Scene-08 ゆきご
「これって足!?」
「あーっ、ああーっ! 止めて、止めて止めて止めて!」
庭に放り出した亡者が、やけに人間くさく叫んでいる。
大きな手がもの凄い速さで降りてきて、僕が庭に放り投げた亡者を押し潰すように掴んだ。
ネットリした汚水が降ってくる。
「あれは……唾液か!? うええ、ウェなんとかさんがそこにいるのかー」
「ああああぁぁ……ごぎょ!」
悲鳴の最後にプチっと音がして、汚水に赤黒い雨が混じる。
あー、つまりお食事されました?
リアクションに困っていると、亡者が詰め寄ってきた。
殺気より怒気の方が強い。
どうやら文句をいい来たらしい――けど、別に聞いてやる義理はない。適当な距離で向こう脛に蹴り!
涙目でブチ転けた亡者を尻目に、二、三歩下がった。
「お前……お前、何をしたか分かってるのか!?」
無視。
逆にこっちから質問を投げる。
「ねえ、貴方はここからの逃げ方が分かる?」
「はぁ……はあっ!? 知らんわ! 知ってても教える訳がないがな!」
「君たちが逃げられるか確認したかっただけだよ」
自分の脱出については、まったく心配してなかった。
僕には頼れる相棒が付いてる。
「このクソガキが……ぶごっ!」
四つん這いで近づいてきた亡者の顔面を蹴飛ばす。
ぶっ倒れたところで和服の襟首を掴み、再び庭へ放り投げた。
ぽーん!
こいつら学習しないねー
だけど空中大反転みたいな動きで縁側に戻り、床に這いつくばる。
あれ、もしかして飛べる?
――ああ、風に乗りて歩むもの!
「な、い、いま……何がどうなったのだ?」
なんだ、自覚なしか。
それでも耐えたことに間違いはない。ないんだけど……なにしろ巨体は今までよりずっと低い位置にいる。
縁側の端に寄りすぎて、結局見つかった。
『アハァ――アァハ――アハハハハ!』
ウェンディゴ――だと思う巨人が、屋根のすぐ上くらいで笑う。
地を震わすような重低音で!
マジ近くない!?
またボタボタと汚水の塊が落ちてきた。
くっさ! きしょっ!
「は、早く迎えにきて欲しいんだけどな……って、おわっ!?」
バン! ――バンッ!
衝撃が連鎖。
どうやらウェンディゴが両手を地面に突いたらしい。ぶっとい手首には赤い布がまとわりついてる。
そのまま、グググと頭が下がってくる。
『ボォ――バワァ……!』
不味い、流石に目を合わせるのは遠慮したい。
風呂にでも逃げるか、二階に戻るか――そう思った矢先だった。
ガクンと足が重くなる。
「けけ、きゃははは!」
「子供の亡者!?」
小さくて丸々とした和製ゾンビのお子様が、やたら楽しそうにブーツへガッシリ。
その他の亡者たちが色めき立った。
「坊、でかした!」
「そのガキ、そのままユキンバさまに捧げてしまえ!」
あ、ちょ、このっ……げしげしげしげし!
「あーっ、ああーっ!」
「ここ、子供泣かすか、この不逞外国人が!?」
「ウェンディゴに言われる筋合いはないぞ。あと僕は日本人だ――このっ!」
「あーっ、あ――ぶばっ! ぶべばばばば!!」
「ぼ、坊! 皆、あいつを押さえよ!?」
他の亡者たちがスクラムを組むように突進してくる。
庭の巨大ウェンディゴは、もう顎まで見えてきてて――て?
ひゅおん!
空間から音が響く。
誰かがカドを巡ろうとしてるんだ!
スマートで気品のあるポータルが生まれ、出現したのは――
『ぷはっ。瑛音、無事か……あ? どわああぁぁぁ!?』
「えーいとぉ、さまぁ……やっと成功しましたあー」
「何、何よこれ!?」
ぐるぐる目の井手上さんに抱えられたニュートが目を剥く。
やけに少女らしいリアクションしてるのは、荒士さん。
どうやら二人と一匹で何度かカドを巡ったらしく、全員がスペル酔いでフラフラだ。
そのうえ、すぐそばに物騒なのがいる。
ええと……うん、まずは情報共有。
解説するためにビシッと指を突きつけた。
「ニュート、井手上さんに荒士さん、庭にウェンディゴた! 和室側には風の従者たちがいて、足元には風の従者のお子さま!」
げしげしげしげし!
しっつこーい!!
『これだけイタカの幽閉地に近ければ分かるわ! 井手上の《スペル破り》が効いてるウチに早く逃げ――どわっ!?』
ズズン!
『ボァ――』
ぐわああああ、縁側から覗く込んでくるー
慌てて目を伏せた。
アレを直視したくないっ!
あと、ウェンディゴの息ってムチャクチャ生臭いなっ!?
げほっ、げほっ!
僕やニュート、井手上さんは激しく咳き込むけど、亡者たちは平気らしい。
そりゃそうか、同族だものね――うええ、げほっ、けほ。
「ゲタゲタゲタ! はよう押さえろ、ユキンバさまに捧げてしまえ!」
「くっ……!」
チク タク チク タク
亡者たちがスクラム!
そのまま津波みたいにドッと降り注いでくる。
ドカドカと亡者の山ができた。
鉤爪の付いた巨大な手が、和室へ差し込まれてくる――
腕の部分にはボロボロの赤い布がまとわりついていて、それがウェンディゴの印象を随分と柔らかくしてくれていた。
手の真下にある和室には、亡者たちが小山にたまっている。
こっちは可愛くない。
何かの地獄みたいな絵面だなー
小山のてっぺんにいた、ちょっとエラそうに見える亡者が叫ぶ。
「よし、早く小童を捧げてしま――って、小童どこだ!?」
「おらんぞ!?」
「あそこに居た女子と猫もおらん! 坊も……坊! 坊はどこだ!?」
そうやって騒ぎ出した亡者たちの上に、影が落ちる。
ウェンディゴの手がグワっと開き、天井や梁にぶつかった。メキメキと音が響き、大量の瓦礫や埃が落ちてくる。
「ひぃ!?」
バシーン!
大きな平手が亡者たちの山を握り込み、勢い余って和室の畳が床板ごと立ち上がる。
手はそのままグーへ。
これがクレーンゲームなら大当たりだ。
庭にいた巨大ウェンディゴも、嬉しそうにしているようだ。
――って、そろそろ見るの止めよう。
精神の健康に悪い。
『オオ――オオオ――』
「うおおお、ユキンバさまぁ!!」
「坊、坊はどこ――おごっ!」
「お子様は返すよー」
指の間から顔を出した亡者に、やっと引っぺがせた小亡者をブン投げて叩きつける。
そのまま巨大ウェンディゴが腕を引いていった。
連れ去られていく亡者たちへ、玄関の前から手を振ってやる。
「あっ……ば、馬鹿な!?」
「いつの間にそこまで移動した、小童!」
さーてねー?
僕の横ではニュートと井手上さん、荒士さんが引っくり返っている。
全員、髪の毛とか服がグシャグシャだ。
『ぐおお、瑛音……助けてくれたことは感謝するが、おま、もう少し加減を……』
「天井と床が、くるくるしますー」
「うぷ……吐きそう」
「御免、そっと運んだつもりなんだけど」
使ったのは、僕の三つ目の奥の手だ。
過去を視ることができる幻視、やり直しの|初見殺し殺し……って、冷静に考えると名前ダサいな。
――ごほん。
そして三つ目、時流の外を歩む程度の能力!
今は三つ目の力を使って瞬間移動に等しい速度で動き、逃れた。
その名は……ん?
あれ、そういえば名前付けてなかったな。
ええと加速装置……いや、装置じゃない。
なら固有時制御とか……って、こっちもロボットの必殺技か。悪魔憑きの。
それならタイムブースターとか、あるいは……
考えつつ縁側へ歩いて行く。
後ろで、苦しそうなニュートが立ち上がった。
『――瑛音、何処へ行く。早めにカドを巡ってしまえ』
「ニュート、一つ質問。――姉さんの妹さんって、失踪当時に赤い服を着てなかった?」
首をかしげたニュートが、井手上さんと荒士さんの額を優しくぺちぺち。
彼女たちにちょっとだけ正気が戻った。
「はひー、警察の調書にそう書いていたそうですー」
「名前は、みちる……とか言ってましたね、風呂で」
『瑛音、お前まさか……!?』
小さく頷きながら、ゴヤの絵みたいな勢いで亡者に齧り付いてるウェンディゴを見る。
その腕には、赤い服の残骸があった。
「偉い人の日記がここの二階にあったよ。消失した大沢さんのご親族も、おそらくこっちに……」
『それで《神話》に触れ、ウェンディゴやイタクァに成り果てたか。だが、ああなっては戻せないぞ?』
「分かってる。でも、せめて解放してあげたい」
銃をしまい、両手でプラトーを強く握る。
井手上さんがぐるぐるした目で立ち上がると、ふらふらになりながら《レテの書》をパラパラとめくった。
荒士さんも鎖をしゃららんと回す。
ニュートは、自分をフードに入れろと前足ちょこりん。
「ニュート、弱点プリーズ」
『毎度で悪いが、ない。正面からブン殴るしかない』
「りょ!」
ダン!
思い切り床を蹴り、縁側からジャンプする。
真っ赤な空が開けた場所に出た。
……出た、らー!
さ、寒いっっーい!!
赤い日を浴びると、体温がドカッと下がる。
空に三つの小さな月があるけど、まるで水面に映るようにユラユラしている。
揺らぎのずっと向こうにいるな……旧支配者が!
影だけで本体は見えないけど、空が見える場所に長居するのは不味い。
そして目前のウェンディゴ!
食事を楽しんでいたようだけど、僕を見て気を変えたらしい。巨体がのそりと動いた。
半分喰われ欠けていた亡者の一体がこっちを見て笑った。
「かか、喰らえ! その小童も喰らってしまえ――ごぶ」
ウェンディゴの手中でブチブチという音が響き、くっちゃくっちゃという咀嚼音が重なっていく。
「お食事中に悪いんだけど、そろそろ目を醒ます時間だよ!」
『オオ――』
プラトーを構えると、反応したウェンディゴが亡者たちをポイ捨てする。
亡者たちは大慌てで家の中に戻った。
入れ替わりで僕がウェンディゴと対峙する。
『タ、ベル――』
「これ以上はいけない!」
呼び掛けるけど反応はなく、巨大な腕がブンと振るわれた。
まるで重機か丸太だ。
命中する寸前、プラトーでヒビだらけの皮膚をぶっ叩く。
そしてジャンプ!
打った位置を支点に僕自身のベクトルを変え、アクロバティックなパルクールでウェンディゴの腕に着地した。
そのまま全力疾走!
『瑛音、風呂でみた影を思い出せ。おそらく、あのモヤみたいのが人間として最後に残ってる部分だ』
「りょ!」
ウェンディゴの身体を駆け上りながらプラトーを振りかぶる。
さらに――チクタク感覚を蹴飛ばす!
神話から人の部分を切り離すのは、品川の事件で経験済みだ。
「境界よ、あれ、ヴァ――うわっ!?」
唐突に質量が消失した。
足がウェンディゴの上から離れ、刃の軌道がズレて――しまった、浅い!
弾き返され、そのまま空中に投げ出された。
「何だ……あ、飛んだのか!?」
巨体が、ふわりと上昇していた。
いや――違うか、ウェンディゴは風に乗っているんだ!?
『瑛音、奴はウェンディゴだ。ああ見えて《風》に乗れる、飛べるぞ!』
「みたいね!」
燃えるように輝く目がこっちを見た。
左右から巨大な両手が迫る――寸前、ウェンディゴの片手がギシっと止まった。
ウェンディゴの手に不可視の力がかかり、空中で停止する。
なにが――
「井手上さん!」
縁側を見ると、大きく手を振る荒士さんの横で、井手上さんがレテの書を開いている。
『こりゃ《鷲掴み》だな。相手が相手だから、あまり長くは保たんぞ!』
「十分!」




