第64話 正しい力の使い方――『黒の王』の場合
ラ・ナ大陸に存在するほぼすべての国家から、『世界会議』のためにその中枢が集まっているウィンダリオン中央王国の王都ウィンダス、その上空に浮かぶ『九柱天蓋』旗艦。
これを墜としてしまえば『世界会議』は成立しない。
それどころか、当分の間ラ・ナ大陸は大混乱に叩き込まれることになるだろう。
その理由はわからないが、それが十三愚人の目的のひとつであることは確かだ。
そのために十三愚人はⅡ、Ⅷ、Ⅸの三人の元プレイヤーによる襲撃を敢行したが、そのうちの二人はすでに迎撃を完了されている。
『九柱天蓋』旗艦の魔力炉を狙った単眼少女は『鳳凰』に。
シーズ帝国の総旗艦『八竜の咆哮』と、ヴァリス都市連盟の魔導浮遊戦艦『大嵐』を狙った球体関節人形は『真祖』に。
完膚なきまでに叩きのめされて、完全にその身柄を拘束されている。
こうなれば『天空城』に属する僕たちが手段を選ぶことはない。
殺された方がマシだと、見る者でさえそう思う手段を用いてでも知ることのすべてを引きずり出す。そのことに一切の罪悪感を得ることなどない。
敵対して敗れた以上、その勝者にどう扱われようが文句を言えた筋合いではないのだ。
十三愚人側にしてみれば、当初の目的を達成できればもちろん最良。
最悪でも現プレイヤーが率いる『天空城』の中枢に毒を仕込んで撤退する。
それが十三愚人としての目論見であったのだが、最良も最悪も無く完全に崩壊している。
いや、まだそうとは言い切れない。
今『天空城』の首魁たる『黒の王』と対峙するⅡ。
それが目的を果たせれば、十三愚人――いやすべてを仕込んだ者とすれば成功と言える。
この一連の襲撃そのものを仕込みとして、ある一つの目的を果たさんとしている可能性。
迎撃され元プレイヤーたちの身柄を拘束されることも、いや場合によっては殺されることすらも見越しての行動。
その違和感とでもいうものに、『黒の王』は気付いている。
気付いた上で、配された役に従ってⅡと対峙している。
十三愚人の一人、Ⅱ。
ぼろ布のようなローブを纏った老人のようなシルエット。
だがローブの中身は定型ではなく、這いずる無数の蟲が蠢き、ヒトの形を成しているに過ぎない。
現実では結構虫が苦手な『黒の王』には理解できないアバターセンスである。
抱き着かれたりした日には、けっこう素の悲鳴を上げてしまうかもしれない。
ゲームの画面であっても相当引いたであろうが、「T.O.T」が現実化したこの世界においてはこの手のアバターの破壊力は半端ない。
『黒の王』としての威厳は保ちつつ、一定の距離を維持する中の人である。
「儂の相手は今回のプレイヤー御本人か。――光栄だというべきかな?」
その蟲の集合体がくぐもった声で、対峙する『黒の王』に問う。
「どうでもよい。襲撃してきたからには勝算があっての事だろう。出し惜しみしていないでさっさとそれを行使すればどうだ? 私の僕は強い。三対一となると勝算も低くならぬか?」
今は三つになっている「ゲヘナの火」を揺らめかせ、巨大な枝角に真紅の魔力線を走らせながらブレドが答える。
自分がいると知りつつ襲撃をしてくるということは、普通に考えれば勝算があるということだ。
もしくは勝てぬまでも、何らかの目的を果たした上で逃げおおせる確信を持っているか。
そうでなければただの自殺行為である。
少なくとも今回襲撃してきた三人にはそう思わせるに足る根拠を与えていなければ、そもそもこの襲撃そのものが成立しえない。
十三愚人――元プレイヤーたちを自分に都合よく操っている者がいるとして、その真の目的がなんであるにしてもまずは十三愚人たちを踊らせるに足るだけの餌を与えているはずなのだ。
『黒の王』はシェリルの件も含めて、十三愚人という組織にある種の疑いを持っている。
その疑いを、このタイミングで襲撃があったことでより深めてもいる。
だが今はまず、蟲の集合体の対処をするのが先決である。
「その僕どもが、儂らに負けるという可能性は考慮せんのか?」
この時すでに、『鳳凰』も『真祖』も戦闘を終えている。
だがそんことを知りえない蟲の集合体が『黒の王』に問う。
その問いをするということは、少なくとも蟲の集合体は『天空城』の僕たちに勝ちうる手段を有していると思っているということだ。
『静止する世界』の中で動くことを可能とし、僕による技・魔法の一切を無効化するアイテムがその根拠であろうが、それらは実際にはまるで通用しなかった。
「そうなれば私が三体とも相手すればよかろう」
その事実を知らないままに、こともなげにブレドが答える。
僕たちが勝てぬ相手を、主たる己がするのは当然だと言わんばかりに。
「大した自信じゃな。――与えられた力に過ぎぬものを」
そのある種度し難いともいえるブレドの態度に、蟲の集合体が嘲笑を含んだ言葉を投げつける。
だがそう言われたブレドが僅かに笑う。
表情の読みにくい竜頭であるにも関わらず、ハナで笑ったことが明確に伝わる仕草。
「なにがおかしい」
その態度に、挑発したはずの蟲の集合体が鼻白む。
お互い表情などわかりにくいアバター同士であるにもかかわらず、言葉に依らぬ意志の表現が通じるところが不思議ではある。
「それを言うなら、私たちのこの話し方も大概だと思ってな。私は僕たちの手前もあるが、貴様にはそんな必要もなかろう。――こんばんは、初めまして。とでも挨拶をしようか?」
「…………」
『黒の王』と「蟲の集合体」がプレイヤーと元プレイヤーであるからには、この世界における己の力が何者かから与えられたものだというのは十分に承知している者の同士だということだ。
いまさらそれについて語るというのもさることながら、アバターとは全く違う中の人がいることをお互いに知りつつ、お互いらしい口調で話していることにおかしみを得たのだ。
だがそのブレドのいわば軽口に、蟲の集合体は何も答えない。
ブレドはまだ実感できていない。
現実化したこの世界で千年に近い時間をかけて「最先端時間軸」まで到達し、敗北して元となってからそれを幾度も繰り返していれば、アバターこそが己そのものとなるのかもしれないということを。
少なくとも蟲の集合体にとってみれば、中の人としての人生よりもこの世界で蟲の集合体として生きた時間の方が圧倒的に長いのだ。
「世界を守護し、より良き方へ導く英雄気取りは楽しいか? この世界の誰も逆らうことのできない、与えられたに過ぎない力を振り回して」
「いちいち聞かねばわからんか? 愉しいに決まっているだろう。だからこそやっているのだ。与えられた力だと言って使わぬ道理がどこに在る?」
蟲の集合体はブレドの軽口を無視したまま、プレイヤーとして世界を好きにすることに対しての非難を続ける。
だがそれは、蟲の集合体がこの世界で過ごした時間を思う時ほどブレドに感銘を与えない。
そこらあたりの「己の在り方」については、もうブレドは定まっているのだ。
「そうやって好き勝手した結果に、責任が取れるのか?」
「何をもって責任を取るとするのかが明確ではないな」
正直に言えばとれるわけがない。
だがそれは多かれ少なかれ、誰もがそうではないのかとも思う。
己が責任を取れるのはせいぜい、己自身とその身近な人に対してであって、すべてに責任を果たせるものなど誰も居はしない。
だからと言ってすべてに無責任でいいというわけでもないが――
「……良かれと思ってしたことが裏目に出たらなんとする?」
「後悔するし、反省もするさ。事と次第によってはそこで終わることもあるかもしれんな。それでも何もしないという選択肢はない」
力を持つ者の責任というのは確かにあるのだろう。
だがそればかりを気にして、何もしないというのは論外だ。
正しい正しくないは知らないが、おそらく己の力を行使する際に必要なのは起こるすべてに責任を取れるという理論武装ではなく、裏目に出た時に非難を喰らうことも含めた覚悟だろうと『黒の王』は思う。
「――世界のためにか?」
「なんだそれは。そんなものはどうでもいい。自分のためにだ、当然だろう」
そして一番大事なのは「なんのため」だとも思う。
結局のところヒトは、自分の為にしか動くことは出来ない。
世界の為だと嘯く者は、間違いなく我欲をそこに潜ませている。
正義とやらに相対するのは悪ではなく、もう一方の正義とやら。
本当の悪とはその正義の影で、それに隠れて我欲を貪るもののことだろう。
「気に喰わんか? だが他人の言う正しさとやらに従う気はない。私は私の望むがままに己の力を行使する。それが貴様の言う、誰かに与えられたにすぎぬ力であってもだ」
そこを他人に預けてしまっては、責任も覚悟も生まれようがない。
向こうでも自分は、基本的に同じようにしていたと中の人として思う。
自分の持つ力。
生まれついて持っていたものや、努力で得たもの。
親が残してくれたものもあれば、自分で築いたものもある。
見た目や能力や金や人脈や、あらゆるものをひっくるめて己の持つ力を理解し把握し、それに応じて社会と折り合いをつけて生きてきたのだ。
常に正しいことを選択してきた、などとはとても言えない。
自分の持つ力程度ではどうにもならない事など山ほどあったし、それに無自覚のままでいれるほど優しい社会でもなかったのだ。
それでも自分の力の及ぶ範囲でどうにかよりマシな選択をして、いろんな不条理は「曰く他人事」として生きてきた。
そうやってしがない会社員をしながら、自力で得た自由な時間に趣味を愉しむ己の人生を、最低限の覚悟と責任を持って楽しめていたと思うのだ。不満や不平を酒の席で吐きだしつつではあったけれども、それでもだ。
「大事なのは力をどうやって手に入れたかではない。どうあれ己が持っている力を、何のために使うかだ」
だからこんな、とんでもない事態になってもそこは変えない。
世界のためだとか、そんなご立派なことを急に言いだしたりはしない。
巨大な力とはいえ、いや巨大な力だからこそ、少なくとも自分が納得できる形で行使する。
好きなように、ブン回す。
「己が愉しむために使うことを是とするか!」
「それが私にとっての正しい力の使い方だ。それが気に喰わんというのなら――」
だからいまさらこんな問答で動揺したり、恥じ入ったりはしない。
だが己の考えを唯一無二、絶対的な正しさとするつもりもない。
己で築き上げたモノであろうが、与えられたにすぎぬものであろうが、他者の在り方が気に喰わないというのであれば――
言う。
「貴様の力で止めて見せろ」
己の力をもってそれを否定するしかないのだ。
暴力でも言葉でも魅力でもなんでもいい。
己が意を通せる手段を力と呼ぶのであれば、それはどんなカタチをしていてもかまわない。
蟲の集合体の言葉は『黒の王』に響かない。
であれば、あとは暴力で捻じ伏せるしかない。
『黒の王』が身に纏う漆黒の雷光が周囲を覆い、蟲の集合体のフードの中から無数の蟲が霧のように溢れ出す。
現実化した「T.O.T」世界におけるプレイヤーと元プレイヤーの決着は、やはり「戦闘」をもってしかつかないのだ。





