10 そして秋
ジャングルの遺跡にすでに3ヶ月潜伏していたいつきとハルキは、25日の朝に本部への帰還命令を受け、撤退準備をしていたところ、その隙を狙われ、あやうく蜂の巣になりかけたものの、とるもとりあえずいつきの逃げ足の早さだけでその場をかわし、敵に包囲された移動手段を放棄して、徒歩で27日正午近くに本部に出頭した。
「…ちょーっとレックス、あの拠点もう駄目よ。何人いきてっかわかんないわよ。なんつータイミングでよびもどすのよ! ハルキちゃんが死んじゃうでしょっ!!」
戻るなり前線の中隊長を怒鳴り付けるドロドロのいつきの後ろから、いつきより頭一つ背の高い長髪の若いアジア人男性が薄く無精髭のはえた顔をひょっこり出して、眼鏡をずりあげた。
「たいちょ、大丈夫です。ハルキちゃんこのとーり生きてまっす。」
「…おかえりチルドレン。」
レックスはもううんざりといった顔で二人を出迎えた。
「まったくきみたちの保護者は、腹が立ったからといってこんな若者を前線に送りだすとは、イカレてる。…迷惑だよ。キツネはともかく…神父様は生かしとくだけでも大変なのに…。」
「てへっ、ごめんなさい。」
ハルキはわるびれずに明るい顔でにこっと笑った。…これだけは相変わらずの、人を和ませる花が咲いたような笑顔だった。レックスもつられて苦笑した。
「…まあいい。二人とも着替えて20分後にミーティングルームへ。」
「らじゃっ。」
3人は少しして別の部屋に顔を揃えた。とりあえず清潔にはなったが、いつきもハルキも日焼けして野生動物のように逞しくなっていた。
「…P-1から、君らを送り返すよう言って来た。つまり、きみらのここでの任務は、今日で終わる。それと、ハルキは10月いっぱいで軍属の契約期間がいったん終了になる。」
「えーっ、別に僕いいのになーっ。とじこめられてるよりは訓練…いや任務のほうが…」
「…向こうでなんかあったんだろう。アカデミーの入学許可書がとどいとるぞ。あわてて体裁を整えている感じだな。」
「えっ、僕高校卒業してないし、入試も受けてないのに?!」
「…『市長枠』だろ。入学はユルイが、卒業は実力次第だ。2ヶ月おくれはきついぞ。」
レックスはそういって、ハルキに書類の入ったカードを渡した。ハルキは画面を送ってそれを確認している。
いつきはためいきをついた。
「…やっとラウール坊やもお怒りを解く気になったってわけね。…あたしには何か?」
「…きみにはこれが。」
「…なにこれ。」
いつきが手渡された大きな箱をひらくと、中からは、…みたこともないような凄い絹製品がでてきた。
「…なにこれ。」
いつきは眉をひそめてそれをまじまじ見た。それから同じように渡されたカードを再生すると、ラウールのスケジュール担当、タカノの顔が出て来た。
「いつき、縁談がきました。パリに戻って、美容院へ行って、その振りそでを着て一度市庁舎へ出頭して下さい。私から詳しく話します。」
「…」
「…」
レックスはつぎを予想してぱっと向こうを向いた。
「なっ…なによこれーーーーーーっ!!!!」
「お見合い?! いつきが?!」
ハルキも顎が外れるほどの驚愕ぶりで、二人はパニックに陥った。
レックスはしばらく二人を放置していたが、やがて言った。
「…きみ、19なのに、これだけセクシーな野郎どもにかこまれて、好きな男の一人もできなかったのか?」
「毎日弾丸の飛び交うこのジャングルで結果としてハルキちゃんの身辺警護しながら誰といつどうやって恋愛しろと?!」
「…奥手なコだね、きみは…」
「たいちょ、ダメですよ、いつきさんは…もっと細身の虫も殺せぬおっとりしたお金持ちの御曹子で、花束とガラスの靴持って探しに来てくれるような王子様みたいな男でないと…」
ハルキの台詞をいつきがぎゃあぎゃあ遮った。
「おまえら聞けよ!」
レックスは耳を塞いだ。
「…とにかくそういうことだから、二人とも今日中にリオまで戻って、明日一番でパリへ戻りなさい。」
「た…たいちょ、僕、ちょっと寝たいデス。3日寝ていません…」
「そうか。そのままリオまで頑張れ。なに、車にのったら眠れるさ。」
「たいちょーっ!」
「…俺は君たちがきらいじゃなかったが、願わくは、こういう命がけの真面目な場所では金輪際あいたくないので、よろしく。では、御苦労だった。幸運を祈る。よい人生を送りたまえ。いじょっ!!」
二人はよろよろ敬礼して、荷物をもって部屋を出た。
いつきは振りそでの箱をかかえたまま廊下に座り込んだ。
「…陽介に…いや、田中やんに電話しよう…展開があたしの限界を超えたわ…お見合い?振りそでですって?…ゲリラと停戦交渉やってるほうが100倍ましよ!!」
「…先輩も意外と偽装結婚とかしてたりして。お父さんの強引なすすめで。2年近くたってるからなあ…。」
「…ハルキちゃん、美容院いっしょにいこ…ね?」
「しょうがないなあ、もう!」
ハルキは笑って言うと、いつきの腕をひっぱりあげて立たせた。二人は仲の良い姉弟のように、支えあいながら、歩き出した。…2年間、いつも二人はそうやって一緒に歩いてきた。いない弟と、いない姉の役を、お互いに演じあって。
SA-3の芸術的に小汚いドームに入るまで、死んだように爆睡していた二人だったが、軍の車を降りて見覚えのある高級車に乗り換えると、いっぺんに目が醒めた。
「咲夜じゃないの!」
「うわー、咲夜だ…」
「ああ。俺昨日までブエノスアイレスにいたんだわ。丁度イイからたまに姉御の顔みっかと思って…。…ますますワイルドになったね、レイディ。あんまり抱き締めたくないや。」
「…うるさいわね。美容院いくわよ。それでいいでしょ。」
「…美容院ていうより美容外科いったほうが早いよ。まったくそんなに日焼けして、顔に皮膚癌できてても知らないよ?…まっ、そんなこったろうと思ってきてやったんだけどね。優しい、俺。パリまで送るよ。お二人さん。」
「はいはいはいあんたはあいかわらずにくたらしいほど綺麗よ。」
「綺麗にしとくのも仕事のうちなもんで。おばさん騙す仕事多いからさ。時々『パウロ美容外科』でメンテしてるよ、ただだし。…まあ、でも、ジャングルに1年はきついよね。ラウール絶対俺に言わないんだけど、…あんたら、なにしたの?」
「…聞くな。」
いつきは憮然と答えた。
「…俺にいえないようなことしたの?」
「…おまえ、ラウールのスパイじゃん。」
面白そうにハルキが言うと、咲夜は肩をすくめ、二人のために車のドアを開けた。
「…パリに連れてく前に、軽く垢おとしてマッサージでも受けなよ二人とも。その身なりでラウールのそばにいったら失笑買う。」
「どこいくの。」
「エステ。」
咲夜が運転する車は高台に二人を運んだ。
高級住宅地の一角にあるサロンにつくと、咲夜は二人を放り込み「服調達してくるわ。」と、一時去った。
うとうと施術されているうちに2~3時間たったらしい。
ハルキにいたってはうとうとどころか爆睡だったようだが、目がさめてみると、そこそこ人間らしく出来上がっていた。
飲み物をのませてもらっていると、咲夜が服を調達して帰って来た。咲夜のみたての服を着ると、二人はどうやら、「市長んとこの下宿人」くらいの格好はついた。
「あらっ、はるきちゃん、素敵! 髪きれい!」
「いつきもまるで女の子みたいだよ。」
「…もともと一応女だったんだけど…」
「そうだったんだ…知らなかった。先輩の恋人だと信じてたし。それだったら女なわけがないと…。」
「…あたしゃ陽介とは肉体関係ないわよ。」
「あるわけないでしょ、そんなでかいチチ、あの人のかぼそい神経でタエラレルわけがない。」
「…じゃどういう恋人よ。」
「激烈プラトニックな恋人。」
「…あんたの尽きせぬ妄想にはイケイのネンすら覚えるわ。…でもこれでやっと陽介に連絡いれられるわね。」
「…別に連絡入れなくてもいいと思うけど。」
「なんで。」
「…多分僕がいないのいいことに月島直人とかとまんまと出来ちゃってると思うし。…会っても昔みたく僕、可愛くもちっちゃくもないし。」
「…可愛けりゃカワイイでふさわしくないと言い、でかくなりゃでかくなったで好かれないとかぬかしやがるかハルキは。
…でもあたしゃかんけーないもん。陽介ただの友達だもん。ハァ月島直人ォ?勝手に出来ればァってかんじー。」
「…あんたには情けってものがないのか。」
「今あんたに対してはない。…それよりお見合いのことタナカやんに相談したいわー。そもそも振りそでの着方からしてわからないもん。」
「着る気ですかあんた。」
がやがや喋る二人を会計を終えた咲夜がさしとめた。
「…なんかビンボーくさいねえ、あんたたち、高い服なのに…」
「…垢まみれのアーミージャケットだけ1年着ててごらん、咲夜にももっと貫禄がつくよ。」
ハルキは小馬鹿にしたように咲夜に言った。咲夜は慣れた様子で、めんどくさそうに手を振っただけだった。ハルキはサロンの出口で手首のボタンをきつそうに外した。
車でチューブラインステーションに向いながら、咲夜が言った。
「…ああ、そうだ、今朝ワイトから連絡がきてさ、ハルキんち、結婚式があるらしいよ。それで、パリでの調整がすんだら、一度早めに実家に顔出してこいってさ。」
「えー」ハルキは眼鏡をずりあげながら、目を丸くした。「誰だろ、ミハ兄かな。あの人が一番結婚に夢もってたからな。」
咲夜はミラーでハルキの顔をみながら、面白そうに言った。
「…お姉さんだって。」
「…えっ…」
ハルキはそのまま固まった。
ミラーにイツキの険悪な顔がうつったので、咲夜はピンと弾いてミラーの角度を変えた。
「…偽物にうつつを抜かしてるから本物ににげられるんじゃないの?」
咲夜はそう言って陰険にクスクス笑った。
それっきりハルキに黙り込まれ、咲夜だけが上機嫌な状態で、3人はP-1についた。
咲夜とは庁舎前で別れ、いつきはハルキと中に入り、いつきはタカノのデスクのある部屋へ、ハルキはワイトのデスクのある部屋へとそれぞれ別々に入った。
しばらく後に、タカノの部屋を出たいつきは、ハルキを探した。
ハルキは1Fのカフェで、通りを見ながら、ぼんやりとなにか飲んでいた。よくみると、コーヒーの上に分厚いクリ-ムがのっかっている、酒臭いのみものだった。
「…ちょっと、ひるまっから、飲んだくれないでよ相棒。」
「…これはコーヒーですよ。アイリッシュコーヒーっていうんです。」
ハルキはぼんやり答えてコーヒーをかき回した。
「…昔、姉さんが、親に内緒でよく作ってくれたんです。」
「こーの飲んだくれ姉弟がァ。」
いつきが言うと、ハルキは崩れるようにテーブルに突っ伏した。
「…なんの懲罰なんですか…この帰省は…。僕ぁ…ニホンに帰って、最愛の姉の結婚をこわばった笑顔で見送って…先輩にはよくてふられて、サイアクなら言い訳されて泣かれて責められるんだ…」
「言い訳されるよりふられたほうがいいのかよ。」
「…そんな言い訳、先輩にかかったら、どれだけ僕を愛してないかっていう理路整然とした証明になっちゃうに決まってる…」
「…あんたも大概ヨースケのこと愛してないよねーっ。」
「嫌いだいつきなんか!! あんたの言うことは月島直人と同じだ!!」
いつきは無言でテーブルに近寄ると、ハルキのうしろえりを掴んで乱暴にテーブルから引き剥がした。そして顔を近付けると、低い声で言った。
「…いい加減にしないとぶっ殺すわよ。」
するとハルキはみるみる涙ぐんで、そのままぼろぼろ涙をながして泣き出した。
いつきはため息をついて、ハルキの衿をそっと放し、そのままハルキがうつ伏して泣くのにつきあった。
こんなようなことはジャングルのはじめの頃にはいくらでもあったことだった。いつきは慣れてしまっていた。…多分、ハルキも慣れてしまったのだろうと、いつきは思う。それがいいことなのか悪いことなのか、いつきにもよく分からなかった。
いつきは長丁場覚悟で、ケーキを一山と、紅茶をポットで頼んだ。ギャルソンが迷惑そうにハルキを見ていたが、いつきは「市長の娘よ。文句があるなら市長室に来なさい。」といった毅然とした態度を崩さず、ハルキが満足するまで泣かせておいた。
しかし意外にも、2個めのケーキにフォークをつっこんだところで、ハルキは泣き止んだ。多分、体力が尽きていたのだろう。ハルキは4日ちかく、仮眠しかとっていなかった。泣くのには体力がいる。
「…すみません。」
「…食う?」
ハルキが落ち着いたので、いつきはケーキを分けてやった。
「…ラウールに会った?」
ハルキは首を横にふった。
「…あたしもあってないけどね。…ハルキちゃん、もしか大丈夫なら、おもしろいもの見せたげるよん。」
「なんですか?」
「…あたしのお見合い相手の履歴書さ。」
「…あんたも、けっきょく、…お見合いうまくいったら結婚するんですか?」
ハルキは地面を這うような声で訊ねた。いつきは軽く肩をすくめた。
「…結婚はともかく、お見合いはするわさ。その前にこれ、いいからみてみ。」
「…?」
いつきの差し出した「今どき綺麗な紙にかかれた履歴書」を受け取って、目を落としたハルキは、数秒でぎょっとした。
「いつき…これ…」
「…気がついた?」
「この装飾模様とカリグラフィー…」
「…てゆーか、全文ね。」
「…先輩の手書き…」
いつきはおもしろそうに、こくこくうなづいた。
「…タカノは伏せてたけど、このお見合いを持ち込んだのは100%陽介だわさ。この履歴書はあたしに『俺だ、気付け、断るな』って意味っしょ?」
「…タカノさん、何で伏せたんだろう。」
「タカノは陽介があたしのカレだと思っているから、そこであたしが悩んだり躊躇したりしたら嫌だと思ったわけよ。タカノは基本あたしを嫁に出してしまいたい人だからね。陽介もそれがわかってっから、こういう手のこんだ真似したわけよ。」
いつきはそう言ってもう一つケーキを分けてやった。
「…なんかおもしろそうじゃね?…しかも、…ほれ、この男みてみ。」
ハルキはいつきから写真を受け取った。
いつきは教えてやった。
「…どこ隠れてたのかしらないけど、この男、あたしの知合いなんだわさ。どういうことだと思う?」
「知り合いって…?」
「…P-3のプールで毎日あたしとボールで遊んでた物数奇男なのよ。…まっ、ラウールの養い子に求婚できる程度には金や実績があるやつではあるんだけど。」
「え…ボール遊びって…ナンパして?」
「ちがう。なりゆきでボディーガード。」
「…ニオイをかぎつけたのか…。」
「そう、猛獣のね。…このお見合いは、裏がある。…それに、陽介がここまでして斬り込んで来たなら、その裏、…興味あるじゃない?ん?どーよ。」
ハルキは少し考えてうなづいた。
…ケーキをつつき始めた。
「…いつきさん、その枠の模様のとこ、…文字がはいってませんか。」
いきはハルキに言われて、綺麗な装飾模様をもう一度検分し直した。
「あっ、ほんとだ。…なんだろう…。」
よく見ると、模様にまぎれるようにして、アルファベットや数字が散っている。
「…なんか文になってますか。」
ハルキはコーヒーを飲みながら訊ねた。
「…んと…トニカク…んー、トニカクアエ。とにかく会え。」
「…俺だ、気づけ、断るな、か…。」ハルキはため息をついた。「…ビンゴだ。『とにかく会え』。さすが、気心が知れていますね。…日程は?」
「来月。あたしの日焼けをぬくんだと。…だからその前にタカノを出し抜いて、いちど日本に行くつもり。」
「…僕も姉さんの式の前に一度いっとくつもりです。一緒にいきますか?」
「そうね。」
「…」
ハルキは目をおとして、ケーキの上に乗っているフルーツを指でつついた。
いつきがフォークを貸してやると、それを刺して、食べた。
「…いつきさん…ワイトさんが、『極めて確かな筋』から聞いた情報によると…先輩は、ラウールの側近でもビビって引くような、ものすごく美しい若いボディガードを…自慢げにつれて歩いているそうです。」
いつきは目を剥いた。
「え゛…まじですか。」
「…けっこう、手、はやいですよね、…あの人。」
ハルキはそう言うと、「まっくら」防止のためなのか、猛然とケーキを食べ始めた。




