Intermission カフヱ『ラヴォアール』
日比谷――
江戸時代の大名屋敷を整理して生まれたこの街は、日本初の近代公園である日比谷公園を中心に様々な施設が建ち並ぶ。
そんな日比谷には、東京を代表する建物の一つがあった。
名は『日比谷三角』
震災を挟んで完成した三角形状の建物は、ホテルや劇場など様々な施設を内包する先進的な総合文化施設だ。
そんなビルの片隅に一軒のカフェがあった。
大正ではバーやクラブ、キャバレー、ライブハウス、喫茶店、果ては風俗店まで区別がなく、すべて『カフェ』と呼ばれている。
日比谷三角のカフェは、舞台カフヱだ。
扉の銘に刻まれた名は『ラヴォアール』
客は店内奥に設えられた舞台で興される音楽や小劇などを楽しみながら、珈琲や洋酒、洋食を楽んでいく――そんな店だ。
その日、小さな舞台を独占していたのは一人の少女だった。
出身は想像がつかない。おそらく様々な国の血が混じり合っているのだろう。
年齢はやっと二桁を越えた程度だろうか。
紹介もなく、無造作に舞台に立った少女が始めたのは伴奏もない独唱。
だが――第一声が響いた瞬間、カフェ中に響いていた喧噪が沈黙する。
圧倒的な声量! 絶技の旋律!!
即興で華やかな装飾も加えられた情熱的なソプラノが、聞く者の感情を揺り動かしてゆく。旋律が進むにつれて客たちの魂は《幻想》に深く浸っていった。中には滂沱の涙を流す者さえいる。
そうして、どれほど酔いしれていたのか――
やがて客たちが幻想から醒めた。歌が終わったのだと気付く頃には、少女は既に舞台を降りた後だ。
「い、今の子は……」
手前のテーブルに座っていた年若い将校が呆然と呟く。友人らしき福々しい実業家が我が物顔で頷いた。
「どうだ、よいだろう。あの変わり者の侯爵、綾瀬杜殿の育みという噂のシンガァだ。さる伝手で今日の昼から舞台に立つかも知れんと聞いたので、これは是が非でも君を誘わねばと思ったのだが……気に入ってくれたか?」
福々とした青年がチラっと流した目線の先には、上品な服装をした長髪の少年がいた。
相当な家柄の子息と噂される少年は、少女シンガーが舞台に立つとき必ずいるとの噂があった。
「ああ、勿論気に入ったとも!」
青年二人が盛大な拍手を捧げる。釣られるように、呪縛が解けた観客たちもぽつぽつと拍手を捧げ初め、やがて大喝采となってホール中に響きわたった。
熱気はそのまま高い酒や上等な料理、厳選された珈琲のオーダーへと変わってゆく。まだ日も高いうちから皆が歌について、文化について、大声で語りあう中を、給仕たちが忙しげに回り始めた。




