06 樹人伝説
話は鳴海の母親が昨年亡くなったところから始まった。
長く病気だったので、母一人子一人の家庭ではあったものの、覚悟はいつでも出来ていたという。
…その部屋には母子家庭出身の息子、しかも身内をなくしたばかりの3名があつまっていたことになる。
母のことがなければ、僕もあんな無茶な仕事はしなかったけど、まあ結果として、一生困らないだけのお金が入って来たんだから、それはそれでいいんだけどね、と鳴海は笑った。
鳴海は、自分には特殊な運があるのだといった。
それは、どんな無茶でも、祈りが通ればかなう、という運なのだそうだ。
ほんの子供のころからで、物心ついたときは普通のことだったという。
路上にいた頃、母親はいつもわが子に毎日のパンを頼み、鳴海はいつもそれを祈り、パンはいつもかならずなんらかの形で、どこからかもたらされたのだそうだ。たとえば通りすがりの人がくれることもあったし、たまたまだれかが落として行くこともあったし、あるきまわっているうちに、施しの行列のさいごに間に合うこともあったという。
「…路上?」
「…僕らはずっと遠くから旅をしてきたんだ。長く路上生活者だった。…いわゆる、アウトエリア、のね。」
それは曲がりなりにもドーム育ちの冴や、ましてエリア育ちの陽介にとっては、想像もつかないことだった。
「…外の世界は勿論きびしいのだけど、僕は初めてある東南アジアの地方のドームに入ったとき…外のほうが、人間はいいなと思ったのをおぼえてるよ。僕はドームの金持ちがきらいだった。彼らは僕や母を、ゴミみたいに扱ったよ。」
しかしその言葉には、言葉の意味ほどの憎しみはなかった。
というよりも、鳴海は万事軽やかで、陽気な男なのだった。
「どうやってドームの市民権を?」
「…母が入りたいというから僕は祈っただけさ。そうしたら、母が突然毎日水浴びをはじめて…道端の死体からいい服をもらえたりして…そのうちいい男をうまくひっかけたんだ。」
「…」
「びっくりしてる?…そうなんだろうね。みんなびっくりするよ。僕にとってはあたりまえなことなのに、みんなは違うんだからね…。」
鳴海は愉快そうに笑った。
鳴海はそのドームがまもなく嫌いになったので、母にたのまれるまでもなく、別の町で暮らせますようにと祈ったそうだ。
すると母の最初の愛人は、母子を別の町の男に売ったのだという。
「売ったというか、別の女と交換さ。あっちではそう言うのが当時はやってたんだ。」
次の男はそういう女をたくさんコレクションしており、割合過ごしやすかった、と鳴海は言った。
「まあ、ハーレムみたいなとこ?…メタンハイドレード田もってる大金持ちだったんだ。アラブの王様ならぬ、アジアの王様さ。…子供もいっぱいいて、僕もかたみのせまい思いをしなくてすんだよ。ハーレムのなかには学校があって、ほかのこどもたちと、ぼくははじめてきちんと勉強したんだ。けっこう楽しかったよ。」
あとで気付いたそうだが、「アジアの王様」は、鳴海をコミで買いとっていたのだそうだ。つまり、鳴海はそこで、「裏切らない身内社員」となるべく、英才教育を受けさせられるためにあつめられた子供の一人だったということだ。
「でも14くらいになると、さすがにうんざりしてきてさ。王様のものの考え方が鼻についちゃって…。まあ、子供なんてそんなものだよねえ。」
鳴海は僕って青臭かった?といいながらけらけら笑った。
「…久鹿君、アジアの不穏当な経済と社会のただ中で、この平和なエリア地区が、どれほどの憧れをもってみつめられているか、君にわかるだろうか。…女や子供が売り買いされない社会を、乞食の親子達がどんな目でみつめているか…こんな話するとキリには冷たくされるんだけどね。きひひ。」
鳴海にとって、エリアは憧れの場所だったのだと言う。
「…ぼくはそのころ、あまりに勉強し過ぎて頭が悪くなってたんだ。…つまり、祈るという素朴な願望成就の手段を、長くわすれて生きていた。…ただ、ほんとうにそのハーレムがいやになったとき、僕はまた祈ってみる気になったんだ。」
…鳴海はそこにいた子供達のなかの選ばれた数名の一人となり、ハーレムの外に出たのだという。別に成績優秀というわけでもなく、特技があったわけでもなかった、王様に特別気に入られていたいたわけでもなかったという。
「…その頃から母は病気になっていて…日常生活をハーレムでおくるのが困難になっていたんだ。まあ、ていのいいお払い箱かな。でも王様は太っ腹だったよ。母が暮らしにこまらないよう、介護つきで小さな部屋を用意してくれて、そこに住わせてくれたんだ。僕は王様が好きになったよ。とても感謝した。…あとは僕の留学先がきまるのを待つだけだった。」
鳴海はやっぱりドームがきらいだったのだそうだ。
そこで今度は、あきらかに狙って、エリア行きを祈った。
「…上手いこといったよ、ぼくがS-23に決まったのは、一応、流れてたころみにつけた外国語の習得能力をかわれてだった。日本語は難しいからね。でもね、…一番の理由は、僕がエリアに憧れてたからだと思うよ。あのなかで、一番トーキオに憧れていたのが、ぼくだったってことさ。祈りの力には、太さがあるんだよ。祈りが太ければ、あらゆる困難を打破し、障害に打ち勝つ。…僕の祈りは、聞き届けられた。」
ところがどっこい、きてみたエリアはドームなんか目じゃないほどの、金持ちの世界だった。…まるで鳴海のきらいな人種の博覧会のようだった、と鳴海は言った。
「僕はね…そのときはじめて考えたよ。ぼくはしょせんにげてもにげても、こいつらの中から出られないんだろうかって。…そのときね、ある人に出会ったんだ。その人はこう言ったよ。同じ課題が何度も提示されるのであれば、乗り越えるしかないと。一度乗り越えれば、2度と同じ課題が課されることはない、とね。…僕はなんていうか…、それが、電撃のように認識されるのを感じたよ。そうだ、そうに違いないと思ったんだ。」
鳴海はぱーっと笑った。
鳴海は、その嫌いな人種の中に飛び込んだのだという。
そして一番きらいなことに取り組んでみた。
…マネーゲーム。
資金は最初、王様に借りたと言う。
一生懸命自分の気持ちを話した。本気で話したのだと言う。
王様は、快くかしてくれたそうだ。
勉強しなさい、と温かい手で励ましてくれたという。
「…僕はそのときはじめて、あの王様がお父さんのように思えたんだ。とても愛する気持ちがたくさん沸いてきて、がんばって稼いで、王様に喜んでほしいと思った。お金を貸してくれたからってわけじゃないんだけど…なんていうか、気持ちが通じたと感じたんだ。」
その気持ちが原動力になり、また例の無気味な運強さもあって、巨額の元金は半年で王様に返したという。
すると王様は、おまえはもう一人前になった、一人で大海に出て、そしていつかわたしのところに、おみやげをたくさんもって帰って来ておくれ…そういって、鳴海への援助を全て打ち切り…まるで奴隷の鎖を断ち切るかのように、鳴海の古い名前を抹消して、新しい日本人の名前をつけてくれたそうだ。
「…まあ、王様は多分病気の母が精神的に負担だったんだと思うんだけどね。でも、結果としては、僕は満足しているよ。」
鳴海は琉球弧の一角にある小島を買い取り、そこに母のために可変偏光グラスの小さなドームをかけた。そのドームに介護人員とともに母を住わせ、…自分はその返済のために、ますます…。
「…きわめると光がみえてくるものだね。僕はその泥にまみれて初めて、付き合うに値するエリア人につぎつぎと出会うことができた。そのひとたちと信頼しあい、また疑い合い…繋がりあったとき、僕はいくつもの奇跡を体験したものさ。
…久鹿君も知っているはずの、例のやんちゃ祭りもその一つだよ。…あれを影でささえてくれたのは、泥をかぶってくれた、外部から来ていたプロの銀行屋サンだった。…僕は彼のことをけっして忘れないよ。世界中が彼を批難した。でも僕は、彼は偉大な…僕の守護者たちの一人だったと思っている。王様と同じさ。彼がいなかったら、あの祭りはなかったんだよ。」
鳴海はその人のことを話すとき、少し涙ぐんだ。
陽介は、鳴海の気持ちがとてもよくわかった。
陽介にとっては月島直人がそういう人だったからだ。
「ところで…」
と、現在まで辿り着いたところで、彼は話を変えた。
「…僕の母はどこからやってきたと思う?僕のお父さんて、どんな悪いやつ、もしくは不幸なやつなんだろう?」
確かに、興味あることであるに違いない。
…母親に聞く以外に、知る手立てはないだろう。
鳴海はニヤリとした。
「実は…僕の母は…最初悪くしたのはコチラだったんだ。王様が負担に思ってたっていうのは、そういう意味なんだ。」
そういって、自分の頭の包帯をちょいちょいと触った。
「…体がわるくなったのは、その後。なんか、治療があわなかったのか…運動不足なのか…なんかがかたよってたのか…内臓をやっちゃった。」
…悲惨な話だったが、ナルミはなぜかあくまで軽やかだった。
「だからホントかどうかは神のみぞ知る、なんだけどね…」
そう前置きして語り始めた話に、陽介は思わず目を見開いた。
「…僕の母は幼い頃、あるドームのお金持ちの娘だったらしいんだ。そのドームはアフリカにあって…砂漠の真中にあって…中心には巨大な木がはえていた。母が言うには…その木の幹からは、滝が流れ落ちていたというんだ。」
それは…。
そのドームは…。
「…その木の下には、カミサマが眠っていて、怪我をしているんだって。目が醒めたら、幸せをくれるんだって。滝は、その約束のしるしなんだって。」
陽介が青ざめるのを、冴は心配そうに覗き込んだ。
「…陽さん?」
鳴海はニコニコ笑った。
陽介は自分の口を手で押さえた。
鳴海は陽介の言葉を待たずに言った。
「…そこのドームには厳しい掟があって、なんであれ破ると即座に追放だった。…食料がたりないから仕方がない。母は掟やぶりをして追放されてしまったんだ。そのとき15で、僕を身ごもってたらしい。…よく生き延びたと思うよ。僕はながいこと、きっと父が悪者か不幸な人かだとおもってたんだけど、どうやら、実は母も相当だったってわけ。15で追放ってどういうことだと思う?」
「…お母さんは、何と?」
陽介の代わりに冴が訊ねた。
鳴海はうなづいた。
「…母は昔から、チョイヤバなギャルだったらしいんだ。頭のほうもだけど…もっといろいろね。素行とかね。」
「…」
「お嬢様だからわがままでさ、僕も手をやいたから分かるけど。…家の使用人に、すごく可愛い男の子がいたんだって。それで…毎日可愛がってたらしいよ、縛ったり、なぐったり、…いいこともしたりして。」
…冴も陽介も本気で固まった。
「…その子が家をにげだして、警察みたいなとこににかけこんだんだってさ。…それが僕のお父さんらしい。」
冴の美しい顔が真っ白になった。
鳴海は陽気にあはーっと笑った。
「だっから僕は、けっこう女王様の雇用はうまいんだよー。あの母とながくつきあったくらいだもんねえ。…やだなーっ、そんなに引かないでよ二人とも、僕はそういう習慣ないよ?
…まあそれはともかくとして、母は面白いことを言っていたんだよ。…母は僕のお祈りのことは知っていた。だからパンを毎食要求したんだ。なんでそんなこと本気で信じてたと思う?…父には、僕と良く似た能力があったらしいんだ。もっとも、父は歌を歌うことでそれを操っていたらしいんだけど。」
「…歌?」
「…母の知っている父は、まあ、いわば、聖歌隊みたいなとこの、ソプラノ歌手を変声期で終えた、というあたりの人物像なんだ。まあ、とびきり可愛かった、ということだけど、…好みって人それぞれだからね。母はまあまあ美人だけど、僕はこの程度だし、父の可愛さは眉唾だな。」
鳴海は冴の顔をおもしろそうに見て、いやっ、いるとこにはいるもんだよねーっ、と豪快に笑った。
それで、二人はすこし落ち着きをとりもどした。
「…引退したボーイソプラノですか…」
「…その後のことはわからない。母がドームを追放されてしまったからね。…母が言うには、そこのドームには、そういう力や、もっと別の強大な力を行使する能力のある人たちが沢山いて、国家プロジェクトとして、その能力開発がすすめられていたというんだ。だから、父も生きていれば多分…。」
冴が、やっと少し落ち着きを取り戻して口を挟んだ。
「…国家で?…連邦の自治区の一種ですか?」
それを聞いて鳴海はニヤリとした。
「…違うよ。連邦ドームに、そんなところはないよ。」
冴は呆然とした。
陽介は冷めたコーヒーを飲み干して、立ち上がると、冴に言った。
「…ちょっとまってて。」
トイレ?という顔で見る冴に、こわばった微笑みを返すと、陽介は自分の部屋へ行き、本棚をさがした。探し物はほどなく見つかった。それは綺麗な絵本で…元カレのハルキのうちがやってる教団の、布教ツールだった。借りっ放しになっていたのだ。…いつきに読んでやる約束で。
下の部屋に戻ると、その本の表紙を鳴海にみせた。鳴海はうなづいた。
「…ヨッコーでしょ。僕も最初みたときはびっくりさ。ちなみに母はしぬまで教団との付き合いは皆無だったよ。確信したのはそれがきっかけ。母のほかにも、あのドームをしっている人がどこかにいるんだってわかった。」
陽介はその本を冴に渡した。冴はぱらぱらとめくり、中を読んでいる。…本の中味は、鳴海が最初に話してくれた、カミサマと人間の契約の話になっている。
「…僕がいきたいのは、そこさ。…父がいるかもしれないし。それに…いや、それより僕は、祈りを知る人たちとつきあいたいんだ。それが僕の、子供の頃からの悲願なんだ。」
「…」
陽介は難しい顔になった。
鳴海は、どこまで何をしっているのだろう、と思った。
話していいのだろうか、いつきのことを…いつきの母のことを。父のことを。弟のことを。俺が…?
陽介はまよった。ただ…すでに確信していた。
鳴海の旅は間違いなく、冒険の、ひょっとしたら…常軌を逸した旅になる。
そしてその道は、間違いなく、この先のどこかで、いつきの道と交わっているのだ。
…鳴海の祈りが、鳴海を今、このタイミングで、ここに運んで来た。いや、それ以前に、あの夜、鳴海を車ごと陽介のもとに放り込んだのだ…。
それは呆れるほど、運命的であると思えるほど、あまりにも適確だった。
陽介は口にはしなかったが、「祈り」をしっている人間の一人だった。
月島の故郷である山に滞在したとき、陽介はそれを教えられた。その山では、陽介はなんでも望みがかなった。祈りを叶えてくれる…いや、力あるなにかに希望を伝達してくれる小さな勾玉を持っていた。…山をおりたあとは、その勾玉は力を失っている。山でだけ有効なツールだったのだ。あの山は特別な空間で、エリアのこの世界よりは…あの世にちかいような場所だった。
陽介は祈りの力がはたらくのは、ああした特殊な世界でだけなのだと思っていた。
鳴海はその力を、ごく当り前に、この世界で、汚れた水のエリアの、街灯のしたを浮上車が走り、コンビニでアイスクリームが売られているこの空間で、…使うというのか。
陽介は戦慄した。