第79話 愚者の戯言
「白姫」
「はい」
画像の乱れが続いている「表示枠」を、静かな目で見つめていたヒイロが白姫を呼び、それに即座に白姫が応える。
その瞬間に白姫――運営の憑代であった『凍りの白鯨』が持つ唯一能力である『静止する世界』が発動し、『天空城』に属するもの以外すべてを黒白の世界にて静止させる。
最初に『凍りの白鯨』が顕現した時と同じ規模で、『静止する世界』が展開されている。
つまりはこの世界すべて。
空も海も地もヒトもこの天体の夜側、天空に輝く星々さえも黒白に染められ、その動きをすべて止めている。
『ハシュ・ラパン』付近に浮遊する『天空城』本体とそこにいる僕たち。
ウィンダリオン中央王国王都ウィンダス上空、『九柱天蓋』旗艦の会議室にいるヒイロとその側付の僕たち。
白姫が『静止する世界』で動くことを許可しているのはそれだけだ。
だがヒイロの目の前に大きく浮かぶ「表示枠」の画像の乱れは続いている。
白姫にしてみれば今更驚くことではない。
襲撃してきた十三愚人は展開された『静止する世界』の中で苦も無く動いていたし、そもそも『黒の王』の僕たちはなんの理屈もなく最初からその軛から逃れてみせた。
不本意ながら『黒の王』の僕の一体として生きながらえてからその理由を同僚に聞いてみると、「気合」だの「忠誠心」だの「好きだから」だの答えられたので、もはや白姫は理解することを諦めている。
『静止する世界』は便利な能力だが、そこまで絶対ではない。
要は世界の理をも超える力が、この世界には存在しているのだろう。
それが「気合」であっても「忠誠心」であっても「好き」であっても、実際にそれで破られてしまってはそれも力だと認めるしかない。
その程度の認識だ。
今ではそれを、ちょっと面白くも感じている。
ヒイロ曰く、この世界が「ゲームのような世界」であることそれ自体、一つの罠のような気さえしている。
一方ヒイロが白姫に命じて『静止する世界』を展開させたのには当然理由がある。
一昨日の夜、公式歓迎会を襲撃しようとした十三愚人のⅡ、Ⅷ、Ⅸ。
それらはそれぞれヒイロ自身、『鳳凰』、『真祖』が倒すことによって封印石の宝珠へと封じている。
殺してはいない。
だが襲撃してきたということは、『世界会議』の成立を邪魔したかった――邪魔する必要が十三愚人側にあったことは疑い得ない。
当然あの三体は勝てるつもりで来たのだろうが、それ以外の十三愚人はこうなる結果も予測はしていたはずだ。
そして今回の流れは、十三愚人にとって望ましくないものではあるが、まだ決定的なものではないということも示唆している。
もしもそうであれば勝敗にかかわらず、全戦力を投入していたはずだからだ。
あるいは十三愚人と称しながらも、その望みはそれぞれまるで違っているか。
Ⅶ――元『春宵の祭列』首魁、『螺旋の王』シェリル・パルヴァディーの行動から考えてもそれは十分にあり得る。
――今何してるのかね、シェリルさんは。
『管制管理意識体』に問えばヒイロがびっくりするくらい詳細に答えてくれそうだが、今は必要ない情報だ。
どちらにせよ、事がひと段落した時点で何らかの接触はあるものとヒイロは読んでいた。
直接の攻撃が敗北と封印につながる可能性が高いのであれば、情報の小出しによる揺さぶりか駆け引き、そのあたりが常道と言っていいだろう。
案の定、「表示枠」による接触を図ってきたというわけだ。
ヒイロは「現時点での」という前提が付くものの、この世界との接し方をすでに決めている。己が率いる『天空城』も含めて、その在り方を定めているのだ。
それゆえの『世界会議』の開催であり、『世界連盟(仮称)』の設立、その基本的な在り方をも実証してみせた。
世界はこれからそれを基本として動きだし、はやければ数年以内に最初の『世界変革事象』である『天使襲来』に挑むことになる。
そしてヒイロが望んでいるのはある程度決まった結果が用意された『世界変革事象』を、プレイヤーの介入次第でどうとでもできる『因果事象』の如く、自分の都合のいい結末へと導くことだ。
ウィンダリオン中央王国。
シーズ帝国。
ヴァリス都市連盟。
そのいずれかしか救うことは出来ず、どれを選んだとて世界の約半数のヒトが失われるという結末を、あらゆる手段を使って覆す。
書類上ではウィンダリオン中央王国にラ・ナ大陸――この時代におけるヒトの世界が統一されたようにすることによって、ほぼ無傷で『天使襲来』を退けながらも箇条書きできる内容のズレを極力減らす。
そのための仕込みは今回の『世界会議』で整った。
となれば、ヒイロにしてみれば少なくとも『天使襲来』までは極力イレギュラーを減らしたいのだ。
イレギュラーの筆頭と言えば、ゲーム時代は存在しなかった元プレイヤーたち「十三愚人」であることは間違いない。
ヒイロ自身が考えた「異世界攻略の仮説」に基づいて十三愚人を今の時点で排除――殺すことはしないが、極力邪魔をされたくない。
向こうから何らかの接触をしてくるのであれば、望むところではあるのだ。
だがその会話を『天空城』勢以外に知らせるのは、今の時点ではまだ時期尚早と判断している。
よって白姫に『静止する世界』を展開させたのだ。
「表示枠」の画像の乱れが収束してゆき、そこに一つの炎が映し出される。
それらは円形に増えてゆき、Ⅱ、Ⅷ、Ⅸの位置だけがぽっかりと空いている。
ちゃっかりⅦの位置には炎があるところを見ると、シェリルはしれっと十三愚人として参加しているわけだ。
ちょっと笑いそうになるがヒイロは堪える。
『管制管理意識体』が何の動きも取らないところを見ると、この映像の出所とシェリルの現在位置は一致していないのだろう。
姿を映さないところも含め、それなりには用心深いらしい。
『お初にお目にかかる、当代プレイヤーにして『天空城』首魁、『黒の王』ブレド・シィ・ベネディクティオ・アゲイルオリゼイ殿。私は十三愚人のⅠを名乗る者。遙か以前に貴殿と同じくプレイヤーであった者でもある』
数値的には筆頭者であるⅠが口を開く。
どの炎がⅠにあたるのかはわからないが、落ち着いた渋い声は壮年の男性を思い浮かべさせる。
というか多分というレベルではあるが、ヒイロは中の人の予測がついている。
元プレイヤーたちの声も、あっちの中のヒトが当てられているらしい。
それぞれの好きな中の人だったんだろうかと思うと、本当に元プレイヤーなのだということが実感できる。
ちょっと答え合わせがしたいななどと思ってしまうヒイロである。
「なんの御用でしょう? ちなみに『管制管理意識体』に逆探知仕掛けさせていますのでそのおつもりで」
『怖いな。だがそう時間は取らせぬよ』
ヒイロの宣言に、苦笑いのような声でⅠが応える。
他の者たちは一切発言をしない。
相手も元プレイヤー。
今はどうかは不明だが、『天空城』のような拠点を持ち、僕たちを従えていたからには『管制管理意識体』による逆探知も承知の上だろう。
その上で逆探知されない時間くらいは読めているというわけだ。
Ⅱ、Ⅷ、Ⅸが倒されているからにはハッタリではあるまい。
もしもそこに確信が持てないのであれば、接触してこないはずだ。
この世界に長くいるという点においてのみ、ヒイロたち『天空城』勢は十三愚人に遠く及ばない。
十三愚人たちそれぞれが最先端時間軸まで到達してから元になったというのであれば、Ⅰなど一万年以上を繰り返している可能性すらあるのだ。
『警告だ。このままでは貴殿は最初の『世界変革事象』で必ず後悔することになる』
「それを回避する具体的な方法を教えてくれるのですか?」
落ち着いた声で告げられたその言葉に、ヒイロも落ち着いた声で即座に応える。
それにⅠは答えない。
「そうじゃないなら僕は僕の好きにします。――雑音だけなら必要ない」
今のヒイロに十三愚人たちの本当の目的はわからない。
その上思わせぶりなことだけを告げられて振り回されるのはまっぴらだった。
「敵対したら叩いて潰します。そうじゃないなら協力できるかもしれない。だがとりあえずはおとなしくしておいてくれるとありがたい。『天使襲来』までおとなしくしていてくれるなら、それが終わった後三体を解放してもいい」
そしてこちらの言いたいことだけを言っておく。
十三愚人は配置された駒に過ぎない。
そこに注視しすぎては、指している棋士――「ゲーム・マスター」を見失う。
ヒイロはこの世界の攻略を、プレイヤーと「ゲーム・マスター」の対人戦、「TRPG」における駆け引きが決めると見做している。
『凍りの白鯨』を味方にしたことで「運営」は片付いたと思っていたが、それは甘い判断だったと今は考えを修正している。
この異世界をまさにゲーム世界のように『一時停止』せしめる白姫の能力。
それを無効化する手段を盤上の駒に与えられる存在は、『運営』レベルの存在でしかありえない。
その気になれば、プレイヤーに与えた力を一方的に奪うことも可能な存在。
だがそんなことをするならば初めからプレイヤーに力を与えはしないだろう。
そう、これはゲームなのだ。
どれだけ突拍子もなく、現実化した剣と魔法の世界としか思えなくとも、クリア方法は必ず用意されており、おそらくは運営もそれを望んでいる。
だったらヒイロはそれを果たしてみせる。
ゲーマーとして愉しむこととクリアを目指すことは同義、そこに一切の乖離は存在しない。
『――いいだろう』
ヒイロの出した条件に、Ⅰがのる。
他の十三愚人たちも異論はないようだ。
『貴殿は負けんよ。その圧倒的な力と僕たちで、この世界をどのようにもできるだろう。我々十三愚人も含めてな。だがこれだけは覚えておくがいい――かつて我々もそうだったのだ』
シェリルから聞いている話と基本的には同じことを言っている。
だが今それは雑音でしかない。
『だが元プレイヤーに――愚者に堕した』
その言葉を最後に、黒白の世界に色を保っていた「表示枠」は消える。
逆探知は出来なかったのだろう、『管制管理意識体』に動きは見られない。
まあこれはヒイロにとっても想定内だ。
何の収穫もなかったが、十三愚人に振り回される事態を避けることは最低限できている。
まずは『天使襲来』を乗り越えてから、十三愚人との片は付ける。
次の『世界変革事象』まで、100年近くあるのだ。
それだけの時間を確保できれば、充分だろう。
――上等。『天使襲来』で俺が必ずする後悔とやら、その予想をまずは外してみせようじゃないか。
ヒイロは笑う。
誰もクリアできていないゲームをクリアすることに、燃えないゲーマーなどいはしない。
ヒイロの知る限り、「T.O.T」は高難易度であっても理不尽なものではなかった。
いわゆるクソゲーではなかったのだ。
だったら必ずクリアしてみせる。
だがそれこそが罠とは今のヒイロは気付けない。
これまでのプレイヤーたちはみな、この世界をゲームと見做したがゆえにこそ元プレイヤーに――愚人に堕したのだ。
その本当の意味をまだ、ヒイロは理解できてはいない。
ヒイロがそれを知るのはⅠの言った通り、『天使襲来』に際しての事となる。
思えば必然のイベントなのだ。
RPGにおける絶望とそこからの再起は、RPGの主人公に与えられるお約束なのだから。
だがヒイロはそれをひっくり返す。
ゲームとしては「ご都合主義」「クソゲー」「醒める」「萎える」と馬鹿にされるすべての要素。
それらは現実においては「幸福な結末」とそこからの続きになることを知る。
クソみたいな現実を、誰もが笑える御伽噺に変える。
それこそが力を与えられた訳なのだと。





