ブラウン管テレビ
私にとってブラウン管テレビはこうでした。
朝早く電気屋さんが開店し
家電達とてもたくさん並んでる。
今か今かと待っている。手に取られるの待っている。
とあるレンジに指が差される。
その瞬間にやってきたのはブラウン管のテレビの群れだ。
二人の間割り入って指名されたと騒ぎだす。
仲間の群れもつられて騒ぐ。周りのことはお構いなしだ。
怯えたレンジそそくさと立って逃げだし指名を譲る。
喜ぶテレビ映し出すアナログの雑音画面ちかちかと。
仲間の群れもつられて映す。
ちかちかとざーざーと奏で演じるオーケストラだ。
観客達のブーイング気にさえ止めず楽しそう。
店員さんがやって来てテレビをしつけ叱り出す。
電源消えたテレビ達、静寂戻る閉鎖空間。
放送が空の上から注がれる。
店員さんは急ぎ足、荷物まとめてお家へ急ぐ。
お互い見合うテレビ達。
少しざわめきそのあとは電源入れて騒ぎだす。
ののしりわめき発散するは先のストレス。
比べて増える山積するは皆のストレス。
電気屋さんの終わりを告げる店内放送鳴り響く。
倉庫に戻るテレビ達、それを見送る視線達。冷ややかな冷蔵庫。煮えたぎるよなケトルやレンジ。愚痴をつたえる電話まで。
帰り際そんな光景見ちゃっただからこんなお店はもう嫌だ。
明日はちょっと早いけど他のお店を見てみよう。
そんな決意が私にあった。
私が詩を書くときは、使いたい表現や内容が先に生まれる場合と使いたい題材が先に生まれる場合があります。
今回のものはわかりやすそう。