嘘つきラングによる悪役令嬢の救い方
『もうっ、またラングはうそをついて!』
それはミュリアが幼き頃の思い出。
自分が生まれた家については言えずに、平民に混じって彼と過ごしていた幸せな時代の一幕である。
『べつにいいじゃないか。あんなうそじゃだれも困らないし』
『困る困らないではなく、そもそもうそをつくのはいけないことです!!』
『つまりミュリアは正直なのが正しいと考えていると?』
『そうですよ! そんなのあたりまえではありませんかっ』
『ふうん。じゃあ、たとえば今にもしにそうなヤツの家族がみなころしにされたとして、それを正直に言うのが正しいと? そこはうそでも家族はあなたに会いに向かっているとかなんとか言ってやるべきじゃないか?』
『そ、それは……』
『な? うそはいいことだろう?』
『そうかも……いや、でも、それでも! やはりうそをつくのはいけないことですよ!!』
『ちえ。きょくたんなたとえでごり押しするのはしっぱいかあ』
ラングとは平民の生活を知るべきという公爵家当主の考えから同じ年頃の街の子供たちと触れ合っていた時に出会った。
孤児院で育った黒髪黒目の彼はとにかく嘘つきだった。口から出るのはすべて出まかせであり、どんな些細なことでものらりくらりと煙に巻くのだ。
彼はとにかく人を騙す。そうやって自分の嘘で他者が良いように転がるのを見て楽しむような性根の曲がった男の子だった。あくまで騙すことそのものが目的なので、そこまで酷い結果にはならず、嘘をついているというのに最後には誰もが笑い話にするのがほとんどだが、育ちがいいミュリアにはラングという男の子はまさしく別世界の人間だったのだ。
そんな彼のことが新鮮だったのか、それとも他に理由があるのか。ミュリアはいつもラングについて回っていたものだった。それこそ口うるさく注意しながらも、呆れて離れていくことはなかった。
『とにかく! うそをつくのはいけないことですからね!!』
『ミュリアってけっこうガンコだよなあ。そーゆーところもかわいいんだけど』
『か、かわっ……!?』
『まあうそだけど』
『なっ!? ま、まあ、わかっていましたわよ! 口うるさい女はかわいくないですわよね!! こんな女は……ラングもよく思ってはいないでしょう』
『あ……いや、あれだ。たしかにさっきうそとは言ったが、ほんとうはどう思っているか言った覚えはないぞ。かわいい以外にもほめ言葉はたくさんあるしな! だからそんなかなしそうな顔するなって、な!?』
『そ、それじゃあ、本当はどう思っているのですか!?』
『そんなの好……ごほんっ。さあ? どうだろうな???』
『……っっっ!! もうっ、ラングっ!』
責めるように睨むミュリアから目を逸らしながらも、わざとらしく誤魔化すようにラングは口元に軽薄な笑みを刻んで、
『しっかし、あれだ。よくもまあうそはダメだって毎度のごとくキャンキャンほえられるものだよなあ』
『だれのせいだと思っているのですか!? ラングがうそばかりつかなければわたくしだって……っ!!』
『はっはっはっ。だからこそ、たまにはミュリアにもうそをつかせてみたくなったり。なんでもいいからうそついてくれない?』
『ふんっ、何を言い出すかと思えば。わたくしがうそをつくはずがないでしょう!!』
『言ったな? だったらもしもミュリアがうそをついたら、その時は俺の言うことなんでも聞いてもらうぞ』
『いいですわよ! ただし、わたくしがうそをつかなければ、ラングもうそをつくことをやめてもらいますからね!!』
これは幼き頃の思い出。
ミュリア=イルフォルカ公爵令嬢にして次期国王たる第二王子の婚約者である彼女が『ただの』女の子として過ごすことができた数少ない幸せな時代の一幕である。
『……いつまでって決めておかないとミュリアが不利すぎるんだが、こういうおっちょこちょいなところも好きなんだよな』
『? 何か言いましたか???』
『ミュリアはかわいいなって言ったんだよ』
『ええっ!?』
『まあうそだけど』
『ッ!? またそんなうそをついて、もうっ!!』
ーーー☆ーーー
あの幸せな時代から十年以上が経った。
平民の暮らしを知るべきという目的があったからこそミュリアは公爵令嬢でありながら平民のラングと遊ぶこともできたが、それも年を経るごとに難しくなり、いつしか疎遠になっていた。……両親からの圧力もあり、自分はイルフォルカ公爵令嬢であることも言えずに離れ離れになってしまったが、今でもラングのことは忘れられずにいた
そんな彼女は選りすぐりの家庭教師より高度な教育を叩き込まれて、十七歳となった今や社交界の縮図と化している名門魔法学園において知らぬ者がいない有名人となっていた。
魔法の腕前はすでに名門たる魔法学園の教員を遥かに凌駕しており、有する知識は学者も舌を巻くほどであり、イルフォルカ公爵家所有の領地経営にも力を貸すほどの能力があり、何より高位の貴族であることを示す腰まで伸びた銀の髪を靡かせるその美しい姿は社交界においても語り草になっているほどだ。
血筋も問題なく、能力も高い彼女が二歳という幼さで不慮の事故で亡くなった第一王子に代わり次期国王の座を与えられた第二王子の婚約者に選ばれるのは必然だっただろう。
そんな彼女とお近づきになりたい者は多かったが、他者に厳しく自分にはさらに厳しいと噂にまでなっているミュリア=イルフォルカ公爵令嬢は『正しすぎた』。それこそイルフォルカ公爵家や次期国王の婚約者という金看板に釣られただけの人間は遠ざかるほどに。
いつしか学園内で積極的にミュリアに近づくのはリーナ=スカイナイト伯爵令嬢のような本当に親しい数人程度となっていた。
ミュリアも少しの弛みも見逃せず、融通のきかない自分の性格は好ましくは思われないだろうとわかってはいたが、それでも自分を曲げることはできなかった。……ラングがこの場にいれば頑固な奴だと呆れながら、適当な嘘でも付け加えてつまらないことなんて気にするなと言いたげに笑っていただろうか。
「ミュリア様は今流行りの『イミテーション』はご存じでしょうか?」
ふとお昼休憩の最中、学園の食堂で共に食事をしていたミュリアへとリーナ=スカイナイト伯爵令嬢はそう問いかけた。
「ここ数年で急激に事業を拡大している模造品専門の商会でしたわよね。イルフォルカ公爵家のほうでも一通りは調査していますわ。確か金銀や宝石、装飾品などと様々なモノの偽物を売り上げ、今や大手の商会とも肩を並べていますわね」
それだけの急成長を遂げているというのに、会長の顔も名前も不明という不思議な商会でもあった。『イミテーション』を不要に刺激しないよう簡易な調査ではあったが、それでもイルフォルカ公爵家であっても会長の素性に関して簡単には暴けないほどに高度な隠蔽を施しているのには何か理由があるのだろうか?
「そう、その『イミテーション』ですよ! 精密な偽物ながら、極端に軽くしたり、手触りを変えたりすることで見た目は本物のようでも必ず『イミテーション』のものであるとわかるようにしているとか!! しかもそれらは全て魔法によるものではなく、全て人の手によって作られたものなんですよ!? 凄くないですか!?」
「…………、」
この世界において魔法とは生活の基盤とも言えるものだ。明かりを灯したりお湯を沸かしたりといった日常生活に根付いたものから建築業や医療や農業に至るまで、ありとあらゆる産業に魔法あるいは魔力を流すことで魔法を人工的に再現する魔道具が関与している(ゆえに魔法の才能が優れた血筋が貴族として絶大な力を保有しているのだ)。
そう、何かをするなら必ず魔法や魔力がどこかに関わっているのが当たり前であり、効率が良く、優れた結果に結びつくのだ。それをわざわざ全て人力にしたところで手間がかかり、しかも導き出される結果は魔法を使ったよりも悲惨なものにしかならない。
そういった背景があるからか、この世界の人間はそもそも魔法を使わないという選択肢がない。人の手『のみ』で何かを成し遂げることそのものがあり得ないことであるというのに、『イミテーション』は魔法が作り出す本物に並ぶだけの偽物を世に送り出した。
それはどれだけの技術を積み上げた結果なのか。
そのことを新しいものに目がないスカイナイト伯爵令嬢は素直に褒め称えたのだが、
「確かに素晴らしいとは思いますけれど、偽物……いえ、庶民でも安価に着飾ることができるのは良いことですし、偽物だと必ずわかるよう工夫することで商会や職人への影響を最小限にしていることも悪くはありませんし、イルフォルカ公爵家の者の調べによると秘密裏に大手の商会や主要な職人と交渉して本物に希少価値を生むことで以前よりも売上が増すように扇動することを条件に『イミテーション』が偽物を売り出すことを見逃してもらったりと様々な交渉や裏工作を行うだけの能力の高さも評価すべきなのでしょうけれど、それでも偽物……つまりは嘘ですよね……やはりわたくしはあまり好ましくは思えませんわ」
「ミュリア様ならそう言うとは思っていましたけど、一度だけでも『イミテーション』の商品を手に取ってみてはいかがでしょう? あの精巧さはある意味において本物さえも凌駕していますわよ!?」
「そ、そうですわね。考えておきますわ」
気圧されるように頷くミュリア。
そんな風に友人と語らっていた時だった。
ふと彼女は周囲の微かなざわめきに視線を巡らせる。
そちらでは第二王子アランフォード=リュカシーの姿があった。
社交界では令嬢たちが見惚れるほどの碧眼の美形ではあるが、やはり目立つのは肩まで伸びた金髪だろう。輝くような、ではなく、実際にギラギラと輝く黄金の粒子を散らす様は王家の血筋にのみ見られる身体的特徴であった。
本物の金さえも霞むほどに鮮やかな金髪、そしてその金髪から舞う常に輝き方を変える黄金の粒子の見た目はどんな物品にも見られない特徴であり、髪の色を変える魔法を筆頭にどんな魔法であっても決して再現できない不可侵領域であった。だからこそ王家の血筋は髪の色と周囲を舞う黄金の粒子を見るだけで判別できるとまで言われているのだ。
魔力の高い者や特異な質の持ち主は他の人間には見られない髪の色をしているが、王族の輝く金髪はその最たるものだろう。魔法の才に優れた血筋が集まった貴族の中でも天才との呼び声高いミュリア=イルフォルカ公爵令嬢であっても最上位の金には及ばず、一つ下の銀髪止まりであることからも公爵家と王家の間には明確な格の違いがあるということだ。
だが、周囲のざわめきは王族を目にしたからというだけでなく、その隣を歩く少女に対してもだろう。
ピンク色の髪をツインテールに纏めたその少女は愛らしさを煮詰めたような笑顔で第二王子に話しかけていた。
エリカ。
平民ながらに名門魔法学園に通っていることからも分かる通り、その魔法の才能は決して低くはないだろう。そもそもピンクという髪色からして特異な才能があることは明らかだった。
彼女の場合は平民でありながら王族に不躾に接するその態度のほうが有名ではあったが。しかも第二王子がまんざらでもないというのが悩みのタネである、というのは、王妃教育を受けに王城に出向いているミュリアの耳にも届いていた。
だから、というわけではなく、そもそも『正しすぎる』ミュリアは目の前の光景を決して見過ごせる人間ではなかった。それでも我慢しようとはしたのだが──エリカが第二王子の腕に己の両腕を絡ませたのを見てはもうダメだった。
スカイナイト伯爵令嬢が止めようとするのを振り切るように勢いよく第二王子のほうへと歩み寄る。
「エリカさん、少々よろしいかしら?」
「あ、ミュリアさまじゃぁん。なぁに?」
舌ったらずなその声色や崩れ去った話し方に淑女として己を厳しく律して生きてきたミュリアは言いたいことが山ほどあったが、今は他に優先するべきことがある。
「アランフォード様はこの国の第二王子ですわ。決してそのように腕を絡めて馴れ馴れしく接していいお方ではありません」
「えぇー? わたしもアランもこの学園では同じ生徒だよぉ?」
「それでも、平民である貴女が王族であるアランフォード様と触れ合うことはもちろん、言葉を交わすことも本来ならば難しいことなのですよ」
「えぇー? 平民だからってそんな風に見下すのはひどいと思うっ!」
「見下すだなんて、そうではありませんわ。わたくしが言いたいのは節度を──」
「ねぇ、アラぁン。アランはわたしのこと、平民だからって見下したりしないよねぇ?」
甘えるように第二王子に擦り寄るエリカ。敬語も抜きに、様付けもなく愛称で呼ばれたというのに第二王子は優しげに微笑み、彼女の頭を撫でて、決して叱責することはなかった。
政略的な婚約であり、恋愛感情は皆無とはいえ、仮にも婚約者であるミュリアの前で他の女にそんな対応をしているとなれば王家にとって不利益にしかならないということは流石の第二王子もわかっているだろうに。
「もちろんだ。エリカは特別だからな」
それでも、その口から出るのはやはり己の立場を忘れたような言葉だった。
「わぁいっ。わたしにとってもアランさまは特別だよぉっ!!」
「なっ、アランフォード様っ。王族として常に己を律しなければならない貴方様がそのようなことでは他の者に示しが──」
「おい、ミュリア。お前はいつもいつもなんなんだ? そうやって偉そうに王族に指図できるほどにお前は偉いのか?」
「指図などと、そのようなことは……ただわたくしはアランフォード様に王族として正しい──」
「はいはいわかったって。まったく、これだから頭でっかちなお小言垂れ流し女は嫌なんだ」
吐き捨て、第二王子はエリカを伴って立ち去っていった。去り際にエリカの口の端がつり上がっていたのは見間違いだろうか?
「ミュリア様、大丈夫ですか?」
「リーナ……ええ、わたくしは大丈夫ですわ。本当はもう少し柔軟に生きられればいいのでしょうけれど、わたくしはどうしてもこんな風にしか生きられないのです。そのせいでアランフォード様の怒りを買っているのならば、悪いのはわたくしなのでしょうね」
「そんなっ、ミュリア様が悪いはずありません! ミュリア様は正しいことを言ったに過ぎないのですから!!」
「…………、」
それでも、何も変えられないばかりか第二王子からのミュリアに対する心象を悪くするだけの結果になっているのならば……。
こんな時、ラングだったらどうだっただろうか。
嘘を交えて笑い話にでも変えていただろうか。
そこまで考えてミュリアは過去に縋る気持ちを振り払うように首を横に振る。ラングはもういない。いつまでも引きずっていたって辛いだけだ。
そう考え、席に戻り、半分ほど手をつけた料理を見て、食欲が湧かず、近くの給仕に下げてもらうようお願いする。残して申し訳ないと頭を下げるミュリアにサングラスで目元を覆った黒髪の少年は無言で会釈を返して料理を下げる。
その無口な給仕はなぜかほとんどの人間が使えるほどに簡単だからこそ見破るのも簡単な髪の色を変える魔法で髪色を黒という魔法の才能が乏しい最下層に偽造しているようだ。
髪色が黒だったからだろうか。その姿にラングを重ねてしまった。ラングも今頃は彼くらいに身長も伸びているのだろうかと、懲りもせずにそんなことを考えているのはそれだけ現実から目を逸らしたい気持ちの表れなのだろう。
ーーー☆ーーー
ミュリアは決して間違ってはいなかっただろう。だが、正しいことが最善の結果に結びつくわけではないというのも事実であった。
それでもこれまではその能力の高さで正しさを貫くこともできただろうが、まさかこんなことになるとは模範的な公爵令嬢として生きてきたミュリアでは決して理解が及ばず、ゆえに予測することはできなかった。
「ミュリア=イルフォルカ公爵令嬢! 貴様との婚約を破棄する!!」
長期休暇前の学園主催のパーティーでのことだった。
第二王子はエリカを従えて、大勢のパーティー参加者の前でそう宣言したのだ。
その中には高位の貴族の令息令嬢がいるというのにお構いなしに、だ。ここまでくると揉み消すこともできないだろう。
「アランフォード様、一体何を言っているのですか!?」
「何を、だと? 全ては己の行いのせいだろう? 貴様はエリカのことを平民だからといって見下し、差別し、冷遇しただろう!? そのような冷徹な女に次期国王たる俺の婚約者は務まらない!! だから婚約を破棄すると言っているんだ!!」
「確かにわたくしはエリカさんに注意してきましたけれど、その内容は『正しい』ものであったと胸を張って言えますわ!」
「言うに事欠いて正しいだと!? 貴様の言葉でエリカがどれだけ悲しんだことかっ」
叫んで、第二王子はエリカの肩に手をやり、守るように抱き寄せる。腕の中でエリカは『アラぁンっ』と甘い声をあげていた。
その光景からも分かる通り、第二王子はエリカ愛しさに冷静さを欠いているのだろう。いつものように叱責を受けるだけならまだしも、婚約破棄ともなると流石にミュリアもいつものことだと流すわけにもいかないのだが。
「それに、貴様の罪はまだあるんだ。貴様はエリカを階段から突き落とし、殺そうとしただろう!? くだらない嫉妬心からそんなことをしたんだろうが、これは立派な殺人未遂だ! いかに公爵令嬢といえども殺人未遂は死罪ともなる重罪と知れ!!」
「……な、にを……?」
いきなりのことにミュリアはとっさに反応できなかった。階段から突き落としたとはなんだ? 冷遇云々は捉え方次第ではどうとでもこじつけられるかもしれないが、階段から突き落としてエリカを殺しかけたなんて話はどこから出てきた?
もちろんミュリアはそんなことしていないし、エリカが階段から突き落とされたなんて話もはじめて聞いたことだ。
それでもそんな話が降って沸いたということは、まさか──
「ミュリアさま、お願いだよぉ。わたしはちゃぁんと謝ってくれれば、それでいいからぁ」
「ああっ、エリカはなんと優しいことか! ミュリアよ、今ここで罪を認めるならば死罪だけは許してくれるよう便宜を図ろう。だが、最初の一言が謝罪以外であれば、元婚約者として俺がこの手で殺してやるからな!!」
ニタニタと嘲るように笑い、己が本心を隠そうともしない二人を見て、社交界で多くの『紳士淑女』と接してきたミュリアは確信した。
これは全て仕組まれたことなのだ。
それも第二王子とエリカの二人が共謀しての、だ。
おそらく第二王子はすでにミュリアがエリカを階段から突き落としたという証拠を捏造している。流石に国王が関与しているならば学園生徒と教師だけの閉ざされたパーティーで強行せずともやりようはいくらでもあるだろうから、このような形になったのだろう。
ミュリアが謝罪すれば自白扱いで殺人未遂の罪で投獄し、その事実でもってイルフォルカ公爵家を黙らせる。ミュリアが謝罪しなければこの場で殺して口を封じて、殺人未遂の罪人が抵抗したから拘束しようとして殺してしまったという形にしてミュリアの罪を槍玉にあげて公爵家を黙らせるつもりなのだろう。
どちらにしても無理がありそうだが、その辺りは次期国王たる力でゴリ押しするつもりなのか。現在王族の血を引くのは国王を除けば第二王子ただ一人なので、多少の『疑惑』はもみ消すことができる可能性が高い。そもそも王族の力は他の貴族よりも遥かに強いのがこの国の在り方なので、『疑惑』であればイルフォルカ公爵家も下手なことはできないはずだ。おそらくは第二王子もそこまで計算しているからこそこんな杜撰なことをしでかしているのだろう。
そこまで考えて、ミュリアは一つ息を吐く。
色々と考えたが、それで返答が変わるわけがない。
レーナ=スカイナイト伯爵令嬢のような本当に仲の良い数人の令嬢はミュリアがどう答えるか分かったのだろう。今この場で殺されるよりは嘘でも謝罪するべきだと声をかけてくれたが、それでも、こんな状況になっても生き方を変えられない頑固者はこう答えたのだ。
「わたくしはやってもいない罪を認めて、謝罪したりしませんわ」
真っ直ぐに、堂々と。
ミュリア=イルフォルカ公爵令嬢は決して嘘をつくような人間ではない。
嘘をつかなければ殺されることになろうとも、決して。
「そうか、残念だ」
言葉の割にニタニタと愉悦を堪えられないように笑みを浮かべて、第二王子は腰の剣を抜く。あるいは第二王子はミュリアがどう答えるかわかっていたのかもしれない。だからこそ意味のない二択を突きつけ、己の手で殺されることを選ばせたのかもしれない。
「だったら、罪人はこの手で裁かないとなあ!!」
最後の最後までミュリアは見苦しく抵抗したりはしなかった。胸を張って、己は決して間違っていないと、『正しさ』を貫いた末の末路ならば受け入れると言わんばかりに第二王子を見据えていた。
そして。
そして。
そして。
ーーー☆ーーー
ガッギィィィン!!!! と。
ミュリアに迫っていた凶刃を、彼女を庇うように前に飛び出した男が腕で受け止める。
ーーー☆ーーー
「ほんっとう、頑固だよなあ、ミュリアはよ」
そう言って魔法によって硬質化を施した腕で凶刃ごと第二王子を吹き飛ばしたのは学園の食堂で給仕を担当している黒髪の少年だった。
サングラスで顔の印象をぼかしていたので気づかなかったが、声を聞いては気づかないわけがなかった。
十年以上も離れていたが、それでも、それでもだ!!
「まさか……ラング、ですか!?」
「はっはっ。声出したら流石にバレるわな」
サングラスを投げ捨て、振り返り、黒髪に碧眼の少年は悪戯が見つかった悪ガキのように不敵に笑う。その笑みは昔と変わらない、嘘つきで大好きな男のものだった。
そう、なぜか黒だった瞳が碧眼に変わっているが、彼は紛うことなきラングだ。
だから。
だからこそ。
「ラング、逃げてくださいっ。今ならばまだ間に合いますわ!」
「いやあ、俺みたいな平民が王族に喧嘩売ったとなればもう逃げるとか無理だろ。それこそ世界をひっくり返すような何かでもなければなあ」
「そこまでわかっていて、なぜ飛び出してきたのですか!?」
「そんなの──」
「おい、貴様。何をやっている?」
第二王子の怨嗟が籠もった声に、しかしラングは決して怯えたりはしない。その程度で怯えるならそもそもこの場に立ってはいないのだから。
「何をやっているだあ? 見ての通りだと思うが、説明必要か?」
「ふざけるな! 貴様が庇ったその女は殺人未遂の罪人だ!! 大体、なぜ、単なる給仕に過ぎない貴様が首を突っ込んできた!?」
「なぜって、愛し合った女を男が庇うのは当然だろう?」
さらりと言ったものだから、しばらく誰も何も言えなかった。やがてポッと顔を赤くしたミュリアが淑女らしく取り繕う余裕もなく慌てて声を張り上げる。
「ラングっ、いきなり何を言っているのですか!? 本当、もうっ、そうやってすぐ嘘をつくのは十年以上経っても変わっていませんわね!?」
「はっはっ、この感じ、うん。十年以上経っても変わらずキャンキャンしているんだなあ」
「キャンキャンって誰のせいだと思っているのですか!?」
「悪い悪い。というわけでさっきのは嘘な。本当は魔王をぶっ倒して囚われの姫君を救い出す勇者のように目の前の悲劇は見過ごせないってだけだ。もちろん世界も救っちゃうぜ☆」
「……もういい。貴様の悪ふざけに付き合っては時間の無駄というものだ」
びしっと決め顔で謎のポーズをしてウインクまでオマケしたラングに、第二王子はその刃を突きつけることで応じる。
「そこをどけ。どかなければ、殺人未遂の罪人を庇い立てしたとして貴様も斬り捨てるだけだ」
「これはまたつまんない嘘だな。ミュリアが殺人未遂とか何とかつまんなすぎて欠伸が出てくるってんだ」
「何を言うかと思えば、こちらには証拠も──」
「ああ、いいよ、めんどくさい。テメェの捏造した証拠の矛盾を暴く推理展開とか、テメェの権力によるゴリ押しを試行錯誤して振り払う政治闘争とか、そんなお行儀いいことやってられるか。正攻法とか退屈すぎる」
ラングはこめかみ辺りを指で叩きながら、
「つまんない嘘にまともに張り合うとでも思ったか? つまんないもんにはつまんないもんをぶつけて叩き潰すだけだ。わかったか、クソッタレな三下が!!」
「ああ、よくわかったよ。貴様が今すぐに死にたいということがな!!」
「まっ……!!」
ミュリアならラングを庇って前に飛び出すだろうとわかっていたのだろう。その手で彼女を押し留めて、幼き頃と変わらず嘘つきな彼は不敵に笑う。
「心配するな。あんなのに負けるほど俺は弱くないっての」
「っ!!」
無理だ。魔法の才能からして第二王子とラングとでは比べ物にならないことをミュリアは知っている。
それでも、だとしても、ラングならと思ってしまった。その根拠なき信頼が最悪の結果を招くとわかっていながら。
第二王子が剣の先に力を込める。
金色の光が集う。
魔法。
それもこの世界の人間であれば決して抗うことのできない王族のみが持つ必殺が。
すなわち、直撃すれば一定時間、あらゆる魔法の影響を無効化する血筋由来の魔の極地である。
この世界の人間の力は生活の基盤にさえも魔法が根付いている。それこそ身につけている衣服から建物から武力に至るまで一切が魔法によるものである以上、魔法によるあらゆる事象を無効化する金色の必殺には抗えない。
積み上げた全ては王族の前では塵芥と化す。
ありとあらゆる手札は無効化され、第二王子はその刃や攻撃魔法を存分に振るうことができるとなれば勝ち目なんてあるわけがない。
ゆえにリュカシー家は王家として全ての民を支配している。圧倒的な力があらゆる抵抗をねじ伏せるがために。
切っ先より放たれた金色の光が右手で髪をかき上げようとしていたラングを撃ち抜く。パンっという破裂音と共にあらゆる魔法は無効化され、そのまま斬り捨てられる……はずだった。
「な、んだと!?」
第二王子の動きが止まる。
金色の光が導き出した光景に思わず動きを止めてしまったのだ。
今更ながらに周囲のパーティー参加者がざわめく。その中心。金髪碧眼の少年は不敵に笑う。
「言ったはずだぞ。つまんないもんにはつまんないもんをぶつけて叩き潰すだけだってな」
給仕として働いていた少年を見て、ミュリアは髪の色を変える魔法を使っていると気づいていた。であれば、魔法そのものや魔法がもたらしたあらゆる影響さえも無効化する金色の光を受ければ髪色もまた元に戻るはずた。
すなわち金髪。
それもこの世のものとは思えない鮮やかな金髪だけでなく、不可思議に輝き方を変える黄金の粒子はまさしく王族にのみ許された身体的特徴だ。
つまり、
「っつーわけで今更ながら名乗らせてもらおうか。俺はラムアフォード=リュカシー。不慮の事故で死んだとされていた第一王子ってヤツだな」
「はっ、はぁぁぁっ!?」
あまりのことに手にした剣も忘れて絶叫する第二王子。もしも第一王子が生きていたとすれば王位継承権は第一のほうが上となる。そう、唯一の王位継承権持ちという金看板ありきで組み立てていたミュリアへ殺人未遂の罪を押し付ける一連の計画は失敗に終わるどころか第二王子の処遇も厳しいものになるのは目に見えている。
「なっなんで、そんな、死んだはずだろ!?」
「死んだふりしてたってだけだ。何せ不慮の事故って形を装って俺のことを消したい『勢力』がいたんだもんな。そう、第一王子が死んで利益を得るような『勢力』がな」
「……っ!!」
暗に第二王子『勢力』によって不慮の事故で殺されかけたからこれまで身を隠していたと言わんばかりだった。もちろん当時はまだ自分の顔がどんなものだったかも覚えていないほど幼かった第二王子には全く覚えはないが、『疑惑』であっても王族の言うことであればゴリ押しできるのは第二王子自身が実践済みだ。
そう、王族ならば。
問答無用の証拠がある以上、この少年は第一王子ラムアフォード=リュカシーなのだ。
……正式には存在しない王の子供である、なんて可能性もありはするが、そんな可能性口にしようものなら第二王子であっても無事では済まない。何せ国王は王妃以外の女と交わっていたなんて言うようなものだからだ。
「き、ききっ、貴様っ、なんで、こんなっ、死んだはずだろうがっ。過去の亡霊が俺の覇道の邪魔をするんじゃないぃいいいいいいいいいい!!」
頭に血が上っているからか、それともこれまでの戦闘では相手の魔法を無効化して無抵抗のままに嬲るのが基本だからか、何の攻撃魔法も使わずに感情のままに剣を振り上げる第二王子。
そこで何らかの魔法を使ったのか、彼を取り囲むように現れた複数の騎士が彼の首元に剣を突きつけた。
「なっ、貴様ら何をやっている!? 近衛騎士がどうして俺に刃を向けているんだっ。俺を守るのが貴様らの仕事だろうが!!」
「正確には近衛騎士が守るは第二王子だけでなく、王族全体です。第一王子が殺されそうになっているならば、止めるのは当然かと」
それに、と近衛騎士の一人は続けて、
「これは通信魔法で陛下に判断を仰いだ結果でもあります」
「き、さま……ッ!!」
「陛下より伝言です。『唯一の価値がなくなった以上、これほどの横暴を見逃すつもりはない』だそうです」
「う、ぐう、ぐううううっ!!」
何事か言いかけ、しかし言葉にならず第二王子は項垂れるように膝を崩す。そんな彼にエリカは近づきもしなかった。彼がミュリアを捨ててまで選んだほどに入れ込んでいたピンク髪の平民は早くもラムアフォード=リュカシーへと歩み寄っていたのだ。
「ラムアフォードさまぁ。わたしぃ、第二王子にミュリアさまを騙すために協力しろって命令されたんだよぉ」
「な、あ!? おいエリカ、何を……っ!!」
「馬鹿真面目で口うるさく、いつだって自分が正しいと疑わない鬱陶しい女との婚約を破棄するためだってねぇ。わたしだって本当はこんなことしたくなかったけどぉ、断ったら何されていたかわかんなくてぇ、怖くてぇ」
「ふっふざけっ、俺はエリカのことを愛していて、だからあ!!」
「ねぇ、ラムアフォードさまぁ」
ここまで見事に無視できるのも一種の才能だろう。
甘えるような声で上目遣いにラムアフォードを見上げて、エリカはこう言ったのだ。
「わたしのこと助けてくれるぅ?」
対して。
ラムアフォード=リュカシーはこう答えた。
「ああ、お前がきちんと第二王子の計画を然るべき場所で証言するならな」
「本当ぅっ!? 流石は第一王子さまだよぅ!!」
嬉しそうに笑って腕に絡みつこうとしたエリカをラムアフォードは自然に押しのける。ラムアフォードがしつこく擦り寄ろうとするエリカに対してどうせよからぬことを考えているだろうことはミュリア以外誰も気づいていなかった。
彼は第二王子を抑えている近衛騎士へと視線を向けて、
「それじゃあ、さっさとこの一連の騒動を終わらせにいこうか。どうせ父上が俺らのことを呼んでいるんだろう? まあ呼ばれてなくとも顔を出すつもりではあるけどな」
ーーー☆ーーー
そこからはトントン拍子で話は進んでいった。陛下に呼び出された第二王子は此度の騒動の責任を取る形で王国が所有する小さな孤島に慰安……という形で監禁されることになった。エリカは第二王子に脅されたと証言していたが、そんな言い訳が通用するわけもなく、第二王子と共に孤島に監禁されることとなった。その際にラムアフォードに擦り寄って助けてくれるって言ったと叫んでいたが、『そうだったっけ?』と一蹴されていた。助けるという餌で第二王子を貶める嘘の証言をさせるだけさせて、最後には突き落とすところが敵に対してはどこまでも残酷になれる彼の性格を物語っていた。
「さて、それでは本題といこう」
玉座に腰掛けた国王はラムアフォードを見据えて、こう言葉をかけた。
「結果が全てだ。わかっておろうな?」
「おう。まあ見てろよ」
そう言葉を交わし、謁見は終了した。
そこからすぐに第一王子の立場を利用して城の一角にミュリアと二人きりになったラムアフォードは大きく伸びをして、
「ちえ。流石は国王ってところかあ。俺の『嘘』、普通にバレてやがる。まあバレたとしてもあえて騙されてくれるくらい第二王子の価値がなくなっているだろうってのと、正当な王家の後継者がいなくなったせいで勃発するお偉方の闘争で無駄な被害を出すよりはマシってのと、一部の近衛騎士やお偉方を懐柔するとか諸々の仕込みが効果的に働くのを期待しての『嘘』ではあったんだけどな。ここで損得勘定で俺を潰したほうがマシって判断されたり、感情論出されたりしたら絶体絶命だったよなあ。はっはっはっ!」
「……やはり嘘だったのですね」
「あ、気づいてた? まあミュリアは俺がガキの頃は髪の色を変える魔法を使わずとも真っ黒だったの知っているし、気づかれても仕方ないか」
無邪気に、悪気もなく、ラムアフォード……いいや、ラングは笑う。彼は第一王子ラムアフォード=リュカシーではない。そんな上等な血筋なわけがないのだ。
「それでも大半の連中ならまだ二歳とかそこらで死んだ第一王子の成長した顔がどうとかわかるわけもないから王族特有の金髪のインパクトでなりすますのも簡単ってな。もちろん勘のいい奴はそのうち気づきそうだが、まあ何とかなるだろっ」
何も考えていないのか、それとも考えていながら問題なしと判断できるだけの備えがあるのか、ラングは第一王子になりすますという特大の嘘をついていながら一切動じていなかった。
「それにしてもあの真面目ちゃんが公爵令嬢だったとはなあ! 知った時は本当驚いたもんだっ」
「あ、それはっ、決してラングを騙していたわけではなくてですね!」
「ん? ああ、別に責めているわけじゃないって。思えばミュリアは自分の家のことについては何も言ってなかったし、俺もわざわざ聞いたりしなかったからな。俺は聞いてないことを説明してなかったからって嘘つきとか言わないし、そんなことでとやかく言うほど小さい男でもない。だからそんな気にするなよ、なっ?」
「ラングがそう言うなら、はい」
そんな風に言い合いながら、ラングはわざとらしく話題を変えるように『しっかしこの髪本当キラッキラ鬱陶しいんだよなあ。寝る時とか邪魔だし』と吐き捨てる。
その髪を見ながら、ミュリアはこう問いかけた。
「そういえばその髪、どうやって再現したのですか?」
「そりゃあ染めたりなんだりってな。もちろん魔法は使わずな。ついでに黄金の粒子はこれこの通り」
言って、彼は懐から取り出した小さな球体を指で弾いた。衝撃でパンっと破裂したかと思えば、黄金の粒子が飛び散ったのだ。
……思い返せば、魔法無効化によって髪の色が黒から金に戻った際、似た破裂音がしたはずだ。それはてっきり魔法が無効化されたからだと思っていたが、実は髪をかき上げようとしている動作で手の中に隠していた球体を破裂させて黄金の粒子をばら撒いた音だったのだ。
そもそも魔法を使っても再現不可能だからこそ王族の血筋を証明してきた輝きを魔法抜きで再現するなんてどうやったのかという疑問も残るが。
「で、目についてはガラスを薄く加工して色付けしたもんを入れているってわけだ。いやあ、魔法抜きでここまで精巧なのつくるのは苦労したが、どうにか間に合って何よりだ」
その薄いガラスを取り出せば、ラングの瞳は黒目に戻った。
まさしく幼き頃の彼のように。
「つくったっていつのまにそんな技術を……いえ、魔法抜きでの加工となれば、まさか『イミテーション』に協力してもらったのですか? ですけど、『イミテーション』もそこまでの技術は持ち得ていないはずですけれど」
「そりゃあ、従業員にここまでの技術を伝えてはないからな」
「それって……」
「俺、『イミテーション』の会長なんだよ」
「本当ですかっ!?」
「はっはっ。さあ、どうだろうな?」
「はぐらかさないでくださいよ、ラングっ!」
「悪い悪い。まあ、なんだ。細かいことはどうでもいいじゃないか。大事なのは結果なんだし」
「だからって、そこまでして第一王子になりすますなど、バレたらどうなると思っているのですか!?」
「そりゃあ、ヤバい嘘ついたって自覚くらいはあるが」
「なら、どうしてこんなことをやったのですか? 助けてくれたのは本当に感謝していますけれど、わたくしのためにラングが危険を犯す必要などなかったのです。嘘がバレて、わたくしのせいでラングが処刑されるくらいなら、あのままわたくしが第二王子に殺されていたほうがよかったのですわ」
静かにミュリアはこぼす。
もうどうにもならないとわかっていて、それでも時を戻す魔法でもあれば今すぐにでもラングを止めていたと言わんばかりに後悔が滲み出る。
ラングと再会できたのは嬉しかった。
救ってくれたのは感謝しかなかった。
できるならば、何の気兼ねもなく抱きしめたかった。
それでも、彼を死なせてしまうくらいなら、と脳裏によぎってしまう。今が幸せすぎるからこそ、どうしても最悪の未来を想像してしまう。
だから。
しかし。
「ばーか」
ぽんっ、と。
ミュリアの頭に軽く撫でるように拳を振り下ろし、ラングは言う。
「心配するな。俺は処刑なんてされない。そのための『仕込み』ならいくらでも用意しているんだから」
真っ直ぐに、堂々と。
揺らぐことなく。
「それに、だ。自分が殺されていたほうがよかったとかそんなこと言うなよ。俺はミュリアに生きていてほしいから第一王子になりすまして世界だって騙す決意をしたんだぜ?」
「ラング……」
「っていうのは、嘘なんだが」
さらりとしたものだった。
あまりにも自然に、軽く言うものだから、理解するのに数十秒は必要だった。
「えっ、えぇえええっ!? う、うそ、嘘ですってえ!?」
「ぷっ、はっはっ、あっはっはあ!! やっぱりミュリアはいいなあ。そこまで見事に反応してくれると嘘のつき甲斐があるってもんだ」
「いやっ、その、それより嘘ってどういうことですか!? どこからどこまでが、ええっと……っ!!」
「ああ、『仕込み』云々は本当な。よっぽどのことがない限りは俺が処刑される展開はないと思うぞ。……だからこそ王様も俺が第一王子になりすますのを静観したんだろうし」
「そ、それでは」
「となれば、当然残ったもんが嘘だったってことだな。第一王子になりすましたのは俺のため以外の何物でもないってな! いやあ、国をまるっと騙すような壮大な嘘をつける日がくるとは生きていてよかったってもんだ!!」
「……っっっ!!」
もう何も言えず、淑女としての顔なんて忘れて地団駄でも踏みそうになるミュリア。そんな彼女から目を逸らして、ラングはミュリアに聞こえないよう心の中でだけこう吐き捨てた。
(そうだ。ミュリアを助けるためってのが大前提ではあるが、方法として無駄に困難なもんを選んだのは俺の願望を叶えるためだからな。第一王子になりすませば、俺みたいな平民にだって……)
嘘つきは笑う。
素直に本音なんて伝えない。伝えられないからこそ彼は嘘つきなのだ。
「もうっ、ラングの嘘つき!」
「そんな褒めるなよ、照れるじゃないか」
「ほーめーてーまーせーんっ!!」
ふんっと拗ねてそっぽを向くミュリア。
それこそ年相応の女の子のように、ラングの前でだけは公爵令嬢としての顔なんて忘れられていた。
そんな彼女を楽しげに見つめていたラングはふと何かを思いついたように瞳を輝かせた。そう、それはまさしく悪戯を思いついた悪ガキのように。
「なあ、そんな拗ねるなって。お詫びに面白いこと教えてやっから」
「面白いこと、ですか?」
「そうそう。俺と昔にした約束、覚えているか?」
「わたくしが嘘をついたらラングの言うことを何でも聞くというものですよね。もちろんですわ」
「それはよかった。なら、もう一つ。俺は第一王子と偽ったんだが、そのことがバレたら死罪間違いなしだ。その上で聞くんだが、ミュリアはどうするんだ?」
「どう、とは?」
「いやだから、俺の正体を暴露するのかどうかって聞いているんだよ」
「えっ!?」
「何驚いてるんだ? 俺の正体を暴露しないってんなら人前では俺に対して第一王子ラムアフォード=リュカシーとして接しないといけないんだ。つまりさっさと俺の嘘を暴露しておかないと俺がラムアフォードだって嘘をつくことになるってことだな」
「っっっ!?」
「だから聞いているんだよ。ミュリアは嘘をついてでも俺の正体を隠すのか、それとも俺の正体を暴露するのかってな」
一瞬ラングの嘘がバレて処刑される光景を思い浮かべてしまい、心臓がきゅっと締まるような嫌な気持ちがしたが、そこでミュリアは気づいた。
当のラングが、ミュリアの立ち回りによっては処刑されるかもしれない状況だというのに楽しげに笑っていることに。
「……はぁ。これのどこが面白いことなのですか」
「いやいや最高に面白いだろ、俺にとってはだがな。何せあのミュリアが嘘をつくかどうか悩──」
「貴方は第一王子ラムアフォード=リュカシーですわ」
さらりと。
悩みなく言い切ったその嘘に、これまで不敵なまでに動じてこなかったラングの笑みが固まった。
「何ですか、その意外そうな反応は。わたくし、そんなに融通がきかないと思われていましたか?」
「いや、でもっ、自分が殺されることよりも嘘をつかないことを選んでいたじゃないかっ。最終的に嘘をつくにしても三日三晩悩むくらいはあってもいいんじゃないか!?」
「馬鹿にしないでくださいな。ラングを殺すくらいなら嘘をつくことを選びますわよ。そんなこと、悩むまでもないことですわ」
「そうか……。そう、なんだな」
何が思うところがあるのか、ラングにしては珍しく反応が鈍かった。とはいえそれも数秒のことで、気がつけばいつもの不敵な笑みを浮かべていたのだが。
「だったら、約束通りミュリアには俺の言うことを聞いてもらわないとなっ。げっへっへっ、何頼もうかなあ?」
「あまり無茶なお願いはやめてくださいよね」
「おいおい、俺が無茶なお願いするような人間に見えるか?」
「はい、見えます」
「即答だよ、おい。まあその通りなんだけどなっ」
笑って、笑って、笑って。
そしてラングはこう言った。
「それじゃあ、俺と婚約してくれよ、ミュリア」
…………。
…………。
…………。
「こっこここっ、婚約ですって!?」
ミュリアは顔が熱くなるのを自覚する。
あの幸せな時代が終わってからずっと彼に求められることを夢見ていたとはいえ、まさか現実のものになるなど考えもしていなかった。
だから。
しかし。
「そうそう。ほら、今の俺ってば第一王子ってことになっているからその内誰かと婚約させられるわけで、長い間一緒にいるなら俺が第一王子になりすましていることに気づいてなお暴露しない奴のほうがいいわけで、そう考えるとミュリアが適任ってわけだな。第二王子と婚約していたことだし第一王子の相手にしても不足ないわけだし、あのミュリアが嘘をついてでも庇ってくれるなら少なくとも暴露の心配はしなくて済むし、そもそもミュリアと婚約しないと第一王子になりすました意味もないし、それに、あれだっ、何でも言うこと聞くって約束だもんな! 断るとか言わないよな!?」
一気に何かを誤魔化すように言い切るラング。
だけど、それは……。
「つまり婚約者としてわたくしが都合のいい女だと、ラングはそう言いたいのですね」
ミュリアの中の熱が急激に冷めるのを自覚する。
貴族の婚約に恋だの愛だのはなく、あるのは利益の追求のみ。わかっていて、それでもラングならばと期待してしまった。
「……ラングがそう望むのならば、わたくしは構いませんわ。貴族であれば愛のない結婚も普通ですしね」
寂しそうにそう吐き捨てるミュリア。
これがラングを死なせないためには一番だとわかっていても、心から納得はできそうになかった。
対してラングは驚いたように目を見開き、次いで探るような目つきで、
「なあ、まさかとは思うが、実は全部わかっていてあえてとぼけているなんてことはないよな? こういう方面に関してはうまく嘘をつけない自覚はあるし、てっきり昔っからバレているもんだと思っていたんだが」
「何がですか?」
「その反応、え、マジで? ってことは、ちゃんと言わないと伝わらないってことか!?」
ラングはがしがしと頭を掻いて、唸って、どれだけ悩んでいたか。
やがて諦めたように、どこかヤケクソ気味にラングはこう叫んた。
「ああもうっ、一度しか言わないからよく聞いておけよっ。俺はどんな利益があろうとも惚れてもいない女に婚約しろとか言わないっての!!」
「え?」
「だから、つまり、あれだ! 俺はミュリアのことを、その、そういうことだっ、察しろ!!」
「え……ええっ!? いや、それは、そんなっ……まさか、そういこと、ですか?」
「一度しか言わないって言っただろうが!!」
「そうですけれど、ラングが、そんな……」
ラングという男は本当にひねくれていた。
一度しか言わないと言いながら、結局一度も本音を明確に口にすることはなかったのだから。
それでも、彼はどんな利益があろうとも惚れてもいない女に婚約しろとか言わないとそう言った。
それは裏を返せば……。
そこまで考えて、ミュリアはあまりの嬉しさに全身に蕩けるような震えが走るのを自覚していた。
「ラング……ラングっラング!!」
「なんだよ、そう何度も呼ばずとも聞こえているっての!」
「ラングっ。わたくしもラングのこと大好きですよっ」
「ぶふっ!? ばっ、おまっ、『も』ってなんだ『も』って! 俺はミュリアのこと好きとか言ったことはないぞ!?」
「ええ、ええ、そうですわね」
「おいなんだその反応はっ。さっきまでこの世の終わりみたいな顔をしていたから仕方なくあそこまで言ったってのに、いきなり元気になり過ぎだろうが!!」
「嬉しいのですから仕方ありませんわ」
ラングというひねくれた嘘つきはそう簡単に本音は明かしてくれない。
だけど、言葉はどれだけ嘘に塗れていようとも、その顔を見れば本音は明らかだった。
ミュリアと同じく赤く染まった頬がラングの本音を示しているのだから。
ここから先、第一王子ラムアフォード=リュカシーになりすますラングの人生は波乱に満ちていることだろう。それに付き合うミュリアも決して楽な人生を歩むことはできないだろう。
それでも最愛の人と一緒ならば何の問題もない。
どれだけ過酷な運命が待ち受けていようとも、このひねくれた嘘つきと一緒ならば幸せに決まっているのだから。