16 新しい寝室
土日に業者が入って、二人のみている前で汚れた襖をはりかえ、傷んだ畳をはがし、暖房器具の仕込まれた板床をはり、配達されたふかふかのラグを敷き、そして最後に、何件も家具屋をまわって二人で決めたベッドが設置された。シックな、黒っぽい木調のダブルのベッドだった。
ベットサイドには物置き部屋にほったらかしにされていた引き出しつきのアンティークなサイドテーブルを、きれいに掃除して、小さなテーブルクロスをかけて添えた。
業者がかえってから、ベッドと同じ家具屋で見つけた、明るいベージュの地に観葉植物のシルエットが焦茶と黄緑でプリントされた布団カバーのパッケージをひらき、新しいダブルの布団にかけた。テッサリという人工羽毛のはいった軽い掛け布団は、夏は涼しく冬は温かい。陽介は自室でもシングルサイズを愛用している。
冴がカバー掛けをやっている間に、陽介は、窓のカーテンを、色調をあわせて買った新しいカーテンにとりかえた。メレリウム2000はシリコンぽい手触りの素材だが、見た感じは完全に布だ。遮光、防火、断熱にすぐれ、色や柄も豊富だし、風呂場でシャワーでながせば、簡単に汚れも落ちて、かつすぐに乾く。
最後にふかふかの大きな枕を二つ、そろいの柄のカバーで飾ってぽこぽこ置くと、すっかり新婚家庭の寝室らしく整った。
「…できたね。」
「できましたね。」
二人は新しいスリッパを脱ぎ散らかし、満足して並んでベッドに座った。…いいスプリングだった。弾みすぎず、沈みすぎず。
開け放った窓からは、ちょうど真っ赤な紅葉が見えた。
「…あっちの壁に、なんか大きな飾りがほしいね。」
「そうですね。少し殺風景ですね。」
「絵とかどうかな。」
「…タペストリでもいいですね。布のほうが柔らかみがでますよ。」
「いいかも。」
「…」
「…」
二人はしばらくそうして合成の板床のリアルな木の匂いを味わいつつのんびりしていたが、やがて立ち上がった。
「…手あらって、茶にしますか。」
「そうだね。…今夜はあれに腰掛けて、『来いよ』って呼んでくれるんだろ?」
「…いいですよ。あのネックレスつけてきてくださいね。服は脱いでも、ネックレスは外しちゃ駄目ですからね。」
「…それは照れるな。」
「…お互い様。」
手をあらったあと、冴がコーヒーをいれてくれた。
二人で、ダイニングで飲んだ。
陽介はその香りにぼんやりと少しあたっていたが、思いきって、冴に言った。
「冴、…コーヒー、そろそろ別の豆にしようか。…飽きたろ?」
なぜか少し間があった。
賛成してくれると思っていたので、陽介は戸惑った。
「…飽きましたか?」
問い返されると、余計戸惑った。
「…4月からずっとこれだしね。」
陽介は少し遠慮がちに答えた。
「…」
冴が黙ったので、なんとなくどきどきしてきた。
しばらく黙った後、冴は言った。
「…もうつらいですか?」
陽介は顔をあげた。
…冴は、知っててやってたんだな、と思った。
…つらい…そうかもしれない。…でも、そうでないかもしれない。
直人との美しい思い出が夢のように蘇るこの香り。
もう2度と共に過ごすことのない直人という恋人との…あのかけがえのない時間。
これからどんなに生きても、何人と愛しあっても、もしかしたらもう、自分にとって彼以上の男は現れないかもしれない。
…でも。
例えそうだとしても。
「…思い出すのがつらいわけじゃないよ。…そうじゃなくてむしろ…少しずつ、直人さんがいないことに、慣れなきゃいけないと思うんだ。…俺はまだ生きてるし、これからも生きて行くんだから…。
冴がいてくれるのに、いつまでも、もう帰ってこない直人さんのことばかり考えているのはよくないと思うんだ。…冴だって、いつかどこかにいっちゃうかもしれないのに…それは明日かもしれないのに…」
冴は首を振った。
「陽さん、殺さないでください。俺はまだ居座りますよ。…それに…無理はしないでいいんですよ。まだ親父が逝って半年しかたってないんだし…。」
「…いいんだよ。いつまでも泣き伏してるわけにはいかない。リハビリしないと、いつまでたっても床をあげられないから。…冴、手伝ってくれるよね?…冴と二人でいるときに、冴がいなかった時間のことを思い出すのは違ってると思うんだ。そうだろ?」
「…」
冴は複雑な顔をした。
そして言った。
「…親父の思い出にひたって涙ぐんでる陽さんがたらなく可愛いかったんだが…。」
「! …冴っ!」
「…まあ、飽きたっていうなら仕方がない…」
冴はぶつぶつそういって、からになったカップを流しに置きに行った。
なんてひどいやつなんだと思って、陽介は抗議しようと立ち上がったが、くるっと冴にふり向かれて、言葉につまった。冴は澄んだ目で笑った。
「…じゃ、次は俺の好きな豆を買って来てもいいですか?」
…ちょっと嬉しそうだった。
…陽介はほっとした。
陽介は、冴に喜んでもらえると、嬉しい。怒りがほどけて、どこかに消えた。
「うん、いいよ。」
冴はのんびりテーブルをまわってやってきて、胸が触れあうほどの距離に体をよせて、陽介の唇にちゅっとキスした。
「…陽さん、」
陽介と額をくっつけたまま、囁くような声で冴は言った。
「…ん」
「…あのね、あんたは…、いつもなんとかして情熱的に恋をしていたい人なんです。」
「…」
否定はできなかった。
冴は、更に声をひそめて言った。
「…責めてるわけじゃないですよ。…むしろ…もし本当にそういうふうに生きたいなら、…いい子だから、目の前にいて、あんたを抱き締めてくれる相手に恋をなさい。」
陽介はそれを聞いて、ふわーっと血がのぼって、顔が熱くなるのを感じた。
「…もうとっくにしてる…」
二人はむさぼるように唇を奪い合った。
「…いまの喜びの中にいてくれますか。過去の悲しみや、未来への不安のなかでなく。」
「…冴…」陽介は目を閉じた。「…わかってるよ。」
冴は目蓋にそっと唇で触れた。
「…そうしてくれるなら、俺はあんたを抱き締めてやるから…。あんたの望むときに…いつでも。」
冴は最後にそう囁いて、ゆっくり、強く陽介を抱き締めた。
痺れるような喜びの中に硬い何かがこなごなに砕けて…真っ白になり、止まった。
…ああ、静かだなぁ、と陽介は思った。
陽介はその穏やかに澄んだ静けさを壊さないように、そっと言った。
「…ありがと…冴…。愛してるよ。」
冴はやがて陽介の腕を辿るように愛撫しながら、そっと身を離して、最後に陽介の手の平を指先でちょっとくすぐって誘った。
…新品のベッド。
二人は顔を見合わせて、笑いあって、あの部屋に戻った。




