21
下からイライラとした涼香の声が聞こえて来た。
「ちょっと?何か分かったの?降りて来てちょうだい、情報は共有しないといけないわよ!」
謙太が、うるさそうに言った。
「あの女、まじで鼻について来たな。うるせぇ。」そして、下を見た。「降りる。どいててくれ。」
そうして、謙太は先に降りて行った。こうしてみると、結構高い。知美がためらっていると、郁人が言った。
「オレが先に行くね。下から謙太と一緒に支えるし安心して。」
そう言うと、郁人は穴の淵に手を掛けて、器用にぶら下がって降りて行った。知美がそれを覗いて見ていると、謙太が下から言った。
「足からこっちへ飛んでくれ。受け止める。」
知美は、足を下へと垂らして淵へ座り、思い切って下へ飛んだ。
真っ直ぐに落ちる知美の腰辺りを、謙太があっさりとつかまえて支え、下へと下ろしてくれた。
バスルームの外へと出ていた佑が、中を覗き込んで行った。
「で?通気口はどこかへ繋がってたか?」
知美はそこからかと思いながら、まず手を洗った。謙太が、代わりに答えた。
「トイレの方へ繋がる通気口だったみてぇだ。郁人と知美さんが行って戻って来たが、トイレの棚がうまい具合に足場になって通気口への出入りは簡単らしい。戻って来るのに時間を測ったら、1分ぐらいだと。」
涼香が、それを聞いて俊也を睨む。だが、俊也は首を振った。
「可能だったとしても、オレはやってない!そもそも、オレだけトイレに籠ってるなんて、バレバレじゃないか!そんな分かり易いことはしない!」
知美は、白くなるほど手を洗って、タオルで拭いているところだった。
俊也の言うことも、その通りなのだ。俊也だけがトイレで籠っているなど、疑ってくださいと言っているようものだ。こんな分かり易いことをするだろうか。
後ろから降りて来た、拓也が言った。
「で、天井裏に血の付いた黒い服だ。」と、その服をポンと皆に放って寄越した。「あまりに分かりやすい。別に俊也を庇うわけじゃないが、揃い過ぎてるのが逆に怪しいと思うのは考え過ぎか?」
足元に落ちた黒い布の塊を、佑が指先で摘まみ上げてひとつひとつ見る。回りでも、皆がそれを取り囲むようにして見ていた。
「黒い上着、ズボン、目出し帽。」佑は、顔をしかめて服から手を放した。「オレが見た犯人がしてた服装そのまんまだ。振り返った時に、チラっと見えただけだから全く同じかと言われたらわからんが。」
郁人が、バスルームを出て行きながら言った。
「でもこの血は佑のじゃないよね。だって、飛び散るような出血の仕方じゃなかったよ。殴られて切れて血が滲み出て止まらなかったって感じだったし。これだけ返り血を浴びたってことは、この黒服を着ていた犯人は美久さんを刺したってことだ。」
「つまり、天井裏にそれを脱ぎ捨てたヤツが美久さんを殺したってことでしょう?」涼香が、ヒステリックに言った。「それであの時誰にも見られずにそれが出来た人が犯人ってことでしょう!」
知美は、謙太ではないがずっと甲高い声でわめいている涼香が、段々うるさく感じて来た。それは男性達も同じなようで、皆一様に面倒そうな顔をする。そんな空気を何とかしようと知美が口を開こうとすると、真代が言った。
「涼香さん、落ち着かなきゃ。あなた、昨日からとても感情的で聞き苦しいわ。」
「な…、」
涼香が絶句するのにも構わず、真代は皆に言った。
「じゃあ立ち話もだから、ソファに座りましょう。それで、もう一度今のことをみんなで考えるの。出来過ぎてるって意見もあったし、私もそれは思うし。」
真代は、淡々とそう言った。その落ち着いた様子に、皆が思わず黙って頷いて同意した。
疑われて頭を抱える俊也を後目に、知美は皆を一緒にソファへと歩いて行った。
真ん中に置いたテーブルの上には、見つかった黒い服が広げて置かれてあった。
見たところ、腹の辺りを中心に血を浴びているようで、その辺りが一番べったりと濡れている。
しかし、なぜか背中の方も濡れていた。
それを見ながら、佑が言った。
「疑う余地はないんじゃないか。涼香さんは確かに感情的だが、言っていることは間違ってないと思う。オレ達の中であの時、あそこを通って外のトイレへ行って殺害出来るのは、俊也以外に居ないんだ。」
拓也が、腕を組んで顎に手を当て、考え込むように眉を寄せた。
「だが、あまりにもあからさまじゃないか?天井の蓋はネジも外れたままだったし、そもそもそれなら、天井裏の存在を知られたくなかったはずだろう。なのに、俊也は天井から冷たい何かが落ちて来たとわざわざ言った。それで全員が天井に注目するのが、分からないはずはないのに。だいたい、あの氷と水は何だったんだ?誰か説明出来るやつは居るか。」
郁人は、それに顔をしかめた。
「確かにあの氷とトレーのことはまだ、説明がつかないね。拓也の言うように俊也がやったなら天井にみんなの意識を向けたのもおかしいよ。その上これ見よがしに血の着いた服が落ちていて、通気口の金の格子だって外れたままで、まるでこっちだって誘導しているようだった。誰かが俊也をはめようとしているってことなのか?」
涼香が、首を振って言った。
「そんなの、焦って頭が働かなかったんじゃないの?稚拙な言い訳のために氷と水を用意してたのかもしれないし。俊也さんはあれに対してどう思うのか聞いてみたいわ。それらしい言い訳があるんじゃないの?」
俊也は頭を抱えたまま大きく首を振った。
「知らない!本当に知らないんだ、なんだってあれがあそこにあったのか、そもそもどうしてあんなに大きさの合わない氷なんかを砕きもせずに底の浅いトレーに入れて置いてたんだよ。オレは本当に腹を壊してただけなんだって!」
知美は、訳が分からず眉を寄せて必死に考えた。普通に考えたら俊也しか考えられないのだが、何か違和感がある。本当に俊也なら、天井裏の存在を隠したいはずなのだ。それなのに俊也は開口一番天井から、と言った。本当に知らなかったのか…そもそもどうしてあんなにタイミングよく、俊也は腹を壊してトイレにこもっていたんだろう?
「…ちょっと待って。」知美は、言った。「みんな同じ物を食べてたわよね?俊也さんは元気だったし、それがどうして急にお腹を壊したりしたの?」
それには、佑が少し、面倒そうに答えた。
「だから仮病だろうって言ってるんだよ。オレみたいに怪我をしたとか、熱が出てるとかなら難しいが、腹痛は確かめる訳にもいかないし。トイレにこもりたいからじゃないのか。」
知美は首を振った。
「違うわ、本当にお腹を壊していたのよ。だって、謙太さんも見てるわ。私達がバスルームへ行った時、まだトイレにはいろいろ残ってたの。それを謙太さんがみんなが入って来るから流したの。思い出したわ。」
謙太が、ハッとしたように顔を上げた。
「そうだ、流した。汚い話だが下痢だったし臭うだろうと思ってな。俊也は床に座り込んでいて、丸見えだったからまずいと思った。」
郁人が、割り込んだ。
「じゃあどういうこと?やっぱり俊也は腹を壊してたってことなのか?」
「だから本当に腹が痛かったんだって!」
俊也が叫ぶ。
皆が黙り込んで顔を見合わせる。
弾丸のように意見を出し合う皆の中で、知美は頭の中の整理が追い付かなかった。
真代が、そんな中で、落ち着いた声で言った。
「…やっぱり、しっかり考えた方が良さそう。一階に行こう。隅にホワイトボードがあったから、あれに分かった事を書いてみんなで考えるべきよ。きっとこれは、俊也さんが怪しいから俊也さんが犯人、では言い切れない何かがあるように思うわ。」
誰も、反対意見を出さない。
皆は、またぞろぞろと一階へと移動して行ったのだった。




