09 養親
「…冴、」
「ん」
「…お前、高校2年だろ。人生の大切な時期なんだから、うちの家事ばっかやってないで、部活にでも入って、友達ふやしたりとかさ…」
「…そうですね。」
「そうですねって…だからさ、突然、週末にP-1について来られるような生活おくってちゃ、将来にさしつかえるよ。」
「…陽さんがチカンを自分で撃退できるようになったら考えましょうね。」
…そう宣う冴は、州都中央の人ごみで、さっき陽介のそばにきた人物の手を一つねじ上げたばかりだった。
「…触られ放題はよくないです。どうして振払わないんですか?見知らぬ厚かましい犯罪者になでまわされて、気持ちいいんですか?」
割とチカンにあうと地蔵な陽介だ。別に気持ちいいわけではない。なにかの間違いだったらどうしようと思うと、行動できないのだ。
普通、男に触るチカンは、「間違い」だ。そんなんで人生棒にふるのは、あまりにも気の毒だと思ってしまう。実際「…男だけど」「…男かよ!」というやり取りを一度ならずしたことがある陽介だった。…まったく、陽介のどこが男でないのか、理解に苦しむ。
しかしそれにしても、小さくてかわいかったころは全然そんな目にあったことなかったのに…まるで保護者がいないのをみすかされているような気がする。というより、もしかしたら、「抵抗が1テンポ遅い」ことや、「ことを荒立てたくない性格」というあたりを見抜かれているのかもしれない。
ごみごみしたしけっぽい州都中央と違って、P-1西のチューブラインステーションは、空気も軽く、全体が洗練されていて美しかった。なんといっても、歩いている人間の黒髪率がぐっとひくい。それだけで、世界は軽やかにみえる。気温はエリアよりも低くて、みな防寒着をつかっていた。P-1でのスタンダードは、コートよりもマントである。
「…よく州外パスポート持ってたね、お前。」
「…基本です。」
「…俺ももってなかったのに…」
「まさか陽さんがもってないとは思っていなかったので、いつでもでかけられるように、エリアにきてすぐとりました。」
…陽介が高校時代再三P-1に招かれながら、一度も行かなかったのは、単にヨーロッパ方面で使える州外パスポートをとるのがめんどくさかったからなのだが、そんな陽介にくらべれば、冴はわりと意識がグローバルだったりするのだった。
P-1はチューブラインサービスをつかえば、エリア東京から4時間ほどだ。その気になれば日帰りだってできる。ちなみに値段のほうは、航空機時代の1/3~1/4ほど。距離が長いほど、チューブラインは恩恵が大きい乗り物だった。陽介は一週間かけてパスポートをとり、鳴海と打ち合わせたあと、次の週末にP-1西の駅に降りた。
冴はあたりまえの顔でついてきた。
「…空気が乾いてますね。」
「…まわりは砂漠だからな。…時間もないし、早速行こう。」
陽介が促すと、冴はうなづいて、黙ってついて来た。
鳴海に渡されたカードを初めて開いたとき、陽介は肝をつぶした。鳴海のマニアぶりは陽介を遥かに凌駕していて、そこには20個以上の連絡先と名前が並んでいたのだ。おそらく、どうしても陽介がだめであれば、自分で周囲から徐々に攻略していく予定だったのだろう。
(なるべくたくさんの人を、幸福な形でまきこむ…か。)
だが、鳴海が尾藤家にたどりついていないのも、その一覧をみるとはっきりわかった。
(山のことも、カズは知らない)
陽介はカードの一覧から、一人の日本人を選んだ。
一度だけ会ったことがある、ラウールの側近だった。
いつきの話をするなら、この人が一番いいと思った。
常識があるし、多少のことにたじろがないはずだった。なにしろ、長くあのいつきの「担当」で、いつきの暴食のつけを一年中支払い、いつきの壊した建物を弁償し、そしていつきの成績を心配していた人だったのだから。
いつきのことで大事な話があるとメールを入れると、彼は快く会見に応じてくれた。
P-1のドームの縁は、殻にそって全て酸素林である。
森の近くのカフェにタクシーで向った。
古い建物を綺麗にして使っているらしいそのカフェは、まるでルノアールのいた昔からあるような佇まいだった。
周囲は美しい花畑にしてあり、その日は王冠のようなピンク色の野バラが、今を盛りと咲き誇っていた。
その庭の席に、黒い重いマントを羽織って、髪をきっちりと弁髪のように三つ編みにしたアジア人が座っていた。ラウールと同じで、歳はまったくわからない。彼の隣には、亜麻色の髪をふんわりと一つにまとめた、背の高そうな身綺麗な白人のおじさんが、これまた綺麗な金茶のマントで身をつつんで腰掛けていた。その彼は琥珀色の瞳でまばたきして、眩しそうに陽介たちを見た。
アジア人のほうが陽介にむかってちょっと手をあげたので、陽介は一礼して近付いた。彼は立ち上がって、陽介を席に迎えた。
「…いつぞやのクリスマス以来ですね、久鹿君。」
「お久しぶりです、高野さん。せんだってはボケてて碌にご挨拶もできず、失礼しました。」
二人は握手して、席についた。
「…これは、俺のボディガードで、サエといいます。…お気になさらないでください。」
「随分目立つボディガードですね。私ならサングラスかなんかかけさせますよ。…ああ、こっちは勝手についてきたラウールのスパイで、ライリアさん。ボディガードも、まあ、結果として兼ねています。…堂々たる厚かましさで席についてしまいましたので、サエくんもどうぞ遠慮なく席にお着き下さい。」
…結果としてボディガード。最近そこここできく話だ。冴が一礼して末席に着くのを横目で見守りつつ、糞真面目な顔でギャグをイッパツかましてくれた高野に、陽介は笑いかけた。
「…スパイなんですか。」
「そう、だから、話す内容には気をつけてください。…あなたが来ると聞き付けて、とりあえず桜くん以外パウロの果てまでみんな押し合いへし合いで来たがったんですが、くじ引きでこの男がものすごい運の強さを発揮しましてね。」
スパイよばわりされたライリアは機嫌よく笑った。
「…わたしは運だけはあの中のだれにもまける気がしない。パウロより上だ。」
「…その強運をもっとましなことに役立ててほしいものですよ。」
高野はピシャリと言った。ライリアはちょっと楽しそうに高野を横目で見た。
陽介はたずねた。
「…ライリアさんは市長の…?」
高野は適当にうなづいた。
「…ラウールは愛人にしたがっているんですが、ライリアはストレートなので…。結果としてただの泥棒避け。」
「あーああ、そうなんですか。そりゃ、大変。」
陽介が笑いかけると、ライリアもにっこり笑い返した。
さすがあの美形市長と毎日顔をあわせて怒鳴りあっているだけあって、高野やライリアにとっては、冴の見た目など大したインパクトではないようすだった。ありがたいことだ。そんなことで黙り込まれた日には、話がまるですすまない。「サングラスかなんか」はいい考えだな、今度からそうしよう、と陽介は思った。
高野はそしらぬ顔でメニューをひらいて、陽介に差し出した。
「…何か食べましょうか。ここはパイが美味しいですよ。…サエくんも遠慮なくどうぞ。…あとで食事に御案内しますから、軽いものにしてください。」
「あ…お気使いなく…」
「宿はとりましたか?」
「いえ、もし可能なら日帰りと思っているので…」
「明日、極東で予定でも?」
「いや、そうじゃないけど…」
「なら一泊していってください。先日P-1進出を果たしたばかりの『古典主義』というホテルがありましてね、本社はローマですが…。そこのスィートをとっておきました。出過ぎずひっこみすぎずのよい客室サービスですよ。是非堪能して行って下さい。」
陽介は「げっ…」と思った。…一泊で、冴の2年分の学費と同じだけかかる部屋だった。久鹿の父でもおいそれとは泊るまい。
…どうりでいつきが正月の宿に帝国ホテルをとりたがるわけだ。
陽介は紅茶とパイを冴のぶんも頼んだ。
陽介と高野はしばらく日本州の「ふるさと」なる概念について適当な話をして笑っていたが、パイが届いたところで、本題に入った。
「高野さん、実は…今日は、これをお持ちしました。」
陽介はそういって、二つ折りの表紙つきに仕立ててある立派な写真と封筒を差し出した。
「…なんでしょう、私のお見合いですか?」
「…いや、高野さんじゃなくて…。てゆーか、高野さんて、独身なんですか?」
「ラウールの側近は全員独身ですよ、パウロの果てまで…ということはこれは…」
「…いつきの縁談です。」
…気のせいか、ライリアの顔がみるみる険悪になった。
「…この封筒は釣書でしょうか…」
「…履歴書です。」
高野のひっばりだした鳴海の「履歴書」は、綺麗な装飾模様のふちのついた紙に、今どき珍しくペンで書かれていた。
高野は、おもしろそうに写真をひらいた。のぞきこんだライリアの目が一瞬ピクリとした。…あれっ、と陽介は少し妙に思った。
「ふうん、なかなか涼しげなハンサムくんですね。…詳しいお話を聞きましょうか。」
高野的には凄く楽しい座興、といった感触らしかった。…悪くない反応だ。
「…そいつのこと、御存知ですか。」
「いえ、ぜんぜん。」
「ナルミカズヒコと言って、ちょっと前まで時の人でした。」
「…というと?」
陽介は「子供銀行の夏」にまつわる物語を、少しおさえて話した。誇張すると、多分高野は警戒するはずだと思ったからだ。高野は少しして、「ああ」と言い出した。
「…きいたことがあります。極東の学資保険の…」
「そうです。」
「へえ。…そんな前途ある投資家が、なんの自殺行為ですか。よりにもよって、いつきに縁談なんて。…あの子を引き取るとなったら、農園の一つももっていないと厳しいですよ。」
「…琉球弧にドームがあるらしいですよ。…まあそれはさておき…」
陽介は鳴海といつきの馴れ初めを語ってやった。
高野はものすごく大喜びだったが、…気のせいかライリアは一段と顔が険しくなった。…なんなんだろ、このおっさん、と陽介は不審に思った。
「あの子にそんな普通の女の子みたいな過去があったとは知りませんでした。」
「いや、俺も話きいてびっくりですよ…。しかもそれからずっといつきのこと探してたっていうんだから…。」
「3年以上もですか?」
「です。」
「なんという物数奇な!」
…そこまで言ったとき、高野は急に静かになった。
…ライリアがテーブルの下で足を蹴ったのだと、陽介は気がついた。
(…なんなんだこのおっさん…???)
陽介はそう思いつつも、気をとりなおして、高野に言った。
「…高野さん、俺はいつきの友人として、実のところ、いつきがどこぞの嫁にいくというのは、一生涯不可能なのではないかと思っていました。いつきは…いろんな意味でスケールのでかすぎる奴だし、はたして普通の女と一括して取り扱っていいのかどうか、それは俺にとっても長く疑問だったんです。」
「…あなたの言いたいことはわかりますよ。」
「…ただ、どうなんでしょう、…高野さん、率直に、どう思っていますか。この話。」
「…率直に、ですか。」
「ええ。」
「…我々は正直、全員が、いつきはあなたが貰ってくれるものと思っていたので…まあ微妙ですね。」
「…」
「…いつきから聞いてないんですか。」
「何をですか。」
「俺がゲイだって話は…」
「…」高野はちょっと顔を曲げた。「…ハルキから聞いていますよ。…ただ、あなたぐらいの年齢のそれは、時期がくると…嗜好そのものはかわらなくても、考え方がかわることは多いので…まあつまり、偽装結婚とかね、そういうのもあるでしょう。我々はそのへんはラウールにさんざんふりまわされているので、いろいろかたちがあるのは知ってます。」
「はあ、今のところ予定はありません。」
「でもお父様もうるさいでしょ。」
「…ええまあ。」
「…形だけでも結婚するようにとは、かならず言われると思いますよ。…そのとき、あなたにとっていつきはいい相手なんじゃないのかな、と思っていたんです。性生活はなくても、楽しく仲良く友達として、協力しあってくらしていけるでしょう。いつきは野生動物ですから、発情期がきたら適当に気に入った臭いの男を勝手に食って間に合わせますよ。あなたをそういう部分で煩わせたりはしない。…あなたは、全然いつきのことは考えてくれてない?」
「申し訳ありませんが、一度も考えたことはありません。」
陽介はきっぱり言い放った。
…冴の前で、少しでも躊躇するつもりはなかった。
「どうして?」
「…どうしてって、あんなのうちでは飼えません。…猛獣じゃないですか。どうやって。」
高野が吹き出すと、またライリアが蹴ったらしい。
「…そうですか。いや、わかりました。
…その鳴海さんの件ですが、わたしはいいお話だとおもいます。いつきを飼える家はたしかに限られている。鳴海くんというひとが猛獣使いなのであれば、…もう2度とこんないい話はいつきにはこないかもしれません。凶暴な娘ですから。なんにせよ、私が握りつぶすのは憚られますね。…まあ、わたしが生きて帰れれば、の話ですが…」
高野がチラリとライリアを見ると、ライリアは目を逸らした。
「…ラウールに先に話を入れると間違いなく握りつぶされますので、わたしの手でいつきに直接届けましょう。ラウールには後で話だけ通します。そこはわたしがなんとかします。ですが…いつきがNOならいかなる場合もこの話はなかったことにしてください。よろしいですね?」
「市長がどうして握りつぶすんですか。」
「…ラウールは一生いつきをそばに置きたがっている。養女にしてしまったので、法律上は無理ですが、…ほんとうなら嫁にしたいところでしょうね。籍をいれてしまってしくじったと思っていますよ、彼は。」
陽介は驚いた。
まさかと思った。
「…なんで?」
「さあ、私にはあの人の気持ちはわかりません。…ただ、ラウールに聞こえるように物を言えるのは、どうやらいつきだけですからね。…ラウールというひともまた、世界に一頭きりの珍獣です。珍獣どうし、気心がわかるところがあるのでしょう。いつきと一緒にいるときは学生のようにはしゃいでますよ。…かれにはまともな学生時代はなかったですからね。」
「…」
陽介は言葉を失った。
高野は写真を閉じ、履歴書をはさんでから、書類ケースにしまった。牽制するようにライリアに視線を送り、…ライリアは憎たらしそうに高野を睨んだ。高野は悠々とケースに網膜認証で鍵をかけた。
「…鳴海くんにくれぐれも言っておいて下さい。いつきを不幸にしたら、ラウールを筆頭に、菊とか、咲夜とか、こいつとか、とにかく恐ろしい猛獣どもに命を狙われるから、…まあ、もって3日くらいの命かな、と。咲夜がうごくのは特に早いですよ。世界の果てからでも、半日でやってきます。…彼はいまや唯一の、いつきより俊足な生き物だ。」
「…ライリアさんは、どうして…?」
高野はニコッと笑った。
…笑って、誤魔化した。
「…ハルキに会いますか、久鹿君。」
陽介は顔をあげた。
「…可能であれば。」
「残念ながらすぐには無理なんです。いつきもハルキもずっと南米にいましてね。ゲリラとながくやりあってます。…でも、あなたが会いたいと言っていたと、ラウールに伝えましょう。こんな話をもってこられて、ラウールは多分脅されたと思ってかなりビビります。あの二人を許して呼び戻すことでしょう。…頃合を見計らってもういちど来ていただければ、次回は会えますよ。」
陽介は聞き咎めた。
「…許す?」
高野はうなづいた。
「…あの二人はラウールの機嫌をそこねましてね。…正確にはハルキがね。それで、いつきがそれをかばったので、…。まあ、いつきを付けておけば死なないというのもあったんですが、…生かさず殺さず、くらいの扱いです。」
陽介はショックをうけた。
いつきのやつ、一言いってくれればいいのに…。そう思った。
「…ただ…そうですね、ハルキの元の恋人にとっては…いろいろな意味でショッキングな対面になると思いますよ。ハルキは随分変わってしまったし…」
陽介は曖昧にうなづいた。
「…いろいろ覚悟はしているつもりです。俺も伝えなきゃいけないことがあるので…。」
高野は苦笑した。
「…そうですね。2年たてば、いろいろなことがあるでしょう。」
「…」
陽介が黙ると、ライリアが笑って言った。
「…ラウールならそのあいだに20人恋人を作り、21人と別れるだろう。」
高野もそれを聞いて、苦笑しながら同意した。
「…ラウールなら20人が50人でも私は驚きませんね。…まあ、ハルキには、わたしからもそれとなく…久鹿君が、矢鱈ベッピンの護衛を連れて来ていたことくらいは言っておきましょう。」
お見通しかよ、と陽介は思い、特に訂正はしなかった。代わりに言った。
「…もし鳴海さんの話を受けるのであれば、いつきに男を整理させておいて下さい。」
ライリアが笑った。
陽介が顔を見ると、ライリアはカフェ・オ・レのボウルを口に運びながら言った。
「…整理しなければならないような男がいたら、あれはそいつととっくに逃げていることだろう。実際昔はそうしようとしたんだ。…今はいないよ。」
「昔…?」
陽介が聞き咎めると、ライリアは陽介の目を捕らえるように視線をぶつけた。陽介はたじろいだ。強い視線だった。どんな死地をくぐりぬけたら、こういう目になるのだろうか…そんなふうに思わせる目だった。
「…大丈夫。一番まずかった相手は既にこの世にいない。あとはいくら相手ができようが、所詮はすべて代役にすぎない。」
ライリアはそう言うと立ち上がった。
「…高野君は観光案内をしてやるのかい。」
「そうですね。ちょうど時間もあるし。たまに日本語も話したい。」
「わたしは帰ることにしよう。」
「…まだラウールに解禁しないでくださいね。」
「…考えてみよう。」
「ライリア。われわれの養い子の幸せを共に祈ったらどうですか?」
高野は咎めるような口調で言った。
ライリアは傲然と高野を見下ろして言った。
「…血筋の戦士には、その血を絶やす権利がある。…きみにはわかるまい。」
高野は冷たくきつく食い下がった。
「それはいつきの自由意思で行なわれるべき決断だ。」
ライリアは優雅に微笑み、そして言った。
「…できることなら、そうありたいものだね。」
マントを翻して、ライリアは席を離れた。
3人はそれを見送った。
高野は何事もなかったかのように陽介に言った。
「…あの変なおじさんのことは忘れていいですよ。」
「…忘れろと言われても…」
「悪いことはいわないから、忘れなさい。あの人は亡霊みたいなもんです。…パイはいかがでした?」
「…ああ、美味しかったです。」
「…少し町を御案内しましょう。…若い人はどういうところが好きかな。いつきの話だと、陽介くんはインテリらしいから、美術館はどうですか。とりあえずルーブルでもいきましょうか。」
高野に促されて、二人も席をたった。




