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黒髪のエリス  作者: 振斗
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昔贈られた指輪

 リングトムがシトワ家に訪問してからさほど日を置かずアイナから書簡が届いた。

 

 『尊敬せしエリス様 


 いきなりこのような手紙を出した無礼をまずお詫びします

 私がこの手紙を出したのは、ナーター伯爵家令息から窓硝子破損事件のことで貴女に会いに行ったことを聞かされたからで御座います

 ナーター伯爵家令息がどのようなことを話され、また貴女の勇気ある行動及び優しさを侮辱したかも聞かされました

 助けられた身として、非常に憤りを感じております』


 書簡の内容はまずこのようにリングトムの言動に対しての怒りから始まった。

 優美な書体からもその感情が読み取れる。


 続く書簡の内容は実に興味深いことが書かれていた。

  

 リングトムとアイナの出会いについてである。

 

 アイナはこのような内容を自分の立場から書くのは大変心苦しいが、このような事件が立て続けに起こっているのはふたりの噂が世間に流布しているからではないか、そして一度助けられた身として経緯を打ち明けたいと。

 

 ふたりがどのようにして出会い、噂が流れるまでになったのかが書簡の二枚目から記されていた。


 事の始まりは二月。まだバロワの街全体が雪におおわれている時期であったという。

 そこで『修行者たちの家』で慈善バザーが行われた。(『修行者たちの家』とはドロデアで信仰されている聖霊の教えを説く場所である 国の各所にあり、集会所を兼ねている)

 バザーの手伝いをしていたアイナは、聖士隊としてバザーの催しものに来ていたリングトムと知り合ったという。

 リングトムは熱い茶を持って歩いていたところ、人とぶつかり、茶が腕にかかり、火傷を負った。病院へ向かおうとしたところ、『修行者たちの家』の尼僧がアイナを呼んだ。

 アイナは『一角獣の乙女』の力を使い、火傷を治したという。

 そこからリングトムはアイナに好意を抱き始めたようで、手紙を出したりするようになった。手紙には家族についての悩みを吐露されており、それに対し親身になって返事を書いた。

 手紙を頻繁に遣り取りするうちにアイナもリングトムの情熱にほだされたようで、人目につかないよう街の美術館や公園でこっそり逢っていた。

 この頃にはアイナも「愚かなことに」(と書簡に書いてある)頭にすっかり血が上り、恋人同士の気分を味わっていた。

 リングトムの方は自身の親にアイナとのことを話し、そして世間にそれとなく知らせるためにナーター家の茶会にふたりで参加した。

 世間に噂が流れたことでまず、アイナは田舎の家族から「噂に悲しんでいる」といった内容の手紙を受け取り、後見人的立場である教王から「軽率な行動は慎むように」と厳重注意の書類を渡されたという。

 自身の身勝手な行動で大切な人々を傷つけたこととエリスへの詫びで書簡の末は締めくくられていた。


 書簡は実に十枚以上もあった。

 婚約者を奪った女からの書簡であることを知られないよう、封筒には差出人の名前は無く、アイナ・コヴィの頭文字のみ記されていた。


 

 エリスは手紙を読み終えたのち、何とも言えない気持ちになった。

 ナーター伯爵家の事情についてはエリスも知っている。というより貴族社会では知れわたっていた。

 厳格で体面重視であるナーター伯爵、それについて何も言えず追従するだけのナーター伯爵夫人。

 婚約している身としてナーター伯爵夫妻に何度か会ったことはある。眼光鋭く、ナーター伯爵は自分より身分の低い者、若輩者、女性に対して見下した態度を取る。一方人形のような印象のナーター伯爵夫人。

 リングトムに夢中な頃、未来の義理両親に気に入って貰えるように、会うたびに愛想良く挨拶をしていたが、ナーター伯爵夫妻はそんなエリスに対し、無感情な視線を送るだけであった。

 リングトム自身もやはりそのような両親といて息苦しいのだろう。無邪気で年相応のエリスより、悩みを聞き、包み込むような態度のアイナの方に惹かれたというのは安易に察しがついた。



 リングトムの訪問はシトワ家内でも一波乱を起こしていた。

 家令とメイド長からリングトムの話を聞き、エリスの両親は困惑した。

 婚約者がいる立場でありながら、他の女性との噂が流れた。しかも単なる交際ではなく、婚約破棄を示唆するような噂である。にも関わらず、久しぶりに訪ねてきたと思ったら、傷つけた婚約者へのあまりにもな態度。

 なお、これらは家令とメイド長がシトワ伯爵夫妻に報告したことで、エリスとカーラは喋っていない。エリスは両親にリングトムが近況について確認しに来たとだけ伝えたのみ。カーラはエリスに口止めされ、エリスの話に合わせただけである。

 家令とメイド長はエリスがアイナを助けたこと、鼠を投げ込まれたことを話していたときは応接室から出させている。

 家令たちは冒頭のエリスとリングトムの挨拶の場面を見ただけに過ぎない。それでもシトワ伯爵夫妻に報告せずにいられなかったほど、端から見てもリングトムの態度は失礼だったようである。

 気弱なシトワ伯爵としては宮廷でも権力があるナーター伯爵に対し、あまり事を荒立てるようなことはしたくない。最初に噂が流れたときも屋敷で娘を慰めるのみで、ナーター伯爵に説明の要求や謝罪の要求はしなかった。婚約は破談するのかしないのかもナーター伯爵に委ねている。

 しかしこうも見下した行動が続けば、シトワ伯爵としても考えねばならない。

 シトワ伯爵夫人の方の思いも同様である。裕福とはいえ商家で育った身のシトワ伯爵夫人は愛娘を名門貴族に嫁がせるのが夢であった。しかし婚約者に蔑ろにされている娘を見て、考え直そうとしている。


 そこで十年前に婚約を結んだ際に、ナーター伯爵家から贈られた指輪を金庫から取り出してきた。

 名門貴族から贈られたにしては、それはあまりにも見窄らしい指輪であった。銀で作られており、黒に近い赤色の柘榴石が埋め込まれている。その柘榴石はかなり小さく、石というよりは粒のようであった。

 何でも古来に霊験あらたかな尼僧がナーター伯爵の先祖に与えたものらしい。由緒ある指輪として婚約の際に贈られた。

 

 指輪を贈られたときのことは覚えている。

 

 リングトムは金釦に紺の上衣、白い絹のボウタイを締め、白いズボンを履いていた。エリスは白い絹のドレス。髪もいつもと違い、大人のように一つに後ろで纏められていた。

 指輪は天西織(十四色の絹糸を織った豪華で丈夫な織物)に金細工を施した小箱に入れられていた。リングトムからエリスの指に填められることはなく、指輪は小箱ごと渡された。

 指輪はたいへん小さく、当時5歳のエリスどの指にも収まらなかった。素敵な美少年からせっかく贈られた指輪なのに、指に入らないので、悲しくて泣いていたら、婚約の儀式に参加していたナーター伯爵家の親戚筋である年輩の婦人から、

 「それで良いのです。この指輪は必要な人に、必要な時にのみ身につけられるものだから」

 と謎の言葉を言われた。年輩の婦人は5歳の少女に対し、励ますような笑顔を見せたりすることはなく、ただ真面目な表情で、これまた真面目な口調でそう言った。

 エリスの乳母は金の鎖に通して、首にかけられるようにしましょうと慰めてくれた。

  

 結局、乳母が言ったようなことはせず、金庫に厳重に今まで大切に保管されてきた。

 それを出してきたのは、シトワ伯爵として婚約破棄を申し出ようとしたからである。

 エリスは両親の悲愴な覚悟も悟っていた。

 だが、あのような家に嫁ぐよりも、婿養子を取ってシトワ伯爵の領地でのんびり暮らしても良いのではないかと気楽な気持ちにもなっていた。

 両親が小箱を開け、指輪を固い表情で見つめていたので、エリスは両親を気遣うため、わざとらしい明るい声で、

 「まあ懐かしい。でもこの指輪は私の指に入らないのよね」

 そう言って、右手で指輪をつかみ上げ、左手の小指に填めようとした。5歳の頃、既にどの指にも入らなかったのだから、現在はなお無理だろう、そう考えていた。

 だが、指輪はスルリと左手の小指に填まった。

 指輪が填まったとき、エリスは自分の心臓が力強く打ち、四肢に末端まで温かい血が流れるのを感じた。

 (あれ身体が軽い)

 

 不思議なことに指輪はエリスの左手の小指から抜けなかった。

 どんなに手立てをしても無駄に終わった。

 このためシトワ伯爵からの婚約破棄は出来ず、エリスは自分の軽率な行動を呪った。

 


 

 



 

 

 

 

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