Scene-04 千駄ヶ谷御殿
そのまま空き地を進んでいくと、やがて高い塀が見えてきた。
塀の奥にはプラタナスの木々が広がっていて、敷地はかなり広そうだ。
「小学校の敷地丸ごとくらいあるね。これで個人宅なの?」
『元は歌舞伎役者の邸宅だった筈だ。通称、千駄ケ谷御殿』
「御殿か。令和だと何があるんだろ?」
『代ゼミの新宿校がある辺りじゃないかな。その敷地丸ごとが個人宅だった』
「本当に学校並みなんだ!?」
ぐるっと回っていくと正門前に人だかりがあった。
着物の下にシャツを着こんだ男性たちが、冬物の着物を着た女性を取り囲んでいる。
いや、逆かな?
女性が男性陣に何かを訴えかけているようだ。
『瑛音、何か揉めてるようだが』
「すいませーん、どうかしましたかー!」
セブンにクラクションはない。
オプションのラッパはあるけど、パフパフーという音が間抜けなので付けてない。
気付いた人たちがイラついた顔で振り向いた瞬間、顔色を変えた。白いオープンカーと僕の顔を認めると、全員棒を飲み込んだような姿勢を取る。
「ご足労にございます、瑛音様! 御大より、ここ、こちらの番を仰せつかっておりますので、何なりとご命じ下さい!」
脳天から声を出すかのような直立不動を取った後、微動だにしなくなる。
蔵人さんの――伯爵家の私兵かな?
いつもは、景貴と清華の護衛に付き添ってる人たちかも知れない。
「ご苦労様です。それで、そちらの女性はどなたですか? 僕は綾瀬杜瑛音といいます。日本語は喋れますよ」
喋ってて喋れますもないと思うけど、見た目で萎縮する人が多いから念のため。
無理もない外見だけどね。
「……」
女性は、こっちを凝視している。
意外に眼力が強い。
気付いた結社の人が慌てて紹介に入った。
「こちらは、綾瀬杜伯爵の御令孫になります。この屋敷の現在の持ち主です」
うげ、結社か伯爵家でここ買ったの!?
「は、伯爵……!?」
紹介を聞いた着物の女性が慌てて頭を下げた。
大正時代では僕の出自を証明できないので、綾瀬杜家に養子として迎えられている。
だから、今は伯爵の係累だ。
ハッタリが効いていいんだけど、効き過ぎてホテルに入る時にレッドカーペットを敷かれたりすることもある。
あれがまた面倒くさいというか……
大正、昭和の爵位持ちと、その子供や孫は影響力がとても強い。
芸能人やインフルエンサー並み――らしい。
貴族には社会的な特権もあって、例えば大学に無試験で入れて、無試験で卒業できたりもする。
生まれながらの大卒みたいなものだ。
「――ご無礼をいたしました。私は羽田文子と申します。ご迷惑とは存じますが、できればこちらの屋敷へほんの少々入らさせていただければと」
さっきと目線の色は違うけど、やっぱりジーッと見られる。
いや、いいんだけど……
女性はよく見ると若い。下手すれば高校性くらいかな。
着物の上からショールを羽織り、大きな手提げ鞄を持っている。出掛けるところらしい。
事情を聞いた方がいいか。
「ここは無人ですよ。住んでいた人は何ヶ月も前に引っ越してますし、家も売却済みです」
「はい……以前、家族でこちらの屋敷に住んでおりました。できれば最後の思い出にと」
思わず見返した。
ああ、天知さんの家族の人なんだ。娘さんかな?
でも苗字違うな……
そんなことを考えていると、ニュートがこそっと耳打ちしてくる。
『結婚してるぞ、この子』
なんと、まあ。
ううん……
状況から察するに、自分が決めなくてはならないらしい。
どうしたものか。
「見せることは構いませんが、日を改めて頂いてもよろしいですか?」
無難かなと内心納得する。
神話事件の調査が終わった後で、結社か綾瀬杜家の誰かに連絡を頼めばいい。
「……」
だけど、文子さんは俯いて押し黙ってしまった。
ニュートがふんと鼻を鳴らす。
『家が傾いた割に困窮してる様子もない。そこそこ良い条件で大家に嫁げたのだろうが……恰好からするに、嫁ぎ先は地方だ。これが見納めというところかね』
蒸気機関車の平均時速は三、四十キロ程度だ。運賃も高いから、地方移住は外国への移民並みの手間になる。
ううん……そういう生々しい理由は苦手だなあ。
「ええと……何か事情でも?」
こっちに忖度を強要するようなら話題を打ち切ろうと思いつつ切り出す。
冷たいようだけど神話事件優先だ。
でも、文子さんはおずおずと喋り出した。
「お恥ずかしい話なのですが……
去年、父の都合により急いで家を出ることになりまして」
そこで一度言葉を切る。
「――それ以来、一度も父と会っていません。待てばいつか元に……そう思っておりましたが、嫁ぎ先が決まっても会えず……せめて父との思い出の家をもう一度だけ、と」
そうして再び目を伏せた。
うう、そういう理由だと断り難いな……
『どうする、瑛音?』
ううん……
ぐるぐる考えた末、妥協案に落ち着いた。
「庭まででしたら……邸内へはご遠慮頂けますか?」
「は……はい!」
門を開けて文子さんを中へ招き入れた。
顔がほころぶと、彼女は僕の先に立って庭を案内するように歩き出す。
――ああ、自分の家だったんだから慣れてて当然か。
念のため結社の人たちには外で待ってもらう。何かあったとき守る相手が増えるのは嫌だしね。
鍵の束だけ貰って、中へ入った。
「大きな家ですね」
双子も住んでる蔵人さんの洋館もそうだけど、小学校の敷地丸ごとくらいある。
大正のお金持ちは庭で五十メートル走の練習でもしたいんだろうか。
「正直、好きにはなれませんでした。この家に住みだしてからは、落ち着いて過ごした記憶もあまり……」
軽く雑談しつつ石畳を歩いて行く。
やがて前庭の広場に出た。
文子さんは、広場に枝を伸ばす大きな木の下に立った。
「それでもここだけは……昔はこの木の下にベンチがあって、夏には家族でよく涼んでいました。数少ない思い出です」
しばらくそうしていた後、文子さんがそっと離れた。
名残惜しそうに屋敷を見上げ――固まる。
「お、お父さん……」
「えっ!?」
どこに……あ、二階の窓に!?
見上げた先で、頬のそげ落ちたミイラみたいな男と目が合った。
ぞくりとくる。
直感した。アレが兜町で僕を襲ったシルエットの主だ。
なら、本はここにあるのかも!
『どうやら調査の手間が省けたようだな、瑛音!』
「文子さん、貴方は外へ出て下さい。僕は中を調べてきます」
「あ、あなたは一体……」
プラタナスの木に縋り付いた文子さんが、屋敷と僕を交互にみる。
複雑な表情をしていた。
「僕は……そうですね、探偵みたいなものです。変わった事件が専門の」
文子さんはしばらく考えてから、合点して頷いた。
今のを変わった事件と理解したのだろう。
「綾瀬杜様、父を探して頂けませんでしょうか。深い事情があるなら何も申しません。報いを受けることがあるのなら、家族で受け入れる覚悟もしておりました。でもせめて、これまで育ててくれた礼を父に一言お伝えしたく……」
そう言って深々と頭を下げてくる。
「――分かりました! 必ずお父さんにお会いして、その言葉だけでは必ず伝えます」
「お願いいたします」
洋館正面にある両開きの玄関扉は、鎖と南京錠で閉じられていた。
鍵束をガチャつかせてから中へ入る。
装備は軍用リボルバーであるウェブリーと、《剣》だ。
まだどっちもホルダーの中。
『瑛音、気をつけろよ』
「りょ!」
入ったところは、二階まで吹き抜けのエントランスホール。三和土や土間はないので、土足で踏み入った。
正面にはY字の階段があって、吹き抜けを巡る二階の回廊に繋がっている。
奥には通路と、扉が幾つか。
調度品はなくカーペットや壁紙はすっかりと剥がされ、殺風景で寒々としている。ホールの真ん中には大きな傷が入っていた。
「さっきの誰かが覗いていた窓は、二階の回廊にあるのだね。いまは誰もいない……」
踏み出すと、靴底で砂利をにじったような音が響いた。
どうやらガラスの破片を踏みつけたらしく、音を聞いたニュートがフードの中で嫌そうな顔をする。
『先日のアイツは天知だったのだな。天知宗全。元船成金。娘の証言も取れて、調査の手間が省けたが……ん?』
ギイ……バタン!
「あらま」
後ろで扉が閉まった。
ガリガリと、歯車がお互いを削るような音が響く。扉の表面が文字のカタチに燃え、焦げた臭いが充満した。
煙は広がり、屋敷の中に充満していく。
西イングランドのとある渓谷に稀にかかるという、黒霧みたいな――
フードから顔を出したニュートが、嫌そうな顔をする。
『瑛音……いま《カド》を巡った。ここから先は神話の世界だ』
「ニュート、犯罪の線は?」
『女子高生と結婚するために誰かが何かやったと言いたいのなら、ない。良家ならごく普通に結婚してる年齢だ。むしろ高校卒業までに結婚できなければ、売れ残りと感じる女性までいたそうだよ』
いや、そう言うことを聞きたい訳じゃ……え!?
「文子さん、やっぱり高校生なの!?」
確かに若かったけど!
『見た目そんなものだったろう。天知は、家の格と財を維持できたと言うことだ』
「もしかしてお金が目的……? ニュート、ブラックブックでお金を稼げるかな」
『富を願う者もいるし叶う者もいる。それを調べるのだ、瑛音!』
「りょ! なら、変わったやつ専門《探偵》の腕前を見せてあげるよ。推理でなくイースの《魔術》でだけど」
『下手な推理よりずっと役に立つさ。例え旧支配者の眷属群であろうとも、お前の目は誤魔化せんからな……任せたぞ、瑛音!』