフェンサー様……」
ローゼマリーとテレージアが膝元にしゃがみ、小声で話しかける。
そんな呼びかけにリフェンサーは目を覚ましたようだ。
「……そうか、わしもとうとうヴァルハラに旅立つ時が来たのだな……」
リフェンサーは再び静かに目を閉じてしまった。
「あなた――! しっかりして!」
「お師匠様! お気を確かに!」
学院長とノアは慌ててリフェンサーを揺り動かした。
「ふ~う、あまり驚かすでない……。わしの様な死にぞこないの前に突然二人の聖女が現れてみろ、自分にお迎えが来たと思うほうが自然であろうよ」
ノアはもっともな事だと、心の中で同意した。
「ああ、リフェンサー様、お懐かしゅうございます」
「おお、ローゼマリー。何年ぶりだろうか……。そなたは少しも変わらん。相変わらず美しいな」
「テレージアか。そなたのお陰でまだこうして生きておるよ。それにしても益々美しく、聖女らしくなったの」
二人の聖女はそれぞれリフェンサーの片手を握り、再会の涙を流した。
「それにしてもよくぞ遠い東の国まで来たものよ。いろいろと苦労があっただろうに」
「いいえ、リフェンサー様。とても楽しい旅でしたのよ!」
テレージアが涙をぬぐいながら答える。
「わたくしもこの旅を終えると、いよいよ聖女のお役目をテレージアと交代致します。最後にこんな楽しい旅が出来て、かけがえのない思い出になりますわ」
「そうか、今までご苦労であったな、ローゼマリー」
ローゼマリーはそっと頷く。
「ところで……ザルベルト様はおられないのですか?」
「ああ、彼は去年、スパソニアのあの方の元へ、戻っていったよ」
「そうなのですね……」
ローゼマリーには、これだけで伝わった様である。
「さあリフェンサー様、寝室へどうぞ。わたしもあの時より腕を上げましたのよ!」
「おおテレージア! それはありがたい。 そなたの治癒魔術は世界一じゃ。これでわしの寿命もまた延びるの」
リフェンサーはなんとか立ち上がると、学院長に支えられながら寝室のベッドの上に横たわった。
「リフェンサー様、また背中のお加減がよろしくない様ですね」
「そなたの言う通りじゃ……」
テレージアはウンディーネのエレメンタルを使いながら、やさしく背中を摩る。
「クリシュトフ卿、馬車に積んである聖水の籠を持って来て下さらない」
「かしこまりました、テレージア様」
「聖水もたくさん作ってきましたからね、辛い時にお飲みくださいね」
「おお、そなたの聖水を再び飲む事ができるのか! あの時の驚きは今も覚えておるよ」
「あなた、そんなに美味しいのですか?」
「ああ、おまえも飲んでみるとよい。きっと若返るぞ」
「まあ、それは是が非でも頂かなくては!」
学院長の言葉に、その場は穏やかな笑いに包まれた。
* *
「リフェンサー様、終わりました。お加減はいかがですか⁈」
少し得意げな表情を見せるテレージア。
その言葉にリフェンサーはベッドの上で胡坐を掻いてから両腕を天井に向けた。
「この通りじゃよ。正に至極!」
「あなた、ようございましたね」
「ああ、わしは幸せ者じゃて」
「さて、みんな。暖炉の前に戻ろうかのう」
それからリフェンサーは、しばらく窓の外を眺めていた。
空は雲に覆われているものの、時折その隙間から西日が差し込んできている。
「そろそろ今生の別れをせねばなるまい……」
「そんな事おっしゃらないで下さい、リフェンサー様!」
テレージアの言葉にリフェンサーはゆっくりと首をふった。
「こことセントレイシアの距離を考えれば、我々は二度と会う事はかなわぬであろう」
リフェンサーの眼差しは、さらに遠い世界を見ていた。
「この世でまだ命ある時に、この世での別れを交わす。これはとても幸せな事じゃよ」
そして二人の聖女にやさしい眼差しを向けた。
「ローゼマリー。そしてテレージア。……ありがとう……」
リフェンサーの言葉に、二人の聖女は声に出して答える事は出来なかった。
* *
帰りの馬車の車中。
「ノア様、ありがとうございました。これで大切な方とお別れする事が出来ました……」
ローゼマリーの言葉に、ノアはそっと頷く事しか出来なかった。
窓の外は少し雪が舞い始めたようだ。
しばらくの沈黙の後、ローゼマリーは語り始めた。
「ノア様もいらっしゃるので丁度良い機会です。なぜ聖女の任期が定められているのかをお話しましょう」
「ああ、それはぼくも疑問に思っていたところです」
「これは聖女本人と教会のほんの数人しか知らない秘密ですのよ」
「実は聖女の任期はあるお方の意向によって定められているのです」
「それはいったい誰なのでしょうか?」
ノアはその謎解きに引き込まれた。
「これをご覧ください」
ローゼマリーはなぜか聖衣の左首元をあらわにした。
美しい白い肌には、二つ並んで鋭利な何かで刺した様な傷跡があった。
「まるでバンパイアによる吸血の跡の様ですね」
「さすがはノア様。いかにもわたくしが吸血された印でございます」
――キタ~~! この世界には吸血鬼様がいらっしゃるのですね!
「その吸血鬼とは⁈」
ノアの興味は加速する。
「エリアドール=バイオレッテ=サウスブルグ様、スパソニア帝国の真の女帝陛下でいらっしゃいます」
「そしてザルベルト様が向かわれた先の方でもありますのよ」
「なるほど……。なんとなく話が見えてきました」
「エリアドール様はおよそ七百年の長きに渡って、この世界にいらっしゃる様です。そして現在の文明の礎を築かれたと聞いております」
「以前ローゼマリーさんは言っておられましたね。スパソニアの女帝陛下は転生者であると……。やはり吸血鬼族は長命なのですね」
「エリアドール様はわたくしにこうおっしゃりました。『妾の若さと美しさを保つには聖女の生き血が一番』だと」
――なるほど、それは理にかなっている様な気がする。
「しかし何のために聖女の生き血を捧げなければいけないのですか」
「古の神聖教会がエリアドール様と密約を交わしたと伝わっております。四半世紀に一度、新たな聖女の生き血を捧げる対価として、神聖シャール国への庇護を約束させたそうです」
「結局あの方が、聖女の賞味期限を勝手に定められているだけなのですけどね」
「でも、悪い事ばかりではないのですよ」
ローゼマリーは意味ありげな妖しい視線でテレージアを見た。
「その時、あの方直々に女の快楽を教えて頂けます……」
ノアに痺れる様な衝撃が走った。
――ヤバい! ぼくのテレージアが、あんな事もこんな事までされちゃうの!
――しかし女性同士……。ぼくはどこまで許容すればいいんだ~~!
――これは今夜も眠れそうにないぞ!
「ねえ、テレージアはどうなの?」
ノアはテレージアの感想を確かめずにはいられなかった。
「まあ、それ位いいんじゃない。害は無さそうだし。何事も経験よ、経験!」
一見前向きな感想を述べたテレージアだったが、その瞳は明らかに潤んでいた。
「ねえ、ローゼ様。明日は賢者様のお住まいになる、王立学院を見学致しましょうよ。」
「それは良いですね、テレージア。クリシュトフ卿、委細段取りをお願いしますね」
二人の聖女はノアとは全く視線を合わせず、無視を決め込む。
「か、かしこまりました。ローゼマリー様」
クリシュトフ卿はため息をひとつ、申し訳なさそうにノアを覗き込んだ。
賢者ノア・アルヴェ―ンの受難は続く……。