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冒険少年  作者: 一倉弓乃
15/18

14 世界一の花嫁

 味をしめた陽介が中庭で食事するかと思い、カフェテリアで外をうかがっていると、ちゃんと陽介は言い付けを守ってその日は出てこなかった。冴は速めに食事をすませ、のこり20分の貴重な昼休みを有効に活用すべく、外に出た。

 昨日陽介は、ふわふわとピンク色のかわいい光をまといながら中庭でカレーを食べていた。それは陽介が恋愛気分の濃厚なときに出す光で…冴が見たのはその、ときどき家でもみているかわいい光のほうであって、遠かったこともあり、陽介の顔などはほとんど見えていなかった。

 冴は庭にやってくる子猫を見るように、愛でるように見つめていた。すると黒い服の男子学生が、となりに座った。…奇妙な色の光をおおきく、ずっと後ろのほうまで引きずっていた。…ぞっとした。まるで死に神のように見えた。

 …死に神のほうは、今日もちゃんと来てくれていた。中庭でいつも食事をしているのは実は夜思のほうであって、昨日は陽介のほうが割り込みだったのだ。普段いやなものは視界にいれないようにしているので、意識には上がってこなかったが、思えば毎日この影はそこにあったのだ。

「…尾藤夜思だな。」

 顔を上げると、顔が小さくて、きっちり整っていて、目が大きくて顎がとがっていて、…女どもの好きそうな「きゅっとした顔」だった。ぱらぱらと濡れたように整えられた少し茶色っぽい髪が、頭のきれいなかたちをくっきりと浮かび上がらせている。

「…お前、春にユウといた奴だな。駅で。」

 夜思はそう言って、チキンをたべた。

「…月島冴だ。」

 冴が名乗ると、夜思はコーラを飲んだ。

「…その月島とやらが何の用だ。」

「…久鹿にかまうのはやめてもらいたい。」

「…久鹿のファンか。…別に僕はあの男には性的な興味はないぜ。ヘテロセクシャルだからな。」

「…性的な興味があるだけであれば、2~3発ボディでもなぐれば用は足りるだろう。…教団の事情を持ち込むなと言っているんだ。」

「…おまえ…もしかして新しいボディーガード?」

 冴はうなづいた。

「ふん、また若くて見栄えするのを選んだもんだな。…それで、殴る代わりに何をどうする気なんだ。」

 夜思は小馬鹿にしたように言った。

 …後ろの影がざわっ…とざわめくのが見えた。

 冴は一瞥した。影はいちだんとざわめいた。…なんだ、これは、と思った。

 とにかくそれはさておき、冴はにっこり笑って夜思に言った。

「…貴様の弟にあることないこと言って、面倒なことにしてみようか。毎日昼休みに二人で中庭で10年来の親友よろしく飯をくっているとか、二人で飲み物を交換していたとか、別れ際にキスまでしたとか。久鹿が家にもどっても夢うつつで『やっぱり綺麗な男って見てて和むよね』と言っていたとか。…多分俺には『僕にはもう関係ないよ』と強がって言うだけだろうが、あんたにはそうはいかんぞ。あの負けず嫌いが顔に染みでたでかい弟にどれだけ絡まれるか、少し想像してみろ。楽しかろう。」

「…マテ。」

 夜思はきいた瞬間目を閉じて、ぱっと手で制した。

「なんてリアルなことを言うんだ。…それはよせ。血の気があまってるなら組手の相手くらいならしてやるから。な?…ここは目立つから、あっちいくか?」

「…おまえ、少しはやるのか?」

「ああ、少しはやるよ。」夜思は可愛い顔で笑った。「…ジュニア時代はヨーロッパの3強にはいってた。今はどうだろうな。…もうスポーツ系は相手にしてないからわからん。実戦専門だ。」

「ふうん。」冴は楽しんで言った。「それは楽しそうだな。俺もケンカにまぜてもらいたいくらいだが…。だが、今日の話は遊びのことじゃない。」

 夜思はコーラを飲んで一呼吸ついた。

「…冴とやら、僕は別に久鹿に絡んでるわけじゃない。久鹿はとても微妙な立場で、うちの馬鹿家族にさんざん目をつけられてる。ほっとくと殺されかねないから、危ないときに僕がそれとなく情報をながしているだけだ。…お前に理解できるかどうかはわからないが、僕は僕なりに家族を守りたいだけなんだ。…今回だって10月中にハルキと連絡がとれなかったら、とりあえず久鹿を誘拐しようって話もあった。…家族にこれ以上ムダな罪を重ねてほしくない。」

「…なるほどな。つまり最終的ににっちもさっちもいかなくなれば、家族の為に久鹿を殺すことも大いにあるわけだ。」

「そうならないように気をつけている、といってるんだ。理解力が低いぞ。」

「…貴様は凶星だ。久鹿に近付くな。」

「…飯一回食っただけでそこまで嫉妬するなよ。…そうか、高等部のカフェテリアから見えるんだな。飲み物とりかえてないぞ。」

 夜思はめんどくさそうに言った。…勿論この顔だ、冴より年齢分その手のいざこざに慣れているのは間違いない。

「…下世話なネタにすりかえるな。…おまえ、なんか引きずって歩いてるぞ。…ものすごく疲れるから、ときどきこうして肩をストレッチするクセがあるだろう?」

 夜思は実にいやそうな顔をした。

「…そっちこそ、低級なオカルトにすりかえるな。」

「オカルトマニアなんだろ。」

「僕のオカルトはもっと格調高いやつだ。」

「…そうか。俺の視覚はずっと下の品だぞ。ユウみたいなお高くとまってる連中は見ないような階層にピントが合ってるからな。…そのお前がひきずってあるいてる何かが俺はイヤなんだ。そんなものをひきずってるやつが陽さんと口をきいてるのかと思うと、ぞっとする。」

 夜思はギリッときつい目で冴を見た。何か言いかけるのを遮って、冴はさらに言った。

「…あのいつきとかいう女と、おなじものをひっぱってるんだ。」

「…」

 夜思は口をつぐんだ。 

「…もし久鹿と友達になりたいなら、それと縁を切れ。わかったな。でなきゃ、近付くな。…おれは本当にやるぞ。」 

 冴は一方的に通告すると、そのまま夜思のそばを離れた。


 家に戻って米を研いでいると、陽介が帰って来た。

 台所にやってきて、甘えた口調で「ただいま」といつものようにまとわりつく。

 「おかえりなさい」といって笑ってキスしてやると、陽介は「くふん」と甘えて冴の肩にゴロゴロなついた。

 …この人、母親に甘えたいのをずーーーーーーーっと我慢して生きて来たんだな、と冴はいつも、思う。

 足許から陽介のピンク色やごく薄いすきとおるような金色の光がふわぁっと冴の体に巻き付いて来て、あっというまに、冴を包み込む。その光はとてもいい香りがする。初夏の、咲き始めたばかりの花のような香り。その香りは、体の内外の空気を洗い清め、冴を幸福にした。

 「うちのお袋」をしてまで、「きよらか」と言わせしめるものの正体がこれだ。

 陽介はなぜかわからないが、情念とか、恨みとか、そういうものが匂わない体質らしいのだった。…勿論ないわけではないと思う。単に匂わないだけだろう。普通なら、恋をしている人間はもっと色味がつよくて、エゴが野性的に匂う。…得な体質だ。

「…冴、今日、夜思と話してたろ。見たぞ。」

「話してましたよ。」

「何話してたの?」

「俺の陽さんに近付くなっていっときました。」

「それじゃあまるで浮気の修羅場じゃないか。」

「…そうですよ。ちがうんですか?」

 冴は優しく意地悪を言って、陽介の額のあたりにまたキスした。陽介は抗議した。

「ちがうよー。」

「…約束を破ったら、貴様の弟を巻き込んでホントの修羅場にしてやるぞって脅したら、だまりこんでましたよ。」

「…それは呆れたんだろ?」

 陽介は自分が呆れてそう言った。冴が笑うと、陽介は冴のために、手をふくタオルを持って来てくれた。冴は米と水を炊飯器に入れて、タイマーをかけると、タオルをうけとって手をふき、その手で陽介の顔をよしよしと撫でてやった。

「…勿論、直人さんからなにかと継承してる冴のことだから、強いんだろうとは思うけどさ…。尾藤家はくるときは5人でかかってくるから気をつけろよ。」

「5人くらいどうということもないですよ。」

「…5人ともかなりやるらしいよ。とくに上から2番目の仁王が強い。体重が違う。…ハルキがはいれば6人だな。…親父も参加するからあすこんちはタチが悪い。」

 陽介の光は、体が離れても、なお冴の胸や足腰にのびてからみついている。…これは冴がゆるしているからこうなるのであって、もし拒んでいれば、それを察して、畏縮したように本人の体のまわりにとどまる場合が多い。…陽介は何故か、最初のころはどうやら遠慮していたのか、そんな感じだった。…冴の光が自分の足を舐めていることなど、少しも気付いていなかった。

 冴はチャンネルをきりかえるようにして、視界をもどした。普段はそうやって、見ないようにして生活している。めんどくさいからだ。それでもぼんやりしていると、見えてしまうこともあるにはあるのだが…。うっかり自分の欲望がみえたりすると、げんなりして嫌だった。

「…一応、気をつけます。」

「…うん。」

「…お茶のみましょうか。」

「うん。」

 陽介は嬉しそうに言うと、自分で戸棚からティーセットを出した。高級な食器もあるのだが、普段はこれだ。真っ白で、何の柄もついていない、薄いカップにソーサーと、そろいの白いポット。…紅茶だな、と冴は判断し、茶葉を用意した。

 お湯をそそいでいたら、陽介がちょっと嬉しそうにぼそぼそ言った。

「…でも夜思と冴って、並ぶとなんだか、ファッション雑誌のきれいな写真みたいだよな…。なんかどきどきしたよ。」

 あんたは女子か、と冴は内心思ったが、無視した。あのひとは女なんだと断定したハルキの口調が思い出された。

 いつものように庭の見える縁側で紅茶を飲みながら、陽介がどこかから調達して来た家具のカタログを二人でめくった。

「…でね、ベットの部屋は、板床にしようかと思うんだけど。」

「…そういう無駄遣いはどうかと思いますが。」

「うん、でも、猫どものせいで畳もいたんでるし、替え時だと思うんだよね。あの一番いたんでる部屋あるだろ。なぜかみんながつめとぐ部屋。」

 たしかにそういう部屋が一部屋あった。

「板床ですか…。うーん、多分、今時季からあとは、冷たいのでは。」

「まあね、だからこう、分厚いラグかなんか敷いてさ…。夏ははがせばいいじゃない。」

「…そう…ですね。まあ、一部屋くらいはあってもいいかもしれない。」

「床に暖房いれてもいいね。」

「…だんだん高くなって来ましたね。」

「一回変えたらそうそうかえるものでもないし、きちんとお金かけてかえたほうがいいよ。」

 …自分には一円の収入もないくせに、と冴は内心思ったが、口には出さなかった。

「…冴、お金心配?」

「…いささか。」

「…大丈夫だよ、金っていうのはあるとこにはある。」

「でもあなたの金じゃないです。」

「盗み取るわけじゃない。ちゃんと事情を話して出してもらうから気にしなくていいよ。」

「…事情って…やりたいときにすぐやれるように、ベッドがほしい、ですか?」

「ちがうよ。具合がわるいときすぐに横になれるように。…冴、エロいぞ。」

「…だってそうなんだろ?」

「…ちがう。」

「…べつに俺は布団敷きくらい、どうでもいい。畳でやるのも好きだし。」

「…よくない。」

 だんだん陽介の声が小さくなっていく。冴はニヤニヤ笑ってみていたが、陽介が機嫌を悪くしそうなので、折れた。

「…わかってますよ、…俺がいないときに具合悪くして帰ってくると、大変なんでしょ?」

 紅茶を継ぎ足してやり、菓子の袋を開けた。

「…あなたの家だし、あなたと父親との問題だ。あなたの思うようにすればいいことですよ。」

「…冴も家族だろ?」

 …俺は下宿人でしょ?…そう言いかけて、冴はふと口をつぐんだ。

 そして、言った。

「…陽さん、うちとはあまりに経済観念がちがうから、俺としては意見を求められても、批判的な言い方にしかならないんですよ。…でも、自分の生きて来た世界と別の世界があることくらいは、一応わかっているつもりです。…俺のわからないことは、あなたに決めてもらうしかない。家族とか、家族でないとか、そういう問題ではないです。…なにはともあれ俺はここんちの嫁です、一応。」

 嫁です、と言って、冴はふと鳴海に感謝した。

 冴を嫁だと言っていたのは、鳴海だった。それまで、冴は自分の立場が自分にたいして上手く説明できていなかった。陽介が冴に何を求めているのかも…。

 間違えても、「おれは下宿人だろ」などと、陽介に…陽介には、言ってはいけないのだ。他人にはともかくとしても、陽介本人には。

 でもだからといって、冴の立場や陽介の気持ちをうまく汲み取って表せるような言葉があるわけではなかった。

 嫁という言葉は、いろいろな葛藤や不都合を軽やかに飛び越えて、かつそれらすべてを軽妙にからかった陽気な表現だった。

 陽介はそれを聞くと、少し安心したように笑った。

 …陽介はいつも心のどこかで心配している。冴が、直人のように、時期がきたらいなくなってしまうのではないかと。

 それは多分そうなのだけれども…そりゃ冴だって一生陽介の嫁でいられるとは思っていない、しょせんは男同士だし、そのうち冴も女と結婚するはめになるだろうし、学校が終われば、よほどの就職先に恵まれないかぎり、エリアにはいられないだろう。

 けれども、今は。

(今しばらくは、久鹿家の嫁でいていいはずだ。)

(この光に包まれて…我を忘れていても許されるだろう。)

 陽介に手をのばすと、陽介はその手に甘えるように指をからめた。触れたところから痺れるような刺激が体を伝い、すぐそばで大輪の花が無数に咲きこぼれたかのような清い波動が内面を浄化して、いつも五臓に宿る怒りの塊がみるみる昇華してゆく…

(…この感じは、他にはない。この人は、俺にとってとても特別な人なんだ…)

(…俺はこの珍しい不思議な心地を昔も知っていた…)

(どこか…いつかの…遠い場所で)

(…懐かしい…)

(これは奇跡的な再会なんだろう…おそらく…)

(…それでもきっと)

(…こうしていられるのは、ひとときのことなんだろう)

(…どうして…)

(…どうして終わりがくるんだろう…)

 抱き締めると、体のなかの水がざわめく。無数の気泡が脳漿まで上昇していく…そんな心地がした。 

 まるで見すかすように、陽介が言った。

「…今は今だけを、生きようね…未来じゃなく…過去でもなく。…そうしなきゃいけないんだ、冴。そうだよね?」

「…陽さん…」

 きっとそれは死ぬ直前の親父が陽さんに言ったに違いない、と冴は思った。

 そう言われて涙を飲んで納得するしかなかった陽介が可哀相で、愛おしくてならなかった。

 苦しかった。自分の情熱に焼き尽くされそうな気がした。 

 

 


「ヤッホー! 新婚家庭に水をさしにきたよーっ!」

 数日後、訪ねてきた鳴海の第一声に、冴はがっくり脱力した。

「やあ、世界一美人のお嫁さん! こんばんはー!」

「あんたは…一体どこまで脳天気なんだ…。」

「天衣無縫とか言ってよ、世界一美人のお嫁さん。」

「なんなんだ、その世界一美人のお嫁さんていうのは。」

「いつきがきみのことを陽介にそう言われたと言って、ちょうど今の君のように脱力していたよ! アハハハハ、世界一美しいお嫁さん!」

 鳴海はそう言って豪快に笑った。

(また、うちの親父とは一味違う破天荒者だ…)

と冴は思った。

「…じゃあ、見合いの前に会って打ち合わせしたのか。…まあ、上がれ。陽さんは今日は居合の日だ。帰ってくるのは9時半過ぎだぞ。」 

「おおっとお、美人の新妻一人の留守に、怪しい男が上がり込むの図?」

「…怪しいと自分でわかっているなら大人しくしていろ。…腹減ってるか?」

「うん、いささか。」

「…寿司でもとるか。」

「あっ、いいねえ。…これもってきたんだけど、新妻的にはどう?」

 ふりかえってみると、鳴海は日本酒の瓶を見せていた。

「…陽さんは茶碗に半分も飲めばもう歩けなくなる。…まあ、俺だな、飲むのは。」

「新妻、強い?」

「…普通。」

「よし、飲みながら待とう。」

「あんた車は?」

「電車で来たよ。かえりはタクシーでいいや。…あっ、そうだ、茶わん蒸しも一緒にとってよ。はい、これ茶わん蒸し代。とっといてね。」

 鳴海はそう言ってチャージしてあるらしい無記名のマネーカードを差し出した。冴は別に深く考えずに受け取った。

 鳴海を部屋に案内してから、電話で出前をとった。ついでに、陽介に、寿司をとったから食わずに帰って来いとの旨をメールで送った。

 あとは鳴海と日本酒をそのまま冷やで飲みながら、寿司を待った。

「…まあそれにしても、飲みながら宿題する高校生には初めて会うよ。」

「…ちょっとまて、すぐ終わるから。」

「…いつもこうなの?」

「…いつもか。いつもはな…」冴はキーボードを叩く手を一瞬止め、それからまたおもむろにたたいて答えた。「…数学なんかを手書きしていると、後ろからうちの旦那がやってきて、『なにしてるの?宿題?』とか言って『ふふっ』とか笑って、きがつくとうしろからさらさら問題といてきて、すぐに終わる。あの人、かなりお勉強のほうは強いな。…『宿題なんかやってないで俺と遊ぼうぜ』だ。」

「…悪い旦那さんだなあ…。」

「…成績が落ちるからやめてくれと頼んだら、エスカレーター校で成績維持なんざ時間の無駄だと言われた。」

「…すごいね、新婚生活。」

「すごかろう。俺は宿題消化時間を確保するのにわりと必死だ。」

 冴は社会科の宿題を完成させると、ノート類を片付けた。

「…で、例の彼女はあんたの話を受けたのか。」

「二つ返事だったよ。彼女は陽介をとても信頼しているらしくてね。僕が多くを説明する必要はなかった。…お見合いのときは立ち会い人がつくだろうから、あらかじめいろいろ打ち合わせしておいたよ。」

 …冴は「けっ」と思った。思ったが、口では別のことを言った。

「…それはよかったな。」

「おかげさまで。」

「礼は陽さんに言ってくれ。」

 二人は酒を注ぎあった。

「そうだね。…そういえばいつきは君がすごーくショッキングだったみたいだよ。…お父さんともいつきは知合いなんだって?」

「らしいな。…俺はよく知らん。どこで会ったものやら。」

「…お山って言ってたよ。どこの山か知らないけど。…陽介がフォーリンラブするのをわりとそばで見守っていたらしい。」

 それは俺を匿うのを拒否したお山だ、と冴は心の中でつぶやいた。でもまあ、SMクラブで出会うよりいいか、と思った。

「…きつい話だな。」

「そうだね。…やめてくれーっとおもったけど、まあ友達だからさ…と言ってたよ。…で、いつきが心配してたよ。」

「何を。」

「…世界一美しい花嫁は、お父さんの代わりでいいのって。」

 …心臓につきささる一言だった。

「…ごめん、なんか、つきささったっぽい…?」

「…そ…そうだな。」

「…いつきから見ると…まあ、『あたしは目がわるいんだけどね』とは言ってたけど、君があまりにお父さんにそっくりなので、…さすがにちょっと陽介の神経を疑った、と…。」

「…」

「…ショックだったね?…ごめん…」

「…」

 言葉が返せなかった。俺はそこまで親父に似てるのか?と思った。

「…まあほら、いつきは、ものの見方が普通の女の子とちがうからさ、あんまり気にしないでいいとは思うんだけど…彼女が目が悪いと称したのも、そういう意味で~…」

 鳴海は「まずったな~」という顔でそう言った。       

 冴はとりあえず、酒を飲み干した。

「…陽さんは…確かに親父が死んで、少しおかしくはなってる。体にも不調が出てて…。」

「…そうなんだ?」

 鳴海が酒を注いでくれた。とりあえず、それをもう一杯、水のように飲んだ。

「…だが、俺は…いろんな意味で、実質親父の代わりにはならない。…だからそこんとこは多分、問題はない…。陽さんは俺の中の親父の面影に溺れちゃあいるが、俺が親父でないことはすごく良くわかってる。年も顔も全然違うしな。代わりにしちゃいけない、といつも自分に言い聞かせてるようだ。口にだしていうわけじゃないが。…親父のことを思い出すたびに、思い出してることが俺にばれるんじゃないかと怯えてるくらいだ。」

「…代わりにならないって…能力的なこと言ってる?」

「…能力と言うか…まあ…それもあるな。…親父はちょっと変わり者だった。陽さんは災いごとを引き寄せるタイプだが…親父は悪縁を断ち切る力がすごく強かった。…そういう行を長年つんでいたんだ。多分、あんたが陽さんに会えなかったのは、親父が陽さんを守っていたせいだ。…俺に入れ代わって…多分200日前後過ぎて、それであんたの念が通った。親父の死後100日は守りがあったろうから、それプラスあんたのほうが成就するまで100日ってとこだろう。」

「…そうか。…きみはその力は?」

 冴は首をふった。

「あれは生得のものじゃないから遺伝はしない。行をつんで会得したものだ。いわゆる、神通力ってやつだ。…親父は中学をでてすぐ、あちこちの山に行って荒行をやっている。ざっと30年以上だ。俺がいまからおいかけて、筋がよかったとして、あのレベルに到達するのは…40年後だな。」

「…お父さん豪傑だね。」

「それはまちがいない。」

 鳴海は器の底を見ながら、酒を飲み干した。冴はついでやった。

「…実はさ、いつきがそんなことを言い出したのは、陽介にね、説教されたらしくて、…例の弟のはなし。いつきはなんでもとりあえず、弟の代わりにしちゃって、ちゃんと相手を一人の異性として考えていないって、叱られたらしいんだ。…まあ、渾身の説教だったろうね。よく言ったよ。さすが友達だ。それが言えるのがホントの友達ってもんだよ。」

「…」

「…でもいつきはおもっちゃったんだって。それはそのとおりなんだけど、陽介がわかったのは、つまり、陽介も大切な人を亡くしてしまって、誰かを代わりにしてしまっているからなんじゃないのって。しかもそれをすごく後悔しているんじゃないのって。だからあたしに言ったんじゃないのって。…いつきから見ると、陽介は本当に痛々しいくらい悲愴でぼろぼろで…2年前の面影もないっていうんだ。多分それは、…きみのお父さんがなくなったせいだと思うって。そして、今はとにかく残っている力すべて費やして、世界一美しい嫁に必死で縋り付いてたって言うんだよ。」

「…」

 …そのとおりだ。

 陽介はぼろぼろだし、痛々しいし、可哀相だ。

 …あの口汚い女でもそう思うのか、と思った。

「…でもいつきの口からそれを言うタイミングじゃないからって、黙って帰って来たらしいんだけど…。まあ、その場で言い返したら負け惜しみみたいだよね。」

「…」

「…いつきの弟代わりは、むこうもいつきを姉代わりにしているようなところがあって…まあ、おたがい暗黙の了解済み、ってーか。それがいいことか悪いことか、僕はしらないよ?ただ、いつきは彼に対しては、考え直しても色っぽい気分にならないっていうし、…それはそれで、うまく行ってるんだし、まあ、まともなことではないにしても、ひとまずは…ねえ。…でも、世界一美しい嫁としては、…大丈夫なの?君の中のお父さんの面影に溺れているってさっき言ってたけど…。」

「…」

 冴は酒を少し多めに飲んだ。…くそっ、全然酔わんな、と思った。

「…陽さんは、…迷ってるし…悩んでるんだ。後悔もしてる。…だが…」

「…」

 …鳴海も素面ではやってられなかったのか、酒をあおった。そりゃそうだろう、鳴海は普通の異性愛者だ。こんな話に慣れているとはとても思えない。

 お互いにため息をついて、注ぎあった。

「…陽さんは…それでも、どうしようもなかったんだ。仕方ないだろう。」

「…彼が仕方なかったのはともかくとして、君は仕方はなかったの?」

「…俺は親父とは一味違う才能があってな。」

「…?どんな才能?」

「…簡単なんだよ。」

「…え?」

「…簡単なんだ。あんたのパンの祈りと同じだ。俺はいままで、寝たいと思った相手を逃がしたことはただの一度もない。…考えてみれば、いらないやつがよくひっかかるのは、その余波なのかもしれんな。」

「…」

「…男でも、魂のくすぐりどころは同じだ。」

 今度は鳴海が返答に詰まった。 

「陽さんが俺を地味に口説くなり、夜ばいかけるなりしたとでも思うのか。あの人は基本的に自分からは何一つしないぞ。俺の餌に反応して、ずるずる寄ってきただけだ。…ルアーの型番か?『親父の面影』だろ。来ちまえば何が餌だろうが知ったことか、骨まで食ってやる。親父の影なぞ消し炭になるまでもやしてやる。世界で一番美しい花嫁をなめるな。」

 最後のほうはだんだん何を言っているのか自分でもわからなくなってきていたが、ああ、やっと酔って来たな、と冴は少しほっとした。これで言いたい放題になってもあとでいいわけがつく…と。

 …寿司が届いたので、受け取りに、席をたった。

  


 大丈夫でなかったらどうだというのだろう。

 別れろとか体の関係を絶てとかいうのだろうか。(絶てるとでも思っているのか?)そして兄弟めいた家族ごっこでもしてみたり、逆に職業的な側近として慇懃につとめたりしろとでも。家を出て行けとでも。(出ていけるとでも思っているのか?)それともいつきが説教でもすれば、陽介の中から月島直人がいなくなるとでも言うのか。(もしもそれが可能なら、あの無気味な女に陽介を預けるのだってやぶさかでないくらいだ!)

 …馬鹿馬鹿しい。そんなふうになにもかもがうまく割り切れてたまるか。

 たとえ求められているのが亡き父の面影なのであろうが、冴は陽介を抱きたいのだ。あの光に包まれていたい。体を重ねれば天上の快楽なのはわかっている…。せつないような苦しい懐かしさに駆られ、目の前にいれば、どうしても、どうしても求めてしまう…。自分の知らない相手との知らない時間が陽介にあったと思い知らされようものなら、焦りに駆られて欲望が加速して…。

 逆に冴が目の前にいれば陽介は直人の影をみずにいられない。それは仕方がないことだ。直人の面影は、冴の個性の一部なのだから。(冴にしてみれば、それは別に『親父』じゃない、『俺』なのだ。)そして直人はついこの間まで陽介の最愛の恋人…陽介の魂の一部だったのだから。

 そんなことを理由に冴は出ていけない。たとえどんな不都合がそこにあったとしても、そもそも冴にはここを出て行くという選択肢がないのだ。

 けれども相手の全てを何もかも自分に都合よく支配することなどできない、すべてが望み通りの相手など、いるわけがないとも思える。だってそうじゃないか?今までの女達だってみな例外なくそうだった、一人残らず。

 前カレとは共存する以外ない。どうがんばっても、精々薄らぐ程度のことで、相手の中から美しい思い出が完全に消えることなどない。

 ましてあんな劇的な恋愛期間の末、倦怠期が来る前に、これまた劇的な最後を遂げられては、ハルキじゃないが、いまさら太刀打ちなぞ出来ない。前カレの思い出話を笑って聞き流すのは今カレの義務の一つだ…。たまたまそれが親父だったから、ちょっと声や態度が似ているから、ややこしいだけだ。

 そんなことはどうでもいい、親父より俺が先に出会ってさえいれば、泣くのは親父のほうだったはずなのだ…絶対にそうだ…だって俺はうまれる前…遠い昔にも陽さんと会った記憶が…

「…冴がこんなになるなんて…。凄く酒に強いのに…。どんだけ飲ませたんですか。未成年なんですよ。」

「…アハハ僕も強いんだよ、ホントは…。ただ、お互いにちょっときっついなーって話題でハイピッチで飲んじゃって…もう、はやく酔いたいっていうか…」

「何の話題ですか。どんな我慢大会だよそれ…。」

「ヨースケには内緒さ。」

「まったく…冴、起きて、冴!」

「あ…」

 陽介の声で目が覚めた。

「…お帰りなさい。」

「ただいま。…大丈夫?…水もってくるから。」

「…大丈夫でなかったらなんだってーんだよ、どいつもこいつもくそったれめ、くたばりやがれ、縛って犯すぞ…」

「…冴、何言ってんの、俺だよ?わかる?」

「…誰だ。」

「…陽介。」

「…ああ、陽さんですね…」

「…水もってくるから。」

「陽さん、やっぱりベッド買いましょう。…陽さんに布団しかせるのかわいそうだから…こんなにいい子なのに、陽さん…可哀相に…」

「そうだね。俺がお前をかついで部屋まで運ぶのは不可能だよ、腰が抜ける。…動けねえなら今日はここで寝ろよな。」  

「ああ、ベッド買うの、さすが新婚だねーっ。」

 鳴海のチャチャには無言で、陽介は台所へ水を取りにいったようだ。

 水を飲まされてしばらくたつと、少し酔いが覚めて来た。

「あれっ、陽さんいつかえってきたんですか。」

「お前さっきお帰りなさいっていってたぞ。」

「…でもお帰りのキスをしていない。」

「…酒臭いチュ-は拒否する。…つーか、寿司食ってんだから邪魔すんな。…おい、抱き着くな。動けねえだろ。…ほらあ、もう少し水飲めよ。」

「あはははははなかよしーーー」

「カズ、笑い過ぎ。」

「…お茶いれましょうか。」

「やめろ、その状態で熱湯いじるとヤケドするぞ。」

「あははーっ、俺に惚れるなよ、ヤケドするぞっ。」

 鳴海の馬鹿なギャグがなぜかツボにハマって、陽介を抱っこしたままだいぶ笑った。

「…ヨッパライ共…」

 陽介が毒づいたが、それがすごく可愛く思えて、陽介の後ろ首を吸った。

「さーえ、ヤメロって。そんなとこに跡つけんなよ。」

「だいじょーぶ、キリさんには来週の木曜まで会わないから…」

「キリともできてんのーっ、ヨースケ、ぎゃはははははは」

 …さらにしばらくたって、ふと気がつくと、鳴海が畳で沈没していた。

「…ったく、人の留守にあがりこんで俺の嫁と寿司は食う茶わん蒸しは食う酒は飲む挙げ句の果てに酔いつぶれる…なんなんだ、この男は。」

 陽介はそういいながら洗い物を台所へ片付けているところだった。

 冴はテーブルにまだ残っていたピッチャーの水を全部飲み、立ち上がってトイレに行った。帰ってくると、陽介が洗い物をしていた。

「…陽さん、すみません。やります。」

「いいよ。大した量じゃないから。…カズに布団しいてやって。」

 時計をみると、11時をまわっていた。

 テーブルはすっかり片付いていたので、それを脇のほうによけて立て、鳴海のために布団を敷き、寝かせた。とりあえず高そうなスーツの上着と、ネクタイだけとってやった。

「…素っ裸にして布団かけとけ。」

 洗い物を終えた陽介が顔をだして言った。

「え…」    

「やれ。」

 いやだ、と冴は思ったが、陽介に頭があがらない状態だったので、とりあえず服を脱がせ始めた。その間に、陽介がシャワーを浴びに行ったので、コレ幸いと、とりあえずぱんつは履かせたままにして寝かせておいてやった。

 シャワーからあがった陽介はほわほわとシャワーソープの匂いをたてながら、冴の鼻をつんとつついて言った。

「…お前、水浴びしてうがいしてから来い。…そんだけ飲んでて勃つっていうんなら、俺のほうは縛って犯していただいても別にかまわないぞ?」

 …冴は大変恐縮した。 

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