第70話 会議を踊らさんとする者たち
ラ・ナ大陸北東部、クフィム峡谷。
ヴァリス都市連盟の最北部に位置する五大都市の一角『ズィー・カーク』の東部国境、シーズ帝国の西部国境、ウィンダリオン中央王国の北部国境に接している。
そしてその開けた最北部は中小国家がひしめく地域に接しており、三大強国も含めれば13もの領土がクフィム峡谷という一帯で入り混じっている。
それぞれの国家が主張する国境線はあるものの、それが一致している国は一国もない。
現実的にはウィンダリオン中央王国、シーズ帝国、ヴァリス都市連盟それぞれの軍事基地あたりで、現場での暗黙のようにして国境線が定まっているのが実状だ。
複雑に入り組んだ隘路はそれぞれの国の辺境区に通じ、平時とはいえ各国それなりの軍備を配している要衝である一方、肥沃な土地というわけでもなければ希少な鉱物が採掘できるわけでもない。
各々の国境を警備する軍がひしめく不毛の地、それがクフィム峡谷周辺である。
時は深夜。
ウィンダリオン中央王国の王都ウィンダス上空、『九柱天蓋』旗艦での公式歓迎会はすでに終了し、明日の舞踏会に備えてほとんどの者が眠りについている時間帯。
こんな時間まで起きている者は、基本的に碌なものではない。
それは『世界会議』が開催される王都ウィンダスであっても、国境混在地帯であるクフィム峡谷であっても変わらない。
悪巧みをしている者たちこそが、夜の闇に紛れて蠢くのだ。
もっとも今宵は月夜。
その反射光はこの時間であっても真の闇を許さず、明るい夜となしている。
「しかし南の空に『九柱天蓋』が無いというのも、落ち着きませんな」
「まあな。――だからこそ、こんな時間とはいえこんな行動がとれるともいえるが」
「違いありません」
深夜のこんな時間に行軍している部隊の、隊長と副官の会話である。
クフィム峡谷に国境を接する喰中堅国家群の一つ、リーングランド王国の辺境軍八千。
それが可能な限り静かに、クフィム峡谷の隘路を重装備で進んでいる。
兵はすべて騎兵。
八千の騎兵と言えば、リーングランド王国の辺境警備軍、その主力全軍と言っても過言ではない。
「ウィンダリオン中央王国軍と、シーズ帝国軍に気取られるわけにはいかぬからな」
「大国二国の国境線からは遠く離れております。――まず捉えられることはないかと」
副官の言葉にむっつりと頷きながら、部隊長は油断していない。
『九柱天蓋』が天空に浮かんでいないとはいえ、大国の索敵能力を過小評価するつもりなどないのだ。
もっとも万が一察知されたとしても、言い訳はいくらでもたつようにはしている。
ウィンダリオン中央王国とシーズ帝国の国境へ近づいているわけではない以上、ヴァリス都市連盟とリーングランド王国を含む中堅国家の自称国境線が入り混じる地域で軍を動かしたとしても、敵対と見做されることはないはずだ。
とはいえ、もちろんリーングランド王国の辺境警備軍が単独でどこかの国へ攻め入ろうとしているのではない。
『世界会議』の隙をついて軍事行動を起こすことなど、中堅国家であるリーングランド王国一国にできることではない。
だが今、夜陰に乗じて行軍しているのはリーングランド王国の辺境警備軍だけではないのだ。
ウィンダリオン中央王国、シーズ帝国、ヴァリス都市連盟都市という三大強国を除いた十国すべての辺境警備軍主力が、ヴァリス都市連盟の国境警備基地、五大都市『ズィー・カーク』との国境線を目指している。
それはこの機に中堅国家連合軍で、ヴァリス都市連盟に属する『ズィー・カーク』を攻めようというわけでもない。
基地にて『ズィー・カーク』の国境警備軍と合流し、その領土を抜けてヴァリス都市連盟の五大都市の一つ、商業都市『ハシュ・ラパン』へ攻め入る為である。
「まあ万が一露見したとしても、ウィンダリオンとシーズは動くまい」
「そう願いますが……」
副長も表情は晴れない。
確かにウィンダリオンとシーズという二大国が動く大義名分はない。
だからこそ、自分たちリーングランド王国を含む中堅国家十国は、『ズィー・カーク』の誘いに乗ったのだ。
曰く、『ズィー・カーク』の基地にて11国の軍を集結、そのまま『ズィー・カーク』領内を抜けて隣接する五大都市『ハシュ・ラパン』へ攻め込む。
自分たちは、国の制御を離れた反乱軍としてだ。
タイミングは明後日、『世界会議』が開始されて以降。
その間、大商業都市として栄える『ハシュ・ラパン』でどれだけ略奪を行っても不問にするとの言質を、『ズィー・カーク』市長からリーングランド始め、辺境軍に反乱される予定の国々のトップは得ている。
その後『ズィー・カーク』の正規軍による反乱軍の鎮圧。
自分たちはそれまで略奪の限りを尽くしたのち、正規軍の苛烈な攻撃に全滅させられた態でそれぞれの国へと帰還する。
表面上、リーングランド王国はじめ中堅国家十国は軍の暴走を抑えられなかったことをヴァリス都市連盟へと謝罪、その補償を反乱軍を制圧した『ズィー・カーク』へと支払う。
もちろんこれは茶番だ。
それも相当に粗いもの。
だがアルビオン教に協力した『ズィー・カーク』の半ば自棄ともいえる行動に、リーングランド王国他、中堅国家十国は乗るしかないと錯覚させられた。
ただでさえ強国であるウィンダリオン中央王国が、神をも殺す力と結託して『世界会議』を開催するという。
大国であるシーズ帝国はそれなりに遇されようが、先の『アーガス島侵略戦』で敗戦国とされるヴァリス都市連盟は、下手をすると解体される可能性すらある。
そうなれば三大強国の均衡を大前提に生き延びていたリーングランド王国をはじめとした中堅国家群など、ウィンダリオン中央王国と冒険者ギルドに呑み込まれるしかない。
死にもの狂いで工作に出た『ズィー・カーク』にそう信じ込まされ、リーングランド王国他十国はこの計画に参加したのだ。
「例の『神殺しの英雄』ならば心配あるまい。強大な個の敵であれば倒せようが、数万の軍をたった数人でどうにかなどできるはずもない」
「まあ確かにそれはそうでしょうが……」
隊長の言葉に、副長は頷く。
正しい『神殺し』の情報を得られていない者たちは、どこまで行っても自分たちの常識で判断するしかない。
顕現した神を殺したと言われたところで、巨大な魔物を倒した程度にしか想像できない。
そして迷宮では絶対に倒すことが不可能な『連鎖逸失』の向こう側にいる魔物であっても、地上――魔物領域であれば、数の力――巨大な軍をもってすれば不可能ではないのだ。
実際過去に数例、実績もある。
本来は自ら侵攻してこない『連鎖逸失』の向こう側の魔物が、魔物領域から人の住む地へと出てくるという異常事態。
その際、三大強国を中心とした各国の正規軍、冒険者ギルドの手練れを集めた『汎人類防衛軍』十数万をもって、その侵攻を止めたことはあるのだ。
その際のあまりにも甚大な被害ゆえ「大災害」として歴史に刻まれてはいるものの、確かに数の力で強大な魔物を退けた実績はある。
であれば『神殺しの英雄』が数名いたところで、数万の軍勢であれば倒し得る。
そう思ってしまう。
「だいたいウィンダリオン中央王国領にも、冒険者ギルドにも手を出すわけではない。――であれば動く理由もあるまいよ」
「確かにそうですな」
『ハシュ・ラパン』は迷宮からも魔物領域からも遠く、幸いにして冒険者ギルド支部は存在しない。
かわりに在るのは、金さえあればどんな愉しみでも得られるという各種商業施設の数々だ。
その中にはアーガス島の夜街など比較にならぬ場所も当然ある。
「なんの愉しみもない辺境に追いやられていた、我々に巡ってきた幸運とするべきですか……」
「他国に後れを取るわけにはいかんぞ」
お互いの理屈で勝手に安心した後に頭をもたげるのは、どす黒い欲望。
表面上はどうあれ、自分たちは仕える国の指示に従って軍事力を行使するに過ぎない。
その相手が軍隊ではなく、たかだか商業都市の警備部隊程度であれば何の問題もない。
さっさと片付けて、後はお愉しみだ。
全員が全員、そういう下種というわけではもちろんない。
だが今、『ハシュ・ラパン』を目指す軍隊――暴力の塊は、上層部の命令という錦の御旗を得てその欲望をまき散らかさんと進軍を続けている。
『世界会議』に泥をなすりつけ、各々の個利を満たすために。
どれだけ強大な力を持とうとも、欲に支配されたヒトの群れを御することなどできないことを、思い上がった超越者気取りに思い知らせるために。
だが。
クフィム峡谷のはるか上空。
満月の月の光をも透過させた状態で、『天空城』が浮遊している。
「――愚か者共が」
エレアが吐き捨てるように言う。
命令を受けた軍隊が、たとえそれがどんな理不尽なものであれそれに従うことを『天空城』序列№002、相国である『万魔の遣い手』エレア・クセノファネスは否定しない。
それは自分たち僕が、我が主たる『黒の王』の命令に絶対服従することと同じだと思うからだ。
自分たちとて、『黒の王』の命に従って何の罪もない国を、人々を蹂躙したことなど幾度もある。
商業都市の一つを蹂躙したからとて特に何の感慨も得ることなどない。
エレアの怒りはただ、今『天空城』が完全に掌握しているヒトの軍勢が主であるヒイロに敵対する行動をとっているせいでしかない。
ヒトがどんな思惑で、同じヒトをどんな目にあわせようがエレアの知ったことではない。
どんなカタチであれ、力において勝る者が好きに振る舞えばよいのだ。
それが世界の在り方だと思う。
――だが、我が主に逆らうことは赦されぬ。
そしてエレアは嗤う。
『黒の王』やヒイロにはけして見せぬ、邪悪な笑顔で。
力をもって他者を蹂躙しようとした者どもは、それ以上の力でもって何をされても文句を言う権利などないということ程度は理解できていような、と。
地べたを蠢くヒトの群れが何を画策しているのかはどうでもよい。
だがこの愚か者どもは、主の命令一つで想像もしなかったカタチの死を迎えることになる。
『黒の王』、ないしはヒイロの直接指揮下から離れた『天空城』の僕たち。
それと敵対した者が、どんな目にあわされるのかを世界は知ることになる。
明後日の『世界会議』開催中。
その時間、商業都市『ハシュ・ラパン』には、地獄が現出する。





