第71話 覚悟のススメ
「自覚……自覚な……」
公式歓迎会が終了した後、用意された部屋に戻ったポルッカ・カペー・エクルズ子爵は眠れずにいる。
もちろん呑みすぎたというわけでもなければ、食べ過ぎたというわけでもない。
それどころか上等な酒もうまい料理も、まともに喉を通らなかったと言った方が正しい。
さもありなん、としか言いようがないだろう。
公式歓迎会が開始される直前、立礼でのヒイロたちとの会話を想い出してポルッカは頭を抱えているのだ。
のほほんと構えているように見えたヒイロに対して「もうちょっとこう、自覚持ってくれ自覚」などとポルッカは言い放ち、その発言を今や『神殺しの英雄』の一人であるアルフレッドに、それは自分だろうと諭された。
自分をヒイロのおまけ程度に考えていたポルッカは「はあ!?」などという間の抜けた返答をしてしまった。
だが、公式歓迎会が終わった今となってはアルフレッドの言うとおり、最も自覚が足りていなかったのは己だということを、それこそポルッカは自覚している。
公式歓迎会ではきちんと主賓の一人としてポルッカは扱われた。
用意されたこの部屋も、ヒイロの部屋と同格。
つまりはシーズ帝国の皇族や、ヴァリス都市連盟の総統一家よりもわかりやすく格上の部屋なのだ。
「エクルズ子爵家当主」などという肩書がただの飾りに過ぎないということは、当のウィンダリオン中央王国の伯爵だの侯爵だののポルッカに接する態度でよく理解できた。
彼らの態度が、たかが新参の子爵家当主に対するものなどではけしてなかったからだ。
ほんの数か月前まで、アーガス島冒険者ギルド支部の一受付中年であったポルッカの自覚が追い付くには、少々無茶が過ぎる。
だがさすがにポルッカも自覚せざるを得なくなった。
今のポルッカの本質は、エクルズ子爵家当主でもなければ、アーガス島独立自治領の御領主様でもない。
『連鎖逸失』から解き放たれた迷宮・魔物領域が生み出す莫大な権益すべてを管理することになる冒険者ギルドの総ギルド長という地位ですら、最も豪華な勲章という域を出ない。
ましてや本来ヒイロがポルッカを信頼する理由となった、冒険者ギルド職員としての能力や経験など、だれも今のポルッカに求めてなどいないのだ。
数か月前であれば口をきくどころか、至近距離に近づくことさえ許されなかった貴族のお嬢様たちが、アーガス島の夜街の娼婦たちよりも露骨にポルッカを籠絡せんとする理由はただ一つ。
最優先するべき最重要人物が、なぜか友人のように扱う唯一の存在がポルッカだからである。
思えばそうなのだ。
とんでもなく美しかったり、優秀だったりする者たちはみなヒイロの僕。
親しげにしている『黄金林檎』のヴォルフやサジたち、今や「神殺し」となったアルフレッドやアンヌたちも僕とはいかぬまでも、より多く利益を享受する側が一歩を引き、ヒイロの方も基本的に丁寧な接し方を崩さない。
幼女王スフィアや、公式歓迎会で引き合わされたシーズ帝国やヴァリス都市連盟のお姫様たちへの態度は、今はまだ他人行儀の域を出るものではない。
今後は知らんが。
そんな中なぜかヒイロは、ポルッカにだけは気安くバカなことを言い、嫌味や冗談をごく普通に交わしあう。
そう、気安い。
いうなれば、歳の離れた友達に接するかのような態度をヒイロはポルッカにだけ取っている。
そうとなれば、ポルッカが中年であろうが、髪が少々心許なかろうが、そんなことは些細なことでしかなくなる。
最重要人物の唯一の友人。
それがいまのポルッカの見られ方であり、そしてそれはあながち的外れとも言えない。
もともとの能力があるだのないだのはもはや関係なく、今ポルッカを飾るあらゆる肩書はそれがあったからこそ手に入ったものであることは事実だからだ。
ゆえにこそ、ポルッカを侮るような愚か者は『世界会議』に参加する位置にある者には誰もいはしない。
巨大な力を持った者に友と遇される――――それもまた一つの力であることを、世界を左右する立場にある者ほど充分に理解している。
虎の威を借れる狐は、すでにただの狐ではない。
それを馬鹿にする者こそ、愚か者の誹りを免れえないのだ。
それを理解しているからこそ、『世界会議』の使節団には美女たちが必ず付き従っており、今日の公式歓迎会や明日の舞踏会でその魅力を競い合う。
王の信頼、寵愛には力があるのだ。
そしてその力を持つ者へ取り入らんとすることもまた当然。
そのことを自覚したからには、覚悟を決めねばならんとポルッカは懊悩している。
明後日ポルッカに振られている役割は『世界会議』の議長ポジションである。
今まではそういう矢面役も、ヒイロに泣きついてやってもらってきていた。
幼女王スフィアとの会議も、『アーガス島侵略戦』のおける舌戦も、それ以外にも細かいところまで含めれば、自分でそうだと思えることは山ほどある
ポルッカは「自分は事務方」だと思っているし、そういう点では冒険者ギルドの執行役員となった時も、それどころではない立場にあれよあれよという間になった時も、何とかこなしてきたという程度の自信はある。
ヘンリエッタ嬢を筆頭に、これもまたヒイロに用意してもらった優秀な侍女さんたちに助けられてのこととはいえ、自分の仕事としてできる限りのことはやり遂げてきた。
――だがこれからは、それじゃあ足らんか。
それを今夜、思い知らされた。
ヒイロへ直接ものを言える人間を増やすべきではない。
また、明後日の『世界会議』で自分たちがやろうとしていることを、ヒイロたち『天空城』勢が主導していると思わせるのも得策ではなかろう。
あくまでも力持つ存在の信頼を手に入れた、ヒトの組織こそが世界を左右するという態だけでも崩すべきではない。
明後日の必要な虐殺は、ポルッカとそれに賛同するヒトの意志で行われるべきなのだ。
憎まれ役はやはり必要で、今それに一番ふさわしい位置に立つのは自分だろうとポルッカ本人でさえそう思う。
虎の威を借る狐としてヒトの世を良い方向へ動かしながらも、きちんといい思いをしているということも表に出す。
程度にもよるが、わかりやすい欲に適度に溺れている方が、ヒトらしくてある意味安心されるというのは確かにそうなのだ。
理想だけを掲げて、清廉潔白に突き進む者は気味が悪い。
つい最近まで、仕事終わりの一杯だけが楽しみであったポルッカにはそれがよくわかる。
ヒイロから聞かされている、数年以内には必ず発生する『天使襲来』とそれに対する備え。
それをスムーズに進めるためにこそ『世界会議』を行い、大陸を統一して事に当たることが当面の目的だ。
統一は幼女王スフィアのもと、ウィンダリオン中央王国によってなされることに既に決まっている。
ポルッカはお題目に聞こえる大目的をぶち上げつつ、ウィンダリオンの貴族として、冒険者ギルドのトップとして、誰からも羨まれる利益を享受して見せるのだ。
『連鎖逸失』から解放された迷宮、魔物領域からもたらされる莫大な利益によって約束されている、これから始まるヒトの大躍進時代。
その時代を代表する成功者、代名詞にポルッカはなる必要がある。
時に清濁を併せ呑み、一部の者たちには蛇蝎の如く嫌われることになってもだ。
「へンリエッタ嬢に、告白するかぁ……」
そこまで思い至った上で、ポルッカはなかなかに俗な結論へと達する。
本来の自分には合わぬ役どころだとは思うし、気が進まないのも事実だ。
だが誰かがやらねばならないことであるのは確かだし、少なくともヒイロの側からは打算なく気のいいおっさんとして扱われている自分が適任でもあろう。
そういう覚悟を前提とすれば、セヴァスやエレアといった頼りになるヒイロの僕たちが自分に協力してくれるという確信もある。
だったら今のポルッカに必要なのは、何のためにそれをするのかという理由――動機付けだ。
順当に振られても、もしもうまくいっても。
そうすればなにものでもない、ただの一人のオッサンである「ポルッカ・カペー」としての覚悟は決まると思うのだ。
冒険者ギルドの総ギルド長でも。
アーガス島独立自治領の御領主様でも。
大陸を統一することになるウィンダリオン中央王国の貴族御当主様でも。
虎の威を借る狐として、利益をむさぼる大躍進時代の顔役ですら。
惚れた女の為、もしくは振られた自棄で務めてみせようじゃねえかと思える。
それで十分、ヒイロたちと共に歴史を築いていくという面白さだけでは足りない部分は埋まるだろう。
その方が「世界のため」などと嘘くさいことを口にするよりも、よほど自分らしいじゃねえかと思う。
その覚悟をもって、ポルッカは明後日の『世界会議』に臨む。
迷宮深部で発見される神器級武器と、その迷宮深部で鍛え上げられた冒険者たちを支配する、冒険者ギルド中興の祖とされる『鉄血の総ギルド長・ポルッカ・カペー・エクルズ』は、今宵誕生した。
今日からの三日間で、この世界に生きる者たちの幾人かがポルッカのような覚悟を決める。
そのいくつかの覚悟をもって、世界は「実在しない歴史」とは異なる歴史を辿り始めることとなる。





