第78話 鏖
巨大な『天空城』を見上げて呆然とすることしかできない、「反乱軍」を装った『道化十国』とヴェリス連盟五大都市『ズィー・カーク』の正規軍の兵士たち。
一人残らず先の衝撃で落馬し、すでに命を落としている者も数多くいる。
元々一方的に『ハシュ・ラパン』を蹂躙することが目的であったが故、国単位での指揮系統程度は維持できてはいても、最初から6万5千全軍を効果的に運用できる状態ではない。
だが今は完全に集団としての制御は失われ、ただ6万程度の兵士が個人個人でそこにいるだけのような状況に陥っている。
もとより兵士としての矜持に従っての行軍ではない。
気の進まぬ者もいれば欲望に身を焦がす者もいたが、崇高さとは程遠い理由で自分たちが暴力を行使しようとしていることは、さすがに全員が理解していた。
命令だから仕方ない、命令に従っただけ、命令に従うことが兵士の仕事――
誰もが自分の欺瞞に気付きながらも、「命令」という言い訳を錦の御旗として同じヒトの街を蹂躙し、略奪せんとしていた事実はなにも変わらない。
彼らは今から、その愚行に与した「実行犯」としての罰を受けようとしているのだ。
もっとも完全な指揮下で全軍が有機的に連動したとしても、これから起こることには対処などできようはずもない。
ヒトの群れが一糸乱れぬ行動をとったところで、正真正銘の化け物たちが明確な意思――殺意をもって攻撃してくれば蹂躙されるのみ。
少なくとも『連鎖逸失』の鎖に縛られたままの今のヒトには対処方法などないのが現実だ。
接敵すれば死。
『連鎖逸失』が存在する迷宮や魔物領域に迂闊に近づかないようにするのと同じように、細心の注意をもって『神殺し』には相対せねばならなかったのだ。
そうしなかった者がどうされるのか。
その実証が今から開始される。
『天空城』からいくつかの、ヒトではないシルエットをした者が疑似的な夜の帳に覆われている地上へと降下する。
それらは魔物のようでいて、この世界の誰もが見たことのない姿をした異形の化け物、あやかしの軍勢。
こことは異なる世界において神、あるいは悪魔とされた者たちが、絶対の主の命に従って、「反乱軍」を鏖にせんとしている。
生きている兵士たちは剣を抜き、応戦――戦おうとする。
当然の事だ。
知りはしなくても、一目で魔物の類だということは理解できる。
そしてこの展開から、自分たちに敵対している存在だということも。
だが剣を抜いてすぐに、いや剣を抜く前から絶望をその心に刻まれる。
巨大すぎる『天空城』との対比で、降下した僕たちの大きさは最初判然としなかった。
だがそれらが着地する音は轟音となり、剣を抜いた兵士たちが見上げる巨躯はあまりにも想定外過ぎた。
それはヒトの持つ技術を結集し、万全の陣を築いて迎え撃ってもなお犠牲を抑えることなどできないであろう規格外の相手。
『連鎖逸失』の向こう側でもそう目にすることなどない、巨大であることそのものがヒトの脅威となる、ヒトならざる存在。
それも相手が一体であった場合の話であり、今はそんな化け物がすでに10体以上、この場にその巨躯を降り立たせている。
剣はもちろん、矢も届かない。
届いてもそんな攻撃は通らない。
鍛え上げた戦士がその身に宿す技・能力を行使しても、効いているのかいないのかさえ判断することは出来ない。
一方僕たちが腕や足、尾を振ればそれだけでその場にいた兵たちは肉片と化す。
そしてそんな単純な攻撃だけではなく、息吹や魔法、技なども何の躊躇をすることもなく行使してくる。
その度に三桁の単位でヒトの命が消し飛んでゆく。
数で言えば10vs数万。
だがそれは10体の僕による、ただのヒト潰しでしかない。
戦いではない。
ただの一方的な虐殺。
これがまだヒト対ヒトの戦闘であれば救われたのかもしれない。
命乞いを無視され、最終的に殺されるにしても、それは戦争の場ではあり得る事だ。
もしくはこれが、ヒトの世界を護るための犠牲、献身であれば救われたのか。
己の死に意味があると信じ、残った者に後を任せて死ねればいくらかマシか。
自身でも屑だと思う所業に加担せんとして死んでいくから辛いのか?
だが絶対的な死に、そんな欺瞞は通じない。
そんなことは本当にその立場で死を迎える瞬間までわかりはしない。
どんな理由であっても、もたらされる死は死でしかない。
そしてそれが避け得ぬものと確信した時、ヒトは絶望を得る。
その絶望から立ち直る機会を得たものはこの世界にもごく少数存在するが、今この場にいる兵士――つい先日までは兵士だった者たちにそんな奇蹟が与えられることはない。
死はただの死として、6万の身の上に降り注ぐ。
「いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、やだ――ぱぎょ」
「ごめんなさい、逃がしてください、助けくだあぎゅ」
「あぁぁぁあああああぁぁああぁぁぁびょぶ」
命乞いにすらなっていない何かをわめきながら逃げ散り、ただ潰されて死んでいく。
言葉になっているのはまだましで、ほとんどはただ意味のない音の連なりを喉からひしりあげているに過ぎない。
それもごく短時間で終わっていく。
一切の躊躇なく、この場に存在するヒト悉くを殺しきるのに『天空城』の僕たち十体が必要とした時間は、一刻にも満たないもの。
たったそれだけの時間で、6万5千いた「反乱軍」たちは鏖にされた。
誰も居なくなった。ただの一人すらも。
それぞれがこの世界のヒトの社会に繋がる紐を持ち、誰かと繋がっていたであろう者たちがすべて、その繋がりを強制的に引き千切られて終わったのだ。
己が他者にそうせんとして為せなかった、ただその結果として。
『九柱天蓋』旗艦の会議室には、再び音がない。
今目の前の「表示枠」に克明に映し出された鏖殺の映像に、咳ひとつ立てられず、固唾を呑み込むこともできない。
この場にいる者たちは、それぞれその国の責任者と呼んでいい者たちばかりである。
戦争の決断をしたこともあれば、多を救うために小の犠牲を、歯を食いしばって良しとしたことのある者も多くいる。
迷宮や魔物領域の攻略のために、正規軍や冒険者たちの犠牲が必須であることも理解しているし、その中には理不尽としか言いようのない死が訪れることがあることも理解できている。
市井に生きる者たちに比べれば、遙かに死に近い。
いつかやがて訪れるものとして漠然と認識しているのとは違い、時には己たちの判断が他者に死を強いることを自覚している者たち。
だがこれは、ここまでの絶対の力は――
「第一級任務――達成しました」
手元の映像枠から報告を受けていたらしいヒイロが、ポルッカに向かって報告をする。
その表情は自然なもので、激高しているわけでもなければ能面のようなカタチだけの表情というわけでもない。
気の利いた冗談の一つでも言えば、その美しい顔は笑顔を浮かべるだろうと誰もがみな確信できる。
それが恐ろしい。
「任務御苦労。報酬は後程処理します」
「よろしくお願いします」
任務と報酬。
6万5千のヒトの命が、それで失われた。
いや違う。
失わせることのできる力が、『世界連盟(仮称)』に備わっていることが実証されたのだ。
ゆえに今この会議室を支配している沈黙は恐怖ゆえではない。
いやもちろんヒイロは恐ろしい。
扱い方を間違えれば、誰もがその瞬間に死を得る存在だということは嫌というほど理解した。
ヒイロそのものよりも、自らをヒイロの僕と自称する者たちこそが恐ろしいのだということも。
ここにいる者たちは馬鹿ではない。
『天空城』がその姿を現した瞬間に、おそらくはそうであろうと思っていたことが確信に変わっている。
『神殺し』の一党は、『天蓋事件』の当事者たちだということを確信している。
先の十体の化け物たちよりも巨大な『凍りの白鯨』を叩き伏せ、ヒトの世において最大戦力と言っても過言ではない『九柱天蓋』の一つを鎧袖一触で墜とした絶対的な存在。
だが誰もそんなことを突っ込んだり、ましてや批難する者は居ない。
そんなことはもはやどうでもよいからだ。
大事なのはそんな存在が今、ヒトの世界にとって味方だということだ。
たった今それを、これ以上ないくらいのカタチで実証してみせてくれた。
ヒイロが宣言した通り、これから訪れるという「大厄災」と同じことができるという力の証明と、それがヒトの制御下に入っているというその証明。
冒険者ギルドの任務を受け、それに従ってその力を振るうという在り方。
それがヒイロの気分次第でどうにでもなることなど、誰もが理解している。
だが少なくとも今、接し方を間違わなければヒトの世界がぶん回せる力として、『天空城』は在らんとしてくれている。
ヒイロの気分が変わった時の事など知らん。
そんなものは「明日神様が現れて世界を滅ぼしたらどうしよう」という悩みと本質的には同義だ。
ご機嫌を取る相手が明確に居てくれる分、今の方がマシだとさえ言える。
そして今まで「現実的ではない」としていた力を手に入れた才ある者たちがどう動くか。
正しいことをする者が馬鹿にされず、理想を追い求めることが嘲笑されることのない世界が来るのであれば、建設的な方向に自分の能力をぶん回したくなるのが才人である。
正義と悪ではない。
ヒイロにとって「好みの在り方」というものが、これからは「正しい在り方」となるだろう。
絶対者に阿るということは、別におかしなことではない。
大筋においてヒトの世界がより良い方向へ進めるのであれば、その原動力たる者の「好み」が最優先されるのは当然の事でしかないのだ。
それでも「大きな悪意」を正面から叩き潰せる力がヒトの世の上に存在し、呆れられたり嫌気がさしたりしない限りにおいて、ヒトの集団の判断に従ってそれを振るってくれるというのは大きな僥倖なのだ。
規律というものは正しいから守られるのではない。
それを破った場合の罰則が明確で、だれしもが避け得ぬものであってこそ守られる。
そしてそれをさして人は「正しい」と呼ぶのだ。
すべての不正を防ぐことは不可能でも、発覚すれば逆らえぬ力で罰される。
それがヒトでも、国でも、時には神であってさえも。
歪なカタチであるの確かだが、ラ・ナ大陸は確かにこれより「法治」の時代に入るのだ。
多くの命が失われた凄惨な出来事を目の当たりにしてなお。
誰からともなく会議室には拍手がはじまり、それは万雷のものとなる。
6万5千の死は喝采によって認められ、『世界会議』に参加したすべての国が、一国残らず『世界連盟(仮称)』への参加を明確に表明する。
戦場ではなく会議室にて、少なくとも書類上の『大陸統一』は今、成った。
――だが。
会議室中央上部に浮かぶ巨大な「表示枠」にノイズが走る。
それは『管制管理制御体』によるものではない。
『天空城』の制御下にない「表示枠」が、強制的に『九柱天蓋』旗艦会議室に介入し、なにかを映し出そうとしている。
まだノイズしか映らないその「表示枠」を、ヒイロは静かな瞳でじっと見つめている。





