第66話 彼我の隔絶
勝てるはずのないことなど百も承知、それでも各々の得物を手に各国の護衛武官たちが立ち上がった刹那。
自分たちに「絶対の死」を覚悟させた殺気がふいに消失する。
抑えられたわけでも、弾かれたわけでも、霧散したわけでもない。
まるではじめからそんなものはなかったと言わんばかりに、消し飛ばされるようにして完全に消え去ったのだ。
戦いを生業とし、上には上がいることを知ったとはいえ護衛武官を務めるほどの猛者たちである。
格上が完全に抑えたものであればともかく、あれだけあからさまに撒き散らされていた殺気を読み違えることなどありえない。
成長限界――今ではたかが、と称されるものだろうが――の自分たちでさえ、全力を開放すればその殺気は素人でさえ感じられるほどのものとなる。
先刻のアレは、そんな生易しいものではなかった。
ぬるりとここ『九柱天蓋』旗艦全体を呑みこむようなおぞましい殺意は、護衛武官たちにとっては視覚として捉えているに等しいほどに明確なものだったのだ。
それこそ己の死を、確実にくる未来として映像視できるほどの。
それがフィルムのコマ落ちのように、次の瞬間に消えてなくなった。
察知できていた者にとっては、天空に輝いていた満月がふいに消え去ったに等しい現象。
いや違う。
あんな明確な殺意が、勝手に消え去る筈がない。
天空に浮かぶ月が、突然消えるはずがないのと同じように。
だが消えた。
では答えは一つしかない。
消されたのだ。
それも刹那の間に。
そうと自覚した瞬間、生涯最大の決意で立ち上がった護衛武官たちが、その顔から血の気を引かせてお互いの表情を伺いあう。
自分たちが死をも覚悟した力を、一瞬にして喰った。
そんなことが可能なのは、自分たちがつい先刻まで桁違いの力を持つ者として語り、目指さんとしていた存在、『天空城』勢でしかありえない。
自分たちはわかったつもりで、まるでわかっていなかったのだ。
彼我の間に横たわる、絶対の隔絶。
目指したからとて到底たどり着けるはずもない、遥か高みにある力。
今この世界は、その力のもとに一つになるべく集められているのだ。
その意志に異を唱える国は、その絶対の力をもって排除されるのは間違いない。
たった今、何事もなかったかのように消された三体に襲われて、滅びずにいられる国などありはしない。
であればそれ以上の力に逆らうなど、愚の骨頂よりもなお劣る。
死をも覚悟した己の在り方を否定されたとは思わない。
『天空城』勢はホストとして、招いた相手に害為さんとした愚か者を人知れず排除したというだけのことだ。
あるいはわざとかも知れないが、それに気付けた自分たちは僥倖なのだ。
『世界会議』本番まで、幸いにしてまだ時間はある。
どれだけ己が主人たち、高位の文官たちに「臆した」と馬鹿にされようとも、この『世界会議』で冒険者ギルドとウィンダリオン中央王国、その背後に存在する『天空城』に逆らってはいけないということを理解してもらわねばならない。
護衛武官たちが持つような力、その極たる「軍事力」はその一切が通用しない。
この『世界会議』で通用するかもしれない力は、暴力の類ではない。
貴顕たちの人間力、文官の交渉力といった、「柳に雪折れなし」「濁流を制するは静水」の如き、反するのではなく巨大な力に寄り添い己が力と成せる能力が必要とされる。
あるいは最初は正直馬鹿にしていた、美しい女性の「魅力」が全てをひっくり返す可能性すらある。
もしもあのヒイロという少年を夢中にすることができるのであれば、それこそが今現在この世界における「最強」となり得るのだ。
各国の護衛武官たちは強く決意する。
各国の使節団で最も戦う力を持つ自分たちこそが、暴力を前提とした交渉をすることの愚を仲間に理解させねばならないと。
国が持つ最大の力、暴力の極致である「軍事力」に頼った瞬間、他国よりも後れを取るのだということを『世界会議』に出席する自分たちの顔に本当に理解してもらう必要が絶対にある。
護衛武官たちは皆それぞれ、自分の国を自分なりに愛している。
それが一瞬で消されるところなど、それこそ死んでも見たくはないのだ。
その為には己が一時的に「怯懦」と蔑まれることも受け入れる。
今のところ温厚な獅子に、何も知らぬ子犬が吠えかかるような真似をさせるわけにはいかない。
『連鎖逸失』から解放された迷宮、魔物領域がある以上、獅子になれぬまでも自国くらいは護れる番犬に成長する自信くらいはある。
今絶対に必要なのは、各々が成長するための時間、その確保。
要らぬ見栄や駆け引きで、それを失う愚は絶対に避けねばならないのだ。
「どうしました、ユオ皇女?」
全員が一瞬だけ感じた、違和感。
だがその後何も変わることなく、公式歓迎会は続いている。
護衛武官たちを直撃した殺意は、ここ主宴会場に集う貴顕たちには届いていない。
ヒイロが弾いたからだ。
脅威の襲撃とその迎撃には戦う力を持つ者たちが気付けばそれでよく、ここに集う紳士淑女をパニックにする必要はないとの判断。
その甲斐あって、だれもが一瞬だけ「ん?」と思った程度で、優雅な曲は続き、食事や歓談は止まっていない。
だが公式歓迎会開始からそれなりの時間が経っているにも拘わらず、国力を背景に主賓たちとの会話を続けていた幼女王スフィア・ラ・ウィンダリオン、シーズ帝国第一皇女ユオ・グラン・シーズ、ヴァリス都市連盟総統令嬢アンジェリーナ。
その中でシーズ帝国第一皇女ユオ・グラン・シーズだけが、突然尻餅をつくようにして倒れたのだ。
手に持っていたグラスから真紅のワインが毀れ、その上等で高貴な衣装を染めている。
それに対して、気づかいの表情を浮かべてヒイロが手を伸ばしている。
スフィアとアンジェリーナは一瞬「そこまでやるか」という表情を浮かべたが、ユオはそんなあざとい手段に出たというわけではない。
その証拠というわけではないが、弟で皇太子であるクルスも尻餅こそつかないものの膝から崩れかけ、手近なテーブルに手をついて周りの者に心配されている。
二人ともその顔色は真っ青でありながら額には玉ような汗が浮き、その表情はとても演技とは思えない。
「大丈夫ですか?」
心配そうに重ねて問うヒイロに、気の利いた答えを返すことすらできない。
それでもなんとかぎこちない笑顔をその美しい顔に浮かべ、礼を言おうとするが歯の根があっていない。
千載一遇のチャンスを、自らふいにしている。
スフィアやアンジェリーナも普通ではないと気付くほどの動揺。
大国の皇族がそんな姿を見せるのは、よほどのことが無ければ在り得ない。
それだけの衝撃を、今ユオは受けている。
至近距離にいる分だけ、クルスよりもその衝撃――いや恐怖は大きい。
シーズ帝国の皇族に発現する血統能力、『竜眼』
魔力の流れを視覚化し、行使される技・能力や魔法の初動を読むだけではなく、その残滓も見ることが可能な特別な瞳。
膨大な魔力に反応して自動的に起動したユオとクルスの『竜眼』には、この場の本当の光景が映し出されている。
普通の光を映す右の瞳にはヒイロの愛らしい少年の姿と、とびきり美しい三人の女性、可愛らしい漆黒の小動物が。
つい先程まで行使されていた魔力の残滓を捉える左の『竜眼』には、『黒の王』、『鳳凰』、『真租』、『凍りの白鯨』、『千の獣を統べる黒』の真の姿が。
そして『九柱天蓋』旗艦どころか、ウィンダリオン中央王国の王都ウィンダスを灰燼に帰すに足るだけの膨大な魔力が、この一瞬で展開されたことが極彩色の絵の具をぶちまけた様に映しだされているのだ。
「し、失礼いたしました……」
なんとかそう応え、差し出されたヒイロの手を取って立ち上がるユオ。
自分はついさっき何を考えていたのか。
巨大な力を持っただけの、普通の男の子?
とんでもない思い違いだった。
自分が自分の理想のために利用しようと思っていた相手は、正真正銘の化け物であることを思い知らされた。
それでもシーズ帝国のため、己の夢のために。
手が震えることは止められなくとも、美しい少年の姿をした化け物の手を取って微笑んでみせる。
その尋常ならざるユオの様子を見つめるスフィアもアンジェリーナも、その目にそれぞれの思惑を秘めた光を宿らせている。
如何に大国とはいえ公式歓迎会の間中、主賓を独占するわけにはさすがに行かない。
それくらいの判断は本来のユオであれば即座に下す。
皇女たる彼女の行動は一挙一動、そのすべてがシーズ帝国を利するものでなくてはならない。
短期的に利益に見えたとて、それが長期的に国に害成す可能性をはらんでいれば、リスクを考えたうえで取捨選択するのは当然だ。
この場合、ヒイロを独占することは間違いなく害の方が大きい。
だが今の――あまりのことに皇女ではなく、一人の女の子に戻ってしまっているユオにはその判断くらいはできても行動に移すことができない。
ヒイロに手を引かれ何とか立ち上がりはしたものの、その美しい顔を真っ赤に染めて俯き、立ち尽くすことしかできなくなっている。
――ある理由で。
それに気付いたヒイロが、ユオに服を着替えさせるという、順番待ちをしている各国使節団との歓談から逃げる大義名分を手に入れた。
豪奢なドレスがそれをほぼすべて吸収しているのも幸いし、他の誰にも悟られないようにヒイロが大胆な行動に出る。
「……着替えられる必要がありますね」
似合わぬ微笑を張り付けてにこやかにそう声をかける。
ユオが立ち上がる際に差し伸べた手をそのままに引き、もともとそんなに重くはないとはいえまるで体重がないものかのようにヒイロはドレスをワインの朱に染めた美女をお姫様抱っこする。
その際に会場に満ちた声なき声、驚愕の空気は一般人たちよりも天空城に属する下僕たちの方がより強かったのは言うまでもない。
のちにヒイロが下僕たちの女性体たちに「お姫様抱っこ」を報酬扱いされるようになるきっかけである。
弟である皇太子ですら見たことのない、素敵な男性に突然お姫様抱っこをされた年ごろの娘にしか見えない、だからこそ可愛らしいといえる表情でヒイロに抱かれたユオが会場から退出する。
驚き以上に快哉を上げているのは、そうしているヒイロも年相応の男の子のようにその美しい顔を朱に染めていることを確認した、シーズ帝国の関係者たちである。
この時点では皇太子もそのうちの一人であり、自分の姉は必要とあればあそこまで効果的に自分の女を使うことができるのかと感心さえしていた。
自分が膝砕けになり何とか平静なふりをすることしかできなかったアレを見てしまってなお、シーズ帝国を利するように動けるのだと。
直後にそれが盛大な過大評価であることを、これでもかというほどに思い知ることになるわけだが。
とにかく予想外の展開で主役を欠いた公式歓迎会は、実質的に終わった。
だがまだ夜会は一夜目。
明日の夜には女たちにとって主戦場である、『舞踏会』がまだ控えているのだ。





