第1話 初手プロポーズ
青々とした数多の木々に囲まれた木造2階建ての一軒家。屋根の色は赤で、壁の色は白。
経年劣化によって建設当初の色鮮やかさはもう見る影もありませんが、それでも辺り一面が緑に覆われているためコントラストは中々のもの。映える1枚が撮れそうな景観です。
裏山には―――遠目なので種類が分かりませんけれど―――重厚感ある大きな木が生えており、東京の大学で考古学を教える先生であれば、きっと『あの木を見て、お父さんはここに引っ越す事に決めたんだよ』と感慨深そうに我が子に向けて語る事でしょう。
いえ、実はその非常勤講師は筋金入りの楠愛好家であり、大木が楠でなければ即座に選考外と相成る可能性も?
何はともあれ、郷愁や安堵を湧かせてくれる可愛らしい造りの家屋です。鄙びている点も、日本人好みの侘び寂をほどよく漂わせる美点に転じます。少なくとも、よく晴れた日中は。
地縛霊になって以降、私が趣味と実益を兼ねて地道に手入れをし続けてきた事により、家も庭も長年に渡り放置されてきたとは思えない状態を保っております。
「……何なんだ、この違和感?」
玄関に足を踏み入れたばかりの黒髪ちゃんが、ちらりと背後を振り返ります。
「あぁ、綺麗過ぎるのか。ここまでの道は草もぼうぼうで歩き辛かったのに、この家の周りだけ草刈りがしてある。それに家の中の空気も……思ってたほどカビ臭くない。人の気配はないけど……ないよな? そっちも気を付けてくれ。俺、意外に抜けてる方で―――は? 意外だろ? 基本的に真面目でしっかり者だぞ、俺は。宿題だってもう全部終わらせてるし? 超優等生だぞ?」
彼女は今この場に独りで立っているにも関わらず、誰かと会話しているような口ぶりです。
イヤホンやモバイルなど、遠方との通話を可能としそうな電子機器はまったく見当たりませんが、私が死んでいるうちに何らかの技術革新があったのでしょうか?
「当たりかもしれないな、ここ」
そのまま退き返してしまうような事はなく、華奢な少女は前方を見据え直し、さらに一歩前に歩を進めます。
イイ子です。そのまま薄暗い奥へと視線と意識を向け続けてください。
闇満ちる廊下の角からお客様を凝視しつつ、私もまた意識を集中。念動力という見えざる手で玄関引戸をゆるゆるとスライドさせ、閉ざす事にいたします。
かすかに物音がしたような気がして何気なく背後を振り返ると、いつの間にやら戸が勝手に閉じていた。ささやかながらも着実に恐怖を煽る怪奇現象です。そして彼女が緊張した面持ちでごくりと口内に溜まった唾を飲み込んだところで、私は古びた玄関収納棚の上に置かれたこけしの首をちょんっと念動力でつつき、落します。
かつんと、静寂に満ちた家屋内に突如乾いた音が響くのです。うら若き乙女の心はさぞ慄く事でしょう。
我慢せずに悲鳴を発してもらいたいところです。何ならおしっこを漏らして頂いても構いません。お股をびしょびしょに濡らそうとも私はまったく幻滅しません。むしろ幼気なリアクションに好感度は爆上がりですよ?
離脱するために慌てて戸をスライドさせてようとしても、もう遅いのです。鍵がかけられずとも、私が日々せっせと磨き上げたテレキネシスにより、出入り口は固く封印されます。
叩こうが蹴ろうが、こけしの頭を拾って全力投球しようが、戸は壊れません。絶対に開きません。
それはその他の窓ガラスたちも同様です。決して開かず、外れず、割れず、愛らしい乙女を外には出しません。
『断じて逃がすものですか!』という私の漆黒の意志が、家屋の頑強さを見た目からは想像も出来ないほど高めるのです。
彼女が怯え竦んで可愛らしい反応を見せてくれればくれるほど、私のテンションは上昇し、念動力のパワーも増します。
私は死者で、あの娘は生者。何もかもが反対で、反比例。あちらにとっての負のスパイラスは、こちらにとっての正のスパイラル。
即座にむしゃぶりつきたいのに、健気に我慢しているのです。今日まで待ちに待った私への前菜に相応しい、心潤す可憐なリアクションを――――――。
「あっ、そうだ。むんっ!」
――――――少女はその場でくるりとターンし、今まさに私が閉めようとしていた戸をいくらか持ち上げ、挙句そのまま強引に2枚とも取り外してしまいました。
何という事でしょう。出入り口を塞ぐものが根こそぎ失われたため、玄関には外界から大量の陽光と風が流れ込んで来るではありませんか。かつてない解放感。思い切った決断を成せばこそ実現する劇的な変化です。
いやもう、本当に……何という事を仕出かしてくれやがったのでしょう?
閉まっている戸や窓に念動力を込めて内外を隔絶する事は可能ですが、あの重たい戸を浮かばせ、再びレール上にきちんと嵌め込むだなんて……そんな精密な重労働など、私の今のテレキネシス技術では不可能です。
仮に肉体があろうとも、おそらく成し遂げられません。か弱い乙女単独には荷が勝ち過ぎます。何故、彼女はあの細腕であっさり戸を外せたのでしょう?
「これでよし。退路はしっかり確保しとかないと」
そもそもにして……彼女は何者? 何が目的でこの廃墟に? 先ほどの『当たり』という呟きが意味する事とは?
現状、何も分かりません。
分かっている事は彼女が可憐で、おっぱいも大きくて、なおかつお尻のボリュームも中々なモノである事くらい。
ビーティフルにして、パワフルにして、ミステリアス。
一層、心惹かれます。
端的に言って、しゅき。
是が非でも『ひゃぅぅぅ!』やら『はわわーっ!?』と泣かせたり、もしくは『あくぅん♡』などと鳴かせたいものです。
(よく分からない手強い獲物、大いに結構。攻略が難しいキャラほど愛着だって増すものです。いいでしょう。私もより気を引き締めて、貴女と対峙いたします)
出だしから予想外の展開ですが、ここは事前の筋書き通りにこけしの頭部を落とし、彼女の足元に向けて転がす事にします。
ここには何かがいる。
姿の見えない何者かがいる。
どうやら一筋縄ではいかないようだ。
そう伝えてあげましょう。ある種の宣戦布告です。
怖がりな女の子であれば即時撤退を選択するに違いない出来事ですが、彼女はきっと逃げません。
私という地縛霊が実在しているのです。オカルトな現象に対応する専門家が存在していても、何らおかしくはありません。
初めてのお客様がこちらを討ち滅ぼす力を持っているかもしれない、ゴーストバスター。
私は運が悪いのでしょうか?
いいえ、本当に運が悪ければ、麗しさなど微塵もない仙人じみた老翁に『喝!』やら『破!』と怒鳴られ、強制的に成仏させられていたはず。
若輩の霊能力者。単独任務。詳細不明の廃墟。その実態はエロトラップダンジョン。
もうフラグがてんこ盛りじゃないですか。これはむしろ私に追い風が吹いていますよ。
私はウキウキと心弾ませ、いそいそとパワーを集中させ直し――――――。
「ん!? トゥア!」
――――――こけしの頭をわずかに揺さぶりかけた、その瞬間。少女は凄まじい勢いで片腕を振り上げました。
その手の平はしっかりと握り締められており、いつの間にやら長めの日本刀がさも当然そうに収まっていました。
かここぉんと、ふっ飛ばされたこけしが壁にぶつかり実に木製品らしい音を奏でます。
いやいやいやいや! 今まで刀なんて持っていませんでしたよね? いつの間に装備したんですか? アイテムボックスから取り出したんですか? チート持ちの転生者か何かですか? ここは日本ですよ? ファンタジー世界じゃありませんよ? 地縛霊はいても魔王やドラゴンなんていないんですよ? いませんよね? 実はいるんでしょうか?
「……むぅ。何か妙な気配が湧いたような気がしたんだけど、勘違いか? 本当にただのこけしでしかない、よな?」
少女は鋭い切っ先で床に転がったこけしの頭をつつき、異常がないかを確認しています。
軽く上体を傾けたために胸の膨らみの豊満さがより強調されます。あの魅惑的な姿勢を自発的に取ってもらえたのですから、結果的にはオールオッケーですね。
(って、のほほんと眺めてる場合じゃありませんよ、私)
私自身も、私が制作したトラップ群も、あの刃にあっさり一刀両断される可能性があります。
より慎重に行動すべきでしょう。
『私は幽霊なので、誰にも見つからず自由に行動が可能なはず』との考えは、甘過ぎると見るべきです。
少しでも気を抜けば発見されてしまい、問答無用で斬りつけられ、霧散してしまうと想定しておきましょう。
この廃屋は都市部では豪邸に分類して差し支えない広さを有します。逃げ隠れしつつひとりの女の子にあられもない姿を晒させる程度、不可能ではないはずです。
例え相手が日本刀を持った霊能力者であろうとも。
ええ、私ならば出来ます。見事に夢を成就してご覧に入れましょう。何ひとつとして味わわぬまま消滅させられてしまうなんて、絶対に嫌です。
(ファイトです、私!)
「…………ん? 女の子?」
――――――あっ。
即行で発見されちゃいました。
気合を入れ過ぎた事が悪かったのでしょうか? 付け加えれば、意気込んだ拍子に一歩分未満とはいえ、うっかり前進してしまった事も悪かったのかもしれません。
陽の光が届き辛い廊下の奥に潜んでいた私の顔を、少女の眼差しはしっかりと捉えています。円らな瞳がエクセレントですね。
どうしましょう? とりあえず敵意がない事を表明すべきでしょうか? ぷるぷる。わたしは、わるいゆうれいじゃ、ありませんよ?
事実、私には彼女に対する『敵意』など芥子粒ひとつ分すらありません。むしろ親愛の情に溢れています。仲良くしたいと心より願っています。心置きなく抱き締め合えるくらいに。
この想いを言葉に変えるのであれば、そう――――――。
「好きです。付き合ってください」
「へ?」
「……すみません、ちょっと先走りました。敵意がない事を伝えたかったのです。人と話すのも……というか、人の姿を見る事自体が久しぶりで、ちょっと気分が高揚し過ぎているようです。お恥ずかしい限りです。とにかく私はただの地縛霊でしかなくて、恐ろしい怨霊などではありませんから、いきなり斬りかかるのは止めて頂きたいです。どうしても霊即斬しなくてはならないと仰るのでしたら、せめて最期に抱きしめてください。絶対、悪さはしないと誓います。寂しいんです。ずっとずっと、独りでここにいて……人の温かさを、最期に感じさせてください。ほんの少しでいいですから、どうか」
「ちょ、お、落ち着いて! 大丈夫、斬らないから!」
「…………本当、ですか?」
「うん、本当だ」
沈痛っぽくも忙しなく言葉を並べていた私を安心させるためでしょう。少女は優しい笑みを浮かべてこちらへと歩み寄り、ゆっくりと頷いて見せてくれました。
ちょっとチョロ過ぎませんかね、この娘。
実は私が霊能力者を喰い殺す事が何よりも好きな老獪なる大妖怪であったら、どうするつもりなのでしょう?
『うるさい、死ね』と冷たく告げながらに斬られても困りものですが、初対面の地縛霊を前に手早く刀を鞘に納めてしまった彼女の将来に不安が湧きもします。
「安請け合いして連帯保証人とかになっちゃダメですよ? たとえ相手が親友であっても」
「えっ、急に何の話?」
「……確かに脈絡がありませんね。すみません。でも、どうしても伝えておくべきだと思いまして」
「もしかして予知とか未来視? 俺、何かヤバい事に巻き込まれちゃうの?」
「そんなに深く考えないでください。大丈夫ですよ、多分。それよりも話を戻しまして……ええと」
返す返す、お付き合いの申し出は先走り過ぎていましたね。私はまだ彼女の名前すら把握していないのです。よって、まずは――――――。
「病める時も、健やかなる時も、富める時も、貧しき時も、愛し合い、敬い合い、慈しみ合い、睦み合う事を互いに誓いませんか?」
「重くなってるよ! さっきよりも断然!」
自覚している以上に私はテンパっているのでしょうか? 赤裸々な本音がダダ漏れ状態です。
しかし、昔は相手の顔すら知らないままに輿入れする事があったそうですし? それでも円満な家庭が築かれる事は少なくなかったそうですし?
「初対面の2人が永遠の愛を誓う程度、歴史的に見ればさほど珍しい事例ではなく、つまりはセーフ」
「いや、アウトだから」
……むぅ、即座に頷いては頂けませんでした。
残念ではありますが、冷酷なプロっぽさではなく初心さやノリの好さが感じられるリアクションは、大変好ましいとも思います。
「何でいきなりプロポーズしてくるんだよ」
「私が死んで今日までここで独りで過ごしていたのは、貴女と出会うためだったのかと思いまして。これって運命ですよね? もう末永く一緒に過ごすほかないですよね?」
「いや、そんな事言われても……俺にはもう恋人がいるから、今ここで君に愛を誓うのは遠慮させてくれ」
「そ、そんな。これが、寝取られ?」
「初対面に寝取られも何もないと思うんだけど」
愕然とする私を見つめて、彼女は苦笑します。
やはり剣呑な空気は皆無。有害指定を受けて即刻処分されてしまう憂き目は、一先ず回避出来たようです。
なお運命を感じた事も、末永く一緒に過ごしたいとの想いにも嘘はなく、そして『俺にはもう恋人がいるか』との一言に心痛めている事も紛いなき事実であり、全てが計算づくの言動ではありません。
というか……俺?
まさかの俺っ娘?
自分の事を『俺』って言っちゃう娘に会うのは、私も初めてです。本当にいるものなんですね。
悪くありません。むしろ、とてもいい。彼女には『俺』以外の自称は似合わないと確信させられます。すこぶる自然です。
そして距離が縮まったからこそ分かるのですが、想像していたよりもずっとイイ匂いです。
「すぅすぅ、すぅっ……すーはーすーはーすーはー……あぁ♡」
ふと気づいた時には、私は彼女にひっしと抱きついて全力で深呼吸を繰り返していました。
実際に空気の流れが生じるわけではないので、どれだけ私が鼻息を荒くしようとも、彼女がくすぐったく感じる事はないでしょうけれど。
ただただ苦笑するばかり。彼女はまったく怒らず、気持ち悪がらず、私が満足するその時を待ってくれています。
天使ちゃん改め女神様ですね。
「落ち着いたら、聞かせてくれ。君は何故ここに? ここはどんな場所なんだ? ずっとここにいたなら、何か知ってるだろ? どんな些細な事でもいいんだ。知ってる事を教えてくれ」
「えっと……すみません。気づいたらここにいたという感じで、私にも何が何だか。ほとんど何も知らないに等しいです」
いけしゃーしゃー。
私はさも申し訳なさそうな面持ちで、か細く呟きます。
ええ、私は知りません。甘い香りに蕩けてしまったせいで、たった今、過去の大半を忘れてしまいました。
この家の奥には何かとんでもないものが潜んでいる可能性が無きにしも非ずですが、残念ながら私は警告を発せられません。
だって、忘れちゃいましたもん。もう何も知りませんもん。
だから黒髪の女神様が色んな意味でいやらしい仕掛けに翻弄されまくっても、それは回避不能な不幸な事故なのです。
役立たずで、本当にすみません。
か弱い幽霊である私に出来る事といえば、応援。
片時も離れず、精一杯の激励を送ろうと思います。ええ、全てを見届けます。
この先で、何が起ころうとも……。