第7話 変なトコ触った?
ほぼ逝きかけました。
割と危うかったですね。おっぱいリラクゼーション、恐るべし。
気を取り直しまして、地下ステージの最終エリアの調査開始です。
えーっと?
……昔々、あるところにひとりのお爺さんが潜んでいました。
ちょっと普通の人とは異なる特技や趣味を持ち、人知れず怪しい実験を繰り返していたお爺さんです。
ある日、お爺さんが街のコンビニエンスストアでお弁当を物色していたところ、交通事故に出くわしました。
気に入った商品をいつものように誰にも悟られる事なく鞄に収め、意気揚々と店を出ようとしたところで車が勢いよく突撃してきたのです。
のほほんとした日常の一コマは店のガラスとともに粉々に粉砕されてしまいました。
なんて日だ。お爺さんは忌々しげに肩を竦めます。
幸いお爺さんは視界の端に車体を捉えるやいなや、老人らしからぬ機敏さで即座に飛び退いたため、難を逃れました。
しかし、入店直後で背後をまったく気にしていなかったひとりの少女は、なす術なく車に轢かれてしまいました。
前方の商品棚へと強かに叩きつけられて四肢がひしゃげた上、パニックになった運転手が全力でアクセルを踏み続けたがために空回りするタイヤに髪や衣服のみならず皮膚までもが巻き込まれ、剥されていきます。
少女は何が起こったのかも分からぬままに虫の息。救急隊が現場に瞬時に出現しようとも、その命を長らえさせる事は困難を極めたに違いありません。
お爺さんはうきうきと胸を弾ませます。棚から牡丹餅が落ちてきた。己の日頃の行いがよいからだ。ああ、なんと幸運なのだろう? 新鮮な研究材料が手に入ったぞ!
少女はまだ生きています。
しかし、間もなく死にます。
物言わぬ肉塊になった後は火葬され、脆い白骨が残るのみ。使い道など、少量を骨壺に収めて墓に収めるのみ。
つまり、損壊した死体など誰も必要としません。
今や少女の肉体は『要らないモノ』と化したのです。
ならば、儂が持って帰って弄り倒しても問題はあるまい?
そう結論付けたお爺さんは、混迷を極める店内で手早く瀕死の少女から潰れた手足をもぎ取っていきます。
虫食いが見られる葉っぱを剪定するようなもの。活用し辛そうな部位は捨てて当然です。重量を減らした方が、持ち運びも容易になりますものね。
こうしてお爺さんは必要最低限の亡骸を抱えて根城へと戻り、自身の飛躍を実現させるための研究にさらに精を出すのでした。
めでたし、めでたし。
――――――と、いうわけで。
事の真相とは全貌が明らかになってしまえば、実に単純明快。そう大したものではありませんでした。
学校帰りにコンビニに寄ったところで車に轢かれ、フレッシュな死体と化してしまった私を行行林大蛇がこれ幸いと奪い去った。そして己が研究の一助とした。
ただ、それだけの事。
これらの真実は大蛇直筆の日誌により判明いたしました。
誰かが大蛇に罪を着せるために用意したミスリード要素である可能性もゼロではありませんが、太郎さん曰く『この字は大蛇の字だ』との事。
この廃屋の主は行行林大蛇で間違いないようです。
いえ、正統なる所有者は別にいるはずですから、実のところ大蛇もただの不法侵入者にして不法占拠者に過ぎないのでしょうけれども。
地下領域最奥の研究室には、太郎さんのライト以外にもいくつか光源が存在しています。
そのうちのひとつは私の死体が収まっているガラス水槽。電気による照明ではなく、四隅に沈められた白濁水晶が淡い光を放ち続けています。
全身に一切の損傷がなく、水の中で安らかな寝顔を晒していたのであれば、少なからず神秘さを醸し出しもしたのかもしれません。
実際には、悪しき狂科学者の秘密研究所っぽさを演出するオブジェクトでしかありませんけれど。
そして机上でも一向に減らない蝋燭たちが、私の小指程度の火を発し続けています。
乱雑に積み置かれていた何冊ものノートは、私たちに全てのネタばらしをしてくれる備忘録を兼ねた日誌や、再び頂点に返り咲くための策を記したアイディア帳でした。
「記録は全てペンで紙面に。随分とアナログなんですね。お爺ちゃんだから仕方がない事なんでしょうか?」
「それもあるかもだけど、そもそも退魔技術と電子機器は相性があんまりよろしくないしな」
強固にして緻密なる結界に守られた空間です。何らかの方法で電源を確保しようとも、通常機器による通話やネット接続などは叶いません。さらにオフライン用の機能にも、悪影響が生じる可能性は無きにしも非ず。
そして幽霊はカメラに映りません。一般的な動物実験のように動画撮影によって記録を残す事は不可能です。
ついでに大蛇は退魔業界における指名手配者。逃げ隠れし続けなくてはならないのです。いくつもの隠れ家や研究室に、それぞれきちんとした設備を配する事は容易ではありません。
そんなこんなで、斯様に電化製製品がまったく見られない前時代的な研究室が出来上がるようです。
まぁ、おかげでデータ消失やパスワードに悩まされる事なく、大蛇の実情を把握する事が出来るのですが。
どうやら室内はノーガード。読む者の正気度を削るような術は施されていないらしく、太郎さんは手早くノート類を調べていきます。
自身しか使用しない秘密の空間では、セキュリティよりも利便性を重視して当たり前。
さすがに持てる技能全てを結集して固めた防御が『ほい』の一言で一刀両断されてしまうとは、昔日の大蛇も考えてはいなかった事でしょう。
というか、考えるだけ無駄です。
太郎さんが足を運んだ今日まで、この場は秘められ続けて来ました。大蛇の防犯システムは十分に高性能であったといえます。
「より自立した式神。自ら考え、改良し、発展を実現する式神……命令を待つだけじゃなくて、率先して動いてくれる有能な手下を確保したかったのか。単独犯なんだから順当な考えだな」
太郎さんは紙面に視線を這わせて、ふむふむと頷いています。
「この小娘は、実に度し難い。まったく、最近の娘は。まぁ、扱いやすくはある。とはいえ、やはりこの愚かさは悩ましい。愚民は蔓延る。どこにでもおる。やはり優良な者が下々を正しき方向へと導いてやらねば……って、凄まじく上から目線だな、このジジイ。読んでてムカっとさせられるぞ」
太郎さんは大蛇の記述に対し眉を顰めて不快感を露わにしていますが、私は対照的にこっそりと胸を撫でおろしていました。
紙面から察するに、大蛇は私という少女を解析し、その趣味嗜好を詳しく知ったがゆえに『度し難い』と評価しているようなのです。
太郎さんは察しきれなかったようですが、私には分かります。だって、自分に対する批評ですから。
つまり私のおっぱいに対する執着は、大蛇の思惑によって後天的に搭載されたものではなく、生来のものであったようです。
可愛い女の子が好き。
おっぱいが大好き。
パフパフしたい。
クンカクンカしたい。
これらが私自身のモノではなく、無理やり付け加えられた要素にして渇望であったなら、アイデンティティの危機でした。
まぁ、それはそれとして勝手に深層まで心を探られた挙句に『度し難い』とまで書き残されるのは、私もちょっとムカっとさせられますね。
いいじゃないですか。同年代の同性に密かにハァハァと興奮するくらい可愛いモノでしょう? 少なくとも乙女の亡骸を捏ね繰り回す犯罪者よりは、断然。
「調整終了。良好。第3段階へ。試行を開始。性能はあまり。思ったほどでなし。要検討……」
調整、ですか。
大蛇に記憶を制限され、認識を狂わせられていた事もまず間違いないようです。
真実を知った今、私の中には大蛇に対する強烈な悪感情が――――――意外と湧きません。
もし事故当日に大蛇がコンビニ内にいなければ、私は今こうして思考する事すらなかったのです。
霊体としてではありますけれど、現世に留まれているのは大蛇のおかげ。
深く感謝する必要まではないでしょうが、唾棄する必要もない……かも? 何やら複雑な心地です。
「改良、再調整。試行続行……成果、芳しからず。んー、どうやら大蛇が理想とするラインには届かなかったっぽいな」
「つまり私は大蛇的には失敗作だったと」
「上手く調整しきれなかったから、葉月は地上部で何もしないまま延々と漂う事になったんだと思う。さっき上で見た仕掛けたちは多分サンプルだな。こんな感じの仕掛けの改良をしとけよって」
『いいえ、あれは全て私の仕業です』とは口に出さず、軽く首を傾げておきます。
大蛇の目論見はある程度、達成されていたのでしょう。私はよりよい罠を思案し、模索し、地道な改善を重ねていたのですから。
「何故、大蛇はこの地下や私を放置したのでしょうか?」
「遠出した時にもっと過ごしやすそうなトコを見つけて、そっちで暮らし始めて、いつの間にかこっちを忘れたとか?」
「それは……さすがに雑過ぎませんか? 私とここの扱い」
「隠れ家は各地に点在してる方が便利だしなぁ」
「忘れ去ってしまっては、どれだけあっても意味がありませんけれどね」
とはいえ、忘却された事を私は喜ぶべきです。
尖兵として活用されまくった末に、太郎さんやそのお仲間に討たれてあえなく消滅。そんな結末は全力でお断りしたいものですから。
「技術レベルから察するに、ここは割と初期のアジトか? 最後の作戦じゃ結構な数の駒を操ってたし……」
再びノートに注視する太郎さんを尻目に、私は『自身』へと意識を注ぎます。
私は今、やはり安堵しています。
両親の事も友達の事も何ひとつ鮮明に思い出せませんが、それは全て大蛇の『調整』のせい。
私が特段に薄情だったわけではないのです。
娘が若い身空で死んでしまい、両親はきっと悲しんでくれたはず。お花を抱えてお墓へも参って、そっと手を合わせてもくれているはず。ふとした瞬間に私を思い出し、瞳を潤ませてくれているはず。
そんな中、娘は『おっぱい♪ おっぱい♪』とお馬鹿な一念に心を染め上げて罠作りに勤しみ続けているのです。親不孝この上なしですよね?
でもでも、素じゃありませんでしたし? 大蛇のせいですし? セーフです。私、悪くないです。
「……死ぬ前の私は、どんな女の子だったのでしょう?」
ぽつりと呟き、私はガラスの向こう側で永遠の眠りに就いている『私』に触れます。
ない手を伸ばし始めてから『何らかの術に阻まれて触れられないのでは?』と思いましたが……予想に反して、私は『私』に触れられました。
「ぁっ……んっ」
途端、こちら側へと多くの何かが流れ込んできます。
形容しがたい、ひどくあやふやな奔流。膨大過ぎてすぐには理解しきれないそれらは、私の記憶。
霊体である今の私が持ち合わせていなかった思い出。身体の中に残されている私自身。
私の名前は湯宮寧々寝子。
日々仕事に追われ、睡眠時間を削って無理を重ね、その果てに過労死。そんな悲しい未来だけは避けられるように。穏やかに眠れる人生を送れるようにと、心より息災を願ってつけられた名前。
のほほんとした名前だと思います。まことに遺憾ながら、私は社会に出る前のモラトリアム中に事故死してしまったわけですけれども。
「太郎さん。私……思い出しました。本当は寧々寝子と申します。湯宮寧々寝子」
私、実は雪の降る寒い冬の日に死んでました。今しがた得た記憶が確かであるならば、2月11日です。
夏休みはとっくに過ぎ去った後。先輩方も部を引退した後。そして肝試しなど、実際には行われていません。
ただ、私の中に『もっと皆と何かをやっておきたかった』との思いが燻っていたのでしょう。
そのために『夏に肝試しの下見にこの地へと参り、死亡したのだ』という大蛇の『設定』を、私は快く受け入れ、信じたのだと思います。
これにより例え退魔人と遭遇しようとも、私が即座に大蛇の情報を漏らす事はありません。理に適った処置です。
8月20日が命日なのだと何の疑いも持たずに確信していた自身に、ほんの少しだけ苛立ちを覚えます。
抵抗のしようなどないとは理解しているのですが、都合よく認識を操られた事はやはり悔しいです。
まぁ、太郎さんと出会えた以上、思い出深い日付になった事は間違いないのですけれども。
これでもしも太郎さんがうっかり日付を間違えていて、実は今日は19日でしたとか21日でしたとか、後ほど訂正の必要性が浮上したら……何だかもう踏んだり蹴ったりですね。
「ねねねこ、か」
「はい。ねこでも、ねねこでもなく、ねねねこ。ねが多めです」
「覚えやすいし、可愛らしい響きだ。いい名前だな」
「ふふっ、覚えやすさに関しては、太郎さんに敵いそうにないですけど」
「あー……インパクト強いもんなぁ、イキリアクメ太郎は」
私の微笑みにつられて、太郎さんも頬を緩めます。
太郎さんは見事に堕ちた退魔人の未発見拠点の最奥まで到達。多くの資料を入手しました。しかも被害はほぼゼロです。
つまりは苦戦や苦悩がなく、心身を飛躍させるイベントには直面しなかったともいえます。
買ってでも苦労がしたい今の太郎さんにとっては、肩透かしに終わったといえるのかもしれませんが……まぁ、何事もないに越した事はないですよね。
手に負えない事態に直面し、必死の努力も甲斐なく落命してしまうよりはずっといいです。
次のミッションが経験値的に美味しいものである事を願っておきましょう。
そして私はえっちなトラップを仕掛けた張本人とバレる事もなく、哀れな被害者として廃屋より助け出される身です。
太郎さんは律義な方っぽいので、きちんと帰路では私を優しくお姫様抱っこしてくれる事でしょう。
外に出られます。
これまでの孤独で単調な日々は終わり、刺激と麗しさが満ちた新たな生活が始まるのです。
死んでますけど、まだ終わってません。まだまだこれからですよ、私の人生は。
色々ありましたけれど、終わりよければ全てよし!
寧々寝子ちゃん大勝利!
希望の未来へヒアウィーゴーなのです!
『自爆装置、作動。停止には7分以内に合言葉を発声。自爆装置、作動。自爆装置、作動』
何か急に剣呑なアナウンスが室内に響き始めました。
空耳でしょうかと首を傾げる余地などない、実に大きな宣告でした。
「お、俺、どっか変なトコ触ったか?」
きょろきょろと太郎さんは周囲を見回しますが、それで不穏な空気が散る事はありませんでした。
スムーズに希望の未来に羽ばたかせてくださいよ!
何なんですか、もう!