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冒険少年  作者: 一倉弓乃
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03 恋人

 冴は陽介のためにジャスミンの香りのする茶をいれて持ってくると、買い置きの袋菓子をあけて、同じ盆のうえにおいてくれた。白い砂糖のカリントウだった。

「…でもよかった、お怪我がなくて。」

 冴はそう言うと、陽介の頬を軽く指の背で撫でた。

「…うん、別に、なんでもなかったんだけど…ただ、ちょっと、…いろいろ思い出しちゃってさ…。でも、もう大丈夫だよ。」

「町なかで車をとばすやつが悪いんですよ。」

 冴はちょっと怒ったようなため息まじりにそう言い、自分も布団のそばに座ってカリントウを食べ始めた。

 陽介はそのびっくりするほどきれいな横顔を盗み見て、微笑んだ。

 冴はその名前通りの冴えた美貌の持ち主だ。目は少し厳しい感じがし、睫がながくて、…特殊な気品、みたいなものがある顔だった。美しい肌は母親譲りらしい。さわるとすいつくような感触で、ただなでているだけでもだんだん気持ちよくなってくる…よくできた陶磁器のようだった。鼻筋がとおっていて、全体的には立体的な顔だちに仕上がっている。唇は、ちょっと優しい。たいていの人間は冴をはじめてみると、びっくりして口がきけなくなる。冴には、そういう気迫みたいなものがあった。

 陽介が例の恋人と同棲していたころ、離婚歴のある彼に、「息子紹介してよ。会ってみたいから。大丈夫、おとーさんと寝てるっていわないから…」と我ままついでに甘えてみたことがある。すると彼は、「紹介しない」と意地悪そうに言った。どうしてー、と陽介がまたごねると、彼は「俺が生きてるうちは会わせない。」と言った。理由を問いつめると、今度はニコニコ笑って、「…会えば分かるよ。俺が死んでからのお楽しみに、とっとけ。」と言った。  

 陽介のはるか年上の恋人だった月島直人は、いわゆる「霊感の強い」男で、難儀に生きている人物だったと思う。山では随分世話になった相手だ。高校時代の、山に滞在した夏のことは忘れ難く胸のうちにあった。借りっ放しの小柄は、彼が亡くなった今も部屋に大切にかざってある。

 再会したのは初夏だった。ハルキもいつきもいなくなって、不安だった高校3年の初夏。

 エリアの繁華街で、聞き覚えのある声にふりむいた。

 …部下に囲まれている月島がいた。

 たずねると、出張でここ一週間エリアにいたという。彼は当時、遠いU市の市長補佐官だった。なにか調べごとがあったとかいっていた。仕事はすでに完了していて、その日、打ち上げをやって、翌日帰る予定とのことだった。

 2次会がおわってから二人で会おうということになって、陽介は11時まで開いている本屋で時間をつぶした。

 顔を合わせたときはもう12時ちかくなっていた。

 陽介が未成年だから、というタテマエで、二人はバーではなくカフェを選び、再会を喜んだ。いろいろな話をした。ハルキたちがいなくて寂しいことや、ハルキの物騒な家族とごたごたして、安心できないこと…。

 苦難つづきを案じてか、「電話くらいしてくれればいいのに」、と言うので、そのとき初めて電話番号を聞いた。聞いてはいけないような気がして、聞いていなかった。…いや、聞いたら、毎日かけそうな気がしていたのだ。

 母親に、「お父様の秘書だった方」にそういう「御迷惑になるようなこと」をして「振り回したり」しないよう、釘をさされていた。

 そのことを冗談まじりで言うと、月島は苦笑して、いつ乳ばなれする予定なの?と憐れむようにたずねた。

 陽介は恥かしくなった。

 ときどきかけてもいいですかと言うと、毎日かけりゃいいじゃない、どうせ金持ち親父の金だろ、使え使え、と笑われた。

 その夜、別れ難く、二人で部屋をとった。

 山で別れて以来、久しぶりに抱き合った。

 月島の愛撫は、その日から何日も、その記憶だけで陽介のつらい寂しさを紛らしてくれた。

 その晩以来、陽介は、なにかれとなく、月島に電話をかけるようになった。

 月島はいつもなぜかたいそう機嫌がよくて、陽介のために快く時間をとってくれた。やがて陽介は、彼も電話を楽しみにしているんだ、と気付いた。

 会えようが会えまいがU市に通うことを決めた。それからしばらくの間、都合がつく限り、全ての週末をU市で過ごした。おかけで今ではちょっとしたU市通である。月島は、もちろんいつもというわけにはいかなかったが、時間が許す限りいつも陽介と会ってくれた。

 月島は去年の秋にふらりとエリアに越してきて「俺が生きてるのはあと半年だから、その期間は君と一緒にいようと思う。」と言った。

 そのじつにさっぱりとした言い様にもびっくりしたが、仕事もやめてドームの住いも処分し、車は神社にやってしまったと言うし、自分の生命保険を増額してきたというから驚いた。

 陽介は冗談かと思っていたので、しばらくは、死んじゃやだとかありきたりな我侭をゴッコ遊びの気持ちで言っていたが、そのうち、月島から、ようちゃん、冗談だとおもってるの?といたぶられて、やっと月島が本気だとわかった。

 それでもなかなか信じられなかった。…そこで滅多に話し掛けないが知り合い唯一の貴重な本物霊能者であり、かつ、月島を、血は繋がっていなくても身内同前に叔父と呼ぶミズモリ・ユウに相談したところ、

「そうね、ナオト叔父はひどく影が薄くなってるわ。わたしの父のときの経験からいって、あと5か月くらいね。山では随分以前からドッペルゲンガーが出ているわよ。…あんた、覚悟決めときなさいよ?」

と、御墨付きとなった。

 陽介が月島の部屋に転がり込んだのは、この話を聞いた直後だった。

 月島はことさら歓迎するふうでもなかったが、決して追い返したりはせず…陽介は居合に通うほんの数日と、月島が「ちょっと俺用事だから実家かえって栄養つけてきて」という日以外は、月島の部屋から学校にかよい、休日も月島と過ごした。バツイチ男は意外なことに家事は一通りなんでもできて、陽介の身の回りの世話をみるのを楽しんでいるようなふしもあった。

 今でもどう説得したのか分からないのだが、月島はちゃんと父と母に当時話をとおしていた。父は二人のために割合早い時期に車を一台都合してくれて、後半の3ヶ月は月島に陽介の食費をはらっていたらしい。死んでから母に聞いた。

 ただ、父は月島を陽介の愛人だとは思っていなかったようなのだ。冴のことは愛人だと思っているらしいが、…どうやら父は、陽介は若くてかわいい子が好きだと思い込んでいるらしかった。やぶ蛇になると困るのでさすがに父にはきけず、未だに月島が父をなんといって騙したのか、陽介は知らない。父は月島のもとの上司だが、月島のことを苦手におもっている。そのあたりに隙があったのかもしれない。

 短い間だったが、幸福な蜜月だった。

 卒業式のあと、9月までのながい休暇がはじまり…月島のすすめで車の免許をとりにかよい…もうすぐ免許がとれそう、というころに…まるで陽介が一人で出歩けるようになるのを待っていたかのように、月島は亡くなった。

 通りすがりの小さな女の子が、大きな犬の綱をささえきれず、飛び出した犬に引きずられて車道に出たのを、助けようとしたのだそうだ。

 …犬はだめだったが、月島のおかげで女の子は助かった。

 通夜はユウの手で、エリアで行なわれた。遺体の処置を急いだので、身内がだれも間に合わず、陽介や、久鹿の父や母、月島の古い友人だった樋口らで、ひっそりと行なった。

 悲しくなかったわけではないが、予告されていたので、そのときが遂に来ただけだ、そんなふうに思うことができた。

 骨はユウが抱えて、山に持ち帰った。山で、葬儀を行なうことになっていた。

 陽介も行こうと思ったのだが、起きあがれなくなり、行けなかった。

 そのまま虚脱状態で3日ほど寝込んだ。

 4日目に、母経由で、別れた奥さんが、遺品を引き取りにくるときかされた。慌てて飛び起きて(起きられたから不思議だ)部屋にあった自分のもの(…とかヤバいものとか…月島の持ち物で欲しかったものとか…)をかたずけた。

 奥さんに会った。「これが、直人さんが若かりしころ酔っぱらって梁から吊るしてあやうく殺しかけたとかいうあの有名な奥さんか」としげしげと見た。たしかに肌がすごくきれいだった。すっかり太ってしまっていたが、「月島の妻」といわれれば納得できるような、どこか強靱なところのある女だった。…多分、月島があんなことをしなければ別れる気はなかったろうし、きっと今でもそれなりに月島のことを愛しているのだろう、と思わせるところがあった。そうでなければ別れた男の部屋なぞ整理にきたりはしまい。

 たまに遊びに来させてもらってたんです、とか適当な嘘を言うと、おくさんは真剣な顔で陽介の手を握り、言った。

「…月島は、ぼっちゃまに…おかしなことをしませんでしたでしょうか?」

 …おかしなことはしていない。それは自信があったので、ほがらかにきっぱりと

「いいえ別に。」

と答えた。

 すると元奥さんは(川上さんという旧姓にもどっていたが)

「…よろしゅうございました。あの男はとんでもない変態で…まさかこんな清らかで美しい久鹿先生のぼっちゃまに酔って何か変な悪戯でもしていたらと思うと、夜も眠れませんでした。」

と、本当に涙を流した。

 …おかしなことはしてないが、けっこう変態な仲ではあったんだよなー…とは思ったものの、涙を流して「月島も死ぬ前にやっとまともになれたのね…いい人間として死んだのね…」と呟いている元奥さんにまさか本当のことをいうわけにもいかないので、月島とのめくるめく思い出は、陽介だけの大切な秘密ということになった。…もとより他人に言う気もなかったが。

 ちなみに、この奥さん以来、なぜか、陽介は「きよらかなぼっちゃん」とよく言われるようになった。不思議なことである。

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