Scene-05 幻視
念のため、すべての部屋を回る。
出口も探してみた。
閉じ込められてはいるけれど、玄関や勝手口、窓などは壊せそうに見える。
おそらく《剣》なら――
『やめとけ。瑛音なら分かるだろうが、漂ってる《霧》は猟犬が《カド》から出現する際に噴出する物と同じだ。発生源を何とかするのが先だ』
ニュートが不快そうに霧の匂いを嗅ぐ。
「猟犬……アンチ=タイムトラベラーか。でも出てないってことは、少なくともまだそこまで大きく《カド》を巡ってないんだよね? なら、調査を続けようか」
ぐるっと見て回る。
調度品の類はすべて撤去され、どこかしこも殺風景だ。
屋敷内には誰もいない――筈なんだけど、何故か人の気配はする。かすかにだけど。
一階を巡り、二階へ。
調度品のない空き部屋ばかりなので、どの部屋が何の部屋かはよく分からない。
日記でもあればいいんだけど……
でも何の収穫もないまま、吹き抜けの回廊から階段を降りてホールに戻る。
ニュートがニヤリと目を細めた。
『で、どこからやる?』
「まずは……ここ、ホールでやってみようか。なーんか怪しいんだよね」
明治モダニズムの残骸みたいなエントランスホールに立ち、屋敷の中をじっと見つめ続ける。
やがて――カチリと歯車が入った。
視界がぼやけて世界が色彩を失っていく。昼と夜とが物凄い速さで、逆しまに巡りはじめた。
チク タク チク タク チク タク――
これは《幻視》。
イースの魔術である《精神投射》の一種で、精神的タイムトラベルとでも言うか。
本来のイース人はこれで過去や未来へ精神を転移させ、各時代にいる高等生物の肉体に乗り移る。僕はイース人と違って過去にしか投射できないし、他者への憑依もできないけど。
見えるだけで音はなく、色も付けられないけど、どこにでも監視カメラを仕掛けられるに等しいので調査とかでは役には立つ。
ある意味チート能力。地味だけどね。
そうやって時間を遡りながら過去の映像を見ていく――
最初はついさっきから。
天知さんと思われる人は虚空から滲み出るように出現し、すぐに消滅した。
「ニュート、普通に《神話》事件だ」
『コレで確定か。瑛音、もっと過去へ遡ってくれ』
「りょ!」
そのまま、さらに過去へと遡ていく。
しばらくは誰も見えない。たまに作業員っぽい人が短時間だけ出現するくらい。
やがて天知さんが見え隠れし出してきた。
昼夜問わず、ふいにその辺に現れては消失するを繰り返していく。
「出現と消失を繰り返してる……」
過去知のヴィジョンをニュートに実況する。
天知さんが幽霊みたいに消えることができるのは、間違いないようだ。
ヴィジョンの中で、天知さんは段々健康的になって行った。
それはつまり……
「消失すればするほどミイラみたいに痩せ細ってく。代わりに苦しまなくなって……」
消失の間隔は徐々に短くなっていき、今年の夏頃まで遡ると消えることはなくなった。
その頃から徐々に他の人も現れ始める――
「夏まで遡ったけど、ここまでブラックブックは見当たらない。七月頃に文子さんと、お母さんっぽい人が出て行った。その辺りから家具が戻ってくるね。お金になる物を整理したのかなあ。後は……いた、変な奴!」
ノイズだらけのヴィジョンの中に、帽子とサングラスで顔を隠した小柄な青年が現れた。
真夜中かな?
皮の旅行鞄を持ち、そっとホールを横切って……闇に消えていった。
こっちをチラっと見たような?
「うえ、変な奴にこっち見られたかも」
『お前の《幻視》にある欠点の一つだな。旧支配者のチカラを持つ者の中には、見られたことに気づく奴もいる……気をつけて遡れ、何かあればすぐ幻視を切れよ』
「りょ! この辺から、解像度を上げてみる……」
幻視を続ける――
ぐぐ、段々コントロールが難しくなってくる。
ボタン押しっぱなしで、シーク速度が段々と早くなる動画を見てる感じ。押せば押すほど早くなって、つまり時間が過ぎる。
――う、飛ばした!!
あああ、数ヶ月分をゴッソリ見逃した。
僕の幻視は過去への一方通行だから、戻せない。
もしどうしても見る場合は、最初からやり直さなければならない。
やりすぎれば《猟犬》に気付かれる可能性も上がる……
ティンダロスの猟犬は重力が生まれて曲線が生まれる前の超存在で、何故だか《冷えた》今の宇宙を憎んでいる。
イース人すら避けてるくらい……
――唐突に、ホールの中央でシャンデリアが粉々に砕けたビジョンが飛び込んで来きた。
落ちた?
怪我人が外から戻ってくる。つまり、中で怪我して外へ運ばれたんだな。文子さんもいたけど、魂が抜けたように呆然としてる。
お昼頃まで遡るとシャンデリアが激しく揺れながら天井へ登って行く。
地面、建物が大きく揺れている。
天井へ埃が昇り、割れたガラスが元へ戻り、雪崩のように崩れ落ちてていた装飾品が次々に立ち上がり――
ああ……これは、関東大震災だ。
なら、そろそろリミットか――
僕の《幻視》で遡れるのは、ここらあたりが限界になる。
ここで僕が《転生》したから。
それ以前の時間軸に僕は存在していないから、精神を飛ばすことはできない。やっても何も起こらない。イースの大いなる種族なら他の生物に乗り移って続けられるのだろうけど、僕には無理だ。
幻視のヴィジョンが切れる寸前、言い争う姿が見えた。
「文子さんと、それに……文子さんのお父さんか。ずいぶん激しく言い争ってるな」
そこで投影が終わった。後には何も移らない……
幻視が終了したせいで張り詰めた空気が裂け、窓がビリビリと震える。
霧が生きの物ように揺蕩った。
肩に登ってきたニュートが身を寄せてくる。
『大丈夫か、瑛音?』
「目が疲れる。本はまだ見つかってない……」
目元をグシグシ。
『ならば少し休んでいるといい、代わりにオレがやろう。ふふん……《カド》を使えるのが犬だけではないということ、見せてやろう!』
ニュートがペロリと舌なめずりした。
バーストも、つまり猫も《カド》巡ることができる……らしい。犬との違いは、タイムトラベラーを襲ってこないこと。
「大丈夫?」
『瑛音、今回関わってる《旧支配者》はなんだ?』
「ザーツ・ツァルム。冷えながら拡大し続ける宇宙で矮小化し、成れ果てた《旧支配者》の残滓――あるいは、その落とし子。今は知識を介して、記憶という仮想の現実に『宮殿』を建てる」
『そうだ。悪性願望が強く実現困難なほど『宮殿』は大きく成長し……最後には、現実を侵食する。知識という種をバラ巻きながらな』
「そして再び成長していく……僕たちヒトに適合するように成れ果てた《旧支配者》は厄介だよね」
《成れ果て》に宇宙その物を侵食するような超パワーはないけど、その分、人間に特化してる場合が多い。
ギリギリ戦えなくもないのが、また嫌らしいというか……
『今回も、既に誰かの頭の中に宮殿が作られたのは間違いない。ならばだ……逆に、こちらから殴り込んでやろうじゃないか。カドを潜り、宮殿その物へ!』