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第3話 くすぐり襖

挿絵(By みてみん)

『我が使い手様はつくづく凪やら退屈やらとは無縁の人間だな。ふふん、稀代の霊刀であるあたしがしっかりフォローしてやらねーと!』


法律や常識や通念から逸脱せずに生きる善良なる民もいれば、そんな人々を容赦なく足蹴にする反社会的な罪人も存在します。


子孫を守護する祖霊や家中に福をもたらす座敷童のような妖怪もいれば、人肉に舌鼓を打つ獰猛な魔獣も存在しています。


そして己が使命に実直な退魔人もいれば、遺憾ながら私欲を満たす事にばかり傾注してしまう悪しき退魔人もいたそうです。


玉石混淆。それが人の世であり、現実というもの。むしろ汚職に手を染めた退魔人が過去にひとりもいなかったと断言されてしまう方が、不自然さを覚えてしまいます。



太郎さん曰く―――かつて行行林おどろ家なる退魔の名家があったそうです。


彼の家は様々な秘術を古来より連綿と継承し、それをもって人界に忍び寄る幾多の脅威を討ち払い、郷土に安寧をもたらしてきました。


しかし、いつの頃からか……崇高なる技術を悪用し始め、行行林の一族は自身らを富ませる事に腐心してしまいます。


守るべき人々の心を操り、尋常ではない手段で富と地位を独占し、行行林家は栄華を極めます。彼らは己が郷土を完全に支配下に置いたのです。


逆に言えば、自身の郷土以外は何ら支配出来ていませんでした。全国津々浦々に退魔の家々は存在しているため、結局その悪行はバレてしまい、行行林家は堕落した一族として厳粛に処断。あえなくお取り潰しになったとの事。


『もし万が一、ご都合主義的な高性能催眠アプリを入手しようとも、決して調子に乗り過ぎてはいけない』といったところでしょうか? 洗脳した人数が増せば、その分だけ綻びも生じやすくなるものです。



「行行林家そのものはもうないんだけど、大蛇おろちって男が捕縛を免れて行方を晦ましたんだ」


「そして御家の再興や復讐のために、今なお雌伏し続けてるんですか?」


「いや、本人もちょっと前に死んだ。怨霊とかになってない事も確認済みだ。行行林の処断自体、俺が生まれるずっと前に起きた事件。大蛇もかなりの高齢で、最期はもう完全にボケ老人と化してた。でも、ボケる前は葉月が察したように野心モリモリで、かつ無駄に優秀な術者でもあった。ここが問題になるわけだ」



退魔人の追跡を逃れるため、大蛇は幾星霜に渡り日本各地を転々とし続けました。


それでいて返り咲く事を夢見て研鑽を怠らず、技や道具の開発と改良にも余念がなかったとの事。


彼の死後、大半のアジトや研究室は無事に発見され、独自の発想が認められた資料やヤバげなアイテム類も回収されました。


しかし、全ての隠れ家を見つけ出したとは断言出来ません。大蛇も自身がボケ始めている事に気づいて備忘録を用立てたそうですが、それにすら記載漏れは生じていたそうです。



「地雷とか毒ガスが埋まってるようなもんだ。しかも埋めた本人すらどこに埋めたか、正確には記憶も記録もしてない。なおかつ既に死亡済み」



厄介極まりない置き土産です。異能を持つ退魔人にしか発見と処理が出来ないという点も、厄介ポイントを一層増させます。


ごく普通の危険物であれば警察や自衛隊による人海戦術をもって、捜索と処理を速やかに進められたでしょうに。


かといって何も知らない一般人が偶然アジトのひとつに迷い込み、何かのアイテムを発動させてしまう可能性もゼロではなし。


はたまた慮外な野望を抱く行行林一族的な退魔人が遺産を発見し、隠匿し、ろくでもない事を仕出かす可能性だって考えられます。


生前整理はきちんと済ませて頂きたいものです。



「現に俺、大蛇の隠れ里に放置された罠に引っかかっちゃってさ。その後も色々あって、結果こんな事になっちゃって」



グッジョブです、大蛇老。


しょんぼりと肩を落とす太郎さんに対し沈痛な面持ちで頷いて見せつつも、私は胸中にて見知らぬ老人へと喝采を贈ります。



「つまり大蛇の潜伏場所であったかどうかを見定めるため、ここに?」


「ああ。夏目市……俺が住んでる町は無茶苦茶細かく調べたんだけど、この辺は担当してる御家がちょっと頼りなくてな。調査漏れがあるかもしれないから、改めて俺たちが見て回ってる」



駐在所のお巡りさんのパトロールでは安心出来ないので、本庁から人員が派遣されました、といった感じでしょうか?



「大蛇が関わってなくても、放っておかれた廃屋は災厄やら犯罪の温床になりやすいしな。見回りは無駄にならない」


「太郎さんって、実はかなりのベテランさんなんですか?」


「ははは、まだまだ半人前だよ。退魔人とか裏の世界についてちゃんと知ったのも、今年の4月だし」


「半年も経ってないじゃないですか。それなのにお独りで?」



未熟さを残す新進気鋭の女戦士が単独任務。やはり失敗フラグが出発前から屹立してしまっているのでは?


私としましては、太郎さんには踏んだり蹴ったりぐちょぐちょねちょねちょドロッドロな目に遭って頂きたいので、旗が立つのは大歓迎ですけれども。



「俺は眼がよくて色んなものに気づきやすいんだ。それに人外に特攻な鈿碼の使い手で、大抵の障害には対処可能だからな」



心配無用とばかりに、太郎さんはにっこりと笑って片手を上げて見せます。


上腕の力瘤を固辞したかったのかもしれませんが、手弱女たおやめという表現がよく似合う細さであり、筋肉は目に見えて隆起しません。キスしたり頬擦りしたり、様々な方法で愛でたいぴにょんとした二の腕です。私、別に腕にはそこまで執着していなかったはずなのですが……これが『味に目覚める感覚』でしょうか?



「私はどのくらいここにいるかは分かりませんけど、そこそこ長くいると思っています。でも、私はここでご老人を見た覚えがありません。太郎さんが死後初めての訪問者です。行行林大蛇なる人物が関わっている可能性は、かなり低いかと」



素直に所感を告げた直後、少しばかり後悔しました。


『怪しげな人影を見た覚えがあるような、ないような?』と、曖昧なコメントをすべきだったでしょうか?


この先には女の子を赤面させるためだけに設置した我が作品群が待ち構えております。


大蛇がここに一度も足を運んだ事がないのであれば、この廃墟内の罠は一体誰が仕掛けたのでしょう?


当然、ずっと家賃を支払わずに居座り続けている地縛霊に疑いの眼差しが向けられてしまいます。


……むぅ、かといって、今ここで慌てて『あっ、そういえば、変な老人を見た事が何度か!』と前言撤回しては怪しいでしょうし。


失敗してしまいました。



「大蛇が何かを企んでいて、そのせいで葉月は独りで地縛され続けてるのかもしれない。例えばこの廃墟に何かしら重要なモノを隠してて、葉月はある種の警報装置代わりとか。そして自分の情報が漏れないよう、葉月の認識を狂わせておいた可能性も考えられる」


「実際には出入りしてたのに、私にはそれが見えないし、覚えられない? そんな事が可能なんですか?」


「今、鈿碼が見えるか?」



問われ、私は太郎さんの腰から鈿碼さんが失われている事に気づきます。


実際には私が知覚出来ないだけであり、鈿碼さんは今も太郎さんの腰に装備されたままなのでしょう。


つまり太郎さんは最初から鈿碼さんを腰に下げていたのです。私の瞳では捉えられなかっただけで……。


街中で日本刀を装備したまま動き回れば、お巡りさんに呼び止められてしまいます。そこで太郎さんは周囲が鈿碼さんに気づけないよう、適切な術を発動させていたようです。


先ほどから刀身や鞘が露わになっているのは、人目のない廃墟内でわざわざ隠し続ける必要がなかったためでしょう。


隠蔽に回していた力をカットし、余裕を得る。リソースの管理運用は、未踏の危地において非常に重要です。



「私のようなか弱い幽霊くらい、どうとでも出来てしまう。そしてここが大蛇の拠点のひとつであったならば、追跡者に備えて罠が多数設置されていても何らおかしくはないという事ですね」


「そういう事だ。葉月に心当たりがなくても、気は抜けない」



つまり、この先で何が起ころうとも悪いのは全部大蛇です。


風……吹いて来ていますね。確実に、着実に、私の方に。



「よし、俺もかなり休憩出来たし、そろそろ本格的に調べて回るか」



今一度鈿碼さんを抜き放ち、自身にも言い聞かせるような重々しい声調で意思を紡ぐ太郎さんに私はしばし見惚れます。


格好イイです。お姉様と呼びたくなってきました。太郎さんはまず間違いなく、私よりも年下なのでしょうけれども。



「あの、私も……何も出来ませんけど、ついて行ってもいいですか? ここでただ待っているのも、心配で……」


「むしろこっちからも頼みたい。何か気づいた事があったら教えて欲しい」


「分かりました。頑張ります」



こくりと頷き、私は太郎さんの後ろに回ります。本音を言えばお顔とお胸を真正面から捉え続けたいのですが、進行と斬撃の邪魔になってしまいますから、ここは背後霊に甘んじておくべきでしょう。


薄っすらと汗と甘い匂いの浮かぶ首筋がとてもエロティックなので、これはこれで悪くありません。


太郎さんは周囲を見回しながらに、ゆるゆると前進していきます。



縁側は雨戸が閉められてはいるものの、経年劣化により―――何より私の遊び心ある演出により―――小さな穴が開いており、屋内にはささやかな木漏れ日がもたらされています。


完全なる闇に閉ざされてはいない。しかし読書や刺繍に興じるには暗過ぎる。果たしてこの奥には何が潜んでいるのか、目を凝らしても分かるかどうか。そんな恐怖心を煽る程よい光量。


これより太郎さんが直面する第1の罠は、くすぐり襖です。


庭周辺に生えていたネコジャラシを地道に採取。壁に立てかけた襖にかき集めた穂を丁寧に貼り付けた上で、幽霊らしくオカルティックなパワーを注入。


具体的に何がどう作用して変化が生じるのか、私にも実のところよく分かっていません。理想を思い描きながらに『ふぬーっ!』と気張ったところ、その時不思議な事が起こってくれたのです。


そんなこんなな詳細不明の経緯により、襖に生い茂るネコジャラシは理不尽なまでに穂のふわふわ感を増した上で、異様に活き活きと蠢くようになりました。もはや触手壁と表しても過言ではないうねりっぷりです。


何も知らずに通りかかったお客様は壁際にあった古い襖が突如倒れ掛かって来て、ビックリ仰天。押し倒されて目を白黒させていると、その表面がうねうねもぞもぞと全身をいやらしく撫で回します。


その愛撫に等しいくすぐりは対象者が失神するまで止まりません。


笑い泣き、呼吸を乱し、涎を垂らし、全身の性感を昂ぶらさせられてしまう。正気度や我慢度を確実に削り、かつ興奮度を高めるのですから、エロエロなダンジョンの序盤に相応しい種のトラップと言えましょう。



さぁ、太郎さん。


引っかかってください。


くすぐられてください。


その豊満で敏感な肉体を、これでもかと弄り回されてください。


鳴いてください。喘いでください。トロトロのヘロヘロになってください。


……私の指や舌ではなく、ネコジャラシに翻弄されるというのは、何だかちょっぴり悔しい気もしますけれど。


いえいえ、私が集め、造り、注いだパワーで動いているのです。太郎さんは私に捏ね繰り回されるも同然ですよね。


眼がよいそうですが、発動するまではただの古びた襖。違和感などまったくないはず。そして急にがばーっと倒れ掛かられては、自慢の刃を揮う暇だってないはず!



いっぱい集めました。


せっせと集めました。


ただ独りで、黙々と……。


穂の毛の具合や形がよいものを丹念に選別しました。


太郎さんの肢体に触れるひとつひとつのネコジャラシ、それぞれが精鋭なのです。


果たして実働する日が来るのでしょうか? 今後も誰も来ないのでは? 私はずっと独りぼっちなのでは? 無駄な事をしているのでは? そう寂しく憂えたあの日々は、決して無為ではなかったのです。


何故ならば今日、私の眼前で極上の獲物がかかるのですから!



「はっ!」



太郎さんは熱のこもった声を吐き、鈿碼さんを一閃。薄暗い家中に刹那のみ刃が煌めきます。


少なくとも100時間以上かけてコツコツ制作したトラップは、たった今ゴミくずと化しました。


何という事をしてくれやがるのでしょうか、マジで。



「今度は勘違いじゃなかったぽいな。間違いなく妙な力が宿ってたぞ、この襖。やっぱ何か妖しいな、ここ」


「そう、なんですか? 私には何も分かりませんでした。でも……自分が漂ってた場所のすぐ傍に変なものが置かれてたなんて……怖いです」



声が震えます。もちろん戦慄しているがゆえにではなく、不服さが多大であるがために。


可愛さ余って憎さ百倍ですよ? 怒りが抑えきれそうにありません。



「大丈夫。葉月の事は俺が守る。安心してついて来てくれ」



トゥンクと、ない心臓が高鳴ります。


どっしりと大きな頼り甲斐。


この人に任せておけばきっとどうにかなるはずだという、信頼感と安堵感。


私の心中に確かにこみ上げていたはずの不満が一瞬で消し飛ばされます。


あ~も~、しゅき♡ 憎さ転じて可愛さ千倍、愛情は万倍ですよ。ときめきが抑えきれません。


今のセリフが聞けただけで十二分。くすぐり襖は大活躍判定でOKですね。



「……すみません。もう一度、お願いします」


「ん? 葉月の事は俺が守るから、そんなに怖がる必要はないって言ったんだ。気を抜かれ過ぎても困るけど、そんなにビクビク怖がらなくていい。大丈夫だ」


「絶対に守るから、安心して俺について来い。これもう実質的プロポーズですよね?」


「いや、違うから。退魔人としての発言だし。愛の告白じゃないし」


「……そういえば、太郎さんにはもう想い人がおられるのでしたね。その方は女性、ですよね?」


「当たり前だろ。俺はもともと男なんだから。可愛い恋人と思いっきりイチャイチャするためにも、さっさともとに身体に戻らなきゃいけないんだよ、俺は」


「ふふ、ベタ惚れなんですね。太郎さんがそこまで想う素敵な方に、私もいつか会ってみたいです」


「すぐ会えるよ。よほどの事がない限り、このペースなら1時間もかからず調査は完了だから」



やるべき事を終えて帰還する太郎さんとともに、私もこの廃屋を後にする?



「……無理ですよ。私、外に出られません。地縛霊ですから」


「俺が何とかしてやる。任せろ」



これは……もういっそ全てのトラップをこっそりオフにして、とんとん拍子に調査を終わらせるべきでしょうか?


当初は『永遠に終わらない夏休みを、私とともに』などと頭の片隅で一瞬だけ考えもしましたが、ここを離れられるのであれば話は別です。


私好みの太郎さん。そんな太郎さんが心惹かれている想い人さん。


きっと美人さんですよね? 実は太郎さんがとんでもないブス専で、特撮映画のクリーチャーじみた女性しか愛せないだなんて事、さすがにあり得ませんよね?


太郎さんに憑いていけば……私は両手に花な状態に?



「お任せします。そして改めてお願いします。私をここから連れ出してください。出来れば、お姫様抱っこで」


「かしこまりました、お姫様」



微笑を浮かべて頷く太郎さんは、最高の一言に尽きました。私はまたも太郎さんにうっとりと見惚れます。


そして――――――こうも思いました。



それはそれとして、この余裕をボロボロに崩してしまいたいと。


頼もしい言葉を紡ぎ出すあの潤いある唇から、だらしなく惚けた声と涎を漏らしてもらいたいです。


優しげな笑みを悔しさで歪ませ、なおかつ羞恥によって色づかせたくもあります。



仕方がないですよね。


太郎さんが麗し過ぎるからいけないのです。


調査の早期完了を望みつつも、私は太郎さんを大いに困らせるためにそれとなくトラップへと誘導する決意を新たにしました。


私が黒幕だと、バレないように努々注意しましょう。


太郎さんに嫌われてしまうなんて、悲しいですから。



天井から蛇のごとく縄が垂れて、いやらしく縛り上げようとしてきたり、思わず身体のある一点をすり寄せたくなってしまう魅惑の角を持つテーブルがキッチンに置かれていたり。


他にもあれやこれや……それもこれもあれもどれも全部、何もかも大蛇ってご老人のせいらしいです。


まったく、度し難いですよねー。


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