入ってますよ【YouTube「ヤミツキテレビ」さんにて動画化して頂きました(^^)】
書道家、コハ様より、タイトルロゴを頂きました。
コハ様、深く御礼申し上げますm(__)m
俺は走る。
今は、何も考えられず、ただ我武者羅に走る。
暗い廊下を闇雲に走り、たった一つ出口を求め疾走。
玉のように吹き出る汗が、頬を伝い首筋へ流れ服へと染み込む。
世の社会システムを怨み、神が定めた人の生を、ひたすら呪う。
一筋の灯りを見つけ、そこが救いのセーフハウスだと信じて、一目散で駆けた。
まるで光を求め炎へ飛び込む蛾のように、俺は光の中へ飛び込む。
部屋の入り口に近い、"ある"個室に入ると、もうそれ以上何も考えずに、本能にしたがう。
そして――――――――――――ズボンを下ろした。
ぶぶっ〜、ぶりぶりぶりぶりぶりぶり!
「あっ、ああ〜……間に合ったぁ〜」
トイレの個室に駆け込み、解放感と高揚感からくる幸福感を、ただ噛みしめる。
総合病院で警備員をしている俺は、夜回りの最中、唐突に襲ってきた便意に逆らうことができず、自分でも驚くほどの瞬足を覚醒させトイレに駆け込んだ。
最近、腹の調子が悪いけど、何かに当ったかな?
しかし、夜の病院は不気味だ。
気のせいだとしても、何か、不吉な気配だけを感じとった気になる。
病院と言えば学校に次ぐ、怪談話の宝庫。
今、何か"こと"が起きたら逃げられないな……。
あまり長いをしたくないと踏み、トイレペーパーを掴み、いそいそと尻を拭いていると、ドアの足下の隙間から黒い影が見えた。
誰か来た。
当直の看護師か?
それとも入院患者か?
ゆっくり、ゆっくりと、影は這いずるように動き、俺がはいる個室の前で止まる。
そして――――――――。
コン、コン、コン。
ノックに対して返答する。
「入ってますよ」
次のノックは強めだった。
ドン、ドン、ドン。
「だから、入ってますって」
ふさけんなよ。隣が空いてるだろ?
何なんだ? ガキのイタズラか?
すると今度は、トイレの入り口側、個室の中から見て左の壁からノックが聞こえた。
ドンドンドン。
「な、なんだよ? やめろよ!」
すると、
"ドン"
俺は音のする方へ素早く振り向く。
今度は右の側面から強いノックが聞こえた。
正面から側面に移動した、にしては異様だった。
なぜなら、足下の隙間に影はとどまったままだからだ。
何がどうなっているのか? 俺は息を飲み息を押し殺して、動向を見守る。
しばらく沈黙が続いた。
不気味な静寂の後、ドアの隙間から見える影が、水をこぼしたように広がり個室を囲む。
正面のドアと左右の壁が、同時に激しくノックされた。
ドン、ドン、ドン、ドン、ドン、ドン、ドン、ドン、ドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドン――――――――――――――――――――――――――――――
身動きが取れず、逃げられない状況で、俺は恐怖に耐えられず、頭を抱えてうずくまるように、身をかがめて叫ぶ。
「やめろぉぉぉおおおおお!!」
こちらの懇願が届いたのか、ノックは止み、いつの間にか眼下の影は消えていた。
汗が止まらない。
一刻も早く、この個室から出たい
だが、まだ、得体の知れない"何か"に囲まれているのとを考えれば、出るに出れない。
個室は静まりかえり、もう危機は去ったと思い始めた時だった。
コン、コン、コン。
背後からノックが聞こえた。
俺は驚き身体をよじって振り向く。
ありえない、後ろはコンクリートの壁だ。
コン、コン、コン。
間違いない。
コンクリートの向こう側から聞こえた。
背後から聞こえるノックを遮るように、両耳を押さえて顔を伏せた。
しかし、 ドン、ドン、ドン!
耳を塞いでいるはずなのに、ノックの音が鮮明に聞こえる。
まるで鼓膜を直接叩かれているような感覚だ。
耳の奥が火で炙られるように痛くなり、キーン、という耳鳴りが響き、徐々に大きくなると、耳鳴りと共に激しい頭痛に襲われる。
頭が破れそうだ!
誰か、誰か助けてくれ!
脳ミソを叩き、締め付けているような感覚。
おぞましいことに眼下の影が、漏れ出し水が流れこむように、個室の隙間から侵入して来た。
「わぁぁぁあああ!!」
俺は恐怖のあまり、半狂乱になりながら便器から立ち上がり、ズボンを上げることすら放棄して、ドアに体当たり。
ドアに身体を押し当て、必死で自分がかけた鍵を、解除しようとする。
鍵を開けると個室から飛び出す。
――――――――周囲は普通の光景、入る前と変わらないトイレだ。
ズボンで足が絡まり、思うように歩けない。
案の定、転んでしまいトイレの硬く不潔な床へ倒れこむ。
痛たた……。
目の前に赤い汚れが見えた。
次第に赤い汚れは、1つ、2つ、3つと、増えて行く。
ようやくそれが何なのかわかった。
俺は顔を押さえて手で拭う。
鼻から出血している。
あぁ……止まらない、止まらない。血が止まらない!
鼻を押さえる手の隙間から、止めどなく溢れる落ちる、生暖かい液体。
再び頭痛が襲う。
誰かに脳を、力いっぱい握られているような感覚だ。
床で芋虫のようにのたうち、苦しんだ後に意識は遠のき、気を失った。
その後、トイレで倒れているところを、当直の看護師に発見され検査の為、緊急入院。
医者の判断で、すぐさま応急処置がほどこされる。
意識はほとんどなく、自分がどんな治療を受けていたのか全く記憶にない。
医師の治療により、身体は回復へ向かい精神状態も元に戻った。
数日後。
回復の後は、田舎から両親や友達も駆け付け、心配の声を口々にした。
自分が警備する病院で、ここまでの大掛かりな治療を受けるはめになるとは、思わなかった。
身体が元に戻ると、病院側から説明がなされる。
年配の医者は撮影されたX線写真を並べて見せた。
ライトに当てられた写真が写しだされたのは、俺の頭蓋。
リンゴを2つに割るように、脳の中が撮影された物だ。
医者は俺の身に何が起きたのか、解説する。
「大変でしたな。あなたは神経嚢虫症におちいっていました」
「え? しんけい、の、のぅうちゅ……」
「寄生虫であるサナダムシが、胃や腸から脳に移動し悪さを働く、神経症です。火のよく通ってない生モノを食べると、寄生虫の卵が体内で孵化するわけです」
「寄生……虫?」
「腸などにとどまれば、そこまで病状が悪化することはありませんが、稀に血液の流れに乗り、脳に到達する事例があります」
俺の脳に、虫?
そんなこと言われても、自分の脳内に虫が巣食っていたなんて、すぐには理解できない。
顔を曇らせた俺を見て、医者は丁寧に説明してくれた。
「視界が影で覆われたのは、おそらく視覚を司る神経に寄生虫が入り込み、異常をきたした"飛蚊症"の一つですね。虫がいるわけでもないのに、虫が見えてしまう幻覚ですが、視界が見えなくなる事例は珍しい」
「はぁ……」
話半分でしか理解出来なかった。
医者は話を進める。
「激しいノック音と耳鳴りも同じように、聴覚の神経異常からくる幻聴でしょう。今年、どこか海外へ行かれたりしましたか?」
唐突な質問に心当たりがあった。
「家族で海外旅行に、メキシコへ行きました」
「海外で生モノを口にしましたか?」
そう言われ、思い当たる節が。
「肉料理を食べた時、自分の料理だけ生焼けだったときが。ミディアムレアだと思って食べてましたね」
「中まで火が通ってなかったのですね。日本と違い海外は、よく火が通っていないと、危険ですから」
医者はさらに続ける。
「プラジカンテルという、駆逐薬が効いて虫を排除出来たので、もう大丈夫です。命に別状はありません。まぁ、強い副作用は出ますが……」
ん? 最後なんて言ったか聞き取れなかった。
医者は少年のようなイタズラ心のある人なのか、単にサイコパス的なレベルで空気が読めないのか、最後にこの寄生虫がどんな未来をもたらすか、過去の病例を記録した写真を、X線写真の横に貼り付ける。
「うわっ!?」俺はその写真を見て、思わず声を上げた。
シワの寄り集まった脳ミソに、所々、黒い穴が空き、そこから白い糸が何本も湧いている。
一見すると、ウジの湧いたカリフラワーに見えた。
§§§
トイレに駆け込むまで、自覚症状は無かったが、後で思い返すと、背筋が凍る。
寄生虫は、俺の毛細血管を引裂きながら脳まで辿り着き、自分の生命活動を維持出来る場所を探る為、糸のように細長い体をくねらせて、脂肪で出来た脳の表面を這いずり回っていた。
脳を覆う髄液と寄生虫の表皮を覆う、ヌラヌラした粘液が、溶け合い混ざっていたことだろう。
そんな状態が何日も、何週間も続いていた。
俺は寄生虫と共に暮らし、奴らを肥やす為に飯を食い、血管へ送る栄養を絶やさずにいたのだ。
その間、寄生虫は体から生える体毛で、むき出しの脳神経を撫でながら這いずり、時に体毛を神経に突き立てる。
それは子供が指で芋虫を押して、虫の反応を確かめるように、無邪気なイタズラだったのかもしれない。
そして、お気に入りのスポットを見つけると、寄生虫は細長い体を振り上げ、顔を脳の表面に打ち付ける。
ドン、ドン、ドン。
何度も、何度も柔らかな、脂肪の壁を打ち付ける
ドン、ドン、ドン。
神経に噛み付いたりもしただろう。
何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も……。
ドン、ドン、ドン、ドン、ドン、ドン、ドン、ドン、ドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドン――――――――――――――――――――――――――――――