羽化の時期
冬休みが終わり、また平和な日常生活が戻って来た。
最も受験が控えている特進クラスの3年生は修羅場なんだろうが・・学校の評判も上がる事だし是非とも頑張って頂きたいものだ、応援しているぞ。
日菜もまた新たな試練に挑んでいた・・曰く、ビューティアップ大作戦である。難しいよね、美醜って人に寄って好みも有るし、清潔感だけでは越えられ無い厚い壁が有る様だ。
日菜はまず歯医者に行って長年の悩み、奥歯の親知らずと八重歯&歯並びの相談をしてみた。親知らずが中途半端に生えていて奥歯を圧迫しているのか、微妙に疼くんだよね・・親知らずの生え方によっては歯並びに影響が出る・・とネットで見た事だし?前歯が大きい日菜は、八重歯とその歯並びを密かに気にしていた。
近くに良い歯医者は無いかと口コミやネットの宣伝などを調べて、結局は駅前の学校近くに有る歯医者を訪ねて行ったのだった。
そこの歯医者さんは最近お爺ちゃん先生と代替わりしたそうで、妙に張り切っている<若先生>と言う人(と言う割に中年親父だったが)が出て来た。
その<若先生>は日菜の口をマジマジと観察すると、親知らずを抜く事は同意してくれたのだが(親知らずも温存した方が良い言うお医者様もいるそうだ)・・少し斜めに生えていて面倒臭い感じなのだそうで、1本抜くのに2000円掛かると言われた。高いか安いかよく解らないが、これは保険の適用が受けれらるそうだ。
抜歯当日はかなりの覚悟をして決死の思いで臨んだのだが、あっさりと抜けてくれて拍子抜けした・・まぁそれは良かったのだが。
歯医者初体験のリンダさんが興奮して色々と見たがって、顔にガーゼを掛けられる事に激しく抵抗したので大変だった。
眼鏡を外し手に持って、胸の近くに握りしめる様に置いて患部を覗けるように工夫をしたりして、なんとかやり過ごしたのだが・・。此方は治療でドキドキしていたのに凄く迷惑だったし、治療の実況中継をするのは止めて欲しかった。歯を割って引っこ抜くなんて聞きたくなかったよ。
それからメインの前に出ていた八重歯の方だが、八重歯は大事な歯なんだそうで抜かない方が良いと言われた、その代わりに後の歯を抜いて矯正する事を勧めてきた・・前歯4本の部分矯正でお値段40万程の高額治療である。
これは悩む・・・八重歯が無い顔も変な感じだろうか、日菜としては安く済む方に決めたいのだが。
「ねえねぇお父さん、歯の矯正をしたいんだけれど、治療費が40万ぐらい掛かるんだって。」
のんびりTVを見ていた父親に爆弾を落としてみた。
「40万・・随分かかるんだな・・。」
「これでも前歯だけの部分矯正だから安い方なんだよ、全部やると軽く100万は掛かるらしいもの。お婆様から貰ったお金を使ってもいいのだけれど、先立つ物は取っておきたくて(都会への引っ越し代とかな、いろいろ高額出費が控えているからな。)。来年に就職して働く様になったら月々1万円返すから、御金出してくれない?カードで一括払いするとポイント付くよ。」
「それ・・どうしてもしなければならないのか?」
「笑うと歯が引っ掛かって唇が下りてこないし、矯正すれば口元も少しは引っ込むってお医者さんが言うんだよね。歯が出てるでしょう私・・気になって人前で笑えないんだぁ。」
娘が悲し気に話すのを見て、父は心を動かされた様だ(計画通りだニヤリだ)。
因みに日菜は誰の前でも大笑いして歯をむき出している。
「日菜は大学に行かないで働くそうだしな、入学金を考えれば安いものだ。今まで我儘やおねだりをした事も無いし・・。いいよ、お父さんが出してあげよう・・(小声で)お母さんには内緒にな。」
「(小声で)有難う!今からやれば就職する前に完了するそうだし。凄く嬉しいよ!お父さん!」
アメリカ人では無いから完璧な歯並びなど望まないが、口元ってかなり大事なポイントだと思う。これでビューティーアップ大作戦はかなりの進捗だ。
【その後、日菜の矯正は女の子の間で評判となり、学校内にブームを巻き起こした。その為多くの患者が<若先生>の歯医者に雪崩れ込む事態となり、日菜は<若先生>から大変に感謝される事となる。月一回の矯正の管理料はタダにしてくれるほどの盛況ぶりになった様だ(笑)。】
さて、次のミッションは<アイ〇チ>を完全に使いこなす事だ。
瞼の皺ごときで見下げられたり、就職試験に不合格を出されたら堪ったもんじゃ無い。今までの努力が無駄になってしまうではないか、そんな目に合うのは御免だから多少の嘲笑や批判は甘んじて受けるつもりだ。
一重瞼の目の子が急に二重になって学校に来たなら驚かれるのが当然だし、ブスが色気づいてとか、何かと蔭口を言われるのも予想の範囲内だ。
ヘタしたら生活指導の中川原利通先生に呼び出されるかもしれないが・・・覚悟の上じゃあ!何でも来いやぁ!だっ!!
研究の結果、もともと一重瞼の日菜は皺を造り易かったのか(中知半端な奥二重よりやり易いようだ)、はたまた瞼に脂肪がついていなくて癖がつきやすかったのか、これもまたあっさりと二重瞼に変身してしまった。
鏡を覗いて・・何か、どっかで見た事が有る顔だなぁ~と思う事しばし。
『そっか・・これって、お母さんと兄さんの目に似ているんだ。』
小さい頃からあまり似ていない母子と言われていたが、その大きな原因は瞼の皺に有った様だ・・二重になった今、驚くほど母と似てしまった日菜だった。
小さな頃は兄さんとお母さんが良く似ていると余所の人に言われているのを聞いていると、羨ましい様な・・日菜も同じ目に生まれたかったなぁ~等と思ったものだったが。今は・・アイデンティティの喪失と言うか、自分が薄まってしまった様で少しばかり面白く無い。
でもまぁ、一重の時には普通にしていても
「どうしたの?何か怒っているの?」
などと言われるジト目だったから、これはこれで良かったのかもしれない。
良く無いと思う者も居そうだが・・・・。
『お母さんて密かに自分は日菜より美人って思い込んでいて、何気に日菜の事を下げて見ていたんだよね・・・。』
この日菜の顔を見てどんな反応をするのだろうか・・・。
日菜は自分の顔を客観的に見て下の上とか、中の下位かな(結構ひいき目)・・とか思っていたが・・歯を矯正して二重になった今の日菜は、心を平静にして客観的に見ても(煩悩ありありだが)中の上くらいになった様に思える。ノーメークでこれである、これであれこれあの担当さんに仕込まれたら上の下も夢ではないかもしれない。
担当さんの言った事は本当だった様だ、メイクは女性の心の武装なのだ・・・瞼の線ひとつで、こんなに心に余裕が出来て気持ちがUPするなら安いものでは無いか。
日菜はかなり嬉しくなったので、仕事から帰って来たお母さんにコレモンで見せ付けて、ポーズをとってドヤ顔をして見せたのだが。
母は日菜の顔を見るなり大変に嫌な顔をしていた(笑)何か女の暗い部分の琴線に触れた様だ。悪いがやめる気は無いぞ、これは就職に備えての大事な準備なのだからな。
髪もお高いシャンプーとリンス・コンディショナーの御蔭でツヤツヤになったし、短期間でかなり女子力は上がった様に思える。
ツヤツヤになろうとも纏めるのは面倒だがな・・日菜は滅多に美容院などには行かない、伸ばしっぱなしにしていて年に1度、5月の暑くなって来た頃にショートにバッサリ切って<夏毛になった~>とか言っている無精者である。
しかし今年は派遣会社の夏の講習の時まで切らない様にと担当さんから指令が出ている・・何でも有名な美容院に案内してくれて、それぞれに似合う様にカットしてもらってメイクの指導を受けるらしい・・・講習料が馬鹿高いのも無理からぬ事だ・・・原宿の美容院なんだって。
怖いね・・何を着て行けば良いのやら、制服じゃぁ駄目だろうな。
注)後に聞いたところによると、就職用のヘアメイクだからリクルートスーツが正解だったそうだ。
そんな事をしている内に梅が咲き、春めいて来て3年生が卒業して行った。
例の<大高源吾>様は無事にプロのサッカー選手となり、地元のチームに所属するのかと思いきや、他県にドナドナされて行った様だ。地元なら応援する人が増えただろうに・・よりによってライバル県(関東地方のキャラ順を争っている)に行くとは。その辺の大人の事情は日菜には判らないが、サッカー部の面々は先輩の御出世を喜んでいる様だった。
新学期が始まり、3年生になった日菜は新たに教習所に通い出した。
18歳になる2カ月前から教習所に通えるのだ、5月に18歳になる日菜も学校の許可を得て自動車と原付バイクの免許の取得に乗り出した。
これにはリンダさんが大喜びした、前から車を触りたかったから無理もない。なかなか思い通りに車の予約が取れないが、小まめに入れて時間を消化している。学校と教習所が近くて助かった、日菜はパソコン部と教習所を行ったり来たりしながら忙しく過ごしていた。
リンダさんがマニュアル車で免許を取れとか無茶振りをしてきたが、坂道発進の恐怖・・とか、同じく免許を取得中の男子生徒が教室で話していたのを聞いていたので断固拒否した。かなり怖いよ、坂道発進って・・後ろに下がっちゃうだって。
今時マニュアル車で免許取る人なんているのかな?戦車はマニュアルで動くと聞いた覚えが有るが、戦〇道など他市の話なので日菜には全く関係はない。
狭い教習所のS字カーブなどをノソノソ走っていると、リンダさんがイライラして来て脳ミソを乗っ取りに来そうで大変に宜しくない。
*****
「隆志~~来てやったぞ~~。」
仕方が無いので行きたくもないジジイの家にやって来た、隆志がろくに手伝いもしないのでこの家は田んぼの世話が遅れ気味なのだ。オジサンは会社員だしね、隆志が何故か専業農家・・・なんにもせんぎょ~~脳家。
田んぼをトラクターで荒起ししなければならないのだが全然進んでない、私有地だからね・・免許が無くても車を動かせるんですよ。
ソコソコ広いからね此処ん家は・・・キーが差し込みっぱなしの軽トラを運転して田んぼまで行く。リンダさんはもう大喜びだ、トラクターの方が操縦感が有るからね・・さぁ好きにやるがいいさ。
結局田んぼの荒起こしは日菜が(リンダさんが)ほとんどやった様なものだ、オートマと違ってシフトなんかが有るしロータリーハローとか付けているからね、ちょっとカッコいいし?リンダさんの男の子心が満足出来た様だ。
ついでに肥料を撒け?ふざけんなそんな事は隆志がやれ!専業だろうが寄生虫め。
3日ほど動かしたらもう満足した様で、リンダさんの興味が車から離れた。
やれやれである・・・。
そうしているうちにソフト君達は県大会を勝ち抜いたり、関東大会に出場したりと忙しく頑張っていた。なんか試合多くない?
こんなものなのかな・・何処の運動部も。
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6月も中旬に入った日曜日、何だか知らないが特上寿司などが取られて、やけにご馳走だなと思ったら、別に日菜の資格取得のお祝いでは無く・・・兄さんが就職の内定をもらったと報告しに帰宅して来たのだった。
「こんなに早く内定がもらえるなんて、流石お兄ちゃんだわね。」
お母さんは自分の事の様に鼻高々である。
「教授の推薦が貰えたからね、うちの研究室の中でも早い方だったよ俺は。まだこれから卒論もあるけど、一息ついた感はあるね。日菜はまだ就職先は決まっていないんだろう。」
「高校生の解禁日は9月からだからね、これからだね。」
「まぁ精々頑張れよ・・クスッ。」
兄さんの日菜下げはお母さん譲りだ、此方は張り合うつもりも無いのだが、ご長男様だから頭は高いらしい、脳筋隆志に近い思考の持ち主なのだろう。
明るい笑い声が家庭に満ちて、みんな幸せそうに団らんしていた。
・・・まぁ、この日はお母さんにとって最良の日だったのだろう。
・・・あんなことが起こるまでは。
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あくる日の月曜日の3時間目、苦痛の数Aの時間だった・・・静かな教室に突然古い某鮫映画のテーマ曲が鳴りだしたのは。
ズウ・・ズン・・ズゥ・・ズン・ズズズズズズズズ・・ズチャラ~~~ン。
「こら~誰だ、待ち受けを変な曲にしているのは。嫌な予感しかしない曲じゃないか。」
クスクスクス・・・・・
「すいません、普段電話なんて掛かって来ない物ですから。今切りま・・・。」
教室のあちらこちらで笑い声が聞こえた、日菜は恥ずかしくて焦って電源を切ろうとしてガラゲーを覗き込み・・・。
「はぁ・・・警察・・・?」
日菜の呟きに教室中の注目が集まり、慌てた日菜は先生に許可を得ると廊下に出て電話のスイッチを押した。もしもし・・。
「沢口日菜さんですか。」
・・・・・事件の始まりだった。
婆の頃はマニュアル車しかなかったのですよ、クラッチをご存知かな?
婆は戦車を動かせるのかなぁ・・・もう随分マニュアルなんか運転していないけど。
まだまだ免許は返納しませんぜ、ババアの運転手にはご用心下され(*'ω'*)。