Scene-07 ディ・ヴァイセンブレッター
別荘へ続く林の奥から黒煙があがる――
林の奥で、黒い影がのそりと動いた。
高い背を真っ黒なレインコートですっぽり包んだ男が、その身を現す。
目深に被ったフードのせいで表情は分からない。
そして別荘へ向けて歩き始めた。首を少し、かしげつつだけど。
「思っていたのと少し違うようだが、無事に発動したのは間違いない……」
複雑なパズルを解き終えたかのような声音にザク、ザクと、冬の乾いた草を踏みつける音が重なる。
「半欠けだったとはいえ《ツァルム写本》をひとつ犠牲にしたのだ、戦果は高くあって欲しいが……まあ、多くは望むまい。蔵人の孫どもにお囲い、あとは結社幹部――」
「それはちょっと高望みが過ぎない?」
流石に我慢しきれなくなったので、声をかけた。
男がまったく予期していなかった方向――前方の林が切れるあたりから、ひょいと顔を出してやる。
「やー、どーも?」
「……」
間抜けを晒したと気付いたレインコートの男から、強い感情が放出された。
凄まじい目つき――だと思う。
睨めっこに付き合う気はなかったので、適当に流したけど。
男は、背後と僕を交互に見ている。
背後――黒煙の向こうから覗く無傷の別荘と、まだ煙を上げている前庭のクレーターを。
モミアゲのメモリーパレスごと叩き切った『ツァルム写本』が爆発した跡だ。
「どうして生きているって顔してるね? 奥の手があるんだよ」
『多用するとこっちの首も絞まる、名前の恰好悪い奴がな』
「ニュート」
語尾をストーンと上げるツッコミのアクセント。
男がぼそりと呟いた。
「――気にくわない」
「へ?」
「まるで罠に気がついていたような態度です」
『その通りだ』
あははは、まーね。
教えてはやらないけどさ。なにしろ『初見殺し殺し』は――大変だっせー名前なもので!
「その顔、その態度……気にくわない! 気にいらないっ!! 良い時、良い場所、良い身体に生まれ、好きなように生きられるような奴に見下されるなど――う!?」
「……」
言葉を、圧倒的な沈黙で押し潰す。
僕はニコニコしたまま。
良い時、良い場所、良い身体か……そうだね、令和の日本は良い時代で良い場所かもね。
その心が伝わってくれたらしい。
フードの影から覗く細い顎が、ギリギリと軋む。それで正体が分かった。
観月院の若先生だ。
モミアゲの言ってた船医だか、バルギリスってのがこの人?
とか思ってたら、向こうが何かに思い至ったらしい。フードから覗く顔の下半分に羨望と嫉妬らしきものが浮かぶ。
「イーフレイム・エフォー、そうですか……貴方も視たのですね!?」
「すいません、別人です」
「聖像への尊敬はその原像に帰す――かか、エイクリイの秘術よ! 窓よ、窓よ、窓よ!!」
「おーい、聞こえたかー」
『エイクリイに、窓か……はて、何処かで聞いたような? あと瑛音、僅かだが神話の気配が増え始めたぞ。気をつけろよ』
「りょ!」
レインコートがぐにゃりと溶け、男の身体を流れはじめた。
まるで生まれつきそういう生物であったかのように、男の身体が黒くネジくれる。
同時に周囲一帯が《神話》を一段階、深下させた。
『瑛音、奴がカドを巡ろうとしている!』
「させるかー!」
突進しようとした瞬間、男の背中でドラゴンみたいな翼がバサリと広がった。
うわっぷ!?
翼の起こした突風に煽られ、慌てて身を沈める。
男のレインコートが変異を始めていた。
顔はのっぺり真っ黒。側頭部からネジくれたツノが二本生え、お尻からは長い尻尾が伸びてムチみたいにしなる。黒に染まった手足はネジくれ、鋭そうな鉤爪が現れ、全身に入れ墨みたいな模様も――いや、長いな!?
『準備に手間のかかる奴だな』
「茂呂島さん、いまのうちにお願いしますー」
「承知!」
「ぐおおお……!」
レインコート男がネジくれてる隙に、茂呂島さんからOKの合図。
昼に景貴と清華を護衛していた人たちを中心に、人員の配置が完了したようだ。
レインコート男は悪魔みたいな外見に変じかけている。僕でなければパニック起こしてたかも知れないな。僕でなければ!
「カルネより格好良いけど、あいつより弱そう」
『あいつ自身の《神性》は希薄だ。こんな程度でよく《神話》を発動させられたな』
そう、多くの神話には《神性》が伴う。
強ければ強いほど超越した力を使えるんだけど、代償として肉体や精神によろしくない影響をタップリと受ける。
枢戸村の前の住人やカルネのように、時には怪物に変貌することだってあった。
例外はほぼ、ない。
僕がその『ほぼ』だけど……と、いうことは?
「つまり、僕と同じってこと?」
『元魔王の肉体へ転生したタイムトラベラーなどという例外中のド例外が、同時代に二人もいるとは思えん』
「――前にも聞いたけど、僕は円錐になったりしないよね?」
『ああ、ないぞ。調べた』
「それは良か……いつ!? 調べたのはいつ!!」
ニュートがぷい。
こらー!
「あの……」
後ろから茂呂島さんが手をちょいちょい。
まだメキメキと変貌を遂げてるレインコート男と僕を交互に見つつ、すごい困ってる。
ああ、すいません!
「よろしくお願いいたします!」
「はい、瑛音様」
「はーっ、ははは――ぶぼっ!?」
ドガガガガ!
茂呂島さんが合図を送ると、周囲から銃声が鳴り響いた。
男を囲むように隠れていた結社メンバーさんたちに清華も混じって、散弾銃に猟銃、拳銃をバカスカと撃ちまくる。
さすが大正時代、皆さん銃に慣れていらっしゃる。
そういえば大正の日本には徴兵制度とかあるんだっけ。外国との戦争もちょいちょいあるし。
「物騒だけど、こういう時は助かるな。それに神話存在へ果敢に立ち向かってくれることも……」
『皆、お前の魔剣と剣技に見惚れた者たちだよ。――人であっても神話存在を打ち倒せることを、お前はいつも示してくれる』
「誉められると嬉しい、もっと誉めてー」
『うむ、よかろう』
ニュートがフードから出てきて頭を撫でてくれる。
撫でるってーか、ポンポン?
猫を撫でる人は多いだろうけど、猫に撫でられる人はあまりいないだろうな。うん。
『ちなみに一回目はどうだったんだ?』
「双子と遊戯室で遊んでたら凄いのがドカーンで、阿鼻叫喚の地獄絵図。あいつは前庭で高笑いしてたんで455弾で撃っといたよ」
『ならば、ツァルム写本を切り裂いたのは初見だったか。ますます素晴らしいぞ、瑛音』
にひひ。
テルミヌス=エストでツァルム写本ごとモミアゲの記憶の宮殿を切除し、そこから加速してヤバ目の物を半地下の窓から庭に投げ捨てている。
なにしろ、こっちは経験者なものでして!
ふみ――じゃない、どこかの特別室にいる知らない誰かを相手に、一度やったからねー
もっとも、モミアゲは廃人になったっぽいけど。
「くっ、この……うがっ!?」
あ、のっぺぼうの額に銃撃がクリットした。
悪魔かドラゴンみたいに変じた元レインコート男は――まだ生きてるか。
でも服だった部分はノーダメージっぽい。厄介な。
「お、憶えていろ!」
――うわっぷ!?
捨て台詞とともに、再び竜巻みたいな螺旋の突風が巻き起こる。
今度は男が浮き上がった。飛べるのか!?
『あのドラゴンみたいな翼は伊達で付いてるワケではないか、――瑛音、追うぞ!』
「りょ!」
「瑛音さま、こちらへ!」
景貴がオースチン7で飛んでくる。
おー、気が利くー!
大型拳銃を抱えて伏せていた清華も拾い、そのまま男を追尾に入った。
運転は景貴に任せる。
「ニュート、あいつ何?」
『ううむ……おそらく『ナイトゴーント』だな。ただ、不定形ってのは初見の特長だぞ』
「弱点プリーズ」
『ううむ……あるのかも知れんが聞かんなあ。不定形ということは、おそらく代官山で戦った《黒血》の眷属だと思うから、もしかしたら流水に弱い可能性がちょっとだけあるか? ――だが、賭けるなら余裕のあるときにしてくれ』
「りょー」
相変わらずロクな弱点持ってないなー
僕以外の探索者さんたちは、どういう方法で神話存在と戦ってるんだろうな。
いつかインタビューでもしてみたい……とと、後!
「瑛音さま、ここは私が!」
ムササビみたいに枝から枝へ滑空してた男の背に、リロードを終えた清華がレッドナインを叩き込む。
ギリ外れたようだけど、バランスを崩した男が派手に墜落した。
起き上がろうとした背に――翠の爆発!
僕のウェブリー・リボルバーから放った、対《神話》弾だ。通常弾とはひと味違うよ!
清華がパチパチと喝采。
「流石、瑛音さま! 動いている車から命中させるなんて凄いです」
「ふふん」
「な、何だコレハ……!?」
男と、黒い皮膜までもが悲鳴を上げ始めた。
そのまま気絶するかと思ったけど、無茶な体勢から一気に起き上がった。
ちぃ、しぶとい!
ならば対神話弾の二発目を……
「ぎゃあああああ!」
――え、なに!?
突然上がった悲鳴に、運転席の景貴が驚愕する。
何が……ああ!
「瑛音さま、あいつの関節が普通は曲がらない方向に動いています! ど、どういう仕組みなんでしょうか」
「ニュート、あれが何か分かる?」
『人とナイトゴーントがどっちも混乱して動くタイミングがズレたかね。――つまり、アレは単なる二人羽織だ』
あー、おでんとかラーメン食べると面白い余興になるタイプの合体。
ま、間抜けな……
ちゃんと《接触》しないからそういう無様を晒す。ちゃんと接触すると間抜けじゃすまないけど……
景貴と清華にはなんて説明しようかな。
「えーと、アイツは使うと代償のあるタイプの神話使い」
「何てことを……アイツは人間を止めつつあるのですね!」
酔っ払いがエジプト壁画の真似したような妙なフォームで林の中を器用に突っ走っていく男を、景貴が哀れみの目で見た。
うーん、そういうタイプの代償では。
あと手は下で振ろう。
上で振ってもあまり意味はない上に格好悪いよ……と、ナイトゴーントに言ってあげたい。
それでも動きはやたら素早く、後部座席の清華は撃てなくて困っている。
ニュートも何か困っているような?
『もんが、もんが――ええい、気が散って思い出せん。エイクリイ、エイクリイ……』
「あのポーズ……わ、私たちを馬鹿にしてますのね!?」
激昂した清華が、運転席のシートに齧り付く。
バカにされてると思ったらしい。
「――お兄様、もっとスピードを上げてください! あと揺らさないでくださいませんか!!」
「林だぞ、無茶を言うな!?」
「兄妹喧嘩ストーップ。僕が視てる限り逃がしはしないから、落ち着いて運転よろしくねー」
にしても……そもそもアイツはなんだ?
神性の副作用を避けるみたいな小賢しい系の知識は豊富のようだけど、基本はまるで駄目。結社からもほぼノーマーク。
まさか動画を見て《神話》使いになりましたとか言うんじゃないだろうし……
そもそも動画配信なんてないか。大正時代だし。
「――あいつの背景が全然分からない。捕まえるしかないか」
『厄介だが、仕方あるまい』




