第74話 利益と恐怖
巨大な会議室にいる誰もが咳一つたてない。
いや、たてられない。
そのしんとした会議室でヒイロが自分の席から立ち上がり、円卓の外周を反時計回りにゆっくりと歩き始める。
歩を進める度にコツコツと鳴るその靴音だけが、静かに響く。
初夏の終わり、あるいは盛夏のはじまりの季節。
午前中とはいえ強い陽光と、からりと澄んだ空気が『九柱天蓋』旗艦を包んでいる。
地上の王都ウィンダスでは、今日も朝からお祭り騒ぎが始まっている事だろう。
ここ『九柱天蓋』旗艦でもこの会議室から一歩でさえすれば、ありふれた天気の良い夏の一日が展開されているだけだ。
だが今、この空間は違う。
季節だとか時間だとか、そういう区分で語れる空間ではなくなっている。
豪奢な造り、魔法で一定に保たれた室温、天窓から明るすぎず暗すぎず取り込まれた陽光と、目立たぬ魔法燈火によって適度な明るさを維持された室内。
議事録として残されている映像のみを後から見れば、何のこともない光景だろう。
だが今この会議室にいる者たちにとってただ目に見える景色と、肌で感じる実際は大きく乖離している。
汗さえも浮かばぬ彼らの心象風景を映像にすれば、薄暗く肌寒い空間で己らが座する円卓の外側を、死神が内側にその巨大な影を映しながら歩んでいるようなもの。
背を向けて座る自分自身をすっぽりと呑みこんだ背後の死神とそれが持つ鎌の影だけが、自分の目に映っているような落ち着かなさ。
歩を止められた場所に座していた者の命を奪われる、死のルーレット。
ヒイロにそんなつもりはなくとも、己の背後を『神殺し』がゆっくりと歩くというのはそんな圧力を発生させるのだ。
「皆さんが戸惑うのもよくわかります」
全く抑えられていないヒイロの――『黒の王』の気配を背中に感じている出席者たちを慮ることなく、ゆっくりと歩きながらヒイロが口を開く。
綺麗な声、丁寧な口調。
だがヒイロが通り過ぎる席に座す者たちは、死がぞろりと己の身体を撫で上げてゆく感覚を確かに感じ、止まらずに通り過ぎられたことに安堵を得る。
そしてみな、屈強な己の護衛武官たちの言葉を思い出している。
――どこに居ても、『神殺し』がその気になったら終わりです。
襲撃者の殺気を感じ、それが瞬時で消された経験を得ている護衛武官たちは皆、異口同音に己が主人にそう告げている。
それが大袈裟な表現ではなかったと、今本当の意味で出席者たちは理解している。
「僕たちは未来を語っている――いわゆる予言ですね」
苦笑含みのヒイロの声。
星見、占い師などの姿で現れる予言者たち――権力者たちに取り入る、胡散臭い存在の筆頭と言っていいだろう。
悪い未来を語り、それを回避するために己や己を雇う者にとって都合のいいことを、権力者の心に囁く。
巨大な力を持つ者ゆえの弱さに取り入らんとする者。
「それをただ信じろと言っても、信じてもらうのが難しいこともわかります」
普通であればヒイロの言うとおり。
健全な組織であればその手の者は冷笑され、つまみ出されるのがオチ。
国家組織に根付く、それを専門とした組織でもない限りそれが普通。
だが実際に降臨した神を殺し、諦めていた『連鎖逸失』から迷宮、魔物領域を解放し、その上でヒトの味方であるヒイロのいうことであれば少なくともだれも笑い飛ばしたりはしない。
真面目に聞くから、頼むからこの死を背中に感じる笑えない状況から解放してほしいと思っている者は多いだろう。
幾人かは陶然としている者もいるがそういうのは少数派、というか例外である。
「ですが本当のことです。遅くとも五年以内に世界は巨大な災厄に見舞われ、壊滅的な被害を受けます。僕たちが全力で守ってなお、生き残れるのは三分の一にも届きません」
これは正確には嘘だ。
ゲーム時代と違い、僕たちが個々で動くことが可能になった現状では大陸のいたるところに「顕現」する天使たちの多くを迎撃可能。
ゲーム時代は不可避であった最初の大厄災、三大強国から選んだ一国以外がほぼ壊滅する惨状は、今のままであっても恐らく防ぎ得る。
だがそれを聞いた出席者たちは、さすがに驚愕を隠せない。
大厄災と言われても、そこまで想像はできない。
だが今ヒイロが言っていることを、この場にいる者は理解する。
ざっくりと三分の一。
つまりこの『世界会議』で目指すものが実現しなかった場合、ヒイロがすでに選んだウィンダリオン中央王国以外が滅ぶと言っているのだ。
「このままでは」
だがそれを避ける手段があるという。
予言者――詐欺師の常道とも言えるが、実際に力を持った存在が言うそれは信じるに足る。
いや将来的には破滅が待っているのだとしても、今ここで抵抗可能な力を持っていなければ、俯いて従うしかないのだ。
歴史から俯瞰すれば時に首をかしげざるを得ないような滅び方をする国が存在するのは、あるいはその国において今のような状況がおこっていたのかもしれない。
もちろんヒイロにそんなつもりはないのだが。
「冒険者ギルドとウィンダリオン中央王国の計画では、その大厄災までに『連鎖逸失』から解放された迷宮、魔物領域において戦力を増強」
はじめは深く考えていなかったが、今となればその為にこそ『連鎖逸失』から迷宮を解放したと言っても過言ではない。
なぜか元プレイヤーたち――十三愚人によって封じられていたヒトの成長。
それを解き放つ。
本来ヒトが持つ潜在能力によって、世界を回す。
それは百度にも上る『世界再起動』においても、ゲーム上では選べなかった選択肢だ。
最終的なシェルターの役割も果たす『神智都市アガルタ』を建造し、アルフレッドら特殊な事情をもった冒険者を以って成長限界の軛を解く実験も行い、成功している。
実績として、アルフレッドたちは序列下位とはいえ『天空城』に名を連ねる僕四体を、ヒトとして撃破せしめている。
おかげでヒイロは、主神アルビオン以下四属神の「レベル上げ」に結構付き合わされたものだ。
理由があったとはいえ、ヒトに負けるというのは僕たちにとって忸怩たるものがあるのは当然だ。
『黒の王』本人と鬼レベリングを敢行した今の主神アルビオンと四属神は、ちょっとヒトの手におえないレベルになっているが、それは後日あきらかになる。
属神を宿した復活の聖女が、天使たちを張り倒すのはもう少し先である。
「その総力を挙げてことにあたることができれば、犠牲が出るにしてもそれは戦う者からのみに限定できると見ています」
『天空城』の僕たちだけでは護りきれないかもしれない大陸各地の戦えぬ人々を、力を得たヒト自身が護る。
それが本来あるべき姿だろうし、ヒイロが気に入ったこの世界を愉しむために選ぼうとしている未来。
「ただしそのためにはスフィア陛下が仰られた通り、今この時にラ・ナ大陸の全ての国家が手を携える必要があります」
歩を止めずに、ヒイロが続ける。
「今が未来への分水嶺」
協力しないのであれば勝手に滅べ。
そう言われているのにも等しいが、あくまでも選択権は各国の手に在る。
極論すれば、ヒイロはどっちでもいいのだ。
自分にとって都合のいい提案を拒否されたのであれば、次善を選ぶしかない。
それに――
「我々は世界のためという理由で、みなさんに犠牲を強いる気はありません」
『連鎖逸失』から迷宮と魔物領域が解放されることによって来る、ヒトの大躍進時代。
新進と気鋭に溢れた、あらゆる意味でヒトの世界が拡大するところをヒイロは見てみたい。
そんな中で一人の冒険者として、日々迷宮攻略に勤しむ日々を暮してみたいのだ。
僕たちや、まだ知らぬ未来のパーティーメンバーたちと一緒に。
なんなら魔法学院や冒険者学校を設立するのもいいかもしれない。
その際はヒイロとは別の「分身体」を用意する必要はあるだろうが。
「大厄災――『天使襲来』までの準備期間、ラ・ナ大陸のこれまでになかった大発展をお約束できると思います。その具体的な内容は後程、ポルッカ議長から説明があるかと思います」
そのあたりの説明については、ぬかりなくポルッカが準備している。
『世界会議』に参加して、損をする国は一国たりともありはしない。
カタチこそ『世界連盟(仮称)』に参加し、宗主国となるウィンダリオン中央王国の支配下にはいるものとなるが、『対:天使襲来』以外でそれぞれの主権を冒すつもりもない。
ほとんどの国は、用意された利益で納得するだろうと思っている。
そして都合のいいことにヒトを支配するために必要な両輪、利益と対を成すもう一方――恐怖を示す相手は、愚かにもこの『世界会議』の裏ですでに動き出している。
そして当然『天空城』はそれを完全に掌握している。
敵対者にまで手を差し伸べるつもりなど、『天空城』の僕たちはもとより、ヒイロにもありはしない。
自らの意志で敵に回る者の一切を、『天空城』は赦さない。
全力をもって殲滅するのみ。
「後はどうやって、この突拍子もなく聞こえる予言を信じてもらえるかですが……」
円卓をぐるりと一周し、スフィアの席も越えて自分の席に戻ったヒイロが、ゆっくりと各々の席に座る各国の代表たちを見渡す。
それと同時に、今までこの会議室を支配していた『黒の王』の気配を、嘘のように消し去ってにっこりと笑う。
だれもがほっとした瞬間。
だれもが油断し、ヒイロの人のよさそうな笑顔に答えて笑顔を浮かべてしまう。
わかっていますよ、信じていますよ、利益があるのであれば共に行きますよ――
ほとんどの者たちが、そう思い浮かべたであろう刹那。
「僕は「大厄災」と同じことを、この世界に起こせます――今すぐにでも」
何の威圧も、殺意も感じさせない、ただ美しい少年の笑顔。
にも拘らず、能面の翁のような、虚無を感じさせる無表情なただの笑顔のカタチ。
その一言で、会議室は再び凍りつく。
「僕からは以上です。あとはポルッカ議長にお任せします」
そう言って自分の席に腰を落としたヒイロの方を見ることができる者は、この場にはほとんどいない。
一方ヒイロは内心で大量の汗をかいている。
一世一代の決意で臨んだ、昨夜の舞踏会をも超えるレベル。
あまりといえばあまりな自分の今演じたキャラに、内心失意体前屈にならざるを得ない。
――柄じゃないなー
とはいえ分身体の優れた容姿と、本体たる『黒の王』の力を背景にすれば、ヒイロ本人はともかく相手はとても笑うことなど出来はしない。
それどころか三美姫はもちろんのこと、芝居がかった最後のヒイロに、『鳳凰』と『真祖』まで頬を染めている始末だ。
『白姫』もアホ毛をピコピコさせている。
『千の獣を統べる黒』は小動物のまま踏ん反り返っているし、席の後ろに控えるセヴァスも満足げな表情を浮かべている。
――僕たちの理想の我が主演じるのもけっこう大変だなあ……
内心溜息をつくヒイロである。
僕たちといるのは愉しいが、このあたりだけがちょっと大変だ。
一連の問題が片付いたら、本当の自分で話せる相手はできるのだろうか、とヒイロはふと思う。
この世界で本当の意味で生きていくには、そういう相手こそが必要なのではないだろうかと。
それが僕たちになるのか、この世界で出逢ったヒトの誰かになるのか――あるいはある意味においてはもっとも分かり合える元プレイヤーたち――十三愚人たちになるのか。
今はまだ、その答えは出ない。





