夏休みの逃走~4
日菜と先輩の時間配分が変わった。
日菜は実習先が遠いので、先輩が眠っているうちにマンションを出なければならない。先輩の安眠を妨害しない様にこっそりと朝食の用意と2人分のお弁当・夕食のおかずまで作る、暑い時期なのでお弁当が悪くならないか心配なのだが食費を安く上げる為には仕方が無い。衛生に注意して中身は梅干しを多用している、暫くは食べたくなくなるほどの頻度だ・・トホホ。
先輩は夜遅くまで働いて腹ペコで帰って来て寝るので朝から結構な食欲なのである、朝食の用意は大事なミッションとなっている。簡単に用意出来る物といえば丼物で・・これは江戸時代の庶民から変わっていない様だ、パパッとかっ込みめお腹一杯!素晴らしい元祖ファストフードでは無いか。・・と、いう訳で朝から丼作りである、玉子丼・・鶏肉にすれば親子丼だが、鶏肉も中々にしてお値段が張るのだ。そこで鶏肉代わりに千切りにした<ちくわ。が入っている・・<ちくわ>良いよね・・一応蛋白質だし?ツナギや添加物も多いかもしれないが、お値段の割に食べごたえが有る憎い奴なのである。
お弁当は6枚切りの食パン2枚に、ハムとチーズ・胡椒を利かせたキャベツを炒めたのを挟んだホットサンドにした、冷めてもホットサンドとはこれいかに。先輩の会社の給湯室には<チン>が有るらしいから、温めて貰えば再びチーズも蕩けるだろう、それにタンブラーに氷入りの麦茶を入れたら完成だ。
東京に出て来て早3週間目、何だか日菜も痩せて来た。
食生活はダイレクトに体形に影響するらしい、なにこれ貧乏ダイエット。
そんなもので、今は実習先の3時のおやつの時間が楽しみでたまらない。何とタダなのである・・お得意様からの差し入れだとかで(普通はお得意先に仕事を貰う此方の方が差し入れを持って行くものでは無いのかい?)無理な仕事を時間ギリギリで押し付けられている為のお詫びの印らしい。なんにせよ、単なる一実習生の日菜にとっては関係のない話なのだが、実習先の皆様は大層太っ腹な方達で快くおやつを(しかも高級品だ!)分けて下さるのだ。疲れた頭と心・体に甘いお菓子は大変に嬉しい、おやつを頂けるのは栄養摂取的にも有難い事だった。ウマウマ。
「行ってきま~す」
コッソリと声を掛けて玄関を出て行く、完全にすれ違いの生活だ。
カップルや新婚さんなら揉めて離婚の危機を招くかもしれないな。
先輩は5時半に一度帰宅し、着替えて日菜の作っておいた夕食を<チン>して食べて、また学校に出かけて行く。その後6時半過ぎに日菜が戻り、洗濯をしつつ<チン>して夕食を取り、明日の食事の下ごしらえ等をし、洗濯物にアイロンをかける・・それが1日のサイクルだ。
今日は夕方のタイムセールで鶏肉が安かった、特製たれに付け込んで寝かせて置けば、明日のご飯は唐揚げに決定だ。ふふふ蛋白質だぞ。
話し相手が居なくて寂しい生活かと言ったら寂しいが・・先輩は別段ラブラブな彼氏でも無いので、お互い気を付かうよりは居ない方が楽な様な気もする・・日菜の話し相手はリンダさんがいるしな。
『それにしても、今日の実習は面白かったよ』
それまで実験記録のデーターの打ち込みとか、過去の紙の資料をパソコンに整理し直すなどの雑用ばかりに使われていたが、今日は3Dキャドを触らせて貰えたのだ。
何でも部品を作る専用のキャドソフトらしくて、お初に触ったがソフトが大変に良く出来ていて数字通りに作って行けばよかったので楽だった、あんなに使いやすいソフトを開発した人は凄い苦労をしたに違いないが。楽し気に作業する日菜を見て(ほら、あの有名な下町の製作所のドラマに出て来た、偏屈もじゃ頭眼鏡みたいな感じの人)が無茶振りをして来た。制作チームAのチーフさんなのだ、あんななりだが偉い人なのは確かそうである。
・・ちなみに実習先の社長・・はドラマの俳優さん<某ひ〇し>様の如くにイケメン渋親父ではなく、色白で小太りな人の良さそうな大福の様なオジサンだった。オ~ラの色も明るい水色でお人好しな感じだったし。・・・人が良くなければ面倒臭いだけの実習生など受け入れないんだろう。
「姉ちゃん、このラフを3Dに起こしてみな」
「承りました」
「はいはい、承って貰いました・・」フッ・・
ニヤッと笑うその笑顔は悪役そのもので、感じ悪いったらなかったが・・預かったラフスケッチを見て愕然とした。見事にラフだったのだ、鉛筆で思うままにグルル~~ッと描いたいたずら書きみたいな感じで、要所要点には数字が入っているが・・これでは小学生のSF好きな子供が描いた宇宙船の部品の悪戯書きみたいな感じで途方に暮れる。
周囲の人は<また始まった>みたいな感じで、首をすくめている・・たぶんこれは<この草臥れ気味の兄貴>が仕掛ける通過儀礼なのだろう。
この位の作業が出来なければ、此処の会社では要らない人材となるようだ。
日菜はラフをマジマジと見つめていている内に可笑しなことに気が付いた、グルグルの線の中に、光っているスッキリとした迷いのない線が見えるのだ。
『リンダさん・・この光の線は何だろう?』
『このラフを描いた者の思考の残滓だろう、その線こそがその男の求めるイメージなんだろうさ』
下書きの中から、完成品の線画を取り出す感じか?
『このままトレースして良いのかな、めちゃ簡単なんですけど』
かくして日菜の3Dの初作品は見事合格を貰った、くたびれ髭兄貴は非常に驚いた様だったが<これなら金が貰えるレベルだ>と言って、偉い人に交渉してくれ実習生から賃金の発生する短期バイトとして遇される事となった。後で他の人は教えてくれたが、ラフを描いた人の意向をくみ取って、イメージ通りに3Dに再現するのはかなり難しい作業らしかった、リンダさんと<思考の残滓>ちゃんの御蔭な様なものである。
頂けたのは一般的なバイトの最低賃金だったが、それでもお金を稼げた事は嬉しい・・お婆様から頂いた遺産事が減らずに済むのだから。
それに喜んだのは日菜だけでは無かった、同じ開発部所の人達も喜んでくれて、いや~~それはもう本当に喜んでくれて(仕事が溜まったいたらしい)その日は帰りに皆で夕飯を食べに行き、日菜は夕飯をゴチになってしまったくらいだった。ステーキ美味かった(遠慮はしない主義だ)また食べたい。
制作部のメンバーはやはりTVドラマのキャストの様にはいかず、ほとんどの人が地味な理系君達だったが、彼らの持つオ~ラは濁りも無く人柄は良さそうな感じだった。最も兄を基準に判断すると、大抵の人は良い奴になってしまうのだが・・。
その翌日からは戦力として数えられ、沢山の仕事を回されたが雑用をこなすより遥かに遣り甲斐は有るし楽しかった。
その後・・実習2週間目で派遣先から様子見と各種チェック、今後の希望の聞き取りの為の面談が有った。面談は前に会食してくれたバリキャリの女性では無く、若手のイケメンさんが担当についた。
「沢口さんは優秀ですね、実習先の評価も高いです。少し引っ込み思案の所が有るのかな?周囲と打ち解けれればもっと評価は上がると思いますよ」
「派遣さんは、周囲と打ち解け無い方が良いのかと思っていました」
「先方は優秀な人には、いずれ契約社員や正社員の登用も考えていますから、職場の人間関係に上手く適応出来れば雇用のポイントは更に上がると思いますよ。あなたがおやつを嬉しそうに、それは美味しそうに食べる様子に癒されていた社員さんも多かったようですね(笑)備考欄にわざわざ書いて有りました、齧歯類の様で可愛かったと・・どうですか、今回の会社は気に入りましたか?」
・・・・・・其処は、小動物と言うべきところでは無いのか?
「仕事や会社自体に不満は有りませんが、広い空間の場所で育ったものですから・・周囲の街並みに圧迫感を感じてしまいました」
「下町に有りますからね・・もっと広い場所と言うと、工場系の所でも良いのでしょうか?」
「はい、都心から離れても見渡せる様な景色の所の方が落ち着くんです、地元に似ているからでしょうか。それと・・・自分が係わっている設計の部品とかが、如何組み上がって行くのか、その後の行方を経過観察できる様な会社に派遣されたら嬉しいです」
経過観察・・これはリンダさんの希望だ、部品とかあまり無い世界から来たから(船とかはあったらしいが、車輪系の動力機械とか?)出来上がった完成品を直に見たいらしい。部品の納入だけでは実感が伴わないのも無理は無いのか。
「家賃とか安い地域だと嬉しいです、海に近い育ちなので山より海の方が好きです」
何でも言って良いと言われたから我儘も言ってみました・・先輩のお洒落マンションで都心暮らしを便乗させてもらったけれど、何だか私って都会に向いていないと思う。お洒落な街並みやショーウインドウもたまに見るなら良いけど、お値段が高すぎるし、高級過ぎてお店の敷居が高いのだ。何アンタ、そのなりでうちの商品を買おうって言う訳?みたいに思われていそうで(被害妄想?いや確かに店員さんはツンだ)現実的に住む場所では無い様に思う。
「解りました、該当する会社を幾つか当たってみましょう」
イケメンさんは約束してくれたが、上手く行くのか・・どうだろうね?
結局夏休み中は実習先のチェンジも無く、製作所でバイトに明け暮れた。お盆休みも設計部は仕事だった・・当然のように日菜も出勤していたが・・結構この会社ってブラックなんで無いかぃ?大丈夫なのかな社員の皆さん。
そうして夏休み明け・・日菜は行きよりも小金を稼いで地元に戻った。
お金を稼ぐと嬉しいですよね(*'ω'*)




