13 新婚生活
月曜日の午、陽介は大学の学食でカツカレーを買い、大学生協でかってあった牛乳と一緒にトレーに並べて、外へ持ち出した。人ごみを避けて中庭の日向のベンチを見つけ、一人でそこに座って、ランチを食べていた。大学部の中庭の向うはすぐに高等部だ。冴は何食べてるのかな-、などとぼんやり考えていた。ちょっとさがせば見つかりそうで…、こんなとき、同じ学校にいるって嬉しいな、と思う。
でも陽介は眠かった。
週末は冴がどうしたことか情熱的で、陽介をあまりゆっくり眠らせてくれなかった。どうせ24時間冴に欲情している陽介だ、たとえ強引に奪われてもNOはない。まして緩いまなざしでくすぐられるように見つめられれば…着ているものなど自分から脱いだ。二人で若さにまかせて際限もなく求め合い、冴のあのたまらなく心地よい肌に抱きしめられて、溺れた。
冴は、ハルキとちがって、考えていることをあまり口にしない代わり、たまに陽介の顔を物言いたげにじっと見つめることがある。そして、やはり口にだしてはいけないとあきらめるように決意して…やり場のないなにかを、無言の抱擁と口づけにこめる。…陽介はいつもせつない。言ってくれればいいのにとも思うが、もしそれが、自分を責める言葉ならば、怖い、とも思ってしまう。…冴は、陽介など簡単に殺せる。簡単に。…陽介は、冴にいつ殺されても文句は言えないだけのことを充分にしてしまっている。勿論冴はそんなことはしない。冴は陽介を愛してくれている。それを疑ったことはないのだが。
…学食の甘口カレーを、カツと一緒に汚れたアルミのスプーンで食べながら、陽介は冴のことばかり考えていた。…最近はそういう日が多くなった。何をしていても、頭のなかは冴のことばかりの日。…退屈な講義の間は勿論、食事していても、歩いていても、映画を見ても、本を読んでも…たまに直人のことを思い出して悲しみに塞がれているときさえ。
突然隣にバサッと本やノートの束が置かれて、その向うにやたら綺麗な黒服の男が座っても、陽介は「…俺のハッピネスに水を差すきかこの野郎」と苛立っただけだった。…それが夜思だと気付くのに、たっぷり30秒かかった。ちなみに夜思は、大学部の2年にいる。同じ文1なので、下手をしたら再来年、専攻が一緒になりかねない。
「…ハルキが帰って来た。」
夜思はそう言って、フィッシュとチップスのフライをつまみ、黒い炭酸飲料を飲んだ。
「…だろ。俺がパリ詣出してやったからな。…知ってて誘拐される趣味はねえよ。」
陽介は適当に言って、牛乳を飲んだ。
「…どうやったんだ。」
「…いつきに縁談を持ち込んだ。」
「あいつと結婚するのか?!…気違い沙汰だ!」
「…婚約志願者にそういってやれ。俺じゃねーよ。」
「誰だ。」
「ハルキにきいたほうが不自然にならないぜ?」
陽介はカレーをすくった。…白い米に染み込んだ真っ赤な漬物の染みをみていると、なんとなくムラムラしたので、それもすくった。
「…尾藤家の婚礼はこれで滞りなく進むだろ。…ついでに貴様の弟と別れといてやったから。」
陽介は小馬鹿にしたように夜思に言った。すると夜思は言った。
「ああ…どおりで。」
「…」
なんだよ、と夜思を横目で見ると、夜思はフィッシュフライをかじりながら憮然と言った。
「…泣いてた。」
陽介は目を逸らした。
「…それはねーちゃんが嫁に行くから。」
「…仁王も条件は同じだ。…ハルキのめそめそが五月蝿いと言って殴ってたぞ。」
「…凶悪な兄だな、別に殴ることはないだろう。…兄貴のプライドでこらえてるだけなんじゃねーの?だから泣かれるとイライラするんだ。自分も泣きたいから。」
「…小夜の縁談を持ち込んだのは仁王だ。…自分が縁談をもってこないと、小夜が一生結婚できないと責任を感じて。…実際小夜は男と長続きしたためしがない。」
「…あぶねー兄妹だよな、お宅。」
「しかもいろんなカップリングでな。」
夜思は短くため息をついた。
「…一輝兄さんお元気ですか?」
「…仁王に触発されて、母が縁談を探している。」
「…ある意味、偉いともいえるな、尾藤家。…でも一輝兄さん、2年前くらいに、恋人できたじゃない。」
「! …なんだと?」
「だって急に髪伸ばし始めたでしょ。」
「…あいつは聖人みたいな男なんだ。ただきまぐれで伸ばしたか、散髪代ケチっただけだろ。女の影などカケラもない。あったら母も心配はせん。『若い女性信者憧れの指導者人形』だ。」
「…男だよバーカ。」陽介は笑ってやった。「…お宅の一番上は、男だって。いつきも言ってたが…俺も同類の臭いはすぐわかる。ある部分未成熟な母親に育てられると、母親の顔色うかがうあまり、他の女のところへ中々いけなくなるんだ。そのうちに友達ンちだの留学先だので男の味を覚えて安心して没頭さ。…今更遅いぜ、おかーちゃん。」
「言ってろ。」
夜思はとりあわなかった。ただのいやがらせだと思ったようだ。
「…ハルキもミハのところで泣けばいいんだ。ミハはハルキに甘いから。…あいつのおかげで家の中がすっかりじめじめになった。小夜にめそめそ顔で会いたくないといってもう帰ってくれたが…。…だが、まあ、今回のことは感謝している。」
「…貸しにしといてあげますよ。…ハルキは南米で頭の上を毎日弾丸がとびかってたらしい。ラウール坊やの御機嫌損ねて生かさずころさずだと。」
「…一輝もそういう場所で、最初カソリックの布教をやってたな。我が家のパターンなんだろう。…だが、…まあ、いつか借りは返そう。」
「…」
陽介は何か思い出しかけた気がして、カレーを食べる手をとめた。
(…なんだっけ。)
鳴海の顔が頭に浮かんだ。
(…ああ。)
「…そういや、キッズバンクにいた鳴海頭取を、最近、教団がおいかけてるんだって?」
「…さあ。俺は知らない。」
夜思は話を打ち切りたいといった様子を見せた。陽介はさらに言った。
「…あいつ、金あるんじゃないの?…教団と利害が一致しているなら、協力してみたら。意外とおいしいんじゃないの?…ただ利用するんじゃなく…事後考えたら、やらずぶったくりより、お互いプラスになったほうがむしろいいでしょ。」
夜思は食べ終わったゴミを一まとめにねじると、教科書と一緒に持って立ち上がり、何事もなかったかのように去った。
陽介はためいきをついた。…まあ、流れにまかせるしかない。
…赤いフクシン漬けを先に食べてしまってから、またゆっくりと残りのカレーを食べ始めた。
頭の中はすぐにまた冴のことでいっぱいになった。
…昨日遅くまで執拗に求めて来た、美しい冴のことで。
だいたいの日は高校生より大学生のほうがはやく終わる。だから陽介は帰りはたいてい書店か家電の店によって帰る。ただ単に、冴に「おかえりなさい」と迎えてほしいから…それだけの理由だ。
だがしかし、そうでない日もある。
学校ドームの出口で冴につかまったとき、陽介は思わず時間割を確認した。…冴は至極冷静な口調で、
「月曜はやろうとおもえば陽さんを出口でつかまえられるんですよ。…車ですよね。のせてください。ついでに帰りに少し買い物を。」
と言った。
…週末二人で家に籠っていたので、冷蔵庫がカラだった。
二人で駐車場まであるき、車にのって、いつも行くショッピングセンターへ向った。
カートをおしながら、適当に食品をえらんで買った。母の指導で、買い物の時、かならず2品は陽介がえらんで買う約束になっている。陽介は好きなエノキの瓶詰めと、一緒に食べる大根をいっぽん選び、冴が押すカートの一番上に載せた。
「…陽さん今日、中庭で飯食ってたでしょ。」
冴がおやつを選びながら言った。
陽介は顔をあげた。
「うん、見えた?」
「…見てましたよ。遠くてあまりよくみえなかったけど、カフェテリアの窓から見えたから。…カレー食ってたでしょ。」
「うん。」
陽介はにっこりした。…あの時間に、冴が自分を気にしてくれていたことが嬉しかった。
「俺、カレー得意ですよ。好きですか?」
「ほんと?好きだよ。今度つくって。3日くらい続いても平気。」
「辛いのたべられますか。学食のは甘いでしょ。」
「大丈夫だよ。ちゃんと専門店のもたべられる。…あんとき、冴は今なにくってんのかなーって思ってた。何食ってたの。」
「…なんだろ。なんか煮物と、肉の皿。飯と味噌汁。」
高校のカフェテリアには昨年から単品メニューがたくさんはいっていた。電気代の値上がりで、家計はどこも苦しいのだ。
冴はさくさくした食感が売りの薄いパイの大袋をカートに入れた。
「…あのよく陽さんに絡んでる細い男、誰なんですか。…馴染みのチカンですか?」
最後の一言にトゲがあった。
陽介は静かに答えた。
「…あれは翼光教団の有名人だよ。ハルキの兄貴なんだ。夜思ってやつ。…水森がオカルトマニアだって言ってたろ。覚えてる?」
冴は黙って続きを促した。
「…ハルキが家に戻ったんだと。一応報告と、礼に来たんだ。そのうち返すから貸しにしといてくれってさ。…夜思は女好きのストレート。男は触らない。よくいろんな女とまちを歩いてる。」
「…知り合いなんですね。」
「うん、一応はね。」
「…たちの悪いやつだと思います。…切れたほうがいいです。」
陽介は冴の顔を見た。
…美しい顔は冷静で、何を考えているかまったくわからない。
たしかに夜思はたちの悪いやつだ。なにしろ教団の人間だし、変な電波キャッチしているし、あの尾藤家の4男だ。それだけでも手を切るには十分な理由だった。
しかし、身の安全のためには、繋がっていたほうが得策だ。…教団は今後もおそらく陽介をリストから外さないだろう。それならば、内部につてがあったほうがよい。
しかし教団とののっぴきならない仲のことを、どうやって冴に伝えたものか、陽介は悩んだ。
「…冴、夜思は考えがあって、教団の内情をある程度俺に抜いてる。…貴重なツテだ。切るのはちょっと無理。…余計危なくなるよ。」
「そんなおかしな教団とかかわり合う必要はないでしょう。」
「俺が好きでかかわってるんじゃない。一度リストアップされてしまっていて、その後外してもらってないんだ。」
「なんのリストですか。」
「…要注意人物ってこと。」
「なんで。」
「…ヤバイこといろいろ知っちゃって。…絡まれたのはいつきだったんだけど、たまたまそのころいつきともハルキとも付き合いがあったから、余計なこと見ちゃったりとか。…その後つきまとわれてる。」
「…陽さん、あの連中とはまとめて手を切ったほうがいいです。…命にかかわります。」
「…」
陽介は少し黙ってから、言った。
「…心配しなくても、じきに自然と切れるよ。もうなかば切れかかってるし。…どうせ住んでる世界が違う。ハルキたちと切れれば教団とも自然に切れるさ。…今しばらくの間だけだよ。」
陽介はそう言うとカートを押して歩き出した。冴が追って来るかたちで、小声で言った。
「…陽さん、誇張ではないですよ。」
陽介は振り返った。
「…冴、わかってるよ、あいつらがヤバいことは…。だから俺はカズについていかないし、必要以上パリにも滞在しないし、ラウール本人にも会いたくないんだ。…俺の体力じゃ、あいつらについてくのは無理だよ。」
「…わかっていないとおもいます。」
「…どういう意味?」
「…あいつらと急いで手をきってください。…あなたはこのままだと、巻き込まれて、命を落とします。」
大袈裟な…と言おうとして、陽介は静止した。
…冴が言っているのは…あのとき直人が言っていたのと同じようなことなのではないのだろうか。
…自分の寿命があと半年だと言っていた直人…。
「…とくにあの夜思とかいう男がまずいです。他はあとまわしでもいい。でもあの男とは、すぐに切れて下さい。大学でも会わないように、逃げて下さい。…父ならともかく、現状、俺では守りきれません。」
「…」
陽介はカートをレジにいれながら答えた。
「…わかった。」
…そのとき、なにかひどく、空虚な心地がした。
いうことを聞いたせいなのか、その後の冴は少し機嫌がよくなった。
家に帰って冷蔵庫に食品をしまうと、いつものようにコーヒーをいれ、買って来たパイを出して、縁側で二人でブレイクをとった。
「…冴、ベット一つ買おうか。」
陽介がいうと、冴はいきなりなんだよ真っ昼間からエロいなあんたという目で見たが、口では優しく、
「どうしたんですか、急に。」
と言った。
「…ほら、俺がへたりこむたびに、冴に布団敷いてもらうの、悪いから。下の部屋にイッコあると、便利かなと思って。」
「…それに、急にその気になったとき、すぐできるから…?」
冴はちょっといたぶり加減にそう言った。
「…ちがう。」
「…ちがわない。」
優しい口調で断定すると、冴は陽介を抱き寄せて、額にキスした。陽介はちょっとすねて言った。
「…ちがうよ…。ベッドに腰掛けた冴に呼ばれてみたいから。…冴かっこいいかなと思って。」
「…そのうえ俺に誘わせる気か。」
「…そうだよ。」
…直人がそうやって呼んでくれたのか?…そう聞かれたらどうよう、と陽介は思った。…実際直人はベッド派だった。でもこしかけて、じゃない。ちょうどテレビが見やすい配置にベッドがおいてあったので、直人は椅子代わりにベッドで足をのばして座っていることが多かった。或いは肘をついて寝転んで、隣をあけて呼んだものだ…御主人様よろしく、厳格な口調で、「ここへ来なさい」と…。呼ばれるとぼーっとしてしまって…言われるままベットに乗ると、「いい子だね」とまず靴下から脱がされた…。
だが冴はそんなことを問いただしたりはしなかった。しょうのないやつだ、という顔で笑って、頬を寄せた。陽介の耳に軽く唇を触れさせて、直人と同じ声で囁いた。
「…好きにしろ。」
陽介が笑って抱き着くと、コーヒーと菓子の盆を向うに押しやって、そのまま陽介を縁側に横たえた。唇を合わせて、舌を絡めた。
「…ん…冴…」
「…」
…こんなところでコトに至るわけにはいかない、と二人とも思い、縁側に盆を残したまま部屋に入って障子を閉めた。
あきるほどに週末抱き合ったのに、いったいこんな情熱が、自分達のどこに隠されていたのだろう…そう思えた。畳の上に散らかった衣服の上で、陽介は微かな悲鳴をあげながら、体の隅々まですべて冴に明渡した。冴がそこここをきつく吸って点々と跡を残して行くのを、何一つ役に立たない抵抗を形ばかりして許しながら、なんとなく、ここ数日の冴は尋常でないと思い始めていた。
冴はどうしたのだろう?こんな昼間のうちから、陽介の体に火をつけるような真似をしたりするタイプではない。…冴は陽介の中に体を進めながら、陽介を押さえ付けて、荒く息をついていた。いつもなら、こんなふうに激しく、抑制のない抱き方をしたりはしない。決して陽介には明かさないが、冴は何人もの女に厳しく躾けられたに違いないと思わせるような、そういう慣れや抑制を身に付けていた。だからいつもの冴なら、こんなことはまずしない…そうは思ったのだが、なんだかかえって危うさに酔ってしまい、陽介はますます乱れた…。ああ俺は所詮Mだよ、とかなんとか投げ遺りに思った。
セックスなんて前後の儀式を抜かせば正味は女が足を開いてハアハア11分だと言った人がいる。そりゃあいくらなんでもどーだろう、つーかそもそも前後の儀式をぬかすんじゃねーよ、と陽介は思う。女のからだなんて俺とちがってそれ用にちゃんとできてんだから、もっとゆっくりやればいいのにと…。身も心も蕩けて時間もわからなくなって好きな男と体温がまざりあって…そのくらいゆっくりやりゃあいいのにと…。
陽介の場合は、残念ながらあまりながくやっていると、体が大変なことになる。ましてなんの用意もしないで乱暴にやれば、もう、血まみれの…。
…大惨事になった。
終わってから冴はその惨状に少し青ざめた。
「…すみません。」
「…うん。いや、まあ、大丈夫…だと思う、多分…このくらいなら。…冴は大丈夫?」
「…俺は別に。」
「そりゃ、運がよかった。」
…そうなのだ。やるほうも大惨事になる場合もある。
「…でも、今日は俺、もう、夜はお休みをいただきます。冴さん。」
陽介はふざけてわざと丁寧に言った。冴は若干恐縮した。
「…そうですね。」
冴は陽介に手当てして「まいったな~」という顔でため息をつき、お湯とタオルをもってきて陽介の体を拭い(自分のつけた青い跡を確かめるように丁寧に拭い)、それが済むと毛布で陽介をくるんで、服をかたづけて、最後にコーヒーを入れ直してもってきてくれた。…このマメさは、父親譲りだと陽介は思う。まあ、父親のほうはもっと楽しそうにウットリやってたが。
その間陽介はといえば、最初は寝転んで、後半は壁によりかかり足は畳になげだして、座っていただけだ。…ちなみにハルキにも直人にもすこーし強姦癖があったので、陽介が大惨事になるのは初めてではない。
「…すいませんが、僕、少し寝てもよろしいでしょうか、冴さん。」
「…どうぞ。」
毛布にくるまったままごろっと横になった。
「…なんか、イヤなことでもあったの?」
そうたずねると、冴はぴくりとした。
「いいえ、どうしてですか。」
「…だって変だもん。」
陽介は、たとえ何かあったにしても、冴が絶対答えるはずないと思ったので、言うだけ言って返事は期待せず、目を閉じた。
冴は何も言わずにしばらくコーヒーをのんでいた。
「…陽さん、」
しばらくして呼ばれたが、陽介は眠りかけていたので、そのまま返事はせずにいた。
「…ねた?」
冴は返事をまっている気配だったが、陽介はもう疲れて、眠くて、おっくうだったので、そのまま目を閉じていた。
「…どうして俺も2~3年前に陽さんと出会わなかったんでしょうね…。」
冴は独り言のようにそう言うと、ため息をついて部屋を出ていった。
陽介はびっくりして目を開いた。
そばには、まだ温かいコーヒーが置かれたままだった。




