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黒髪のエリス  作者: 振斗
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一角獣の乙女

 『一角獣の乙女』ことアイナは自分の名前を名乗った後、緊張した面持ちで言葉を続けようとした。

 だが咄嗟にエリスがそれを遮る。

 「ささ、うちの馬車があるところはもう少し歩いた西門を出てすぐですわ」

 そう言いながら、アイナの背中を優しく押す。

 アイナが何を言おうとしたのかは大体分かる。

 馬車で送られることへの辞退だろう。

 日はすっかり落ち、世界は藍色に染まっている。人の姿も近い距離でなければ、影同然である。

 それでなくてもナイフで襲撃された後である。

 エリスは失恋の傷をそっと除け、目の前にいる少女の身の安全を優先した。

 カーラは何か言いたげである。しかし優秀なメイドである彼女は主の考えを読みとり、口を閉まった。

 遊月公園の西門を出たところに待たせていた馬車へと向かう。

 エリスがアイナに送り先を尋ねた。アイナは視線を足下に下ろしたまま、消え入りそうな声で「モン通りにあるワモド元教王付一等秘書官のお屋敷へ」

 どうやら『一角獣の乙女』はそこへ下宿しているらしい。

 モン通りは遊月公園からかなりの距離がある。馬車ならすぐだか、人の足だと半間(約30分)はかかる。

 カーラが馭者に公園で具合の悪い人を見つけたので、まずその人を送ってから屋敷に戻るよう伝える。

 三人が馬車の中へ乗り込む。馬車の中には小さなランプがある。ランプの光がアイナの顔を照らす。

 極度の緊張で、ただでさえ色が白い顔が、紙のようであった。

 薄暗い公園内では気がつかなかったが、アイナは濃い菫色の瞳を持っており、神秘的な美貌を持っている彼女にはよく似合っている。ちなみにエリスのそれは青灰色である。

 新聞の社交欄に書いてあった記事を思い出す。

 アイナの元々の家は地方の製本業だった。アイナも中等学校に通いながら、家業の手伝いをしていたと。

 馬車の中の座り位置はエリスとカーラふたりにアイナが向かい合うかたちである。

 馬車が走り出してからも車内はしばし沈黙に陥っていた。

 カーラは若干険しい表情をしており、アイナは無表情で俯いたままである。この状況の中で話出せるのはエリスしかいない。

 「遊月公園には辻馬車で来られたの?」

 アイナはびくっと身体を震わせ、やがてか細い声で、

 「いいえ、歩いてきました」

 「歩いて! だってワモド様のお屋敷から公園までなかなかの距離があるでしょう」

 「田舎にいたときは、よくこれくらいは歩いていたので…」

 「まあ、そうなの。でもこんな時間までどうしてあそこに」

 少なくとも年若い少女がひとりでいる場所、時間ではない筈。

 そこからアイナは話かけられたときより更に大きく身体を震わせて、黙った。

 (これは聞いてはいけなかったか?)

 エリスがしばし逡巡していると、アイナは声と身体を震わせ、途切れがちになりながらも、思いがけないことを口にした。


 「エリス様の使者だと名乗る者が昨日来られて、それで遊月公園に来るようにと書かれた手紙を貰いまして」


 今度はエリスとカーラが身体をびくっと大きく震わせた。ふたり揃って声に出して反応する。

 「何ですって!」 


 無論、そんな呼び出し状など送ってなどいない。

 エリスはすぐに口に出して弁明した。

 アイナは顔を上げ、エリスを見つめながら、強く頷く。

 「はい。私もこのように親切にしていただきまして、今はあの使者や呼び出し状が偽物であることは理解しております」

 きっぱりと言うアイナの言葉に、エリスは胸をなで下ろした。

 こうなったら、どうしてあのような状況になったのか詳しく聞かなければならない。

 「手紙には遊月公園で宵三つ(約午後6時)に来るようにとありました 南門で待っているようにと」

 「使者はどんな男でしたか?」

 エリスが真剣な表情で尋ねる。アイナも度胸が決まったのかもう身体や声を震わせることなく、エリスの顔をじっと見つめたまま答えた。

 「あまり背の高くない男性でした。髪は赤茶で、上等な紺の上着と帽子をしていました」

 「呼び出し状に他に書かれていたものは?」

 「いいえ、他には何も」

 「ひとりで来られるようにと書いてあったんですね?」

 「はい」

 「他言無用とも書いてありましたか?」

 アイナはその問いに対し、思い出すように宙に視線を浮かせる。

 「いいえ、それは書いておりません」

 「このような呼び出し状が届いたことは誰か他の方に相談されましたか?」

 「いいえ。使者への対応はたまたま玄関近くにいた私が直接しましたし、呼び出し状が誰かに見つかることが厭なので、読んだ後燃やしてしまいました」

 「それでは誰にも知らせず、遊月公園へひとりで来たと」

 「…それだけのことを私はしてしまったので」

 このときばかりはアイナは気まずそうに視線を背けた。目の前にいるエリスの婚約者を奪うかたちになってしまっているから、仕方ない。

 彼女は自分のしたことに自分なりに責任を取ろうとしたのであろう。

 だが今のエリスにとってはリングトムとのことより、自分の名を語ってアイナを呼び出した人物のことが気になる。

 遊月公園の南門に宵三つより少し前に着くと、ケープの頭巾で顔を隠した女性が表れたという。頭巾を被っていたが、黒い髪の毛がこぼれ落ちているのが見えたという。服装は若い女性用の質素なドレスだったという。

 頭巾の女は「話したいことがある 自分の後についてこい」と言って、アイナを森深いところまで誘った。

 そして自らの名前を「エリス・シトワ」と名乗り、持っていた手提げ巾着からペーパーナイフを取り出した。

 「ペーパーナイフ?」

 エリスの距離からはナイフであるということくらいしか分からなかった。若い女性が頭に血が上って恋敵を傷つけるのには相応しい小道具かもしれない。

 「はい、そしてその後をエリス様たちが通りかかってくれ、このように助けていただきました」

 ここまで話終えたところで、馬車はワモド氏の屋敷のほんの手前まで着いた。

 さすがに屋敷前に直接つけるのは、ふたりの立場上気まずい。馬車はモン通りの炭油灯から隠れるようにして止まり、アイナは馬車からするりと出た。

 「町を歩いていて、みちのくに迷ったと屋敷の方に言います」

 アイナがワモド氏の館の門に通されるのを、エリスとカーラは見て、その場から立ち去った。

 馬車が今度、シトワ家に向かうと、ずっと黙ってふたりの話を聞いていたカーラが憎々しげに呟く。

 「誰がお嬢様の名を語って酷いことを!」

 エリスはカーラを宥めながら、考えていた。

 (単なる噂を面白がっての愉快犯だろう。しかしペーパーナイフなら命を奪うことは難しい。傷害事件が起きた後に「恋敵のエリス様にやられた」と言っても、私エリス本人の顔を確認して貰ったら、私の偽物だと分かるだろう)

 (アイナのあの気性から顔合わせでヒステリックに私本人と偽物がそっくりと決めつけることはしそうにない。そうしたら今度はアイナの評判が落ちる)

 

(狙いはそれか?)

 

 エリスは大きく溜息を吐いた。


 後日、エリスは遊月公園の管理者宛に匿名で「刃物を持った不審な若い女がいた」と手紙を送った。


 (これで犯人が見つかればいいのだけど)

 

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