エピローグ
次の週、居合の帰りに陽介は安西をつかまえた。安西キリウは今年に入ってから若年者のクラスの師範代をつとめていることもあってか、最近陽介を送りたがる悪癖は収まっていたが、陽介のほうから誘うと、まったくまんざらでもない様子で了解してくれた。見ていた樋口が何か言いたげだったが、樋口も陽介が成人してからは…というより陽介が月島と暮らし始めたあとは、あまり口煩く苦言を呈することはなくなりつつあった。もう俺の仕事じゃねえよ、とでも思っていたのかもしれないし、あいつと暮らすようになったらもうお終いだと思われていたのかもしれない。
「…ヨースケからさそってくれるなんて久しぶりじゃない?…最近ずっとお見限りだったじゃん。…ヨースケ、なんか最近よくなったよね。垢抜けた。」
陽介が猫に言ったような台詞を言って、綺麗な新車のドアを開けてくれた。…できることなら冴をこんな車で送り迎えしてみたい、と陽介は思った。きっと高等部の全女子が嫉妬してくれるに違いなかった。
「ごめんねキリりん。ちょっとキリりんの友達と話がしたくてさ。一人で行くのはいやなんだ。つきあってくれるだろ?…生涯教育センターへ寄ってよ。」
…聡明さが売りの安西キリウは、それだけでおおよその事情を察したようすだった。
「…それって、笑顔が爽やかな、後頭部のまるっこい、細い男?」
「そう。」
「…ずっとキミを紹介しろってつめよられてたんだけど…ボクは拒み通したんだからね。…キミの警戒がおろそかだったんだと思うよ。」
(…車ごと夜中のコンビニに突っ込まれて、警戒もなにもあったものか。)
陽介はそう思ったが、安西の車の心地よいシートによりかかって、黙って街灯を見送っていた。
鳴海のほうから何か言ってくるかと思って待っていたのだが、一向に連絡がないので、陽介のほうから今日行ってみることにしたのだった。
「…ヨースケ、カズと会うとき一緒についててあげるから、その代わり、帰り、久しぶりにフランス料理でもつきあってよ。おごるからさ。」
「…キリと酒は飲まないよ。それにこんな格好だし…イタリアンかベトナム料理なら付き合う。」
…陽介はその日、ジャージだった。綺麗な服は着替えがめんどくさいし、歩くと足に負担がかかるのだ。月島親子がみているわけでもないのに、なんだってきれいな服をきる必要なんかあるというのか。スニーカーはいて2駅分走ったほうが体にもいい。
「ベトナム料理はしらないけど、メキシコ料理ならいいとこがあるよ。」
「じゃあそこで。」
「…カズにナシつけんのに、その格好じゃ押し負けくらうとおもうナ。」
「大丈夫、今、女王様、介護休暇らしいし、キリを後ろに立たせとくから。」
「…ま、いいけどね。」
…そう言われるとまんざらでもないらしい安西なのだった。
白い大きな建物につくと、ちょうどクラスを終えた百合子が出て来たところだった。
「…おかーさん。」
窓から顔をだして呼ぶと、百合子がびっくりしてやってきた。
「まあ、陽さん。びっくりしたわ。どうしたの。」
「…今日のアレンジメントにカズくん来てた?」
「来てたけど…もう2時間まえだから帰ったと思うわ。今カバラがおわったとこなのよ。」
「…おかーさん、どうせ調べたんでしょう?カズくん今どこに滞在してんのか教えてください。」
「…」
百合子はちょっと眉をひそめた。
「…陽さん、お母さんあまりあの人、感心しないわ。」
…ちなみに百合子は、安西のこともあまり感心してはいない。
「…なら余計教えて下さい。このままやられっぱなしというわけにはいかないでしょ?少なくとも抗議の一つくらいはいれておかないと。」
「…もうやっちゃったのね。」
百合子はしぶしぶ、バックからメモをとりだした。
陽介はそのメモを受け取ると、そのまま見ずに安西に渡した。
「有難うございます。気をつけて帰って下さいね。…あのミニであまり飛ばし過ぎると危ないですよ。」
「大丈夫です。事故防止システムつけましたから。」
「そりゃあいい。じゃあ、また。」
陽介が窓を閉めると、安西はメモにあったホテルに車を向けた。
…ついてみると、かなり豪勢なホテルだった。
「…ほらね。言ったろ。」
「…キリりん、ちょっと呼んで来てよ。」
「パシリに使わないでヨね。まったく年下のくせに…」
ぶつぶつ文句をいいながらも、安西は頼みを聞いてくれた。
陽介が後ろの席に移ってそのまま車で待っていると、間もなく安西が鳴海をつれて戻って来た。
「…やあ、カズ。」
窓を開けて言うと、鳴海はにっこりした。
「ハーイ、ハニ-。」
安西は陽介の隣に鳴海をのせると、車を出した。
鳴海はわるびれずににこにこ笑って言った。
「いつきは誘拐に失敗したらしいね。」
「…本気ならできたんじゃね?世界一美しい花嫁の顔殴るのがいやだっただけだろ。あいつはあれで案外美形好きなんだ。」
「…ボディでもよかろうに。」
「…斬られたいのかカズ。」
陽介が吐き捨てるように言うと、鳴海は「わぁ、こわい」と大袈裟にふざけた。
「…陽介、僕はいつきの話を参考に、いつきには教団に餌をまくようにいって、手順を組んだだけで、キミを誘拐しろとは一言も言ってないよ。…あれはいつきの独断、いや、余興だ。」
「余興で誘拐されてたまるかってーんだよ。」
鳴海ははじけるように笑った。
「…そうだね、でもいつきは…キミをあのまま放っておけないと思ったんだよ。ハルキを放って出発できないと思ったのと同じようにね。…いつきから見ると、キミはボロボロに傷付いて、意気消沈していて、健康も損ねて、往時の面影もない、か弱い、はかない様子になってしまっていたらしいから。」
「…余計なお世話だ。大切な誰かを亡くしたら、辛いのは当り前だろ。」
「余計なお世話じゃないさ。キミは自分からはなにもしない人だろう?だれかが手を差し伸べてたすけてくれるのを、塔の上で歌を歌いながら待っている。サラダ菜のカタにとられたお嬢さんみたいに。いつきはリクエストに答えただけなんじゃない?あの子はキミの王子様ってわけだ。あはは。何を孕ませるものやら。あははははは。…まあでも、一時的とはいえ手を引いたんだ、ためしに嫁に預けて様子みる価値はあると思ったんじゃないの?」
陽介はカードを出して、鳴海に見せた。
「…これはなんだ。」
「…それは花嫁さんにあげた、茶わん蒸し代。」
「何千杯茶わん蒸し食う気だ。」
「うーん?ざっと2000杯?」
…安西の背中が笑いを堪えて震えている。
「…返しておく。」
「そう?…でもどうせ、嫁はもうすぐそれが必要になるんじゃない?とっときなよ。」
「どういう意味だ。」
「…僕はね陽介。やると決めたらやるんだよ。…キリにきいてごらん。『カズはそうだ』といってくれるはずだ。」
「…」
運転席の安西は無言の肯定を返した。
「でも心配はいらないよ。最後にはちゃんとみんなが得をするように配慮するからね。
…僕の婚約がうまくいったら、一ヶ月以内にキミは追い詰められて、出発せざるをえなくなる。まあ、僕が誘ったとき、キミがOKしててくれればこういう野蛮な真似する気はなかったんだけど。…でもさ、キミは絶対に冒険に出たほうが元気になるって! 冬休みはあけといてね。忙しくなるから。
嫁もつれていきたいなら、ハルキとの調整はキミがつけて。嫁にもよく言っておくんだね。…あの子は予定さえ言ってさえおけば、たとえキミが置き去りにしても、ちゃんと追いかけてくるよ。…おいかけてくるとき、旅費がいるだろ。」
陽介が言い返そうとしたとき、運転席から安西が言った。
「…そのくらいにしときなよ、カズ。…陽介は一度へそをまげると、御機嫌とりが大変だよ?」
陽介が口を挟もうとするのをさらに邪魔するように、安西は公園の前で車を止めた。
「…さあ、降りてくれ。…ぐるぐるまわってただけた。ここはキミのホテルの裏だよ。」
「…表にとめてよ、キリ。」
「…悪いけど、ボクこれから陽介と晩御飯なんだよね。クソ重い日本刀さんざんふりまわしてボクらどっちもすごく腹へってるからサ。」
鳴海はため息をついて、ロックを開けた。
「…そうそう、陽介、嫁さ、…生殺しだよ。そのうち絶対キレると思うな。」
「…あんたが余計なこと言わなきゃ大丈夫だろ。」
「…『親父の面影』とかいうルアーを君の口からとっとと外して、一刻も早くケシズミになるまで燃やして処分しないと、水が腐ってアクアリウムは破綻する。…一応、忠告したからね。これはキミを陥れるための言葉じゃないし、キミに勝つための言葉でもない。僕のいってることの意味、わかるよね?」
「…それは本当に余計なお世話だ、カズ。順次手は打ってるから口出しするな。」
陽介は手をのばしてドアを開けてやった。
鳴海はにっこり笑って車をおり、ドアを閉める陽介に手をふった。
「バーイ、ハニ-。また冬にね。」
陽介はドアを閉めた。
車を出しながら安西は言った。
「…まいはに-、いつからカズのハニ-でいつ結婚してなんで親父の面影なのかしらないけど…まあそれはともかく、キミは鳴海頭取をナメ過ぎだよ。…あいつが舌先3寸でなにをやったか思い出せ。…今度会うときはオーダーメイドのスーツに『オルタンス』のネクタイしめて、ダイヤのカフスつけてくるんだね。そのくらいやれば、ボクのはに-ならイケルかもよ?」
…『オルタンス』のネクタイは一本20万だ。百合子なら「女を食い物にする商売人みたいなネクタイ」と言うだろう。陽介的には「こないだ橘の親父の葬式でたくさん見かけた連中の普段のネクタイ」だ。
「『ハニ-』はキリの真似しただけだろ。下らないことばかり反応しないで俺の絶対的なピンチにこそ気付けよ、キリ。…しかし別に勝つ気で来たわけじゃないが、ここまでコケにされるとさすがに不愉快だな。」
陽介がつぶやくと、安西はため息をついた。
「…別に彼としては、コケにしたつもりはないと思うよ。…万事ああいう感じの人間だっていうだけ。むしろ彼は彼なりに、キミの心配をしているようだネ。
…ピンチの件はボクにはどうしようもないナ。彼についていって彼のプロジェクトをシャカリキで成功させる以外に、逃れる手立てはないだろう。まっ、いいじゃない、若いうちに鳴海の下でコキ使われるのは多分すごくいい経験になるよ。
…さあ言いたいことは言ったろ。前の席においで。飯に行こう。ヨースケとデート久しぶりだ。嬉しいヨ。」
(…ダイヤのカフスというといつきの寄越したあれか。)
陽介はシートを倒して乗り越えながら、憂鬱になった。
いちいちそんな格好をしなきゃ話もできないやつと、正直つきあいたくなかった。
…俺の死相を心配するうちの嫁に、どうやって説明しようか。目下それが一番の問題だった。
See you in next season.
THANX.
080908




