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黒髪のエリス  作者: 振斗
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遊月公園にて

 バロワに戻ってきて、エリスを悩ませる物が三つあった。


 まず一つは天候である。ドロデアは四季がはっきりと分かれている。今はちょうど夏の初めなのだが、夏はまず雨期から入り、次に盛夏である乾季がくる。

 盛夏は確かに暑いが、カラリとしておりまだましである。それに暑いのは昼だけで日が暮れれば、夜風がひんやりとしており、睡眠を邪魔されない。

 多くのドロデアの民たちを悩ませるのは、雨期である。ともかく日によって気温が大分違ってくる。乾季よりずっと暑いときもあれば、早朝に霜が下りてくる日もある。一日の日中と夜間だけでも、かなり気温差があったりもする。

 ただでさえ、長雨で気が滅入るのに、激しい気温差で体調崩す者も多い。

 ドロデアで悪い病が最も流行るのは、ちょうど今頃である。

 幸いエリスやカーラ、シトワ伯爵の屋敷内で深刻な病に罹っている者はいない。だが何人かの使用人たちは鼻風邪になったようである。

 この時期になると身分問わず家に閉じこもりがちになる。

 エリスたちがいた領地は寒冷地にあるため、もっと雨期の寒さ、気温差がひどい。領地を管理する使用人たちは口を揃え「冬の方がまだまし 寒いだけだから、寒さ用の用意をするだけで済む」と言い切るほど。

 馬小屋に閉じこもりきりになった馬たちが苛々して怒りぽっくなったり、神経質になって暴食もしくは食欲不振になったりして大変だと綴る報告書が届いたりもした。

 人も動物も気が滅入る時期なのである。


 二つ目はシトワ伯爵夫人の買い物である。その買い物対象はエリスを美しく着飾る衣装に注がれていた。

 エリスが戻ってきた翌日には都で流行りの仕立て業者が呼ばれた。

 衣装部屋の姿見の前に立たされたエリスは採寸され、次に仕立て業者が持って来た生地の見本を見させられながら、どのような衣装にするか矢継ぎ早に聞かれた。

 仕立て業者の質問に伯爵夫人が代わりに答えた。生地の材質、色、刺繍の入れ方から留め具のデザインまで、事細かに話し合う。何着もの衣装の注文がされた。

 注文は衣類だけに留まらず、あまり日を置かずにして今度は帽子屋が来た。次は靴職人―。一式揃え終わったと思ったら、今度は別の有名な仕立て業者が訪ねてくる。

 確かにそろそろ夏用の衣装を支度する時期だが、数が多すぎる。これは一体どういうことか。

 エリスがある日、そう母を問い詰めた。

 だが伯爵夫人は上機嫌な笑顔で、

 「あらお金のことなんて気にしなくて良いのよ 私用の資産で買っているから」

 と的の外れた答えをする。確かに伯爵夫人個人で実家関連の会社や工場の株券、それに昨年亡くなった大伯母の遺産もあり、懐具合はシトワ家よりずっと豊かである。

 エリスが聞きたいのは突然始まった娘に対しての着道楽について。 

 新しい衣装が増えるのはエリスも楽しいが、明らかに度かすぎている。

 それにそんなに衣装を作っても、婚約破棄の噂が流れている中、エリスは茶会や夜会にはそう出かけられない。

 伯爵夫人は上機嫌を超え、躁状態であった。

 カーラが伯爵夫人付きのメイドに聞き出してくれた。

 どうやら娘の婚約破棄の噂を、娘以上に気をかけてしまっており、

 ―『一角獣の乙女』より私の生んだ伯爵令嬢の方がずっと美しい

 そんな思いからエリスを着飾ることに熱心になっているようだ。

 話を聞いてエリスの胸の中に苦いものが混み上がってきた。

 (そういえば作った衣装に淡い色のものが多かった) 

 エリスは自分にあまり淡い色のものは似合わないと思っている。はっきりとした色の方が自分には似合うし、またそのような色が好きだった。

 エリスも耳にした『一角獣の乙女』の噂に、「水色の衣装がよく合う」「薄紅色の服がよく映える」というのが合った。

 今回、母はエリスが渋るのに淡い色の衣装をいくつもの注文した。

 (私の娘の方がもっと似合う)

 伯爵夫人の表に出せない叫びであった。


 三つ目の悩みがこの婚約破棄についてである。

 エリスとしては失恋の傷も殆ど癒え、リングトムに思い人がいるなら婚約破棄も仕方がないように思えた。

 だがしがらみの多い貴族社会である。

 子供が考えるよりずっと多くのことがこの婚約に絡んでいる。

 貴族同士の婚約の場合、まず王室に申請して許可を求めなければならない。

 この手続きはさほど難しいものではなく、決まった形式で書いて、署名をするだけ。誓約書を実際に受理し、処理するのは役人である。王からは「判った」という一筆を戴くだけである。

 しかし曲がりなりにも王室に対し誓約した婚約を破棄したというのは貴族にとってあまり良いことではない。

 他にも理由があった。

 シトワ伯爵家の後ろには伯爵夫人の実家、ボンブル商会がある。ボンブル商会はドロデアでも指折りの大会社である。その資産は大変魅力的である。元々この経済面でナーター伯爵家は子息とシトワ伯爵家令嬢との婚約を結んだ。

 新たに出てきた『一角獣の乙女』

 これは単純にこの称号の者が一族に入るだけでも誉れになる。更に『一角獣の乙女』の後見人には教王がいる。教王は宗教界の頂点である。

 ドロデアの高官でもあるナーター伯爵はこの両者を天秤にかけ、まだどちらにするか決めかねている状態であった。

 だいたい結婚は十八歳から二十歳。まだこの歳になるまで時間がある。 

 それがナーター伯爵の考えである。


 

 雨期も終わりに近付いた頃。

 エリスはカーラを伴にして、外へと出かけた。

 ふたりは馬車に乗り、行く先は遊月公園である。遊月公園は植えられた木々の枝が庭師の手により凝った形をしており、また木々の背が高い。そのため夜に空だけ見て歩くと、木々の枝ぶりにより狭まった空で月がふわふわと遊んでいるように見えるためついた名前である。 

 その日の天気は昼過ぎまで雨が降っていたか、昼を過ぎると気持ちの良い青空が広がっていた。

 雨期と噂によりバロワに戻ってきてからずっと屋敷に籠もっていたエリスは、気が滅入っていた。

 (どうせなら他人を避けたいこの時期に、遊月公園へ行って、遊ぶ月を見てみよう)

 そう考えたのである。

 遊月公園の名前にもなった風景は月の出る時間でなければ見られない。

 エリスはまだ見たことはなかった。 

 伯爵夫人に頼み込むと、やはりそう簡単に許しは得られなかった。しかしエリスの今の心情を思い図り、また年嵩の男性使用人が、

 「この時期なら夕暮れでも月が現れますよ」

 と助け船を出してくれた。

 「すっかり日が落ちる前に帰ってくる」

 と約束し、出てきたのある。


 「日が暗い中に出かけるというのはわくわくするわね」

 エリスが高揚した声で言う。

 「そうですか… 私は薄気味悪く、あまり」

 確かに広い公園に殆ど人の姿は見えず、カーラがそう思うのも無理がない。馭者には馬車で待つように伝えている。

 しかし公園の東西南北それぞれにある門には門番がおり、彼らは定期的に園内を見回っているという。

 園内にある炭油灯がつき始めた。

 園内の森の中に入り込む。頭上を見上げると小さな真珠のような丸い月があった。黒い森の枝影に、上質な別珍のような夜空。

 エリスとカーラは月の姿を追いながら、散策した。巧妙に施された木と木の間を月は確かに遊びように動いて見えた。

 ふたりは口々に感想を言い合う。最初は恐がっていたカーラも楽しげである。

 エリスの左目の隅に微かに白く光るものが映った。

 (何が光っている?)

 エリスは左を向いた。

 自分たちがいる場所から少し離れた距離、走って追いつけるくらいのところから光っている。

 瞳に意識を集中させると、二つの人影が認識できた。

 人影は向かい合うかたちで、白い光の正体はナイフの刃が月光に反射したものであった。

 ナイフの刃先が細かく出鱈目に動いている。

 その動きから、格闘になれていない者がナイフで人を傷つけようとするときに威嚇行動だと瞬時に判断した。

 (危ない)

 カーラは黙って森の暗闇をじっと見つめるエリスに不安に思い、声をかけようとした。

 だがカーラより早くエリスが叫ぶ。

 「門番さーん、こっちです」

 実際には門番は呼んでいない。しかしエリスの嘘の叫びにナイフを持っていた人影は驚き、身を翻して逃げていった。

 突然エリスが訳分からぬことを叫んだことで驚いているカーラに素早く、自分が見たことを話す。

 ナイフで襲われそうになっていた人影へとふたりは歩いていった。

 「大丈夫ですが?」

 ナイフで襲われるという極限状態にいたためか、木の幹に寄りかかっている。

 「…はい」

 そう弱々しく答えたのは、エリスと同世代の若い女性であった。

 女性の顔を見たとき、エリスは思わず魅入ってしまった。

 (なんて綺麗な人)

 夕闇でも見てとれる白金の髪。瞳は大きく憂いを満ちており、薄らと開かれた唇は二枚の薔薇の花片のようである。

 エリスもカーラも言葉なく、女性を見つめた。

 女性が何とか自力で立とうとしてるのを見て、ふたりは慌てて手を貸した。

 エリスは自分たちは馬車で来ており、良かったら家まで送ることを提案する。

 女性は柔らかい笑みを浮かべ、その提案を受け入れて、礼を述べた。

 「そういえば、まだ名前を名乗っていませんでしたね。私はエリス・シトワ。シトワ伯爵の者です」

 女性はびくっと身体を震わせ、立ち止まる。

 エリスはその様を見て、この女性も噂を知っているのかと悲しくなった。一方カーラは助けてもらった恩人に、噂を信じ、このような態度を取るのかと女性に対して、不快感を覚えた。

 だが、女性は目を大きく見開き、エリスの顔をじっと見つめながら言った。

 「私はアイナ・コヴィと申します」

 

 『一角獣の乙女』である。

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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