02 あの春
「お帰りなさい…?!…陽さん、大丈夫ですか?」
「車に驚いての。…あずけて帰っていいかの?」
「あ、はい。」
「そうそう、陽介の喪服、いや、喪服に限らずスーツのたぐい、クリーニングにだしとけ。汚れとるぞ。」
「あ、…はい、すみません、至りませんで…。」
「…まあ、お前は料理と掃除が仕事という契約だからの、服までみる義務はない。義務はないが、たまにつついてやってくれ。ズホラな倅で手間をかけてすまんの。」
父はそういいながらとっとと帰って行った。
家には一匹の猫もなく。若くて美しい母の気配もない。
そのかわり、目のさめるような美しい男子が一人だけいた。
車のなかで震えはだいぶおさまったが、まだ動悸がとまらないままだった。陽介の顔色をみて、その大人びた高校生は、急いで一階の部屋に、布団をしいてくれた。
「冴、…ありがとう。」
横たえられながら、陽介がやっというと、彼…サエ、は、そっと陽介の額に手を当てた。
「…お水、飲みますか?」
「…うん、薬も。」
冴は足音を立てずに出てゆき、すぐに薬と水をもってきてくれた。
陽介は心療内科でもらった薬を飲み、少し横になった。
心配そうにみている冴に、
「…大丈夫だよ…。そのうち治るから…。…冴、悪い、喪服、…ちょっと畳んで袋にいれといて。」
と言って、目を閉じた。
薬がきいてくると、だんだんに動悸は収まった。
気がつくと、冴は縁側を開けてくれておいたらしい。
庭の紅葉がよく見えた。
秋の風が涼しく吹き込んできた。
二人で暮らし始めてから4ヶ月になる。冴がきた当初からこうなので、冴ももう慣れたようだった。
「…葬式って、続くよなあ、冴。」
陽介が起き上がって縁側にいてくれた冴に声をかけると、冴は振り向いて部屋に入り、陽介の肩に薄いセーターをかけてくれた。
「…そうですね。」
「…怖いよなあ。」
「…ほんとに。」
冴はいつも機嫌悪そうにみえる。けれども、単にそういう顔なだけで、実際は案外とのほほんとしている。性格はとても真面目で、マメで、熱心で、…父親似だと、陽介は思う。このびっくりするような美貌がどこから遺伝しているのか詳しくは知らないが、声は父親にそっくりだった。
「…冴、びっくりしちゃったよ、行ったら橘先生の愛人がいっぱい来ててさあ。荒れてたわ。」
「…それは…。御家族もお困りでしょう。」
「…それが全部男だよ?しかも、冴くらいの子もいたよ。」
「…俺くらいの女子よりはまだ罪がない気もします。」
「…女の子は妊娠するからなあ。」
「そうですね。…陽さん、もう大丈夫ですか?コーヒーいれますか?」
「…いや、…少し様子見るよ。」
「じゃあ、ジャスミンティーでも。」
「うん、そうしよう。冷やしで。」
冴が襖を閉めて出て行った。
陽介は庭の紅葉をながめた。
…あの縁側で、猫をかまけて日がな一日ハルキと遊んだのは、いつのことだったろう?
高校2年の3学期が終わると同時に、ハルキはいつきとともにP-1に呼び返された。とても急だった。前日まで、陽介とハルキは二人でのんきに猫と遊んでいたくらいだった。
それ以来、ハルキは極東に戻っていない。
当初の約束も破られたとかで、尾藤家もハルキを見失っていた。おかげで疑心暗鬼の尾藤家の連中につけまわされ、腹をさぐられたりもした。
尾藤家に脅されたからというわけではないが、尾藤家と利害が一致していたのも確かで…いつき経由でなんとかハルキと連絡がとれるよう手を尽くした。とりあえず情報端末を届けてもらって、なんとか電話だけでも…と…。
なんとか2回ほど短い時間話したが、すぐに繋がらなくなった。
ハルキは苛立って、焦っている様子だった。
そのあと、ハルキの消息はしばらく途絶えていた。
いつきに聞いても、口を濁して判然としなかった。P-1では、いつきには、ハルキに関してなんの権限もなかったのだ。
そのうち、いつきにも連絡がとれなくなった。
正直、いつきと連絡がとれなくなるのは、それほど珍しくなかったのだが…というのは、いつきは義父のラウールの護衛等につくと、連絡がとれなくなってしまうので…。
仕事してんだな、くらいにしか思わなかったが。
とにかく、ある時期を境にぴったりと電話が通じなくなった。
友人恋人いっぺんに無くしてしまった心地で、陽介はひどく落ち込んでいた。
その時期に心配してくれた人の部屋に、少し後に転がり込んで、そのまま半年一緒に暮らした。家で、若い美人の母親と二人暮しするのがもう限界だったというのも、幾分あった。あんな家出少年を快く引き受けてくれたのだから、本当に肝のすわった人だったと思う。
今年の正月、まだ当時は元気で同棲中だった恋人がげらげら笑って陽介を呼ぶので、テレビを見たら、なんとそこに、いつきとハルキが二人揃って映っていた。…ゲリラが人質解放どうのこうのという報道だった。
そのとき大変な衝撃をうけた。
ハルキが巨大化していたのだ。
ハルキはたしかにいつきより背がひくかったはずだ。体形もスレンダーで、年子の姉より体重も軽かった。それなのに、テレビで見たら、明らかにいつきより背がたかくなっていた。背だけではない、肩幅もひろくなって、すっかりいい男になり、髪も伸びて、あろうことか、不精ヒゲが生えていた。
別れ別れになって、一年もたっていなかったのに…。
しかも更に悪いことに、いつきとハルキは、すっかりツーカーな仲になっているのが、短いニュース画面からもはっきりと見て取れた。
「…モトカレ、キミの女とデキたな。」
恋人に面白そうに言われて、陽介は地球の裏側まで落ち込んだ。
実際のところ、いつきは陽介のカノジョではない。…しかし、まったく、たった一人の、心許せる異性の親友だったのは確かだった。
ハルキとだって、別れたくて別れたわけではなかった。そりゃ、多少は、二人の仲は冷え込んでいたけれども、でも二人とも、やり直そうと思っていた。上手く行かないところはおたがい少しずつ直して、お互いに相手にとっていい人間になって…今度会ったら…。そんなふうに考えていた。
「…寂しいからって他の男と寝といて、それはつごうがいいんじゃないの?」
…思えば手厳しい恋人だったが。それはいいとして。
陽介の衝撃は、いつきの親友の座を、ほかならぬハルキに奪われたことと、モトカレのハルキを、あろうことかいつきにさらわれたという2重の衝撃だった。…まあ、かわいかった恋人にヒゲが生えていた、というのも、軽くあったが。
つらかった。多分、大人の恋人と暮らしていなかったら、自殺していただろう。いや、自殺未遂をくりかえして我が身の辛さを世間にアピールし続けたことだろう。…腹違いの兄と同じコースヘ一直線だ。さすが、半分でも兄弟だ。
「まっ、人生そんなもんだよ。人間は、幸か不幸か、その程度じゃ死ねないもんだ。」
再起不能になった陽介を、彼はとても優しく扱い、そんなふうに陽気にはげましてくれたものだった。
陽介は彼のおかげでなんとか諦めもついて、立ち直り…もしそれでも二人が極東に戻ってくることがあったら、また友達として快く迎えようと決意した。
けれども、その後も二人は戻ってきていないのだった。