Scene-06 カドを巡る
再び、霧に包まれた屋敷内を彷徨う。
ホールから食堂へ入り、そこからキッチンへ入った。
木と石、陶器タイルの水道がある。
大正だから冷蔵庫はないけど、やたらゴッツいガスレンジはあった。
あとは煙突のついたオーブン。
これは石炭を使う奴か。
薪や木炭がメインの燃料だったのは江戸時代までの話で、明治を経て大正となった今はとっくに石炭、石油、ガスに取って変わられている。
もちろんそれは都市部の話で、地方だと某ジブリのアニメみたいな状況になるようだけど……
そんなことを考えていると、ニュートが部屋の隅へ視線を飛ばした。
猫がよくやるカド凝視。
『かかか、キッチンは記憶の薄い場所だったらしいな――』
黄金の猫目が、ひたと虚空の《カド》に向けられる。
『瑛音、裏側へ潜り込める点を見つけたぞ……くく、カドを経由して《境界》を操るのは、犬だけの特権ではないわ!』
ニュートの先導で扉をくぐってゆく。
ダイニングから廊下へ、さらに広間……と、次々に扉を抜けてゆく。
二つ、三つ、四つ――
確かに大きな屋敷だけど、それにしても部屋数が明らかに多い。
引き返したりぐるぐる巡ったりしてない筈なのに、同じような部屋を何度も通る。自信に満ちた黒猫の歩みとは裏腹に、屋敷を多う霧と影が生み出す不定の違和感がどんどん大きくなってきた。
ふっ――と、霧に包まれた視界の端に、何か巨大な影が踊った。
「!?」
慌てて見直すけど、ただの小さな影に過ぎなかった。
柱と壁に産まれる角度が生み出した影。
だが、さっきはまるで――
無意識に銃のグリップを探していると、扉で振り返ったニュートがそっと呟いた。
『立ち止まるな、最初からやり直しになるぞ』
「りょ……」
慌ててニュートの黒い背を追う。
そうして部屋を越えていくと、一度濃い霧に突っ込んだ。
まるで煙だコレ……けほ。
煙に巻かれそうになっていると、ニュートが飛んできてスカートの端を噛んでくれた。
『……』
こっちを見つめる目に、こくと頷き返す。
そうして、ゆっくりと埃霧の回廊を進んで行くと――唐突に広い空間に出た。
広いと言うと語弊があるかも知れない。
本来は音楽室兼、ダンスホールなのだろうけど、内側へ何重にも折り畳まれているみたいな。
「わー……何だコレ。騙し絵?」
『ここが『宮殿』だ。記憶の中に仮想で構築された空間だから、幾何学が滅茶苦茶になってるが』
まさに無限を閉じ込めた有限だ。
他の部屋との繋がりにも整合性がなく、三次元では建築不可能な部屋が堂々と存在している。
繋がり損ねている隙間には何もない。
ただの虚空だけが、どこまでも繋がっている――
「ここは……ぐっ!?」
鼻を押さえる。霧に腐臭が混じり始めていた。
『この異界迷宮はヒトの内面世界が変異したものだ。そこに死の臭いがするのならば……天知は本を読んだけでは飽き足らず、何人かの犠牲も生み出してきたと思った方がいい』
「血の臭いが気持ち悪い……怨嗟の声みたいのも響いてくるし……なんだここ」
『内面が変化した世界だといったろ。ここは誰かの頭の中そのもので、そいつの頭の中は血まみれで悪臭が漂っている』
「――そこにいるのは誰だ!」
なんだ!?
慌てて振り向くと、三次元を二次元みたいに折り畳んで作った塔の上に人影が現れていた。
『あれは天知宗全……か?』
「やっぱり写真と全然違うね」
部屋着にガウンを羽織っただけなので、全身がミイラみたい痩せこけているのがハッキリ分かった。
死後三日と言われても信じられそうだ。
その中で、落ちくぼんだ目だけが爛々と輝いている。
「また無断で我が屋敷を覗き込む物が……盗人の類か、それとも娼婦の押し売りか?」
天知宗全が手にしていた杖で苛立たしげに床を叩いた。
覗き込むと。
なるほど……それはそれとして、娼婦?
『後ろを振り返るな。お前のことだぞ、瑛音』
「あー」
そういう呼ばれ方は初めてだな。
子供の外見だよ?
何となく、女性の発想っぽい気がしないでもない。
「――男だよ」
「なんだと?」
吐き捨てられたような一言に、妙な声音が混じる。
はっきりと言い放った。
「僕はオトコだ」
確かに女の子の服を着てはいるけど、別に性別を隠してるワケじゃない。
男かと聞かれたら、いつも正直に答えてる。
あんまり聞かれないけどね……
やがて、こっちをまじまじと見つめていた宗全が高笑いを始めた。
「そうか、貴様がそうか! ああ、そこまでの美貌ならば男でも構わんとも。目的を果たした後は可愛がってやろう」
後ろの空間に、石造りの部屋が開いた。
拷問部屋――かな。
血脂と怨嗟で塗り固められた拷問器具には、怪しげな魔道文字やヒエログラフがびっしりと書き込まれている。
一度部屋を見上げたニュートがひょいと振り返った。
『まったく動揺してないな、瑛音』
「この悪臭の元がアレなんだろうなって。ああいうのが頭の中にある奴と。それより証拠は掴めたみたいだから、もう遠慮はなしだ! 行くよ、ニュート」
『おお!』