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その、おとなしい雰囲気に全くそぐわない激しい様子に、隣りに居た知美は身を震わせた。部屋で話していた時も、話が康介のことに及ぶと人が変わったような顔付きになって、口調も鋭かったが今はそれ以上の怒りを感じた。男性達も、眉を寄せて怪訝な顔でその様子を見ている。涼香が、さすがにマズいと思ったのか優子を咎めるように振り返って言った。
「優子さん、落ち着いて。確かにあなたにとって腹の立つ言い方だと思うけど、感情的になってもいい事なんかないわ。」
だが、優子は怒りが収まらないのか、その鬼の形相のまま康介を睨みつけて言った。
「上から目線なのが腹が立つのよ!何様のつもり?!今ので思い出したわ…そうよ私は、こんな男と婚約してたのよ!でも、何でも上から目線で指示して来る本性が出て来て、別れたいと言ったの!そうしたら…そうしたらこいつは、事もあろうに峠道を、猛スピードで走り始めたの!撤回するまでやめないって脅して!案の定崖へ突っ込んだんだわ!そこで私の記憶は途切れてるもの!こいつのせいで、私はこんなことになってるの!その証拠に私の傷は内出血以外綺麗に治してくれてるわ…あなたのは、大きく残ってるんじゃないの?!」
知美は、仰天して康介の方を見た。隣りの立ち上がった優子の肩は、ブルブルと震えている。手は、掴みかからんばかりに不規則に揺れていた。どうやら怒りが収まらずに今にも殺してやりたいほどであるらしい。
康介は、それを聞いて顔色を青くすると、無意識だろうが自分の腹を押さえた。俊也は、ただ困惑して二人を交互に見つめている。謙太は、もう何も聞きたくないとでも言いたげな風で、背筋を伸ばして座ったまま、目をじっと閉じていた。佑すらも黙っている中、郁人が言った。
「でもまあ、関係ないよね。」そのかわいい顔からは想像もつかない、呆れているような、蔑んでいるような声だ。「今康介も言っていたように、誰が人狼カードを引いててもおかしくないんだよ。過去がどうだとかどんな風に死んだとか関係ないんでしょ?オレ達が知りたいのは、君達の関係なんかじゃない、誰が人狼なのかってことだけなんだ。もちろん、それが本当ならオレは康介って男は最低だと思うよ。でも、今は関係ない。ゲームなんだよ?死にたくなかったら人間を私情で殺してる場合じゃないんだ。気持ちはわかるけど、君は康介が人狼だと思うの?それとも、人狼だったらいいって思ってるだけなの?」
そう言われて、優子はハッと我に返ったように目を見開いた。肩の震えも、収まって来る。涼香が、かなしばりが解けたように体の力を抜いて、割り込んだ。
「ああ、ええ、そうね。過去じゃないわ、今なのよ。人狼カードを引いたか引いていないかなの。優子さん、あなたは康介さんが人狼だと思う?思うなら、それはなぜ?」
優子は黙って、今は腹を押さえてソファに沈み込んでいる康介を睨みつけながら、じっと考えた。そうして、苦々しげに首を振った。
「人狼かそうでないかと言われたら、分からないわ。でも、あれほど騒ぐ馬鹿な人狼は居ないとも思う。憎いけど、今の時点では人狼ではないと思う。人狼だったら良心の呵責もなく投票出来るのにって思うだけ。」
涼香は、フッと息を吐いた。
「そう…なら、あなたも康介さんが人狼だという決め手がないということね。」
優子は、仕方なく頷いて、ソファに座った。知美は、優子の今の姿を見てしまったので、さりげなく距離を置こうと体をもじもじと動かした。優子の向こう側の隣の美久は、胸を押さえてじっと黙っている…また、傷のことを思い出してしまったのだろうか。
涼香は、隣りの美久の顔を覗き込んだ。
「美久さん?大丈夫、後にする?」
だが、美久は首を振って顔を上げた。
「ううん、話すわ。あの、私はやっぱり康介さんを怪しいと思う。どうしてって、誰かを特定して黒塗りしようとする人って人狼じゃないかって思えるのよ。その論理で行くと、朝の議論でもあっちこっち疑いまくってた佑さんとかも私の中では怪しくなって来るんだけど。性格とかもあるんだとは思うわ。でも、みんなが分からないから慎重に誰なのか探して発言を控えている感じな中で、とにかく怪しいと思った人のことを片っ端から上げて行くのは、まるでその中の誰かを吊れたらラッキーぐらいに思ってるのかと思ってしまったりする。そしてその中には、人狼仲間が居ないっていう。」
涼香は、何度も頷いた。
「そうね。私もそう思えて来てるわ。そうなって来ると、やっぱり戸惑ってる感じがする謙太さんより、グイグイ発言する佑さんの方がより黒く見えるわね。」
佑が、それには反論した。
「黙ってるヤツが疑われないってのはおかしいだろうが。意見を出してない人間なんて人狼と同じだ。無駄でしかないじゃないか。オレみたいにつつく奴がいるからこそ、こうして議論が進むんだ。そっちの知美って子も、意見らしい意見を出してないじゃないか。優子さんだってそうだ。今のは意見なのか?誤魔化しただけなんじゃないのか。その美久さんはしっかり考えてると思うよ。だからオレ目線、朝からの意見を聞いて思うのは、知美さん、優子さんに潜伏臭がするね。どっちかは人狼だろう。で、康介と浩二のどっちかが人狼で、疑われてテンパって必死に話してるって感じかな。知美さんや優子さんが人狼仲間だったら、確かにこの二人を庇いに出て来るなんてあり得ない。そう思うと辻褄が合うしな。」
全員が、シンと黙った。言われてみたら、その通りなように思えて来たからだ。
感情のぶつかり合いを見ていると、もし人狼仲間同士だったとしても、庇う状況が目に浮かばない。死んでくれてもいいし、火の粉が掛かるのを避けるためにも絶対にこの組み合わせなら庇わないだろう。
知美は、焦って首を振った。
「私は人狼じゃないわ!証拠といっても何も言えないけれど、人狼じゃないの!占ってもらったら分かるわ!もし人狼だったら、こんなにわけが分からないなんて言わずにそれらしいことを言うわ、仲間にどう言えばいいのか聞けるんだもの!でも、そんなの居ないから分からないしこんなことしか言えないのよ!」
そう言うより他、なかった。猫又だと言ってしまうことも出来た…だが、そうなると村の切り札が初日で無くなってしまうのだ。
すると、意外にも拓也が割り込んだ。
「そうだよ、分かる。佑は女性ばかりを話してないと言ってるが、オレだって意見を出せてないんだ。話したいけどお前達がガンガン話すから頭の中の整理が追いつかないんだよ。人狼だったら何でもこじつけて考えて話せるだろうけど、オレ達は入って来る情報を処理して自分が共感できることを繋いでいくしかないんだ。誰も彼もを、攻撃してもまともな情報が得られるとは思えない。」
知美は、皆の意識が自分から反れたのでホッとして拓也を見た。拓也は、一見おとなしそうだが体つきはしっかりした誠実そうな見た目の男だった。話し方は落ち着いていて、なぜか人を納得させるような力がある。
その淡々とした感情の混じらない声色に、佑は少し、トーンダウンした。
「だが…じゃあ、お前は誰が怪しいと思ってる?」
拓也は、頷いて身を乗り出し、自分の手にあるメモ帳を見た。
「まず、グレーの一人一人をどう思っているか話そう。知美さん、最初から回りを見回してじっと話を真剣に聞いていたし、混乱しながらも人狼を探している人間に見えた。佑、最初は怖いから気が立っている人間かと思っていたが、それにしては冷静に皆の行動を見て穿り返して、わざと切れて見せているように見えて来た。だから怪しいと思っている。美久さん、まだ傷とかのショックを引きずっているようだが、それでもちゃんと考えている人間かなと思う。康介、疑われてからやたらと騒ぐんだが案外にもっともなことを言う。人狼なら冷静にさばいた方がいいんだが、それが分からない愚かな人狼なのか、それとも人間なのか迷うところだ。優子さん、朝から黙ってやたら康介を憎々し気に見ているのが気になってたんだが、背景が背景だから分からないでもない。だが、豹変した様子がバレた人狼のそれかと言われたらそうかもしれないと思っている。謙太、戸惑っていて迷っているようだ。キョロキョロとあちこち見ていて、訳が分からない人間にしか見えない。最後に浩二、傷のことは驚いたが、朝の時点でも冷静に考えているようだった。ただ、誰に殺されただなんだとわざわざ皆の前で言うのはやはり怪しいと思った。そんなものは後で個人的に言えばいい事だからだ。つまり、長々と話したが、オレが怪しいと思っているのは佑、優子さん、浩二で、康介はどちらかというと怪しい、という感じだ。」
知美は、自分が白いと言われたことにホッとしつつ聞いていたが、拓也が涼香ぐらいしっかりとメモをして考えている事実に驚いた。佑も、拓也が話し終わった上に自分が怪しいと言われているのに黙っている。拓也には、持ち前の説得力のような物があって、それが話していることが間違っていないのではと思わせる力になっていた。
涼香は、それをいちいちメモに取りながら、嘆息を漏らした。
「綺麗にまとめてくれたって感じ。今の時点では私も同感よ。」と、メモ帳に視線を落とした。「じゃあ、本当は指定した中からって思っていたんだけど、皆の投票を今後に生かすことを考えるわ。今まで話し合って聞いたことをそれぞれ考えて、グレーの中から自分なりに考えて投票しましょう。しっかり考えてよ。人間に投票した人は後々疑われる可能性があるし、人狼に投票した人は逆に疑いが晴れるかもしれない。真剣に人狼を当てに行ってね。今は、これで解散しましょう。次は7時に。」
知美は、緊張の糸が切れるのを感じて、ドッと疲れてソファへともたれ掛かった。良かった…とりあえずは、自分は佑に怪しいと言われただけだ。やはり、真剣に人狼を探そうとする姿勢が問われるのだ。これからも、ちゃんと議論を聞いて人狼を探して行かないといけない。
知美がそう思って、息をついていると、目の前に誰かの足が立ったのが見えた。誰だろうと顔を上げて、その姿を見て、知美はまた固まった。
それは、浩二だったのだ。
真側で見るのは初めてだった知美は、一気に自分の傷のこと、浩二の傷のことを思い出してガクガクと震えて来た。吐き気がする…息が上がって来る。
それに気付いた涼香が、急いで浩二を押し戻して知美の前に立ち、浩二と向かい合った。
「なに?あなたね、あんなことを言った後だって忘れているんじゃないでしょうね?知美さんはショックであなたと接したらまともにこのゲームに向き合えないの!話したいなら、全部終わってからにしてくれないかしら。」
浩二は、それでも首を振った。ようだったが、知美には見えなかった。
「いや、もしかしたらオレが吊られるかもしれないだろう!だから、オレは別に敵意を持ってるんじゃないんだ。ただ、謝りたいと思ったんだ。脅えさせるつもりもなかったし、オレだって殺されたっていうあの夢が事実だなんて思いたくない。ただ、オレは何をしたのか知らないが、夢の中でも後悔してたんだ…だから、それを言いたかっただけだ。もし別陣営だったとしても、だったら余計に生き残って欲しいって。オレは人狼じゃないが、もし彼女が人狼だったらオレが代わりに吊られてもいいって。」
涼香は、何度も首を振って、知美の前に通せんぼするように大の字になった。
「もう、悪いと思っているなら関わらないで。あなたが人狼でないなら、知美さんと同じ陣営だと信じて彼女を生き残らせることを考えて必ず勝ってちょうだい。それが罪滅ぼしよ。分かった?」
知美は、そのやり取りを聞きながら、ひたすらにグッと目を閉じて震えていた。すると、浩二はそんな知美の様子を見て、諦めたようにため息をついた。
「…分かった。もう離れている。オレは人間だから、知美さんも人間だと信じてなんとしても勝てるようにするよ。それでいいか?」
涼香は、大の字になったまま、頷いた。
「ええ。それが彼女のためだしあなたのためでもあるの。ここは、彼女が落ち着くまで離れていてあげて。」
浩二は、傍目にも気の毒な様子で下を向いた。その様は、優子にも美久にも、涼香にすら同情をさそった。とても計算で出来るような様子ではなかったのだ。
だが、浩二はそんな女性たちの様子にも気付かずに、そのままそこを、離れて行ったのだった。
知美は、まだ震えていた。