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冒険少年  作者: 一倉弓乃
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07 聖地巡礼

 生じた隙をついて、鳴海は冴の作った美味しいスクランブルエッグを、ばんばんとクロワッサンに挟んで、ぱふっと食い付いた。

 開いている縁側でニャーオと、挨拶するような声がした。

 3人が一斉にみると、そこにはふっさりした長毛種の三毛がいて、首を傾げていた。

「あっ、マヤじゃねーか。」

 陽介がおいでおいですると、猫はぽーんと縁側に飛び乗って、てってってっ、と、懐かしそうに陽介に駆け寄った。

「マヤさんすっかり最近お見限りだったじゃーん?みんなおふくろ目当てだったと知って、俺は少なからずショックだよ…。」

 陽介がクロワッサンをちぎってやると、よそのうちの猫のマヤ夫人は、陽介の手からそれを食べて、陽介の手にすりすりした。「んーぼっちゃまひさしぶりひさしぶり」と言っているように見えた。

「…お母さん入院でもしたの?」

 鳴海がコーヒーを飲みながら訊ねた。

 陽介はマヤ夫人を抱きながら、首をふった。

「いや、うちのおふくろは超元気。でも親父に自立をうながされてるんですよね、俺。だから別居。」

「あー、それで美人の家政フさんか…。」

「…家政フなんて誰が言ったんです?冴はうちの下宿人です。…まあ、家事たのんでるけど…。」

 陽介が言うと、鳴海はあっけからんと冴を指差した。冴が答えた。

「…いや、単純化しようと思って。」

 陽介はうらみがましく、マヤ夫人のふかふかの背中に鼻を埋めて冴を上目遣いに見た。冴は陽介の視線から逃げるように目を閉じ、

「…すいません…」と謝った。

 すると鳴海はまったく悪びれずにニコニコ言った。

「なーんだ、下宿してるだけなの?僕はてっきり嫁なのを誤魔化してるのかと思ったよ!」 

 …冴は回答を拒否するために、立ち上がった。

「…カリカリさがしてきます、陽さん。」

「…うん。お水もね。」

 …そのとーり、最初は下宿人だったけど今は嫁で、俺も彼もそれを誤魔化しているんだ、だから言うな、と陽介は思った。

 鳴海がおいしくパンを食べ終えたのをみはからって、陽介は言った。

「…教団のほうには?」

「…行ったよ。」

「どうでした。」

「…お布施たかられた。」

 …変に金があるとこういうとき不便だ。

「…てゆーか、こっちが腹を割って話してるのに、あの態度はどうかと思う。聖地についての情報は、教団でも重要な教義の一部で、信者以外には公開しないから、僕に入信しろってさ。ああいう連中は信用できない。」

「腹をわったって…全部話したんですか?」

「全部っていうか…まあ、母のSMの下りとか、僕や父にお祈り能力があったなんてあたりは話さなかったけど。…なんか君たちの場合は、みていたら、SM話がしたくなったんだよね。なんでだろ??普段は話さないんだけどね。あっ、君たちがデリラに反応していたからだね。」

 …カミかなんかがそそのかしたに違いない。

「…そのあと、教団に付け回されていないですか。」

「…うーん…」

 鳴海は少し言い淀んだ。そしてヒソヒソ言った。

「…君がぼくのお願いきいてくれるなら、僕も本当のこと話すよ。」

「お願いって…なんですか。」

「…ある人に会いたいんだ。橋渡ししてもらいたい。」

 陽介は意外に思った。

「俺の知り合いですか?いいですよ、別に。」

「本当かい?! ありがとう!」

 鳴海は素直に喜んで、マヤをびっくりさせないように、陽介の手を握った。そして、ヒソヒソと言った。

「…実は、教団は絶対なにか知ってるはずだと思って、内部にスパイを雇った。」

「…やるなあ。で、どうでした?」 

「…バレた。で、僕の名前が出た。…事情聴取のため、捕獲命令。…結果、エリア内カーチェイス。」

「!!」

「…ごめんね、2回も轢きかけて。デリラが有給でさ。」

「…橘先生の葬式ンときもあんたか?!」

「あたりーっ。お父さんと仲いいんだね。」

「仲いいわけじゃねーよ。」

「そんなことないっ。二人並んだ喪服の背中に愛があったよ。…お父さんの頭、綺麗だね。いい光放ってる。」

「…」

 鳴海は呆れている陽介をぽんぽんと叩いてから手を放した。マヤ夫人が陽介の手からぴょーいと抜け出して、てこてこあるいていくと、ちょうど襖のところで、帰って来た冴と出会った。

「…お水、これでいいですか。」

「うん、いいよ。」

 冴は部屋の隅に敷物を敷いて、そこに皿をおいた。水と餌が入っている。マヤ夫人は冴に挨拶するように、わざと体をすりよせてから皿にむかった。「ありがと、いただきます」と言っているように見えた。食べはじめる前に冴は軽くさわさわとマヤ夫人を撫でて、すぐに立ち上がって戻って来た。

「…で、だれを紹介すればいいんですか、鳴海さん。」

 陽介が訊ねると、鳴海は猫から陽介に目を移した。

 …そしてなぜか少し黙った。 

 陽介は不思議に思った。

 目で促すと、鳴海は少し思いきった様子で言った。

「…なんとかして目木いつきに会わせてほしい。…彼女はあのドームからきたはずだ。僕の推測が正しければ。」

 陽介はその名前が鳴海のほうから出たので、いささか狼狽した。

「…知り合いですか?」

「…彼女が15か16のとき、P-3で1ヶ月ばかり付き合いがあった。彼女はうちの女王様のことも知っているよ。」

 …衝撃の告白だった。

 陽介が黙っていると、鳴海はため息をついた。

「…駄目?」

「あ、いや、そんなことは…ただ…俺も今は…会おうと思っても会えない…というか、連絡もとれないので…。」

 陽介はしどろもどろになって言った。

 鳴海は短くため息をついた。

「…窓口だけならあるよ。」

 陽介はびっくりして顔をあげた。

「…なら、連絡とればいい。知合い…なんでしょ?」

 鳴海はちょっと上のほうを向いた。

「…僕も僕なりに、八方手をつくしてさ…やっといつきの情報にたどりついたわけ。幸運にもとんでもなく親しい知合いだったよ、彼女個人とはね。でも、僕はベルジュールに一切コネがない。手詰りだった。…彼女を借りうけるには、向うの親父の承諾がいる。…というよりむしろ、今、彼女は囲い込まれていて、ベルジュールの壁を突破しないと、あえない。」

「…もう大人なのに?」

「大人ならなおさらだ。…彼女はベルジュールの重要なコマの一つなんだ。そう簡単には借りられないさ。それに、…ベルジュールはあやしい。多分、秘密を守るために、いつきを隠そうとするだろう。イチゲンでぼくが行っても、手も足もでない。」

「…」

「…散々しらべて君がでてきた。またしても、キリの友達っていうベストポジションだ。僕はキリにキミを紹介してくれって、半年くらいにわたって何度かたのんだ。…ことごとく断られた。…ここでまた手詰りだ。」

「…」

「いつきもキミも、強大な守りに囲まれている。いつきはいわずもがなだが、キミがこうまで難攻不落だとは思わなかった。…僕の祈りがこんな命がけのかたちでやっと通ったのは、初めてだ。」

 …だとしたらそれはきっと…直人さんだ…。

 陽介は漠然と悟った。

 直人は最後の半年間、その不思議な霊力で、陽介がなんとか大人になれるように…一人で頑張れるようになるまで、あらゆるものから守ってくれていたのだ。親たちから、チカンから、尾藤家から、…この男がかかえて近付いてきていた運命的なトラブルからさえ。

 だから陽介はあんなに幸せで、あんなに安心して、あんなに自由だったのだ。

 …そういう時間が、あの頃陽介には必要だったのだ。だから直人は…

「…もう少し話そうか。」

 鳴海は包帯のうえから頭を掻いた。

「…ベルジュールがあやしいっていうのはね…キミは、紫斑虫の件は知っているの?」

 陽介はうなづいた。

「…小麦の害虫ですよね。あやうく連邦が餓死するところだった。」

「うん…一般にはふせられているけど、アウトネットを渡り歩いてればおおよそわかるよね…。あの年、連邦の穀倉でもあるP-1は、極密裏に…軍隊を出してる。食料調達のために。」

「…らしいですね。」

「…例のドームだった可能性があると僕は思ってる。」

「…」陽介は無言で肯定した。

「…だとしたら、…P-1はビームももってるし核もある。古い殻なら、ビームを使うまでもない。…ドームはもうないんじゃないのか。」

「…殻の破損状態のことはよく分からないけど…」陽介は頭をかいた。「…教団は調査隊をだしてますよ。衛星写真にもうつらないらしいし、いきつけないそうです。連中は座標はしっているらしいんですよね…。なんでも男殺しの結界がはってあって、近付くと男は八つ裂きになるとか…。」

「どこから聞いたの?」

 …元カレ。そういいたいのを我慢して、陽介は言った。

「…まあ、いろいろと。俺もぼちぼちマニアですからね。」

 マニア、という言い回しを、鳴海は気に入った様子だった。自分のこともまた、確かにマニアだよ、とでも思った様子だった。

「…さっき言ったように、僕があのドームを探していると知ったら、ベルジュールは決していつきを出さないと思うんだ。後ろ暗いところがあると思うんだよね。」

「…そうでしょうね。」今度は返事がしやすかった。P-1の立場を、鳴海はわかっていると感じた。

「…だから一計を案じて、別件で呼び出す。呼び出したら、さらって、後は返さない。…いいプランだと思うけど、どう?協力してくれない?」

「…誘拐計画だったんですか。」

 陽介はびっくりした。

「ちがうよお、人聞き悪いなあ。彼女のリードを外すのさ。それだけだよ。」

「かえさないといったって…ベルジュールがカードをストップすりゃ、いつきは自動的に乾涸びますよ。」

「まあ餌代とか、市民権関係は僕でもなんとかなるけど…。それよりも、何とか騙し続けるんだよ。のっぴきならない状態をつくりだすなり、帰られない場所へいくなり。なぜかというとね…ことを起こすなら、敵は少なく、味方は多く、より沢山のひとを幸福な形でまきこむことが肝心だからなんだ。巻き込んで、渦をつくる。すると、真中に穴が開いて、そこから事態が開ける。」

「…ベルジュールにも利があるとおっしゃるんですか。」

「勿論。僕は本当は教団とも利害が一致しているんだから、教団が僕を信じてさえくれれば、教団にだっていい思いをさせてあげるつもりだったよ。」

「ベルジュールにどんな利が?」

「それはね…、実はあそこのドームは、P-1も管理をもてあましているらしいんだ…それで…」

 …ふと気がつくと、いつの間にか真剣に計画をたてていた二人を、ごはんの終わったマヤ夫人が、冴と顔をならべて眺めていた。

 陽介は唐突に恥ずかしくなり、ちょっと赤くなった。

「どうしたの?」

「…や、冴が呆れてるから…」

「…俺、席をはずしましょうか?」

 冴が言うと、陽介はあわてて手を振った。

「や、だめだめ、いかないで。」 

「…でも、なにか内緒の話なのでは…。」

「ちがう、いや、そうだけど、いいんだ、冴は別に。」

「…」

 そんなことを言ってしまって冴に黙られると、陽介は余計恥ずかしくなった。

 鳴海がにっこりして言った。

「やっぱり嫁だよね!」

 陽介はどうにかとりつくろうために、とりあえず冷たくなっているコーヒーを飲んだ。冴はひたすら聞こえなかったふりをしている。

 鳴海は話をもとに戻した。

「荒廃都市管理法のことは、キミも知ってるだろう。…それの登録を調べると…まあ、どう調べたかは聞かないでね…僕もマニアってことだ…、あそこはP-1の管轄になっていて、座標もかかれている。だから僕も座標はしっているよ。

 だが、確かに衛星写真に写らない。P-1は地下都市だといって誤魔化してる。

 …ドームの中の法律で言うと、荒廃都市管理法は、廃屋管理法と同じだ。人をいれないための法的根拠にすぎない。荒廃都市管理法のおかげで、P-1はかろうじて連邦他都市からの追究を免れてはいるものの、…いわば犯行現場を封鎖してそのまま維持しているのと同じだ。

 あんなもの一刻も早く始末したいはずさ。そのためにはまず調査隊だ。僕が行ってやって何が悪い?

 …僕はどうしてP-1があそこを手付かずで放置しているのか分からなかったけど、男殺しの結界の情報が本当ならば、P-1さえも近付けないっていうのが現状だというわけだね。封鎖だけで手一杯というわけだ。調査隊を出しても全滅した可能性すらあると思うね。

 とにかく、中をみたいという僕の希望と、P-1の利害は、本来は衝突はないということだ。P-1が教団のように、僕からそれを隠そうとしない限りはね。

 …衝突はないとP-1側が判断するためには、僕が情報を秘匿することが条件となってくるだろう。…それはききいれてやってもいいと思ってる。ようするに、P-1の犯罪を、見ないふりすればいいわけだ。僕はドームへ行きたいだけであって、僕の母や父の故郷を今更守りたいわけじゃないし、正義を主張する気もない。ただ、行きたいんだ。かたちはなんだっていい。」

 なるほど。陽介は納得した。

「次はいつきにどんな得があるかだね。…それじゃ、少し思い出話をしようか。」

 鳴海は言った。

「…僕はP-3に潜伏していた時期があって…それはいろいろ危ない時期だったからなんだけど…。危なかったのに、デリラが、爺さんがなくなったとかで有給とっちゃってね。もう、びくびくさ。僕はとりあえず、暴力絡みのトラブルは逃げ足の早さだけで回避している人間だからね。」

「それ、すごくわかります。俺もそうです。」

「わかるー?わかるよね!」

 鳴海と陽介は思わず手をとりあった。冴が短く、呆れたため息ををつく。…それをきいたとき、陽介はふと、冴の考え方はいつきに近いんだろうな、と思った。いつきならきっと今この瞬間、「かっかっか、軟弱者の御曹子どもめ-! 鍛えんかー、鍛えんかこらー!」とかいって勝ち誇ったように大笑いしたに違いない。

 鳴海は続けた。

「…P-3は王様のハーレムにとても良く似た町なんだ。…なんとなく僕にとっては懐かしい…。ドームのなかの人工の海は、本物の外界の海の水をろ過して使っていて、珊瑚や熱帯魚がいたし、プールサイドはハイビスカスが咲き乱れて…。エデン海域の次に、楽園に近い場所だよ。全市がすべて水族館のようなもので…人間は自然に開放的になる。

 …いつきは、あの町では悪く目立ってた。勿論ベルジュールの筋なら賓客扱いだから、みんなスルーしてはいたが…。…この子はあきらかにどこかおかしい、と思ってた。いわば、絹と羽根布団のベッドに、防弾チョッキを寝巻にしてねころがったまま爛々と目を見開いているようなものだった。猜疑心の固まりみたいな目をしていた。」

 …そうだろう、いつきはたいていどこででも、そういうふうに目立つ。

「…追っ手におびえていたんだよ。多分ね。」

 陽介も冴も少し黙った。冴はただそれをイメージしているだけなのだろうが、陽介的には、あのいつきと、なにかにおびえるという状態とが、どうしても結びつかなかった。

 鳴海は言った。

「…言っただろ、あのドームでは厳しい掟があって…と。」

「…でもいつきは…もう追放されてるようなもんだ。それに、ドーム国家そのものが…すでに機能していない可能性が…」

「勿論。だけど、断末魔の状態で外に移動し、かろうじて細々と機能している可能性もある。

 彼女がもし能力者の軍人であれば、ヒミツの漏洩を防ぐために、始末されるはずだ。彼女自身が、門外不出の軍事機密ってことになる。ひょっとしたら、その遺伝子が。…焼き尽くされて、骨まで砕かれる。」

「…」

「…僕はあまり彼女の能力をはっきりとみたわけじゃない。ただ…彼女の通常の基礎体力や運動能力はとにかく尋常じゃない。それは1週間ばかり泳ぎをおしえたら、否応無しに思い知ったよ。」

「泳ぎをおしえた…?」

 陽介はとても驚いた。

「…そう、あの子はね、泳げなかったんだよ。…プールサイドに洒落たストライプや水玉の可愛いワンピース姿で恨めしそうに座って、いつも発泡ブルーハワイにフルーツをつっこんだトロピカルパンチを一人で食べていた。

 …僕はデリラに見捨てられて一人でいるのが怖かったから、一番こわそうなのに声をかけて一緒にいてもらおうと思ったんだ。それで、泳がないのか聞いたんだよ。

 そうしたら、泳げないもん、って膨れっ面で言うから、すぐ泳げるようになるよと言って、ビーチボールを買ってあげるから一緒にプールに入ってバレーしないって誘ったんだ。」

「い…いつきにそんな普通の女みたいな過去があったなんて…」

 陽介はたじろいだ。というか、いつきをそんな普通の女あつかいしてシバカレなかった男がいたというのも驚愕だった。

「…次は、だって水着ないもん、ときたよ。あの子はあれでけっこうたいしたもんなんだ。たかり上手なんだよ。多分、ビジンの養父も苦労しているよ。」

「…」

 冴は無言でイメージをつくっているようだった。…どんなイメージができあがるのか、陽介はいささか怖かった。

「けっきょく一通り買い物をしてやったら、急に嬉しそうになって、なんだか…なついてね。」

 鳴海の適当な予言通り、いつきはすぐにボールを抱えて水のなかでくるくる遊ぶようになり、そして3日ほどで、顔をあげたまま平泳ぎみたいなことができるようになったそうだ。鳴海は、犬と遊ぶようにボールを投げてやっていただけだという。4日目、鳴海がいつきをみつけたのはスポーツ用のプールで、いつきは息継ぎに失敗してむせていた…しかし一週間以内に競泳用の50メートルプールを何時間も往復してストレスを解消しているいつきを見ることになったという。

「…僕のことはなぜか彼女はほとんど警戒しなかった。まあたぶん、『この男ならすぐ殺せる』と思ってたんだろうね。…だが、外側に向けた猜疑心のほうは相変わらずだった。」

 『この男ならすぐ殺せる』…たしかにいつきのセキュリティの基本はそのあたりにある。陽介もいつきとまともなやり取りができるようになったのは、一度いつきに2~3小突かれて(…いつきはそう言う。一般的には、ボコられたともいう。)こてんぱんに負けたあとだった。この男はたしかにいつきのことが良くわかっている、と思った。

 …冴はいつのまにかマヤ夫人を抱いて、すごく頭をひねっている。…想像がつかないのだろう。

 マヤ夫人は冴の膝が気に入ったようで、冴のわきのあたりに顔をつっこんで、きゅうきゅう甘えている。…マヤめ俺の男に甘えやがって…と陽介は少し嫉妬した。

「…そんなこんなで、僕はどうしたことか、令嬢のおそばへ立ち入りをゆるされたわけだ。…2~3回、うっすらと、彼女の隠している妙なパワーを垣間見る機会もあった。…ただ、僕は、それが…僕の『おいのり』同様、まさか国家プロジェクトや軍事機密の対象になるような種類のものだとは思っていなかったんだ。」

「…あれでも女ですからね。…女なんか、多かれ少なかれ、わけわからん生き物だし。あまり踏み込んできくわけにもいかない。俺も最初のうちは、わりと目をつぶるかたちで無視してました。」

 陽介は言った。…マヤ夫人が冴の膝で寝る姿勢に入りだしていたので、冴に言った。

「…冴、もう少し何か飲もう。」

「…何がいいですか。紅茶でも?」

「うーん…コーヒーでもいいや。」

 冴は猫を膝から下ろしてたちあがり、部屋を出て言った。マヤ夫人は「やーん」と鳴いて、うらめしそうに陽介をみた。陽介は「やーい」と思った。

 冴は少しして、コーヒーサーバーを持ち帰った。温かいコーヒーがカップにはいったところで、鳴海は畳に丸くなる猫をちらりと横目で見てから言った。

「…もしわかっていたら、もう少し彼女に踏み込めただろう。僕は当時まだ彼女のことなどまったくわからなかったし、それどころか自分のこともよくわかっていなかったんだ。僕はずっとそれが心残りでね…。彼女はただ僕とあそんでくれてただけだが、結果としてはボディーガードとして随分役にたってくれていたから…。それなのに何のお礼もできなかったから。…」 

…結果としてボディーガード、どっかできいたような話だ。

「…彼女って、…複雑な立場だろう。」

「…実際は…」陽介は皿にのこっていたパセリをなんとなく口にいれてかんだ。少し苦いあじと、独特の芳香が口に広がる。「…あいつはあいつなりに、養父に魅力を感じていて…待遇もいいらしいし、もう連邦社会でひっそり…いや、おさわがせしつつもなんとか、生きて行こうと思っているらしいんです。…理屈ではね。

 …でも…あいつが捕獲されるとき、弟が死んでいて…それは今でもどうしようもなく、あいつにのしかかってるんです。…だから、自己懲罰みたいなものが働いてしまって…それで…なんだか…」

「…すっきりできない。」

「そう…まあそれでなにかが歪むとか、体調が悪いとか、そういうわけじゃ全然ないんだけど…あいつは強い女だから…」

「そうだね、でも幸せじゃあないんだ。そのうえ、幸せでない自分を、無視している。だから、元気にしてても、空元気みたいで、いつも怒ってるような気配がする。…幸せでない彼女の一部が、本当はいつも怒っているからだ。…そしてその怒りは、彼女の『追っ手』に投影される。」

…なるほど。

「…あのドームへ彼女を連れて行きたいんだ。それは勿論、主にボディーガードとガイドとしてなんだけど、彼女は…ドームがつぶれていようがいまいが、あのドームへ『墓参り』するべきだと思うんだ。そうすることで、彼女の中で、決着のつくこともきっとあるはずだと思うんだ。…たとえば、彼女は、その弟の死を、きちんと過去にしなければならないよね?…他にも過去にしなければいけないことが沢山あると思うんだ。…僕は多分、自分はその手伝いができるはずだと思っているんだ。」

 …そいつは大した自信だな、と陽介は思った。

 陽介にはそんなこと、到底出来ない。

 だが、鳴海の話が全て本当であれば、鳴海ならば、意外とそれができるのかもしれない、とも思った。なにより、いつきが鳴海になついているのであれば、その可能性はあると思った。 

「…いつきも実は『墓参り』したがっていました。…ただ、俺の知っていた当時、聖地にはまったく近寄れない状態だったし…できればベルジュールの機嫌を損ねないように行きたいと…時期を見計らっていたんです。もう2年以上前の話ですが。」

「…まだ行っていなければ、僕には大いにチャンスがありそうだね。」

「…そうですね、いつきにとっても、悪い話じゃないと思います。」 

「…キミはどう思う?」

 鳴海にふられて、冴は言った。

「…そんなふうに、人の心が簡単に整理できるものなんだろうか。」

 …陽介は、冴の言っていることもまた、とてもよく理解できた。

 冴も、陽介も、身近な人をなくしたばかりだったから。

 すると、やはり身近な人を亡くしたばかりの鳴海は言った。

「僕も整理しにいくのさ、母のことを諸々ね。…母の夢物語が、どこまで本当なのか、確かめにいかなくては、疑問が胸を埋め尽くして、ぼくはもう何も手につかないんだ。

 …だから、いつきも一緒に来て、試してみる価値はあるだろう。…それに…」

 鳴海は、にっこりした。

「信じることが大切だよ、どんな不幸も悲しみも、必ず手放せるって。

…なにもしなくていいんだ。ただ、手放すだけでいいんだ。

 …捕えて、そして育ててしまった巨大な蛾を、虫カゴから出して、空に放してやればいいんだ。ただそれだけなんだ。そうしたらもう、痛い燐粉にかぶれなくてすむんだ。

 …幸せになるのは悪いことじゃない。王様も、母も、みんな僕にそう言ってくれたよ。

 だから今度は、僕がいつきにそう言ってあげよう。」 

(…手放す、か。)

 陽介は温かいコーヒーを飲んだ。

(…確かに、必死で、握りしめて、しがみついている…この悲しみだけが、直人さんの残り香だから…)

(それを手放したら、もう直人さんがどこにもいなくなってしまうから…)

(いつきもそうだったんだろうか…)

(…俺はいつも、煩わしくて、いつきが弟の話をしたがっても、ちゃんときいてやらなかった。)

(そんなものを受け止められる自信がなかった。)

(…自分の不幸に…いら立ちに…手がいっぱいで…)

(たった一人の本当の友達だったのに…)

 冴は口をつぐんだままだった。

 …陽介は、いつきを鳴海にあずけてみるべきだと思った。

「…鳴海さん、少し時間をください。なんとかP-1にアプローチしてみましょう。…俺はいつきに飯を食わせて勉強をみてやっていました。それにベルジュールにはいつき以外にも貸しがあります。必要であれば、その札を、あなたのために全部使いましょう。」

 陽介は手を差し出した。

「…あなたの番号と、あなたのもっているP-1へのホットラインの窓口を。」

 鳴海は微笑んで、記録型のカードを出した。 

「…君とは友達だ。今後は僕のことはカズって呼んでくれ。」

「俺のことは陽介と呼び捨てでいいですよ。…プランを考えてみます。一週間以内に一度連絡しましょう。それまでは、怪我をなおすのに専念していてください。」

 陽介はカードを受け取り、鳴海と握手した。

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