別れの予感~2
「それでね、これが間取り図でね」
日菜は久しぶりにお父さんと会話中である。
社会人になるに当たっては色々と書いて貰わなければならない書類が有るのだ、会社関係の書類にも保証人の欄が有るし、此処は親に書いてもらうしかないだろう。
アパートの物件に関してもしかりだ、社会人1年生のヒヨッコに社会的信用など無いのだから、頭を下げて保護者である親のご協力を願うしかあるまい。
「不動産屋さんのホームページで物件が見られるんだよ、ほらこれ・・さすがプロが撮っている画像は綺麗だよね、実物より遥かに良く映ってるよ・・日菜の合コン用化粧レベルみたいだ(ボソッ)」
「ふ~ん、どれどれ」
このところ帰りが遅く顔を合わせる事も無かった父親だが、会社に提出する書類を書いて欲しい・・とお願いのメールをしておいたところ早めのご帰宅となった。
可愛い?娘に頼まれたら、其処は嫌とは言えないでしょう~。
「立地がね、ちょっと(どころか)駅から遠いから格安なんだって。
その分会社には近いんだけどね・・(距離より高低差が問題なんだけどさぁ)」
「家賃・・払っていかれそうなのか?本当に一人で大丈夫なのか?」
「会社の補助も有るから、贅沢しなければ・・やっていかれると・・思うよ?」
何で疑問形なんだ・・そう言うとお父さんは、サインをして印鑑を押してくれた。
「日菜がこの家を出る時は、お嫁さんに行く時だと思っていたんだがな」
そんな風に寂しそうに言われても、日菜が卒後に独り立ちして家を出て行くと決めたのは、18年間この家庭で生活してきた結果だ。
日菜が若くして出て行きたくなる程の家庭環境を放置して、改善しようとしなかったのは両親の方だ、今更引き留められても迷惑でしかない。
親子だと言っても気が合わなければ仕方がない、離れて暮らすのも生活の知恵だ。
トラブル防止・ストレスの軽減には良い事なのだろうさ。
そんな家庭は星の数ほどあるだろうし、何も沢口家だけが特別な訳では無い。
お父さんとしても諦めてはいるのだろう、今更何を言っても日菜の意志は変わらないと解っているようだ。
「日菜は何でも自分一人で決めて行動するが、これからは人に相談する事も覚えなさい。一人で頑張り過ぎて突然ポッキリ折れてしまわないか、それがお父さんは心配なんだよ」
お父さんの忠告に日菜は唖然としてしまった。
相談したとして、この家で日菜の希望が叶った事が有っただろうか?
日菜のピアノを習いたい・バレエ教室に行ってみたいなどの子供らしい、可愛い小さなお願いは、今まで実現した事など無かったのに。
其処らへんの諸事情(母子喧嘩のもめごと)は、お父さんの海馬には少しも残ってないらしい・・ホント空気・・エアマンだったよねお父さんって。
お父さんは家庭内に波風を立てる事を良しとせず、ひたすらに気配を消してATMに徹して来たのだろう。貴方のその生き方は、いっそ感動さえ覚えるのだが。
ストレスが有ったと思うよ?お父さんだって、お疲れ様でしたと言いたい。
でも、それももうお終いだ。来春からは趣味の釣りでも楽しみつつ、あのお母さんと仲良く生活して貰いたいものだ。当方は、夫婦間の生活相談や苦情の類は一切受け付けませんので、あしからず!
自己責任・自己解決で自立した老後をお願いいたします。
『さてと、書類も揃ったし早めに引っ越しして、あっちで入社の日までバイトでもするかな。此処にいてもする事も無いし、居心地も悪いからねぇ』
=気になっていたサッカー部のその後だが=
ソフト君は自らレギュラーを外れ、サッカー部と袂を別ったそうだ・・。
いや別に日菜のアドバイスのせいでは無いと思うよ?そんな影響力何て無いし!
自己責任だな!うん!
攻撃力の要を失くして、1年生が主体となった新生C高サッカー部は、県大会の2回戦で早くも敗退してしまったそうだ。くじ運が悪かったんだと、彼らは言い訳をこいている様だが・・運も実力の内と言うでは無いか?今後の健闘を、いち卒業生として祈るばかりである!頑張って貰いたいものだ!
敗退した事によって、全国大会に向けてのポンポン応援は練習する必要が無くなった、ホッとしている生徒も多かった様だが。日菜としては<全国制覇>の人文字を大きな舞台で披露したかった・・渾身の出来と自負していたのだが。何時間かけて造ったと思っているんだ!(だんだん腹が立って来たぞ、パソ部の後輩には申し送りをちゃんとしておこう、いつか日の目を見る事を信じて)謝罪と賠償を請求したい気分だぞサッカー部!
不振サッカー部をよそに、ソフト君はクラブチームの方に本格的に軸足を移してから、結構な活躍をしているそうなのだ、よくは知ら無いがな。
クラブの方のアンダー何とか?と言う大会に出場して、ゴールを量産しているとか・・ドーーンか?ドーーンなのか?絶好調の様だ。
何だか急にスター選手になってしまった様で、モブの日菜さんとしては近寄り難くなってしまった。おっかない親衛隊(美女軍団と言わない所は御察し下さい・・まぁ前の<大高源吾>様のマネージャーさんが極上の美人さん過ぎたのだが。)がキリキリ仕切っているので雰囲気が非常に良く無い。
触らぬ神に祟りなし・・だ。
まぁ、何にしてもソフト君の希望通り、プロとしての道が開かれて行けそうで何よりな事だと思う。
日菜が意識を飛ばしているうちも、お父さんの(どうでも良い昔話)は終わっていなかった様だ・・聞いていなかったよ御免なさい。え~とぉ、何だっけ?
「お兄ちゃんも年内にどうにか就職が決まりそうだ、お父さんの会社と付き合いが有る、プラントの管理を委託されている会社なんだけどね・・海外を含む転勤が多いらしくてな。仕事がキツイから不人気で人手が集まり難いらしくて募集人数が多かったんだ・・まぁ上手い事滑り込めた感じだな」
要するにコネ入社な訳ね、まぁ外国はコネ入社が当たり前らしいけど?
問題でも起こさないと良いけどね・・お父さんが保証人になるんでしょう?
怖いね~お父さんまで巻き添え食らって、損害賠償で退職金がパァにでもなったら泣くに泣けないものね。
悪霊退散の気分だね、アイツの身の内の闇を浄化したいが・・日菜は陰陽師でもエクソシストでもないから、ただ家族の安寧をお天道様に祈る事にするよ。
「へえ~良かったじゃない。
子供2人も就職できた事だし、夫婦ふたりでのんびり仲良くやって下さいね」
そうだな・・少しも嬉しそうもなく、ポツリと呟いたお父さんだったが。
「日菜・・。お兄ちゃんと仲直りをしないか、たった2人きりの兄妹だろう。
このまま別かれたら、もう話す機会も無いかも知れないしそれで良いのか?」
「お父さん・・それ日菜に言う?」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
親子で黙り込んでいたら、車の音がした・・お母さんの軽のブレーキ音だ。
ガレージに帰り着いたと言うのになかなか家に入って来ない、今日も安定の不安定・不機嫌なのだろうか、暗いオ~ラが玄関の方から感じられる。
・・これは相当だわ。
『今更、顔を合わせるのも・・・』
あの事件以来、日菜とお母さんは碌に顔を合わせてもいないし、ましてや会話などしていなかった、お互いに避けているので衝突する事も無いのは幸いだ。内心ため息を吐きながら書類を片付ける、サッサと自室に引き籠ろうと思ったのだ、逃げるが勝ちと言うではないか。
そうこうしている内に、ダイニングのドアが乱暴に開けられお母さんが入って来た。何かダークサイドな重苦しい空気と嫌なオ~ラを感じて・・思わず振りて返って・・お母さんを見て絶句した。
「・・なに・・それ・・・」
お母さんのオ~ラの下腹部一面に、黒々とした何かが見えるのだ。
以前、怪我をしていた<大高源吾>様の足首に薄い影の様な物を見た事はあったが、そんな軽い感じの物ではない・・禍々しい何かがお母さんのお腹に宿って蠢いているのが解る。
・・何それ・・怖い。
改めてよくよくお母さんを見つめ直すと、いつの間にか見る影も無くやつれはて・疲れ切って、老を感じさせる見知らぬ中年女性になって立っていた。
人違いと思えるほどの激変だぶりだ・・顔付が日菜が知っているお母さんとはまるで違う。顔の筋肉が力なく垂れ下がってしまい、凄く老けたお婆さんの様に見える、御洒落だった過去の片鱗はまるない。
これはどう言う事なのか、今の今まで誰も(日菜の含む家族全員が)この異常事態に気が付かなかったと言うのか!
「お父さん!今すぐお母さんを病院に連れて行って!」
日菜の悲鳴の様な大声に驚いたお父さんが振り返って、どうしたんだ日菜?なにかあったのか?なんて呑気な事を言っている。
なにかじゃないよ!
こんなに変わり果てた妻の姿を見て、この人は何にも感じないのか!!
愛情の反対は無関心と言うが、そんな事では無い様だ。
すべてにおいて無感動・無感情・無反応になっている、お父さんも毎日続く暗い生活の中で、感情を麻痺させる事を覚え、それをやり過ぎて気持ちが鈍麻してしまっているのだろうか?
「お母さん具合が悪いんでしょう、お腹に変な影が見えるよ!
いつからそうなっていたの!何で早く言わないの、病院にも行ってないんでしょう?保険証は何処?お父さん市内の病院じゃ無くて、隣の大きな病院に行って!
救急外来に今すぐ!急いで!!」
日菜の激高振りに驚いたお父さんが、車のカギを取り出して慌てて玄関に向かおうとする。
「一人で行ってどうするの、お母さん連れてって!」
ああそうか・・と言いながら戻って来てお母さんの腕を掴む。
「ほっといてよ!」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
驚くような大声でお母さんが叫んで、お父さんの手を振り払った。
激昂に唖然として立ちすくむ家族を余所に、お母さんは言い放った。
「何もかも無意味だったわ・・こんな人生・・私なんて!いなくなった方がアンタ達だって良いんでしょ」
「何を言ってるんだ、ほら行こう。病院で見て貰おう、そうすれば日菜の気も収まるだろう」
お父さんはこの期に及んで、お母さんのこんな酷い状態を見ても、なんら危機感も覚えず日菜の戯言だと思っている様だ。取り敢えず五月蠅い女達を宥めて、この状況をやり過ごそうと考えている。
幽霊のようにユラリと立っていたお母さんは、およそ生気のない青白い顔で日菜を見上げ睨みつけ来た。
怒りと言うより・・怨嗟・・そんな言葉が似あう様な目つきだった、己の不幸の諸悪の根源は日菜だと言わんばかりな表情だ。
それから憎々し気に鼻でフンッと鼻で笑うと、低く絞り出すような声で・・・
「ほんとうに、誰に似たんだか・・気持ち悪い子・・・・」
それだけ言い残すとお母さんは、お父さんに連れられて去って行った。
『其方・・大事無いか?』
流石に酷いと思ったのか、リンダさんが話しかけてくれた。
『うん・・流石に驚いたよ。
お母さんが事件のストレスで鬱になったりするケースは想像していたけど、物理的に病気になるなんて考えてもいなかったし。』
何だったんだろう、あの禍々しい黒い影は・・悪性新生物なのだろうか。
あの事件を担当する弁護士や被害家族とのやり取りで、お母さんは大きなストレスに晒されにたのだろう、免疫細胞に酷いダメージを受けてしまった様だ。免疫機能のキラーさん達は、正常に働け無くなってしまったのだろうか?お母さんの身体の中の好中球さん達は大丈夫なのか。
*****
どのくらいダイニングにボケッと座っていたのだろうか・・・。
気が付くと騒々しく愚兄が帰って来て、時間の経過に驚いた。
「何だ電気も点けずに、相変わらず陰気臭い家だな。
あぁ~腹減った・・なんだお前いたのかババアはどうした、俺の飯の支度はどうなってる?」
其処まで話した兄は、テーブルの前に力なく座り込んでいる日菜が涙を流しているのに気が付いた。
「おまっ!何泣いてんの?柄にもなく気持ち悪い奴だな。
さては内定取り消し通知でも食らったのか・・やい高卒、いい気味だな」
へらへらと突っかかって来た兄に反論もせずに、
「どうしよう!お母さんが死んじゃう!!」
思わず大声で叫んでしまった。
*****
表情筋を滅多に動かさない妹が、滂沱と涙を流しながら訴えて来た。
ババアの腹に何か悪い黒い影が侵食しているのが見えたんだと、こんな眉唾物の話に付き合う謂れも無いのだが。コイツは父親のオカルトチックな婆さんが死んでから、妙な能力を受け継いだのか、急に予知能力を発揮しだして色々と俺にとって不都合な真実を予言し、的中させて来た気持ちの悪い存在なのだ。
薄気味が悪いので、早くウザイ両親共々縁を切りたいと思っている、俺にとってはなんら価値のない要らない人間の一人だ。
面倒臭かったが妙な圧を感じた俺は、妹から詳細を聞きだした後、父親にメールを送ってみた・・返事か来るまでかなり時間がかかったが。
返事はメールでは無く電話で来た、病院の外から掛けているらしい。
何でもババアは病院の受付に到着した途端、<吐血>と<下血>をして昏倒したのだそうだ。実にはた迷惑な患者だ、今は救急外来に入っていて緊急処置を受けている。病状が安定したら検査入院して、手術に耐えられる体力が付いたら・・とそんな話を医者から聞かされたらしい。
「ともかく病院に行ってみるわ」
何処の病院に行くのか、兄さんは日菜に告げる事無く出て行ってしまった。
一人家に取り残されて、心細くって・・いつの間にか組んでいた両手が白くなっていて、ガタガタと震えているのが解る。
その後お父さんからは何の連絡もなく、夜は更けて・・朝になっても、お父さんも兄さんも帰って来なかった。




